「絵本」カテゴリーアーカイブ

マンロー・リーフ『けんこうだいいち』

 先に読んだ『おっと あぶない』の姉妹編。こちらのテーマは健康と病気です。いわば「しつけ絵本」ですが、『おっと あぶない』と同様にユーモラスな描写と説明。しかも、大事な点はほとんど網羅されていると思います。

 今回も「まぬけ」が登場。たとえば「すききらいまぬけ」「しんぱいまぬけ」。あと「ねこぜさん」「ぐにゃりさん」なんてのも出てきます。うちの子どももニヤリとしていました。

 『おっと あぶない』もそうでしたが、冒頭部分が印象的。元気なときは健康のことをあまり考えないけれども、普段から気を付けることが重要と述べています。そのあとの部分を引用します。

あかんぼうのときは、
たべることも
きることも
うんどうすることも、
きれいな くうきを
すうことも、
おふろに はいって
きれいになって、
ベッドでゆっくり
ねることも
なんもかも だれかが やってくれます。
ところが……
だんだん おおきくなって、
いろんなことを おぼえてくると、
じぶんのことは じぶんで できるようになります。

 自分のことは自分でできる、だから健康のことも自分で普段から気を付けようと、自立を促す記述。それも単に「自立」を唱えるのではなく、赤ちゃんと対比させることで感覚的に分かりやすいように思いました。(考えすぎかもしれませんが)逆に言うと、いつでも誰もが自立できるわけではなく、必要なばあいには当然、周りの人びとが必要なケアをしないといけないことも伝えていると思います。

 『おっと あぶない』と比べると、全体を通じてだいぶ文書の量が多く、絵は比較的少なめ。テーマが健康だからでしょうか、視覚的に説明するというよりは、文章で説明するところに比重がかかっていると思いました。とはいえ、子どもにとって親しみやすく分かりやすいのは『おっと あぶない』と同じです。

 原書”Health can be Fun”の刊行は1943年。この原題は『おっと あぶない』と類似の表現(あちらは”Safty can be Fun”)ですが、的確に核心を突いており、すばらしいと思います。邦題もシンプルでよいですが、原題の方が、説教臭くないこの絵本の魅力をよく伝えている気がしました。

▼マンロー・リーフ/渡辺茂男 訳『けんこうだいいち』フェリシモ、2003年

マンロー・リーフ『おっと あぶない』

 いわば「しつけ絵本」。子どもがやりそうな危ないことを描いた絵本です。とはいえ、「しつけ」とはいっても、あまり説教臭くなく、むしろ、ユーモラス。

 冒頭部分を少し引用します。

あぶないことを
しないのは、
いくじなしだ
と 思っている子は、
なにもしらない子。
[中略]
ばかなことして
けがした子。
それが───
まぬけ
このほんは
まぬけだらけ

 「いくじなし」という考え方の間違いを最初に伝えているのがすごいなと思います。自分の子ども時代を思い出しても分かるんですが、危ないことをするのがかっこいい、危ないことに加わらないとバカにされる、といったことはよくあると思います。たしかに、友達同士の仲間関係は子どもにとって大事ですが、だからといって、危険なことをすることが偉いんじゃないということ。

 そして、これ以降、この絵本では、次から次へといろんな「まぬけ」が登場します。風呂場で熱いお湯を出して火傷する「ふろばまぬけ」、薬の入ったビンなどなんでも開けて口に入れる「くいしんぼうまぬけ」、棒つきキャンデーをくわえて走って転ぶ「ぼうくわえまぬけ」、道に飛び出していく「とびだしまぬけ」、せきやくしゃみをするとき口をおさえない「じぶんかってまぬけ」「ばいきんまぬけ」……といった具合。いやはや、これだけ「まぬけ」が並ぶと壮観です。

 基本的に見開き2ページの左ページに文章、右ページに絵というつくり。絵はとてもシンプルで、まるで落書きのよう。子どもたちの様子がユーモラスにのびやかに描かれています。と同時に、見ようによっては、けっこうブラックなニュアンスもありますね。「ひあそびまぬけ」や「おぼれまぬけ」、クルマのドアから出たら走ってきた別のクルマのバンパーに巻き込まれた「ドアちがいまぬけ」などは、ほとんど死んでいます(!)。とはいえ、描写が恐ろしいということはまったくありません。変に脅かしたりせずに、それでも大事なことを伝えていく、そういう描き方なのかなと思います。

