先日、書いた記事、絵本を知る: マタニティ・ブックスタートに、YuzYuzさんからトラックバックをもらいました。YuzYuz | マタニティ・ブックスタートです。
yuz さんの記事では、赤ちゃんが絵本に接することそれ自体、したがってブックスタートそれ自体に私が懐疑的と書かれているように読めました。でも、先の記事で私が考えていたのは、そういうことではありませんでした。私の書き方が言葉足らずだったなと少し反省しています。そこで、いろいろ補足しながら、もう一度、自分の考えをまとめてみたいと思います。うまくいかないかもしれませんが……。以下、かなり長文です。
まず、私は、たとえばゼロ歳児の赤ちゃんが絵本に接することそれ自体に懐疑的・否定的なわけではありません。むしろ、逆です。絵本を破ったり、なめたり、遊び道具にしたり、また最後まで読まなくても、父親や母親と一緒に赤ちゃんが絵本に接するのはよいことと思っています。
じっさい、うちの下の子どもは現在1歳ですが、ゼロ歳児のときから絵本を読んでいます。もちろん、遊び道具になることが多いですし、読んでいる途中で飽きてしまったり、放り出したりしていました(実は先々週くらいから最後まで楽しんで読むようになりました。これについてはまた別の記事で書きたいと思っています)。
でも、「だからダメだ」などとは私は考えませんでした。当人が楽しそうにしていましたし、私自身も子どもと一緒に楽しむことができたからです。繰り返しになりますが、「絵本は最後のページまで読まないとダメ」とか「絵本で遊んではダメ」とは私は考えていません。ちなみに、このことは、現在5歳の上の子どものときも同様でした。
というわけで、yuz さんが下記のように書かれていることに、私はまったく同意見です。
ブックスタートで重要なのは、あくまでも本を通した触れ合いの時間を取ることであって、絵本を読ませることではないからです。
・赤ちゃんを抱っこして、声をかけて上げること。
・触れ合った場所から、保護者の方の声が直接届くこと。
こういう触れ合いの機会の一つの手段として「絵本を読」んでいるのではないでしょうか。
また、一冊を通して読む必要もありません。
私がブックスタート事業に関わっていた時には
「赤ちゃんのご機嫌の良い時に読んであげてくださいね」などの声かけも行っていました。
赤ちゃんが飽きちゃったら、絵本が途中でもおしまいにしてしまいます。
でも結構赤ちゃんも興味を持って見てくれるものですよ。
私も、赤ちゃんにとって「絵本としての認識」が必要とは考えていません。というか、そもそも、それは無理な話であって、そういう認識がないのは当たり前と思っています。
ですので、私の記事で yuz さんが引用されている次の箇所は、(少なくとも私の意識では)何かネガティヴな含意を込めて書いたわけではありません。
とはいえ、生まれてしばらくの赤ちゃんに絵本を読んでも、おそらく赤ちゃんは絵本を受け入れないのではないでしょうか。少し大きくなってからも遊び道具にすることが多いと思います。そもそも絵本が「絵本」として認知されるのは、それなりに条件が整わないと難しい気がします。
いまになって読んでみると、「絵本を受け入れない」という一文は表現が強すぎるなと思います。これは筆(というかキーボード)が滑ってしまいました。とはいえ、上記の箇所は、ネガティヴな評価もポジティヴな評価もなく、事実としてこうなんじゃないかと自分が思ったことを書いたつもりでした。
では、マタニティ・ブックスタートの何に対して私が疑問を持っていたのかと言えば、上記の箇所のすぐあとで書いた点です。くどくなって恐縮ですが、引用します。
そうだとすれば、親が期待するほどには赤ちゃんが絵本を楽しんでくれないとき、逆に絵本なんていらないということになりはしないか……。考えすぎかもしれませんが、絵本とのかかわり方が阻害されることもありうるように思いました。もちろん、このあたりについては、事前にきちんと伝えておけばよいのでしょうが……。
あと、この取り組みがある種の方向に進んでいくと、たとえば「胎教によい絵本の読み聞かせ」とか「胎教におすすめの絵本」といったところまで行くかもしれませんね。最近は絵本ブームと言われていますし、もしかすると、どこかの出版社がすでに企画を立てているかも。たぶん出版社にとっては新しい市場になるような気がします。
