今日は1冊。サンタクロースはどこに住んでいるのか、クリスマス以外は何をしているのか、どうやって世界中の子どもたちのことを知るのか、たくさんのプレゼントをどうやって準備しているのか、一晩の間に世界中をまわることができるのはなぜか……、そんな疑問の数々に答えてくれるのがこの絵本。
フィンランドの北のはずれ、コルバトントリという山のふもとにサンタさんは住んでいるのですが、一人ではありません。かつて家や森の守り神だった何百人もの小人たちといっしょに村をつくって暮らしているのです。で、この小人たちが一年を通じてクリスマスの準備をしているというわけです。いや、たしかにサンタさん一人で全部まかなえるわけはありませんね。
みんな白く長いヒゲに赤い衣装。クリスマスの準備をしていく1年間の様子がユーモラスに、と同時に割と説得的に(?)描写されています。なるほどなあという驚きの事実も。たとえばサンタさんは一日中、寒いそりに座っているのがつらいので、リューマチのクリームをぬってあらかじめマッサージをするのだそうです。
またクリスマスの夜みんなで食べるおかゆのなかには、幸せをもたらすというアーモンドを一粒だけ入れておくそうで、サンタと小人たち全員でお祝いしている画面をよく見ると、たしかに一人アーモンドに当たった小人がいます。なかなか楽しい。
でも、一番インパクトがあったのは、プレゼントを配り終えて村に帰ってきてからみんなでサウナに入っているところ。気持ちよさそうなのですが、ちょっとくさそうかも(^^;)。
うちの子どもは本文のとびらに描かれていたオーロラにひかれていました。これ何?と聞いてきたので少し説明したら直接見たがっていました。うーむ、日本ではなかなか見られないねえ。
原書の刊行は1981年。
▼マウリ・クンナス/稲垣美晴 訳『サンタクロースと小人たち』偕成社、1982年
「絵本」カテゴリーアーカイブ
八百板洋子/T・マノーロフ『むくどりとぶどうのき』
今日は1冊。ブルガリアの昔話をもとにした絵本です。ブドウ畑で働くお百姓さんとむくどりとのやりとりが、四季の移り変わりのなかで描かれています。お百姓さんはいつも、いっしょに農作業をしようと誘うのですが、むくどりは、巣作りをしていたり卵をあたためていたりと大忙しでブドウ畑には行きません。そして、最後、秋のブドウ摘みのときだけ、むくどりは子どもたちといっしょに参加。甘いブドウをおなかいっぱい、ごちそうになります。むくどりの親子は一番よいところだけもらうわけですが、だからといって、何か道徳的な含意があるわけではありません。むしろ、お百姓さんもむくどりも満足そうです。
絵は水彩画でしょうか。繊細にリアルにブルガリアの自然が描き出されています。四季の自然の変化と、ブドウ畑の農作業の様子、そしてむくどりの巣作りと子育て、これらが一つになり1年間のときの流れが実感できます。ページのつくりも、複数ページを単位にして、これらを一つのまとまりとして示すようになっています。お百姓さんをはじめ、登場する人物が着ているのは、もしかするするとブルガリアの民族衣装かも。
ところで、うちの子どもは、梅雨(?)の描写に反応していました。
6がつが きました。
なんにちも あめの ひが つづいて、
のはらも はたけも みずびたしになりました。
うちの子ども曰く「でも、この雨があるから、作物は育つんだよねー」。おおっ、いつの間にそんなことが分かるようになったんだ! と、ちょっと親ばかになりました(^^;)。
▼八百板洋子 再話/T・マノーロフ 絵『むくどりとぶどうのき』「こどものとも年中向き」1994年11月号(通巻104号)、福音館書店、1994年
梶山俊夫『じいさとばあさ』
今日は1冊。日本の昔話をモチーフにした絵本です。二人で暮らす「じいさ」と「ばあさ」。ある日、山にしばかりに行った「じいさ」は、二十歳の若者になって帰ってきます。山の川端には若返りの桃がなっていて、これを食べると若くなるのです。そこで、「じいさ」に勧められて「ばあさ」もその桃を食べに山にむかうのですが、どうも食べ過ぎたみたいで赤ちゃんになってしまうという物語。