 また、この絵本はページ数がかなり多いのですが、ユーモラスな絵とともに文章の表現がとても親しみやすく、どんどん読んでいけます。なにせ「~まぬけ」のオンパレード。うちの子どもは「ま・ぬ・け! ま・ぬ・け!」と拍子を付けて歌っていたくらいです。

 もちろん、中身は「これは危ないなあ」ということばかりなので、うちの子どもといろいろ話をしながら読んでいきました。うちの子どもは「僕はこんなことはしない!」と言うのも多かったのですが、なかには自分にも当てはまりそうな「まぬけ」もあり、そのときは神妙に聞いていました(^^;)。うちの子どもが何か危ないことをしそうになったら、「ほら、○○まぬけになっちゃうよ!」と言えるかもしれません。

 これは絶対にやってはいけないということは、子どもにしっかりと伝える必要があるでしょう。とはいえ、ガミガミ怒るだけでなく(でも怒ることもときには必要)、こういうかたちで、子どもに親しみやすく伝えていくことは大事だなとあらためて考えました。このユーモラスな文章と絵なら、子どもも理解しやすく、また忘れにくいんじゃないでしょうか。

 原書"Safty can be Fun"の刊行は1938年。そのため、描かれるクルマはだいぶ古いタイプのもので、うちの子どもは最初、よく分からなかったようでした。とはいえ、クルマの描写以外はすべて、いまでもまったく古びていない内容と思います。この絵本、おすすめです。

▼マンロー・リーフ/渡辺茂男 訳『おっと あぶない』フェリシモ、2003年

神沢利子/堀内誠一『ふらいぱんじいさん』

 これは絵本というよりは絵童話。少し長めで幾つかの章に分かれています。といっても、ほとんどのページに絵が付いていて、どんどん読めます。

 主人公はフライパンのおじいさん、「ふらいぱんじいさん」。卵を焼くのが大好きで、いつも目玉焼きを子どもたちのために焼いていたのですが、ある日、「おくさん」が新しい目玉焼き鍋を買ってきました。そのため、卵を焼かせてもらえなくなった「ふらいぱんじいさん」は旅に出ます。ジャングルや海でいろんな動物たちに出会いさまざまな体験をした「ふらいぱんじいさん」ですが、そのうち足が曲がってしまい、小さな島の砂浜に打ち上げられてしまいます。「ふらいぱんじいさん」はどうなってしまうのか……といった物語。

 この絵本(絵童話)、うちの子どもはだいぶおもしろかったようで、最初は「半分ぐらい読んで残りは明日」と言っていたのですが、結局、終わりまで一気に読みました。どうなるんだろうと先が気になる展開です。読み終わると、うちの子どもは「ふぅー」と息を付いていました。

 老いたものが自分の居場所を探し見つけるというモチーフは他の絵本でもけっこうあると思うのですが、この物語では、「ふらいぱんじいさん」が最後に見つけたその居場所が実に印象深いです。なんとも暖かな気持ちになります。

 考えてみれば、料理は命を育むと同時に、しかし他の生き物の命を奪うことでもあるでしょう。その道具のフライパンがたどりついた新しい世界とは、まさに命を育むことだった……。いや、そんなに難しく考える必要はない、おもしろいお話なのですが、いろんな含意が込められているように感じました。

 絵は太い輪郭線とカラフルな色彩が軽やかで楽しい雰囲気。夜や嵐の画面の描きなぐったような筆致もよいです。よく見ると、いろんな台所道具から雲や波といった無生物の多くにも目と口が付いています。こういうところにも、もしかすると、生きていることをめぐる物語のモチーフが表れているかもしれません。

 神沢さんの「あとがき」では、この童話を書くに至ったきっかけが語られているようです。「ようです」というのは、ウソかまことか不明なため。南の島での神沢さんと「フライパンじいさん」の出会いです。

 この絵本(絵童話)、おすすめです。

▼神沢利子 作/堀内誠一 絵『ふらいぱんじいさん』あかね書房、1969年

北村想/荒井良二『まっくろけ』

 これはおもしろい! 小学二年生の「たっくん」の家のとなりには「グウさん」という芸術家が住んでいて、二人は友だちです。「グウさん」の仕事は墨で絵を書く仕事。ある日、「グウさん」は2日ばかり外出することになり、「たっくん」は「グウさん」の家で絵を描いていてよいことになります。ただ、一つだけ守らなくてはならないのは、棚の上にあるビンの墨だけは使ってはいけないということ。ところが、やってはいけないと言われると、どうしてもやってみたくなるのが人情。「たっくん」がその墨を使って描いてみると、なんと墨を少しでもつけると、あっというまに何でも真っ黒けになってしまう、という物語。

