「絵本」カテゴリーアーカイブ

武田英子/清水耕蔵『みさきがらす』

 「げんた」がからす山に見つけた白いカラスは、真っ白であるがゆえに、黒いカラスたちにつつかれ、からす山を追い出されてしまいます。ところが、この白いカラス、先を見通す不思議な力を持っていました。その力によって厳寒の冬に黒いカラスたちを助け、からす山のリーダーになっていくという物語。
 以前読んだ『八方にらみねこ』もそうでしたが、絵は純和風。繊細な彩色で実に美しいです。鳥たちの羽の一枚一枚や木々の肌合いがあたかも文様のように描き出されています。黒々としたたくさんのカラスのなかで白いカラスは浮かび上がってくるかのよう。
 また画面の構図も、グッとクローズアップされたものと遠景とが並べられ、独特の奥行きを生んでいます。たとえば、ある画面では地面すれすれにおかれた視点から草花は大きく描かれ、これに対してそのはるか向こうに空高く飛翔する白いカラスは小さく描写されています。天高くぐんぐん上っていく白いカラスを遠く仰ぎ見るような構図。同じことは白いカラスが木の実を集める画面にも当てはまり、地面すれすれの視点から落ち葉や木の実が実に大きく描かれ、その向こうに白いカラスの姿。非常にダイナミックな画面です。
 それから、人間の子どもの「げんた」はずっと白いカラスを見守るのですが、なんとなく、自分と白いカラスとを重ね合わせていることがうかがえます。それは、「げんた」がはじめて白いカラスを見つけたとき誰も信用してくれなかったことに表れていると思います。物語の終わりで「げんた」は、仲間の先頭に立って飛んでいく白いカラスを見つめるのですが、そこではこう書かれています。

げんたは 白い からすを みつめて いた。
ひろげた つばさが でっかく みえる。
ぐんぐん はばたいて、力づよく とんで いく。

「げんた」を励ますかのような白いカラスの飛翔。「げんた」は画面の端に小さく描かれているのですが、両手を上げて白いカラスを見送るその姿からは、気持ちの高まりが伝わってくるような気がします。
 ところで、武田さんの「あとがき」によると、古来、カラスはさきゆきの吉凶を告げる鳥、いいことを知らせる「幸鳥(さきどり)」と信じられていたとのこと。そうした予兆能力は「御先」としてうやまわれ、カラスやキツネなどは「みさき性」を持つと考えられていたそうです。この絵本の物語は、そうした伝承をもとに新しく創作したお話。また、白いカラスは実在するそうで、鹿児島で撮影された写真も付いていました。
 この絵本、おすすめです。
▼武田英子 文/清水耕蔵 絵『みさきがらす』講談社、1987年

クリス・バン・オールスバーグ『ザスーラ』

 この『ザスーラ』は同じオールスバーグさんの絵本『ジュマンジ』の続編。両方とも以前一度図書館から借りて読んだのですが、もう一度読んでみたいといううちの子どものリクエストによりまた借りました。『ジュマンジ』はなかったので『ザスーラ』だけ。
 登場するのは「ウォルター」と「ダニー」の兄弟。公園で見つけたゲーム盤(日本の双六みたいなものかな)で遊びはじめると、ゲーム盤の上で起きている事柄が自分たちのまわりで現実になります。ゲームの内容は地球からザスーラ星まで行って戻ってくる宇宙旅行。二人の家は突然、宇宙に放り出され、流星群に突っ込んだり、ロボットに襲われたり、ゾーガン星人の海賊船に攻撃されたりと、たいへんな大冒険になります。
 訳者の金原さんも「あとがき」で書かれていますが、本当に黒一色のモノクロとは思えないほど、見開き2ページを丸ごと使った絵が迫力に満ちています。斜めになった構図や窓の外に広がる星空が宇宙空間を描写し、主人公二人の表情が危機また危機の連続を伝えています。SF映画のような物語ですが、静止した絵によって逆に想像力がかきたてられ、いわばダイナミズムが生まれている、そんな気がします。たとえばゾーガン星人は、天井の穴から降りようとしている爬虫類風の足としっぽだけが描かれているのですが、全部描かれていないからこそ、おそろしさが増していると思います。
 あと、物語のラストがとても印象的。けんかばかりしていた「ウォルター」と「ダニー」。二人のきずながある一つの言い間違いで表されています。一応のハッピーエンドなのですが、でも、私はあのあとの「ダニー」のことを考えると少し切なくなります。
 ところで、うちの子どもにとって、この絵本はだいぶ恐いらしく、読むとき絵本の画面を自分に近づけないでと頼まれました。読み終わったあとも一言、「少し恐かったねえ」。とはいえ、恐いんだけれどもう一度読みたくなる、そんな魅力があるようです。
 原書の刊行は2002年。この絵本、おすすめです。
▼クリス・バン・オールスバーグ/金原瑞人 訳『ザスーラ』ほるぷ出版、2003年