作者の梶山さんがカバーに書かれていますが、あらためて考えてみると奇想天外なお話です。うちの子どもは「ばあさ」が赤ちゃんになった場面がよく分からなかったようで、「別の人になっちゃったの?」と言っていました。少し説明してようやく理解したようです。うちの子ども曰く「僕はこの桃、食べたくない」。うーん、そうか。どうやら赤ちゃんにはなりたくないみたいです(^^;)。
絵は、緑と茶を基調とした彩色に太い線、文章も手書き文字で、なんとなく暖かみがあります。山々の稜線と木々が独特のリズムをもって繰り返し描かれており、これもおもしろい。桃の木をよく見ると、「じいさ」は桃を1個しか食べていないのですが、「ばあさ」は5個も食べていることが分かります。これじゃあ、赤ちゃんになるのも当然ですね。
ラスト、赤ちゃんになってしまった「ばあさ」と「じいさ」がいっしょに暮らしている様子が描かれているのですが、これがなんとも幸せそう。二人ともニコニコしています。二人がとても仲がよいことは、最初に「じいさ」が山にしばかりに行く場面にも表れているように思いました。
じいさは やまへ
しばかりに いったって。
ばあさは さびしくて
いちにち かどにたって
まっていたって。
「じいさ」もまた、「ばあさ」が桃を食べにいったとき、家の角に立って待っているんですね。
ところで、うちの子どもと私の今日の疑問は、赤ちゃんになった「ばあさ」に誰がお乳をあげるんだろうということ。ウシを飼っているわけでもなさそうだし、どうするのかなあ。うちの子ども曰く「ばあさが自分のお乳を自分で飲むんじゃないの」。いや、それは無理だって(^^;)。
▼梶山俊夫『じいさとばあさ』フレーベル館、1994年
エゴン・マチーセン『あおい目のこねこ』
これはおもしろい! 青い目をした子ネコがネズミの国を見つけにでかける物語。途中で魚やハリネズミ、5匹のネコに出会いますが、子ネコが青い目をしているため、誰もきちんと相手にしてくれません。それでも、主人公の子ネコはめげたり泣き言を言ったりせず、「なんでもないさ」と実に前向きで楽天的。無理をしているのではなく、自然にそうなっていることが分かります。そして、最後にはついにネズミの国を発見し、また他のネコたちにも認められます。
子ネコのなにごとにもポジティヴな姿勢はなんだかすがすがしく、またとくに次の言葉が印象に残りました。
ある日、こねこは、「おもしろいことを
してみよう。なんにもなくても、
げんきでいなくちゃいけないもの」と、
おもいました。
元気ではないのに無理して元気になるのではなく、何かおもしろいことをやってみよう、そして元気にやっていこう、ということかなと思います。おもしろいことをして楽しんで、それが元気になる……。いいなあ。なんだか見習いたいくらいです。
ところで、この絵本では、見開き2ページの左ページに文章、右ページに絵が配置されています。福音館書店の「世界傑作童話シリーズ」の1冊で、絵本というよりは童話なのかもしれません。「1のまき」「2のまき」……と全体で7節の構成。ページ数も比較的多いのですが、文章が短くリズミカルなので、どんどん読んでいけます。
絵は黒と青と黄の3色のみ。子ネコの目の色の青と他の5匹のネコの目の色の黄色だけが彩色されています。それはまた、子ネコの置かれた特殊な境遇を強調しているかのようです。じっさい「ふつうの、いいねこは、きいろい目だまなんだよ」とか「青い目のねこは、うそがうまいんだろ」とか言われてしまいます。とはいえ、この子ネコ、しぐさと表情がとてもかわいい。これに対して黄色い目の5匹のネコは、最後にはかわいいネコになるのですが、はじめは実にワルそうな表情。
ちょっと思ったのですが、作者のマチーセンさんはデンマークの方。(正確には分かりませんが)ヨーロッパでは青い目はノーマルなんだろうと思います。とすると、この絵本では、人びとがごくふつうに接している「青い目」を特異なもの、「へんてこなもの」あるいは周りから受け入れられないものとして描くことで、いわば価値の逆転をしているように思いました。それはまた、さまざまな紋切り型が人為的で無根拠で無意味であることを表していると言えるかもしれません。
