「絵本」カテゴリーアーカイブ

福田幸広/結城モイラ『ウリボウ なかよしだいかぞく』

 今日は2冊。この絵本は、イノシシの子どもたち(ウリボウ)を撮影した写真絵本。登場するのは六甲山の森の奥で生活するイノシシの家族です。はじめて知ったのですが、イノシシは、親戚みんなが集まって暮らしているのだそうです。イノシシのお母さんやおばさんやおばあさんは、みんな自分の子どもたちを連れていっしょに生活。お父さんたちは離れて暮らすとのこと。
 で、このウリボウたちが実にかわいい。5匹くらいがいつもいっしょで、互いにじゃれあったりお母さんのおっぱいを飲んだりお昼寝したり……。なんだか、うちの下の子どもと重なってしまいます(^^;)。よく撮影できたなあと感心するほどとても自然な写真。
 巻末には「ニホンイノシシ」の説明と写真家の福田さんの「あとがき」がありました。「あとがき」から少し引用します。

ウリボウのように大勢のきょうだいがいて、親戚中がわいわい暮らす姿を見ているとほんの少し前まで日本の人々のなかにもあった大勢での暮らしが、ダブって見えてくるような気がします。そこには大変ではあるけれど、暮らすことの楽しさや、安堵感などがあったはずです。イノシシの親子を見ていると私たちが忘れかけている何かを感じずにはいられません。こんな大勢での暮らしがもう一度見直されてもよいのではないでしょうか。

 それが家族や親族というかたちを取るかどうかは別にして、多様な人間関係のなかで生活することはたしかに大事だなと思います。というか、子どもより前に私自身がそのようなたとえ弱くても有意義な人間関係を築けているのかどうか……あまり自信がないです。
▼福田幸広 写真/結城モイラ 文『ウリボウ なかよしだいかぞく』ポプラ社、2001年

秋野和子/秋野亥左牟『たこなんかじゃないよ』

 久しぶりに「たこなんかじゃないよ」。散歩の途中で「たこ」に食べられてしまう「にじいろざかな」、最初のページにもすでに描いてあるような気がして、それを話したら、うちの子どもは即座に「かたちが違うよ」。よく見ると、たしかに別の魚でした。さすが、子どもはよく覚えています。いいかげんなことは言えませんね。今日の疑問は「にじいろざかなって本当にいるの?」「たこの足はちゃんと生えてくるの?」。むむむ、ちゃんと答えないとまずいよなあ(^^;)
▼秋野和子 文/秋野亥左牟 絵『たこなんかじゃないよ』「こどものとも」1995年7月号(通巻472号)、福音館書店、1995年

ジョン・バーニンガム『ショッピング・バスケット』

 今日は2冊。この絵本で描かれる動物たちと「スティーブン」の会話は、なかなか緊張感があります。なにせカツアゲをしようとする動物と「スティーブン」の対決ですから、当然ですね。子どもに読むときも、ついつい、なんとなくドスをきかせたような声と間合いになってしまいます。うちの子どもは別に恐くはないみたいですが(^^;)。
 それはともかく、気になるのが物語のラスト。家にたどりついた「スティーブン」にお母さんは「いったい、なにしてたんだい、スティーブン」「……いったい、なにをぐずぐずしてたんだい」。またもや訪れた危機を「スティーブン」はどう切り抜けたんだろう、もしかしてお母さんもやっつけてしまうのかなあと思ったのですが、うちの子ども曰く「動物たちのことを説明したんじゃないの」。あ、そうか、そうだよねえ。でも、めくりのリズムがどうもアタマに残っているので、何か起こりそうな気になってしまいます。
 うちの子どもは今回、ブタが引っかかってしまう柵に注目していました。ブタは「スティーブン」に会う以前にも柵を通り抜けようとして、だから、少しすきまが空いているんじゃないか、とのこと。うーむ、どうだろうね。
▼ジョン・バーニンガム/青山南 訳『ショッピング・バスケット』ほるぷ出版、1993年、[表紙デザイン:羽島一希]

ウィリアム・スタイグ『空とぶゴーキー』

 今日は1冊。お父さんとお母さんが出かけてしまったあと、台所を実験室にして「ゴーキー」が作り上げた金色の液体。香水瓶に詰めておまじないをかけると、瓶を握りしめた「ゴーキー」の体は空に上っていくという物語。
 「ゴーキー」はカエルなんですが、その体がフワリフワリと浮かび上がっていく様子は実に気持ちよさそう。空を飛ぶと言っても、スーパーマンのようにぐんぐん飛ぶのではなく、あたかもシャボン玉のように浮かぶ感じです。見開き2ページで空間を広くとった画面が、そのなんともいえない浮遊感を表しています。飛んでいる(or 流されていく)ときの「ゴーキー」のかっこうも、横になったり縦になったり斜めになったり、水のなかでプカプカ浮かんで泳いでいるようでおもしろい。その様子をあぜんとして見守る他の動物たちもおかしいです。
 物語のオチは、「ゴーキー」がどうやって地上に戻るか。なるほどね、と納得の結末です。原書の刊行は1980年。
▼ウィリアム・スタイグ/木坂涼 訳『空とぶゴーキー』セーラー出版、1996年

安野光雅『さかさま』

 トランプの兵隊たちは「だんへ だんへ」と怒鳴り合ってけんかをします。自分も口に出して言ってみるとおもしろくて、家族のなかでは口癖になりそうです。それはともかく、この「だんへ」、なんとなくドイツ語っぽいなあ、どういう意味なんだろう? と思っていたのですが、今日はじめて気が付きました。要するに「さかさま」ですね。もっと早く気付よ、自分、という感じですが。ただ、「さかさま」だとしても、兵隊たちの足音、「ぺる ぺる ぺる」は意味がよく分かりません。こちらはただの擬態語なのかな? それとも何かタネがあるのかも。うーむ、細かなところまでおもしろい絵本です。
▼安野光雅『さかさま』福音館書店、1969年