上記で私は、二つのことを考えていました。
一つは、赤ちゃんと絵本に関する、親の側の理解が行き届くかどうかという問題です。つまり、母親や父親が赤ちゃんに絵本を読むとき、たとえば「最後まで読まないといけない」「絵本をおもちゃにしてはいけない」といったふうに考えて、無理に読ませたりしないかどうか……。赤ちゃんにとって絵本は遊び道具でまったくかまわないし、最後まで読む必要もなく、ふれ合いの時間が大事なんだということ、このことを親の側がちゃんと理解できるようになっているかどうか、です。
yuz さんも少し触れられていますが、それが「絵本」であるがゆえに、早期教育として捉えられる部分も根強いんじゃないかと考えました。親の側からすれば、せっかく絵本を赤ちゃんに読むんだから、英語絵本を読もうとか、きちんと最後まで読んで言葉を早く覚えさせたいとか、繊細な絵に触れさせて美的な感覚を身につけさせたいとか、そういう意識がどうしても入ってきがちでしょう。ブックスタートの現場でいろいろ説明があっても、親の側がそれをきちんと理解せず、何か教育的なものになってしまう可能性はけっこうあると思います。
私はブックスタートの取り組みを実地に知っているわけではないので、誤解している部分もたぶんあるでしょう。それでも、ブックスタートで絵本を母親や父親に渡すとき、「絵本を読ませる」のではなく「ふれ合いの時間」が大事ということや、絵本に過剰に教育的な意味を込める必要はないこと、こういうことがちゃんと伝わっているかなあという、そういう疑問だったわけです。
で、上記のようなことが伝わっていないとしたら、絵本に接するせっかくの機会が、赤ちゃんにとっても、母親や父親にとっても、楽しめないものになるかもしれないと思いました。それが結果として、その後の絵本との付き合い方にネガティヴに影響することもありうるかなと考えたわけです。
もう一つは、こうしたブックスタートがマタニティ・ブックスタートにまで広がっていったとき、それは出版社等にとって一つの新しい市場になるのだろうと考えました。このことは、もちろんポジティヴな面もあるでしょうが、ネガティヴな面もあると思いました。
これについては、以前書いた記事、絵本を知る: 『子どもの本~この1年を振り返って~2003年』(その2)で、日本子どもの本研究会絵本研究部の代田知子さんの文章を引用しながら考えたことに関連します。詳細はリンク先を読んでいただければと思いますが、代田さんは、赤ちゃん絵本とブックスタートの現状について、若干の危惧を表されていました。
私なりに敷衍するなら、ブックスタート運動の高まりとともに赤ちゃん絵本がどんどん出版されるようになったけれども、どこか当の赤ちゃんを置き去りにしてはいないかという心配です。代田さんがふれている例で言うなら、「赤ちゃん絵本」と言いながら実際には赤ちゃんが楽しめないものが多かったり、あるいは、質はともかく値段を安くしてどんどん絵本を出そうとする出版社側の姿勢があったり、ということです。
こういう側面に注目するなら、マタニティ・ブックスタートの広がりも、いろいろ気を付ける点があると考えたわけです。もちろん、「胎教によい絵本の読み聞かせ」が唱えられたり「胎教におすすめの絵本」が出版されることをそもそもネガティヴに見る必要はないでしょう。結果として、すぐれた絵本にふれる機会が増すなら、それはよいことと思います。
とはいえ、代田さんが書かれていたのと同様に、マタニティ・ブックスタートの流れにのって出版社がいろいろ新しい商品やサービスを出していったとき、質が十分に確保されるのかどうか、またブックスタートの本来の主旨や理念がきちんと生かされるかどうか、若干、危うい面があるのではないかと疑問に感じたわけです。
だいぶ長くなってしまいましたが、多少なりとも先日の記事の不十分な点や表現の至らないところを補足できていればと思います。先にも書きましたが、私はブックスタートの取り組みを実地に知っているわけではありません。自分の子どもと一緒に絵本を読むなかで考えたことや感じたことに基づいて書いているにすぎません。たぶん、いろいろ間違いや誤解もあると思いますが、とりあえず記事をアップします。YuzYuz さんの記事にもトラックバックしたいと思います。