あと、この絵本では、描かれている線が非常にシンプル。背景などの描写はほとんど省略されています。たとえば、洞穴や夜の描写は、黒く塗られたなかにネコの目だけが描かれています。あるいは子ネコは大きなイヌの背中につかまり山々を上り下りしてネズミの国にたどり着くのですが、この山々の描写は斜めの線が1本だけ。とはいえ、このシンプルな描写と繰り返される上り下り、そしてページのめくりが、独特のおかしさを生んでおり、うちの子どもはこの場面で大受けしていました。ネズミをたらふく食べた子ネコがまるまると太ったり、ひょろひょろにやせた5匹のネコの描写も、なんだかおかしい。うちの子ども曰く「やせすぎや!」。
ところで、うちの子どもが気になっていたのが、子ネコの鼻(?)の描き方。ページによって白いままだったり黒く描かれていたりとさまざま。どうして白かったり黒かったりするのか、うちの子どもは不思議がっていました。また、うちの子どもによると、この黒いのは鼻ではなく模様なのではないか、とのこと。うーむ、どうだろうね。
原書の刊行は1949年。この絵本(絵童話)、おすすめです。
▼エゴン・マチーセン/瀬田貞二 訳『あおい目のこねこ』福音館書店、1965年
スズキコージ『サルビルサ』
今日は1冊。これは本当にすごい! はじめて読んだときも衝撃を受けたのですが、何回読んでもそのすさまじさに圧倒されます。舞台は砂漠。一匹の獲物(イノシシのような小さな恐竜のような謎の生物)をめぐって、二つの国、二つの軍隊が衝突するという物語(かな?)。
二つの軍隊の一方は人間で砂漠の遊牧民。もう一方はロボットのような何か人造生物に見えます。人間ではないようなのですが、こちらは定住民。二人の王様(?)がときの声を上げ、軍隊が砂漠を進軍。獲物を間に置いて対峙した両軍は徐々に緊張が高まり、ついに戦いがはじまります。見開き2ページをいっぱいに使った一連の画面はまさにド迫力。
この戦争がどのように終わるのかが見ものです。赤く焼けた大地と波打つ空、結局、誰が獲物を得たのか? 何となく寓意的なメッセージが感じ取れるように思いました。
もう一つおもしろいのは、フキダシのかたちで描き込まれているセリフ。短いものばかりなのですが、日本語ではありません。なんとも不思議な音感の言葉です。しかも、二つの国、軍隊の間で語順がまったく正反対。これは、もしかすると両国の考え方が相容れないことを暗示しているのかもしれません。
それはともかく、戦争のセリフなので読み聞かせといっても、なんだか雄叫びを挙げるような感じ。いや、乱暴といえば乱暴なのですが、なんというか声を発することの原始的な楽しさを体感できるように思います。うちの子どもも、このセリフ、おもしろがっていました。
あと、裏表紙が注目。まさにペンと剣。ペンを取るスズキコージさんのいわば命がけの闘いを表しているかのようです。この絵本、おすすめです。
▼スズキコージ『サルビルサ』ほるぷ出版、1991年[装丁:平野甲賀、編集:トムズボックス]
車光照ほか/松岡享子『いつも いっしょ どうぶつとくらすアジアのこどもたち』
今日は1冊。うちの子どもは、この絵本のラストページが大好き。水牛の背中にチョーク(?)で書いて算数の勉強をしている男の子のモノクロ写真です。
すいぎゅうさん、
2たす2は いくつ?わしゃ、しらん。
しらんでも かまわん。わしの せなかが
しっとるわい。
この最後の文をうちの子どもは方言で言い換えていました。幼稚園に行っているうちにいつのまにか方言が身に付いたようです。
▼車光照ほか 写真/松岡享子 文『いつも いっしょ どうぶつとくらすアジアのこどもたち』「こどものとも」1994年2月号(通巻455号)、福音館書店、1994年
平山暉彦『へんてこロボットのぼうけん』
