「絵本」カテゴリーアーカイブ

クリス・バン・オールスバーグ『ジュマンジ』

 先日読んだ『ザスーラ』の前作。こちらも、うちの子どもがもう一回読んでみたいというので、図書館からまた借りてきました。

 「ピーター」と「ジュディ」のきょうだいは、パパとママがオペラに見に行っている間、お留守番をしています。家で遊ぶのにもあきた2人は、公園の木の根本にゲーム盤「ジュマンジ──ジャングル探検ゲーム」を見つけます。さっそく家に帰ってゲームをはじめるのですが、なんと、このゲームはゲームのなかの出来事がすべてじっさいに2人のまわりで起こるというもの。

 以前読んだときの印象が強かったからか、うちの子どもには「少し恐いから読んでいるとき画面を近づけないで」とあらかじめ頼まれました(^^;)。じっさい物語は危機また危機の連続。なかなか手に汗握る展開です。うちの子どもも少し緊張しながら聞いていました。

 物語は実にスリリングでダイナミックですが、これに対して絵は白と黒のモノトーンで非常に細密な描写。徹底的に写実的に描くことで、とても静謐な画面になっています。この対比がおもしろい。

 また、視線の置き方も独特かなと思いました。上から見下ろしたり下から見上げたりする構図が多く、それが画面の立体感を強めているとともに、どことなく普通ではない雰囲気を生み出しているように感じます。

 そういえば、この絵本は実写映画になっていたと記憶しています。私は見たことがないのですが、物語はたしかに映画向きのような気がします。とはいえ、この絵本の持つ動と静の結びつきは、映画にするのはかなり難しいだろうなと思いました。

 うちの子どもがニヤリとしたのがラストページ。次の『ザスーラ』へとつながる画面です。原書の刊行は1981年。この絵本、おすすめです。

▼クリス・バン・オールスバーグ/辺見まさなお 訳『ジュマンジ』ほるぷ出版、1984年

カーラ・カスキン/マーク・サイモント『オーケストラの105人』

 演奏会に向けてオーケストラの105人はいろいろ支度をしていくのですが、そのなかでとくにいいなあと思ったのは、家を出るときの画面。ここでは105人を送り出す側が描かれています。

105人の 男のひとと 女のひとは
みんな「いってきます」と いいます。
おかさん おとうさん ご主人 奥さん
また 友だち 子どもたち 犬たち
小鳥たち 猫など 家に のこるものに
「いってきます」と いいます。

 演奏会に出かけることは105人にとって、また「家にのこるもの」にとっても、一つの仕事なんですよね。だから、家の者は特別に何かをして送り出すわけではなく、ごくふつうに日常のこととして送り出す。

 たとえば、妻は台所で洗い物をしながら送り出すし、夫あるいはお父さんは読んでいた新聞から顔を上げて送り出す、そしてまた子どもは宿題をやっている机から送り出す。しかも、この子はなんとなくつまらなそうな顔をしています。猫や犬も「あ、行くの」といった感じの表情です。こういう描写はとてもリアルだなあと思いました。

 と同時に、このいつもと変わらぬ日常のあることが、おそらくはオーケストラの105人の仕事を支えていることもなんとなく感じ取れます。

 もちろん、105人のなかには一人暮らしの人も当然いると思いますが、画面には壁にかけられた絵や観葉植物も描かれていました。これらもまた「家にのこるもの」であり、一人ひとりの日常生活を供にしているものと言えるかもしれません。

▼カーラ・カスキン 作/マーク・サイモント 絵/岩谷時子 訳『オーケストラの105人』すえもりブックス、1995年[新版]

スズキコージ『クリスマスプレゼントン』

 今回も、うちの子どもは、サンタクロースの山に大受けしていました。巨人の顔で、内部が何かの基地みたいに描写されています。これは、うちの子どもにはたまらない魅力ですね。そういえば「プレゼントンおじさん」の村の家々も煙突が顔みたいになっています。

 ところで、主人公の「メリー」が「プレゼントンおじさん」の村に行っている間、まったく外見が同じの「雪のメリー」が「メリー」の代わりに町で生活しています。「プレゼントンおじさん」曰く「メリー、ここに いたいだけ、ゆっくりしておいき」。