 最初はそのへんの紙や本を真っ黒けにしていた「たっくん」ですが、だんだんエスカレートしていき、電信柱や赤いクルマ、ガミガミじいさん、いじめっこまで、墨をつけ真っ黒にしていきます。

 最初は「ふーん」って感じで聞いていたうちの子どもですが、このあたりまで来ると、だんだんおもしろくなってきたようで、身を乗り出してきました。いろんなものが真っ黒になるところでは大受け。

 「たっくん」の真っ黒けはなお止まらず、ついにはママまで真っ黒けにされてしまいます。ところが、「たっくん」、ころんで地面で墨のビンを割ってしまうと、「たっくん」も含めてすべて何もかもが真っ黒け。

 いやー、本当にすごい! 実にアナーキーな展開。すべてを黒く塗れ!というわけですね。破壊的と言えば破壊的。でも、ここまでくると逆にすがすがしいかも。そういえば、ロックソングにそんなのがあった気がします。

 なかでも絵本を真っ黒にしているところが強烈。引用します。

たっくんはお家にかえると、このあいだママがかってくれた絵本をだしてきた。『クマちゃんのジャム』っていうつまんない絵本なんだ。クマが森のくだものでジャムをつくりましたっていうおはなしの、それだけの本。この本をいつも、ねるときにママがよんできかせてくれるんだけど、もう、たいくつでたいくつで。

 というわけで、『クマちゃんのジャム』も真っ黒にされてしまいます。いやはや。親がよかれと思って読んで聞かせても、子どもにとってはとてつもなく退屈……ありがちですね。独りよがりな読み聞かせなんか、黒くしてしまえ! と一刀両断です。いや、私も反省しないとダメかもしれません。

 ところで、この絵本は文章もなかなかおもしろいと思いました。こちらに語りかけてくるような表現なんですね。それも客観的な語りではなく、物語の登場人物とは違う第三者のキャラクターが文章中にはっきりと現れています。そのためか、子どもに読んでいるとだんだんのってきます。いわばその第三者を演じるような感じかなと思います。

 同じことは、物語の終わり方にも言えます。途中でいったんブレイクが入って「おしまい」になってしまいます。そのあと「おまけ」としてやっとハッピーエンド。フェイントをかまされたというか、これも語り手の作為の現れと言え、おもしろい趣向です。

 絵は、やはり黒の色が鮮烈。なんというか、深みのある黒。もしかすると本当に墨を使って描かれているのかもしれません。「たっくん」があちこちをスミで真っ黒にしはじめると、文章が書いてある見開き左ページも端の方が黒く彩色されます。どんどん黒が浸食してくるかのよう。

 で、一番すごいのが、すべてが真っ黒けになってしまった画面。泣き出した「たっくん」の涙も真っ黒。真っ黒な地上に対し、画面上部の青空と黄色い太陽がなんとも鮮やかです。そして、めくった次のページもすごい! 雨によって墨が少し流されている様子が描かれています。いや、どろどろと言えばどろどろなんですが、陰影のある黒が印象的。さらに、その次のおしまいのページもおもしろい。雨に流されてやっと元通りになった地上が淡く輝く色合いで描かれています。中央下のネズミ色、これは雨に溶けた墨の名残かも。この終わりの数ページの色彩の変化は本当にすばらしいと思いました。

 以前、今江祥智さんと長新太さんが組んだ「黒の絵本」三部作のなかの2冊(『なんだったかな』と『よる わたしのおともだち』)を読んだのですが、こちらの『まっくろけ』もまさに「黒の絵本」。長さんの黒は光り輝く漆黒でしたが、荒井さんの黒は深みと厚みのある黒といったところでしょうか。なにせ墨ですから、なんだか重く粘りがあるような感じです。これもまた独特の美しさがあります。

 ちなみに、うちの子どもは読み終えたあと「家の壁を真っ黒にしたい!」と言っていました。お父さんやお母さんは真っ黒にしないそうです。はあ、よかったあ(^^;)。

 この絵本、おすすめです。

▼北村想 作/荒井良二 絵『まっくろけ』小峰書店、2004年、[ブックデザイン:高橋雅之]

