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北村想/荒井良二『まっくろけ』

 これはおもしろい! 小学二年生の「たっくん」の家のとなりには「グウさん」という芸術家が住んでいて、二人は友だちです。「グウさん」の仕事は墨で絵を書く仕事。ある日、「グウさん」は2日ばかり外出することになり、「たっくん」は「グウさん」の家で絵を描いていてよいことになります。ただ、一つだけ守らなくてはならないのは、棚の上にあるビンの墨だけは使ってはいけないということ。ところが、やってはいけないと言われると、どうしてもやってみたくなるのが人情。「たっくん」がその墨を使って描いてみると、なんと墨を少しでもつけると、あっというまに何でも真っ黒けになってしまう、という物語。

 最初はそのへんの紙や本を真っ黒けにしていた「たっくん」ですが、だんだんエスカレートしていき、電信柱や赤いクルマ、ガミガミじいさん、いじめっこまで、墨をつけ真っ黒にしていきます。

 最初は「ふーん」って感じで聞いていたうちの子どもですが、このあたりまで来ると、だんだんおもしろくなってきたようで、身を乗り出してきました。いろんなものが真っ黒になるところでは大受け。

 「たっくん」の真っ黒けはなお止まらず、ついにはママまで真っ黒けにされてしまいます。ところが、「たっくん」、ころんで地面で墨のビンを割ってしまうと、「たっくん」も含めてすべて何もかもが真っ黒け。

 いやー、本当にすごい! 実にアナーキーな展開。すべてを黒く塗れ!というわけですね。破壊的と言えば破壊的。でも、ここまでくると逆にすがすがしいかも。そういえば、ロックソングにそんなのがあった気がします。

 なかでも絵本を真っ黒にしているところが強烈。引用します。

たっくんはお家にかえると、このあいだママがかってくれた絵本をだしてきた。『クマちゃんのジャム』っていうつまんない絵本なんだ。クマが森のくだものでジャムをつくりましたっていうおはなしの、それだけの本。この本をいつも、ねるときにママがよんできかせてくれるんだけど、もう、たいくつでたいくつで。

 というわけで、『クマちゃんのジャム』も真っ黒にされてしまいます。いやはや。親がよかれと思って読んで聞かせても、子どもにとってはとてつもなく退屈……ありがちですね。独りよがりな読み聞かせなんか、黒くしてしまえ! と一刀両断です。いや、私も反省しないとダメかもしれません。

 ところで、この絵本は文章もなかなかおもしろいと思いました。こちらに語りかけてくるような表現なんですね。それも客観的な語りではなく、物語の登場人物とは違う第三者のキャラクターが文章中にはっきりと現れています。そのためか、子どもに読んでいるとだんだんのってきます。いわばその第三者を演じるような感じかなと思います。

 同じことは、物語の終わり方にも言えます。途中でいったんブレイクが入って「おしまい」になってしまいます。そのあと「おまけ」としてやっとハッピーエンド。フェイントをかまされたというか、これも語り手の作為の現れと言え、おもしろい趣向です。

 絵は、やはり黒の色が鮮烈。なんというか、深みのある黒。もしかすると本当に墨を使って描かれているのかもしれません。「たっくん」があちこちをスミで真っ黒にしはじめると、文章が書いてある見開き左ページも端の方が黒く彩色されます。どんどん黒が浸食してくるかのよう。

 で、一番すごいのが、すべてが真っ黒けになってしまった画面。泣き出した「たっくん」の涙も真っ黒。真っ黒な地上に対し、画面上部の青空と黄色い太陽がなんとも鮮やかです。そして、めくった次のページもすごい! 雨によって墨が少し流されている様子が描かれています。いや、どろどろと言えばどろどろなんですが、陰影のある黒が印象的。さらに、その次のおしまいのページもおもしろい。雨に流されてやっと元通りになった地上が淡く輝く色合いで描かれています。中央下のネズミ色、これは雨に溶けた墨の名残かも。この終わりの数ページの色彩の変化は本当にすばらしいと思いました。

 以前、今江祥智さんと長新太さんが組んだ「黒の絵本」三部作のなかの2冊(『なんだったかな』と『よる わたしのおともだち』)を読んだのですが、こちらの『まっくろけ』もまさに「黒の絵本」。長さんの黒は光り輝く漆黒でしたが、荒井さんの黒は深みと厚みのある黒といったところでしょうか。なにせ墨ですから、なんだか重く粘りがあるような感じです。これもまた独特の美しさがあります。

 ちなみに、うちの子どもは読み終えたあと「家の壁を真っ黒にしたい!」と言っていました。お父さんやお母さんは真っ黒にしないそうです。はあ、よかったあ(^^;)。

 この絵本、おすすめです。

▼北村想 作/荒井良二 絵『まっくろけ』小峰書店、2004年、[ブックデザイン:高橋雅之]