 これは、なんというか、子どもの一つの願望を表しているかもしれないなと思いました。つまらない日常から抜け出て魔法と冒険に生きる、しかも自分の同じ姿形の分身が自分の身代わりになってくれる、誰にも帰りなさいと言われることなく楽しい毎日がすぎていく……。

 それでも最後は町に戻ります。「プレゼントンおじさん」たちとも別れ、もう一人の自分である「雪のメリー」にもさよならを告げます。その心情が何か具体的に書かれているわけではありませんが、この別れの場面とそして「メリー」の手に残されたガラス玉の描写は非常に印象的。なんだろうな、考えすぎかもしれませんが、「子ども」の「メリー」にとってのクリスマスがこれで終わったのかもしれないと思いました。

▼スズキコージ『クリスマスプレゼントン』ブッキング、2003年

ジョン・バーニンガム『ジュリアスは どこ?』

 うーん、これはおもしろい! 子どもは遊びに熱中するとご飯を食べることも忘れてしまいがち。うちの子どもも「ご飯だよ」と言っても、ちっともテーブルにつかないで遊んでいたりします。で、よく怒るわけですが(^^;)。この絵本は、そんな子どもたちと食事をモチーフにしています。

 登場するのは、「トラウトベックさん」とその「おくさん」、息子の「ジュリアス」。「ジュリアス」はいつも忙しくてお父さんやお母さんといっしょにご飯が食べられません。何が忙しいのかといえば、イスやカーテンやほうきで部屋に小さな家を作っていたり、世界の反対側に行くために穴を掘っていたりと遊んでいるわけですが、だんだんエスカレートしていき、エジプトのピラミッドを登ったり、ロシアの荒れ野をそりで横断したり、チベットの山の頂上で日の出を見たりと、すごいことになっていきます。この暴走ぶりがとてもおかしい。というか、子どもの遊びにはこういうところがあるなあと思います。

 で、「トラウトベックさん」や「トラウトベックのおくさん」がご飯を「ジュリアス」のところに運んであげるわけです。運ぶといっても、なにせアフリカやロシアまで行くわけで大変です(^^;)。すごいなあと思うのは、「ジュリアス」がテーブルにつかないからといって怒るわけでもなく、実にたんたんと料理を作り「ジュリアス」のところまで持っていくこと。これは物語の最後の最後まで一貫しており、表紙と裏表紙にも描かれているのですが、私にはとてもまねできません。すぐに怒ってしまいそうです。まあ、ここまでやってあげるのは甘やかしすぎという気もしますが、でも「ジュリアス」の楽しそうな様子を見ていると、たまにはありかな。

 この絵本は、ページのつくりもおもしろい。はじめの見開き2ページで「トラウトベックさん」や「トラウトベックのおくさん」がご飯を作っている様子(左ページ)とご飯を運んでいる様子(右ページ)が描写され、セリフのなかでメニューも紹介されます。で、めくった次の見開き2ページいっぱいに、アフリカやロシアやチベットにいる「ジュリアス」の様子が描かれるようになっています。ここには文章はなく、また非常に美しい彩色です。最初の見開き2ページがかなり白っぽい画面であるため、なおさら、めくった次の見開き2ページの印象が強烈。ご飯をいっしょに食べるなんて、そんな小さなことはどうでもよくなってきます。

 それからもう一つおもしろいのが、必ず一匹の動物が登場して「ジュリアス」のご飯を少し食べてしまっているところ。最初の見開き2ページにすでに出てきています。「あ、ソーセージを食べてる!」「今度はオレンジ!」……といったふうに、うちの子どもとだいぶ楽しみました。とても愉快な趣向です。

 ところで、この絵本にはイギリスの家庭料理がたくさん登場します。なかにははじめて聞くものも。そのためか巻頭には辻クッキングスクールによる料理の説明が載っていました。なかなか興味深いです。ローリーポーリープディングとかアップルクランブルといったお菓子がおいしそう。