アネット・チゾン/タラス・テイラー『バーバパパのしんじゅとり』

 「バーバパパのちいさなおはなし」シリーズの1冊。少し小さめの絵本シリーズです。今回、バーバパパたちは、みんなで真珠取りに出かけます。自分たちで船を造り、南の海へとやって来たバーバパパたち。いろいろ楽しいエピソードがあり、最後には「バーバベル」に真珠の首飾りを作ります。

 船や潜水用の箱を輪切りにして描写するのは、「バーバパパ」シリーズならではと思います。へぇーと思ったのは、バーバパパたちはどうやら人間と同じように呼吸をしていること。潜水用の箱や潜水服には、空気を送り込む管が付いています。でも、体のかたちを変えて変身すると、空気がなくても大丈夫なんですね。なかなか細かい描写です。

 巻末の注記によると、もともとこの絵本は「バーバパパ・ミニえほん」の21巻の装丁を変えて刊行したものだそうです。原書の刊行は1974年。

▼アネット・チゾン/タラス・テイラー/山下明生 訳『バーバパパのしんじゅとり』講談社、1997年、[装丁:スタジオ・ギブ]

イェジー・フィツォフスキ/内田莉莎子/スズキコージ『なんでも見える鏡』

 これはおもしろい! ジプシーの昔話をもとにしているのですが、いわば恋の絵本です。

 主人公は貧乏なジプシーの青年。旅に出たジプシーは、美しい王女のいる国へとやってきます。そこでは「王女から隠れて見つからなかった者が王女の夫になれる」というおふれが出ていました。というのも、王女はとても勘がよく利口で、しかも世界中のものを何でも写し出す魔法の鏡を持っていたのです。美しい王女に一目惚れしたジプシーは、旅の途中で助けた大きな銀色の魚やワシやアリの王様の手を借りて、王女の難題に挑み、最後は王女と結ばれるという物語。

 ジプシーが恋の試練を乗り越えるというのが基本のストーリーなんですが、本当の主人公はむしろ王女かも。実はジプシーは2回も隠れることに失敗するんですね。2回続けて失敗したら重い罰を受けなければならないのですが、そのとき王女は次のように言います。

おまえを 罰しなくては
いけないのだけど、なぜか わたしにはできないわ。
いいこと、もう1かい かくれてごらん。ほんとうに
これでおしまいよ。

 王女はすでにジプシーに恋しているにもかかわらず、まだそれに気づいていない、あるいは気づきたくない(?)わけです。

 そして3回目。ここでタイトルの「なんでも見える鏡」が非常に印象深く生きてきます。いったい鏡に映ったのは何であったか? 昔話にしばしば見られるモチーフかもしれませんが、それでも割れて粉々になった鏡が実に鮮烈。

 ジプシーと王女が結ばれる画面もとても美しい。互いに手を伸ばし合う二人はまるで宙に浮いているかのように描かれています。恋の高鳴りが聞こえてきそうです。そういえば、同じような構図の有名な絵画があったような気がしました。

 絵はグラデーションがかかったような彩色が美しくダイナミック。とくにスズキコージさんらしい(?)のは、やはり、アリの王様ですね。妖しい怪物です。あと、天高く飛ぶワシもなかなかの格好良さ。

 うちの子どもは(たぶん?)恋や愛のモチーフはまだ分からなかったと思うのですが、読み終えて曰く「ジプシーはちょっと若すぎなんじゃない?」。つまり、王女と比べて年齢が若く釣り合いが取れないということのようです。なるほどねえ。

 たしかに絵を見るかぎりでは、年下に見えます。というか、王女ですからジプシーより偉そうなんですね。あるページでは、ジプシーよりも背が高く描かれています。たぶん、ひな壇の上にいるからでしょう。こういうところが、おそらく、「王女」が年上に見える理由じゃないかなと思いました。

 あと、うちの子どもは、物語のはじめでジプシーに「むちばかりくれた主人」が最後に国を追い出されたところがよく分からなかったようでした。うーん、たしかに、分かりにくいかも。