今日は1冊。久しぶりに『へんてこロボットのぼうけん』。うちの子どもにとっては何度読んでもあきないようです。合体した「へんてこロボット」の登場場面では「ほんとにへんてこや!」とニコニコ。前と同じく今日も「早くコンパスが使いたいなあ」と言っていました。まあ使ってもよいと思うのですが、うちの下の子どもがまだ小さいので、ちょっとあぶないかなあ。
それはともかく、この絵本の絵は、視点の置き方と移動がおもしろいなと思いました。最初は、コンパスやビー玉が落ちている机の下、ほとんど床すれすれに視点が設定されています。そこから机の上に登っていき、窓を開け、そして外に出ていく(あるいは落ちていく)……。机の下の暗い空間と明るい外という光の対比もよいです。
あと、忘れられていたビー玉やコンパスたちは最後には子どもに見つかって、本来あるべきところに戻るのですが、ラストページがなかなか楽しい。ときどき夜みんなでロボットに合体している様子がそれとなく描かれていて、これもうちの子どもが気に入っている理由かなと思いました。
▼平山暉彦『へんてこロボットのぼうけん』「こどものとも年中向き」2003年3月号(通巻204号)、福音館書店、2003年
ボニー・ガイサート/アーサー・ガイサート『プレーリータウン』
以前読んだ『マウンテンタウン』と同じく、アメリカの小さなまちをモチーフにしたシリーズの1冊。この絵本で描かれるのは、大陸の草原に開拓された「プレーリータウン(大平原の町)」。
うちの子どもは表紙を見てすぐに『マウンテンタウン』と同じシリーズの絵本だと気が付いたのですが、はじめは「このまちはマウンテンタウンの隣にあるんでしょ」と言ってました。「また青いクルマが描かれているのかあ」なんてことも(^^;)。で、山がまったく見あたらない表紙の絵で少し説明したら、「マウンテンタウン」とは違うことが分かったようです。
そして、本文のとびらのページをめくると一言、「うわあ!」。うちの子どものこの気持ち、私もまったく同感です。遠く地平線まで広大なプレーリーが広がり、青い空を雲が流れていきます。横長の紙面が生かされ、絵本のなかを風が吹き抜けていくかのよう。
少し先にページを進めると、今度はたくさんのトウモロコシの畑が描かれています。ここでうちの子どもは心から「いいなあ」。実はうちの子どもはトウモロコシが大好きなのです(^^;)。
『マウンテンタウン』と同じく、この絵本でも「プレーリータウン」の四季が非常に繊細に描き出されています。夏の日に遠くから雨が近づいてくる様子、夕日に照らされるお祭り、冬のブリザード、月明かりに青く照らされしんしんと冷えわたるまち……。本当にすばらしい銅版画です。
また、紙面には人びとの暮らしとまちの変化が一つ一つ大切に描き込まれています。久美さんのあとがきを読むと、最初読んだときはぜんぜん気が付かなかった描写がたくさんあることが分かりました。学校の校庭の遊び道具や貯水タンクのいたずら書き、子イヌたちの誕生などは、うちの子どもといっしょにあらためて探してみました。これも楽しい趣向です。まさに本文中の下記の文章の通りです。
なんでもいつでも少しずつ変わっていくものです。いくつかの変化は、はっきりと目に見えます。あまり変わったように見えないものもあります。
変わっていかないようで変わっていく人びとの営み、それは紙面のなかでは小さく小さく描かれています。でも、このささやかな営みが本当にいとおしく思えてくる、そんな気がします。自然のなかで、まちに抱かれ、日々を過ごしていくこと、その一瞬、一瞬のかけがえのなさ。
ところで、カバーには訳者の久美沙織さんの次のようなメッセージが記されていました。
鉄道が通るまえ、その地には、たくさんの野生生物やネイティブ・アメリカン(いわゆるインディアン)が暮らしていたはずです。開拓は、ある意味、彼らを追い出すことでした。そのことはけっして忘れてしまってはいけないと思います。
しかし、ここでは、どうか、素朴であたたかな暮らしぶりを味わってください。きっとあなたも安らぎや、懐かしさを覚えるでしょう。