 原書の刊行は1986年。この絵本、おすすめです。

▼ジョン・バーニンガム/谷川俊太郎 訳『ジュリアスは どこ?』あかね書房、1987年

たむらしげる『ひいらぎはかせのデジタルこうせん』

 「ひいらぎはかせ」が発明したデジタル光線は、すべてのものを四角にする光線。博士が買い物に出かけている間に誤ってスイッチが入ってしまい、なにもかも四角になってしまうという物語。

 たとえば自転車の車輪やシャボン玉、ドーナツといった本来まるいものもすべて四角になってしまい、視覚的におもしろいです。ウシの体は大きな箱のよう。うちの子どもとも話したのですが、これは、たとえばレゴのブロックの世界ですね。

 カバーには作者のたむらさんの説明が掲載されていました。コンピューターによるデジタル画像はマス目を基本にしており、そのおもしろさを視覚化したものとのこと。なるほどなー。

 うちの子どもに受けていたのは、「ロボットくん」が四角い車輪の自転車をこいでいるところと裏表紙。「大きすぎ!」。どうやら「ひいらぎはかせ」はシリーズになっているようなので、また図書館で探してみようと思います。うちの子どももぜひ読んでみたいと言っていました。

▼たむらしげる『ひいらぎはかせのデジタルこうせん』フレーベル館、1992年

森山京/片山健『おべんともって』

 「くまのこ」が林で働いている「おとうさん」のところにお弁当を持っていく物語。途中、「きつねのこ」や「さるのこ」、「たぬきのおじさん」「うさぎのおばあさん」に出会います。「おとうさん」といっしょにお弁当を食べたあとは林のなかを探検。最後に「おとうさん」と家に帰ります。

 季節は秋。赤とんぼが飛び交い、林の木々もすっかり色づいて地面にはたくさんの落ち葉。「くまのこ」が林のなかで出会う「のねずみのこ」や「りすのこ」も冬ごもりの準備に大忙しの様子です。

 『たのしいふゆごもり』もそうですが、片山さんの描くクマの子どもは本当にかわいいです。表情が豊かなわけではないのですが、ちょっとしたしぐさや身振りがいろんなことを伝えています。お弁当を食べたあと「おとうさん」と「くまのこ」が草原に寝ころんで話をしたり、「くまのこ」が落ち葉の山で遊んだり落ち葉のふとんで寝ている様子は、実に気持ちよさそう。

 絵は、色づいた林の描写はもちろんですが、なにより空の色の変化が美しい。途中まではさわやかな青空。落ち葉のなかで寝ている「くまのこ」を「おとうさん」が起こす画面では林の木々の合間に空がのぞいており、ここではすでに濃い青とうすい紫。そしてページをめくると、真っ赤な夕焼けです。空も地面も林もまわりがすべて赤に染まり、常緑樹の緑も赤い空にあたかも溶け込んでいくかのような描写。