 ところで、とびらの向かい側のページに記されていましたが、どうやらフィツォフスキさんの再話そのものは1966年に書かれたもののようです。巻末の著者紹介によると、フィツォフスキさんは、ポーランドのワルシャワで1924年に生まれ、第二次世界大戦中はナチス占領下のワルシャワで地下抵抗運動に加わり、1944年のワルシャワ蜂起にも参加。ドイツの捕虜収容所で生き抜き、戦後、ポーランドに戻ったそうです。第二次世界大戦の荒波のなかで少年時代・青年時代を生きてきた方です。

 この絵本、おすすめです。

▼イェジー・フィツォフスキ 再話/内田莉莎子 訳/スズキコージ 絵『なんでも見える鏡』福音館書店、1989年

やぎゅうげんいちろう『はなのあなのはなし』

 これはおもしろい! 鼻の穴の仕組みやはたらきなどを扱った科学絵本。表紙も裏表紙も見返しも、穴、穴、穴……。本文では興味深い事実がいろいろ説明されています。うちの子どもといっしょに互いの鼻の穴を見せ合いながら読んでいきました。画面と比べながら「お父さんの鼻の穴はこんな感じ!」。

 他人の鼻の穴をしげしげ見ることなんて、ふつうはないので、なかなか楽しいです。それで、なんとなく分かるなあと思ったのは、次の一文。

ぼくも おじいさんになったら、
あれぐらいの はなのあなに
なるんだろうか?
どきどきしてしまう。

 たしかに自分も小さいころ、父や祖父の鼻の穴を見て何かを感じていたような気がします。とくに鼻毛とかね。考えてみれば、小さな子どもの視点からすると大人の鼻の穴は下からのぞけますし、割と見えやすいですね。

 あと、うちの子どもがおもしろがっていたのは、アザラシやカバなどは鼻の穴を空けたり閉じたりできるというところ。ゴリラの鼻水の話や、鼻の穴のなかに朝顔の種を入れておくと芽が出るというところにも大受けしていました。これ、本当の話なのかな。いや、ありそうな気がします。

 この絵本、科学とはいっても難しいところはぜんぜんなく、非常に身近なところから分かりやすく、ユーモラスに説明しています。しかも、すごいと思うのは、それが科学の基本的な発想法をよく伝えているところ。たとえば最初の方のページでは、いろんな人の鼻の穴を比較してみたり、また人間と動物の鼻の穴を比べたりしています。考えてみれば、比較というのはおそらく科学にとってとても重要な手法と言えるでしょう。その比較の考え方をこれだけ興味深く表しているのは、すばらしいと思います。

 終わりの方では、鼻の穴の他にも身体にはいろいろな穴があり、それらはとても大事であることが説明されていました。うーむ、なるほどなあと納得の結論です。穴という点から自分の身体を見直すのは、とても新鮮でなおかつ重要なんじゃないでしょうか。

 それはそうと、以前も思ったのですが、他の絵本でもやぎゅうさんが描く人物はみんな鼻の穴がりっぱなんですね。鼻の穴というテーマは、やぎゅうさんにぴったり。いや、そんなことを言ったら失礼かな(^^;)。

▼やぎゅうげんいちろう『はなのあなのはなし』福音館書店、1981年(「かがくのとも傑作集」としての刊行は1982年)

ロブ・ルイス『はじめてのふゆ』

 小さな地ネズミの「ヘンリエッタ」。生まれた春にお母さんが死んでしまったので、ひとりぼっちで暮らしています。そんな「ヘンリエッタ」にはじめての冬が訪れるというストーリー。

 ひとりぼっちで、しかもはじめての冬。だから、「ヘンリエッタ」は冬ごもりをどうしたらよいのか知りません。仲間たちが、食べ物を集めておかないといけないことを教えます。そこで、「ヘンリエッタ」は、食べ物置き場を掘り、木の実や草の実を集めるのですが、なにせはじめてなので、なかなかうまくいきません。仲間たちに助けてもらってやっと食べ物が集まるのですが、うれしくてパーティを開いたばかりに全部、食べてしまいます。さあ、いったいどうなるかが物語のオチ。

 あっと驚く結末、と同時に、なんだかとぼけていておかしいです。いや、考えてみれば、このオチは間違っているわけではないんですね。でも、いったいどうなるんだろうと心配したあとに、ヘナヘナと脱力した感じ。

 仲間との友情も描かれているのですが、多くの画面は「ヘンリエッタ」一匹だけが登場します。微妙な表情からは驚きや困惑や喜びがよく伝わってきます。いろいろ困難があっても、めげずに木の実や草の実を集めていて健気。とくに、そのまなざしがよいです。