ヘルガ・ガルラー『まっくろネリノ』

 今日は2冊。真っ黒な色の「ネリノ」は、兄さんたちが遊んでくれず、いつもひとりぼっち。そんな「ネリノ」が鳥かごに捕まえられた兄さんたちを助け出すお話。美しいパステル画で「ネリノ」の兄さんたちは実に鮮やかな色彩。これに対し「ネリノ」は真っ黒。でも、黒いことが実は「ネリノ」を助け兄さんたちを助けるわけですね。漆黒の画面では「ネリノ」の大きな丸い目と足とアタマの毛だけが浮かんでいて、かわいいです。うちの子どもも気に入っていました。でも、「ネリノ」が木のてっぺんで悲しむ画面やきれいな色になりたいとお花にたずねたり薬びんの間にたたずむ画面は、なんだか切ない。原書の刊行は1968年。この絵本、おすすめです。
▼ヘルガ・ガルラー/矢川澄子 訳『まっくろネリノ』偕成社、1973年

加藤チャコ『おおきなカエル ティダリク』

 今回うちの子どもは、蝶結びになったウナギを見て「ティダリク」が笑い出すところが、おもしろかったようです。見開き2ページをいっぱいに使った「ティダリク」の顔のアップはなかなかの迫力。ずっと口をヘの字に曲げてむすっとした顔つきだった「ティダリク」、目尻が下がり、笑いをこらえて歪んだ口の端から水がしたたり落ち、そして「はあっはっはっはっ ほおっほっほっほおおお」と大笑い。口から水が噴水のようにふき上がっている画面は、なんだか解放感に満ちています。
 読んだあとで、うちの子どもは「むっつり」ってどういう意味?と聞いてきました。「むっつり」した顔をしてみせたら、「へぇー」という反応でした(^^;)。
▼加藤チャコ 再話 絵『おおきなカエル ティダリク』「こどものとも」2000年9月号(通巻534号)、福音館書店、2000年

デイヴィッド・ウィーズナー『セクター7』

 今日は2冊。この絵本、うちの子どもはかなり気に入ったようです。今回もまた、主人公の男の子と雲たちの会話をいろいろ作り、読み聞かせをしました。当然ながら、毎回、言葉遣いや表現が変わり、それに応じて絵のニュアンスも変わってきて、なかなか新鮮です。今回うちの子どもといっしょに発見したのは、主人公の男の子のオーバーコートのポケットには、物語の最初から紙と鉛筆が入っていて、そこにはどうも魚の絵が描いてあること。伏線が張ってあって、おもしろいです。こういうところもこの絵本の魅力かなと思います。
▼デイヴィッド・ウィーズナー『セクター7』BL出版、2000年

佐々木マキ『ムッシュ・ムニエルのサーカス』

 「ムニエル」は、今回、サーカスでいろいろ魔法を披露するのですが、やっぱり一番驚くのはゾウですね。「だんちょうも、ムニエルも、これには ゾーッとしました。」なんて、ちと「さむい」駄洒落まで付いています。
 ちょっと思ったのですが、佐々木さんの絵は、動きのあるものを静止画で切り取っていて、それが独特の浮遊感というか、間のおもしろさを生んでいます。あ、そうか。たとえばマンガだったら、動きのあるものにはいろいろ線が描き込まれ、そのスピードやベクトルを表すわけですが、佐々木さんの絵にはそれがほとんどありません。だから、空中に浮いているような止まっているような微妙な表現になるのかなと思います。
 というか、これは、佐々木さんの絵本に限らず、絵本一般の表現とマンガの表現の大きな違いの一つなのかもしれません。
▼佐々木マキ『ムッシュ・ムニエルのサーカス』絵本館、2000年

片山令子/片山健『たのしいふゆごもり』

 今日は2冊。これからだんだん秋が深まっていきますが、この季節にぴったりなのが『たのしいふゆごもり』。久しぶりに読みました。やはり、すばらしい。
 一番最初の見開き2ページ、色づいた秋の森が画面いっぱいに広がっています。ため息の出る美しさです。子グマが暖炉の前でぬいぐるみを抱いて眠っている様子は、何度読んでも、なんとも言えないほどかわいく愛らしい。その前のページでは初雪が描かれているのですが、これがまた、最初は窓の外にそれとなく描き込まれ、ページをめくると見開き2ページいっぱいに静かに雪が降りてきます。この画面の流れにもため息が出ます。そして、ラスト、お母さんが眠ってしまったあと、ベッドのなかで子グマだけがぬいぐるみといっしょに起きているのですが、めくった次のページに描かれるのはぐっすりと眠る子グマ。閉じた裏表紙には、すっかり雪が積もっている様子が描写されています。最後の最後まで時間が流れていき、ゆっくりと眠りにつく冬ごもりが、ページをめくるというアクションのなかで浮かび上がってくるように感じます。
 ところで、読んでいて子どもといっしょに気付いたのですが、一番最初の秋の森を描いた画面やまた魚とりの画面には、川のほとりに小さく動物が描き込まれています。他の動物たちも冬ごもりの準備でしょうか。また、よーく見ると、クマの親子が住んでいる大きな木には煙突が付いており、それには目と口が描かれています。なんだか笑っているよう。
 うちの子どもが今日、興味を持ったのは綿つみの場面。「この綿にさわってみたいなあ」と興味津々でした。
▼片山令子/片山健『たのしいふゆごもり』福音館書店、1991年