 今日は「おとうさん」の声のところだけ低く太い声で読み聞かせをしたのですが、うちの子どもにだいぶ受けました。

▼森山京 文/片山健 絵『おべんともって』偕成社、2004年

ユリ・シュルヴィッツ『ゆき』

 街にはじめて降った雪を描いた絵本。なにもかもが灰色のまちに、灰色の空から、ひとひらの雪が舞い降りてきます。はじめは地面に落ちるとすぐに消えていた雪ですが、あとからあとから降ってきて、少しずつ積もっていき、最後には街中が真っ白に輝くという物語。
 まず印象的なのは、ひとひら、ひとひらの雪の描写。最初のページでは、横長の紙面を見開きいっぱいに使い、灰色の街が描かれています。そこには物語に登場するほとんどの人物やモノが描き込まれているのですが、右ページの端の方に、本当に小さく小さく一片の雪。くすんだ色合いのなかにあって、その小さな一片だけが真っ白。
 ページをめくるにつれて、雪は、二つ、三つと増えていきますが、全体の真ん中あたりでやっと三片というゆっくりとしたスピード。しかし、そのあとは一気に増え、あたり一面、数え切れないくらいたくさんの雪片が描き込まれていきます。一片の雪がいつの間にかたくさんの雪片に変わっている……。実にダイナミックな描写です。
 そして、はじめは灰色だった街と空も、最後には真っ白の街と澄み切った青空に変わります。まったく別の街になってしまったかのような鮮やかな変化。
 この時間の流れと色彩の変化は、感情の動きと密接に連動しているように思いました。画面に登場する一人の男の子が体全体で、その喜びを表現しています。次から次へと舞い降りてくる雪片のなかで、ニコニコしながら駆け回る男の子。
 これに比して、大人たちは誰もが、つんとすましたまま。雪が積もってくると、体を縮こまらせ下を向いて歩くだけ。しかも、そのうち街からいなくなってしまいます。気持ちも体も、雪と一緒に動くことのできない者は消え去るしかないようです。画面に残るのは男の子と一匹のイヌだけ。
 そして、うちの子どもが「あっ!」と声を上げたのが、”MOTHER GOOSE BOOKS”という本屋さんの壁に据えられていた人形たちがふわりと地面に降り立った画面。男の子の浮き立つような気持ちの高まりが人形たちを呼び寄せたかのよう。みんなで雪のダンスを踊ります。ワクワクしてくるような、非常にエモーショナルな画面です。
 ところで、私は雪国出身なのですが、たしかに雪が降るときはこんなふうだったなと思い出しました。学校や家の窓から外をながめると、最初はどんよりとした曇り空だったのが、はっと気が付くといつの間にかいっぱいの雪になっている。窓にへばりついて上を見上げると、次から次へと雪が降りてくる、まるで果てがないかのように。なんだか空に吸い込まれていくような気持ちになりました。と同時に、「雪ってなんだかごみみたいだな」と小さい頃に思ったことがありました。いやはや、なんともロマンのない子どもでした(^^;)。
 うちの子どもは、日頃あまり雪に接する機会がないため、雪遊びにとてもあこがれています。この絵本の男の子、だいぶ、うらやましいようです。
 原書”SNOW”の刊行は1998年。この絵本、おすすめです。
▼ユリ・シュルヴィッツ/さくまゆみこ 訳『ゆき』あすなろ書房、1998年、[装丁:辻村益朗]

スズキコージ『クリスマスプレゼントン』

 これはおもしろい! スズキコージさんのクリスマス絵本です。全体で5つの章に分かれ、絵本というよりは(岸田衿子さんがカバーで書かれていますが)絵入り物語。
 はじまりは雪がしんしんと降り積もる夜の町。広場に座っていた「雪だるま」がゆっくりと歩き出し、レストランの前に雪で「ラッパ男」を作ります。非常にスリリングな導入。ここでもう、うちの子どもはこの絵本の魅力にとりつかれたようです。事情があって、最初の1章でいったん中断したら、「早く先を読んで!」とせがまれました(^^;)。
 2章で登場した主人公の「メリー」は、「雪だるま」や「ラッパ男」とともに、サンタクロースのおいの「プレゼントンおじさん」の村へとやってきます。トナカイにまたがってサンタクロースにも会いに行き、最後はみんなでクリスマスのプレゼントを配ります。
 ストーリーも絵も幻想的で魔法のよう。と同時にユーモラスなところがあって、楽しいです。うちの子どもにとくに受けていたのは、サンタクロースの山とドラゴンのエピソード。
 読み終わったあと、うちの子どもは「雪だるまって、こんなふうに歩くんじゃない?」と言って、なんだか関取がしこをふんだような姿勢のまま歩いていました。おもしろいぞ、うちの子ども(親ばか^^;)。
 この絵本は、基本的に見開きの左ページに絵、右ページに文章というつくり。絵はカラーとモノクロが交互に出てきます。とても印象的なのは、雪景色が黒っぽい青と白で描かれているところ。モノクロのページは濃い青で描かれ、カラーのページも雪の風景は青と白で彩色されています。この色合いがとても美しい。私は雪国出身なのですが、降り積もった雪はたしかにこんな色だったなあと思い出しました。なんというか、雪は光るんですね。とくに夜の雪は、ぼぉっと光を発します。この絵本の色彩は、その雪の光をよく表しているように感じました。
 ところで、この絵本は、もともと1979年に旺文社より刊行され、一時、絶版になっていたもの。復刊ドットコムで117票のリクエストを得票し、2003年にブッキングより復刊されました。
 巻末のスズキコージさんのあとがきも加筆されています。スズキさんは1979年の冬にヨーロッパを旅したそうで、そのときの印象がこの絵本のもとになっているとのこと。スズキさんによれば、その旅の「おみやげ」がまさにこの『クリスマスプレゼントン』。印象深いタイトルです。
 この絵本、おすすめです。
▼スズキコージ『クリスマスプレゼントン』ブッキング、2003年