 絵は、粒子が粗いというか、かすれてざらっとした色合いが美しい。秋から冬にかけての自然の移り変わりが繊細に描かれています。黄色く色づいた森や赤い夕焼けに照らされた畑の様子は非常に鮮やかな彩色。冷たい雨にけむる森や雪が降りはじめた景色もよいです。葉がすべて落ちて細かな枝だけになった木々の描写も、冬の雰囲気をよく伝えていると思いました。

 もう一つ、おもしろいと思ったのが「ヘンリエッタ」が住んでいる穴ぐらのなかの家具調度類。よく見ると、人間の道具がいろんなかたちでアレンジされているんですね。こんなところにこんなものが、といった楽しさがあります。

 ところで、うちの子どもは、これまで、ひらがなをときどき思い出したように覚えていたのですが、今日は表紙のタイトルを自分で読んでいました。分からないところは、ひらがなの表を見て確認。だいぶおもしろかったらしく、本文の一部も、たどたどしいながらも自分で少し読んでいます。うちの子ども曰く「読んでみるとおもしろいねえ」。成長したなあ。

 原書"Henrietta’s First Winter"の刊行は1990年。奥付によると、この絵本は、第1回外国絵本翻訳コンクール最優秀賞受賞作に加筆し出版したものだそうです。

▼ロブ・ルイス/船渡佳子 訳『はじめてのふゆ』ほるぷ出版、1992年、[装幀:小林健三]

パット・ハッチンス『ぎんいろのクリスマスツリー』

 クリスマスを前に「りす」は自分の木を一生懸命飾り付けるのですが、なかなか気に入りません。そのうち夜になると、木の一番上の枝の真上に美しい銀色の星が出て、輝くクリスマスツリーになります。「りす」は大喜び。ところが、次の日、起きてみると、もう銀色の星はありません。いったい誰が取ってしまったのだろうと探しに出かける物語。

 「りす」は「あひる」「ねずみ」「きつね」「うさぎ」に出会うのですが、みんな何かを隠していて、あやしいなあと疑います。もちろん、誰も銀色の星を取っているわけはありません。ラストはすべての疑問が解けて、楽しいクリスマス・イブ。みんなでお祝いし、「りす」の銀色のクリスマスツリーも明るく輝きます。

 動物たちの毛並みは、ハッチンスさん独特の様式化された線描き。そして、なにより「りす」のクリスマスツリーが色鮮やかで美しいです。オレンジと緑と黄色で飾られ、上空には白く輝く大きな星。

 また、夜の描写が非常におもしろいです。画面を黒くあるいは暗くするのではなく、もくもくとわき上がる雲のような模様を青で描き、それによって辺りが見えなくなったことを表しています。なかなか新鮮な表現。

 そして青くなった画面のなかで、まるで舞台のカーテンを開くかのようにして、銀色のクリスマスツリーが現れます。じっさい物語のラストで青く彩色された部分は雲を表しており、雪が降りはじめると雲が割れて銀色の星が光り輝くという描写。「りす」はささやくように「クリスマス おめでとう みなさん!」と言います。この「ささやくように」というのが画面にとても合っていると思いました。いわばクリスマスの奇蹟。

 原書"The Silver Christmas Tree"の刊行は1974年。この絵本、おすすめです。

▼パット・ハッチンス/渡辺茂男 訳『ぎんいろのクリスマスツリー』偕成社、1975年

たむらしげる『ランスロットのきのこがり』

 「ランスロット」と「モンジャ」がきのこ狩りをするのは、実に巨大なきのこの森。思い出したのですが、たむらさんの『ロボットのくにSOS』にもよく似た場面が出てきます。こちらは地下に広がるきのこの森でしたが、やはり巨大なきのこ。考えてみれば、通常では考えられないくらい大きなものに囲まれるという情景は、たむらさんの他の絵本でもけっこう見られるような気がします。

 それはともかく、カバーにたむらさんの説明があったのですが、「ランスロット」のアンテナ、赤く変わったんですね。「パブロくん」が塗ってあげたとのこと。ちょっと、おしゃれかも。

▼たむらしげる『ランスロットのきのこがり』偕成社、2004年、[ブックデザイン:高橋雅之(タカハシデザイン室)]