久美さんが記されているとおり、歴史の事実は事実としてはっきりと認識する必要があると思います。とはいえ、その事実によってこの絵本のすばらさが減じられるものでもないと感じます。ささやかであってもかけがえのない人びとの日常、それは普遍的な意味を持っており、そこから逆に歴史の事実の重みもまたはっきりと理解できるように思いました。
原書の刊行は1998年。この絵本、おすすめです。
▼ボニー・ガイサート 文/アーサー・ガイサート 絵/久美沙織 訳『プレーリータウン』BL出版、2000年
ウィリアム・スタイグ『ぶたのめいかしゅ ローランド』
今日は1冊。主人公はブタの「ローランド」。ギターを弾きながらすばらしい歌声を聞かせる、「はなさきからひずめまで、うたのてんさい」です。その「ローランド」が故郷を旅立ち、旅回りの歌手として世間に出ていく物語。
最後は王様(ライオン!)に認められて宮廷の歌い手になり最高芸術賞のメダルまでもらうのですが、旅の途中ではキツネの「セバスチャン」にだまされて食べられそうになります。「ローランド」は古い型のギターを持ちベレー帽までかぶって芸術家風、対する「セバスチャン」はいかにもずるそうな表情でいろいろ悪だくみをします。そのやりとりがおもしろい。
ところで、主人公が歌手ですから、当然、物語のなかに何曲も歌が出てきます。もちろん、歌詞だけで節は分かりません。そこで、場面の雰囲気に合わせて、演歌風、フォーク風、オペラ風といった感じで、デタラメに歌ってみました。なかなか楽しい。家族にも受けたのでよかったです(^^;)。ちなみに私はかなりの音痴(!)。いや、根拠なしの自画自賛です(苦笑)。原書の刊行は1968年。
▼ウィリアム・スタイグ/瀬田貞二 訳『ぶたのめいかしゅ ローランド』評論社、1975年
ユーリー・ノルシュテイン/セルゲイ・コズロフ/フランチェスカ・ヤルブーソヴァ『きりのなかのはりねずみ』
今日は1冊。日が沈んだあと「こぐま」の家に出かけた「はりねずみ」、深い霧のなかでいろいろな生き物に出会うという物語。
絵は非常に幻想的。霧の粒子の一つ一つが画面に定着しているかのようです。まわりがよく見えない霧のなか、しかも夜。向こうからやってくる動物たちは大きな顔だけ出して消えていき、あるいは声だけが遠くから聞こえてきます。正体不明なのは、途中で川に落ちた「はりねずみ」を助けるなまず(?)も同じ。ぼんやりとした輪郭と目だけが川面に映ります。なんとも不思議な雰囲気。「はりねずみ」は不安そうにつねに目を大きく見開いていて、霧のなかの所在なさが伝わってきます。
一つ謎なのは「みみずく」。「はりねずみ」のあとをこっそりつけていくのですが、霧のなかで一度姿を現したかと思うとすぐにいなくなります。なんだろう。実は「はりねずみ」と友だちになりたかったのだろうか。
うちの子どもは、「はりねずみ」が「かたつむり」と出会った画面に注目。
こんどは、すぐそばで「ハーッ、ハーッ!」と、
大きな いきづかいが きこえました。
きりのなかに、ぞうでも いるのでしょうか?
はりねずみは こわくなって、そこを はなれました。
という文が付いているのですが、絵をよく見ると、大きな動物の影がうっすらと「はりねずみ」の背後に描かれています。「ここにいるねえ」とうちの子ども。
それから、「はりねずみ」は霧のなかに浮かぶ「しろいうま」に誘われるようにして霧に入っていきます。「はりねずみ」は「しろうまさん、きりのなかで おぼれないかしら?」と心配しているのですが、うちの子どもの疑問は「霧って海みたいなものなの?」。
作者のユーリー・ノルシュテインさんはアニメーション作家。以前読んだ『きつねとうさぎ』と同じく、この『きりのなかのはりずねみ』ももとはアニメーションとのこと。絵本の表現とはだいぶ違うかもしれませんね。機会があったらぜひ見てみたいです。この絵本、おすすめです。
▼ユーリー・ノルシュテイン、セルゲイ・コズロフ 作/フランチェスカ・ヤルブーソヴァ 絵/児島宏子 訳『きりのなかのはりねずみ』福音館書店、2000年