ルドウィッヒ・ベーメルマンス『ロンドンのマドレーヌ』

 今日は1冊。マドレーヌたちのお隣のお屋敷に住んでいた男の子ペピート、お父さんのスペイン大使といっしょにロンドンに引っ越していきます。ところが、ロンドンに着いてからペピートは、マドレーヌたちに会えないさみしさで、みるみるやせてしまいまるで棒のよう。そこで、マドレーヌたちがロンドンに向かうという物語。
 今回もマドレーヌは元気いっぱい。いろいろ騒動を巻き起こしますが、楽しい雰囲気。シリーズの他のものと同じく、黄と黒を使ったシンプルなページと色鮮やかなページが交互に現れ、またロンドンのさまざまな名所も随所に差し挟まれています。イギリス王室まで登場。よく見ると、ロンドンでも小さな男の子(?)たちが2列に並んで散歩しています。数えてみたら20人。マドレーヌたちとは違って緑の服装です。
 この絵本、子どもともども楽しんだのですが、ただ、ストーリーそのものは少々ギクシャクしている気がしました。前半と後半が二つの別のお話に見えて、その結びつきがあまりスムーズではないような。結局、マドレーヌたちといっしょに馬がパリに行くのも「ん、なんで?」です。
 それはともかく、一番最初のページでは、お話の基本的な前提を12人の女の子がまるで紙芝居のようにして説明しています。なるほど、こういう導入法もあるんですね。
 原書の刊行は1961年。
▼ルドウィッヒ・ベーメルマンス/江國香織 訳『ロンドンのマドレーヌ』BL出版、2001年

カーラ・カスキン/マーク・サイモント『オーケストラの105人』

 今日は1冊。金曜日の夜、まちのフィルハーモニック・ホールで演奏会を開くオーケストラのメンバーがどんな支度をして集まるのかを描いた絵本。体を洗ってふく、ヒゲをそる、下着をつける、くつ下をはき服を着る、楽器の入ったカバンを持ち家の人に「いってきます」と言う……といった一つ一つのプロセスが見開き2ページを単位にして描かれていきます。ラストは、指揮者が指揮棒を振って演奏会を開始。
 シャワーを使うかお風呂に入るか、男の人たちがヒゲをそるかどうか、アンダーショーツかブリーフか、女の人たちが宝石をつけるかどうか、などなど、それぞれの支度はもちろん人によって違うわけですが、その違いが細かく描写されていて、おもしろい。
 姿かたちを並べて描き、しかも数値を出して正確に分類しているところは、なんとなく今和次郎さんの考現学を彷彿とさせます。たとえばこんなところ。

男の人たちは 下着を きてしまうと
こんどは 袖の長い 白いシャツをきて
ボタンを かけます。
それから 黒いズボンを はきます。
45人は 立ったまま ズボンをはいて
47人は 腰かけて はきます。

この文が付いたページには、じっさい8人の男の人がシャツを着たりズボンをはいたりしている様子が描かれています。
 各人それぞれの支度なのですが、なかでも独特なのが指揮者。フリルの付いたシャツや白い蝶ネクタイや燕尾服は指揮者しか着ませんし、運転手つきのクルマでホールに向かいます。なるほどねーと納得。
 105人一人ひとりの個性あふれる支度は、それぞれの多様な生活を表し、またそれぞれの演奏する楽器が固有の音色を持っていることを反映しているかのようです。と同時に、そうであるからこそ、105人全員が集まり一つになって美しいシンフォニーを奏でることのすばらしさも伝わってくるように思いました。
 原書の刊行は1982年。この絵本、おすすめです。
▼カーラ・カスキン 作/マーク・サイモント 絵/岩谷時子 訳『オーケストラの105人』すえもりブックス、1995年[新版]