アーノルド・ローベル『いたずら王子バートラム』

 いたずらばかりしてまわりを困らせている「バートラム王子」。ある朝、空を飛んでいる魔女を黒い鳥と間違えてパチンコを打ってしまい、怒った魔女の呪文で小さなドラゴンに変えられてしまいます。お城から逃げ出した「バートラム」は森に向かうのですが……という物語。
 「バートラム王子」のいたずらぶりがなかなか強烈。うちの子どもも「僕はこんな悪いことはしない」と言っていました。「バートラム王子」、もう目つきからして違います。表紙にも描かれているのですが、ちょっと凶悪な人相で本当にワルそう。最後はドラゴンから人間に戻ることができるのですが、もとに戻ってからはかわいい王子さま。表情もニコニコしています。この対比がおもしろいです。でもまあ、いたずらっ子なところも残っているといいなと思いました。原書の刊行は1963年。
 ところで、訳者の湯本香樹実さんはもともと小説家、この絵本ははじめての翻訳絵本とのこと。だいぶ以前に湯本さんの小説が原作でもう亡くなった相米慎二さんが監督された映画『夏の庭』を見たことがありました。私は相米さんの映画が割と好きなのですが、『夏の庭』も、登場する子どもたちの生き生きとした姿と三国連太郎さんが演じたおじいさんが記憶に残っています。
▼アーノルド・ローベル/湯本香樹実 訳『いたずら王子バートラム』偕成社、2003年、[装丁:丸尾靖子]

瀬川康男『ひな』

 今日は2冊。子犬の「ひな」がカエルや人間の女の子に出会う様子が描かれています。女の子との交流はとてもほほえましい。瀬川さんならではの抽象化された線と複雑な文様、また細かな彩色が実に美しいです。イヌと人間が友だちになるというモチーフは、瀬川さんの他の絵本にもあったように思いますが、においをかいだり、かんだり、なめたり、花を飾ったり、だきしめたりといった体感的な交流はなんとも気持ちよさそう。幸福感に満ちています。
▼瀬川康男『ひな』童心社、2004年、[装丁:辻村益朗+オーノリュウスケ]

松岡達英『だんごむし うみへいく』

 今日は1冊。この絵本は「だんごむし」たちが海の仲間に会いに行く冒険物語。「たんごむし」シリーズはうちの子どもも大好きです。このシリーズでおもしろいなと思うのは、物語は擬人化されているのですが、絵はかなりリアルであること。ダンゴムシが日本語をしゃべったり、船で海に行ったり、たき火をしたりと、たしかにファンタジー。とはいえ、だからといって、ダンゴムシなどの生物の顔や身体が人間のように描かれることはなく、かなり写実的です。ファンタジーなのにリアルというか、リアリティのあるファンタジーというか、独特の雰囲気を生んでいると思います。
 表紙と裏表紙の見返しには、物語に登場するいろいろな生き物のイラストが名前付きで載っていました。海の生き物は名前もかたちもユニークなものが多いですね。私はあまり知識がないので、子どもの質問に答えられなかったのですが、本文の絵と照らし合わせながら楽しみました。
 うちの子どもは、「だんごむし」シリーズのなかでもこの絵本が特に気に入ったようで、買って持っていたいと言っています(今日、読んだのは図書館から借りました)。どうしようかなあ。絵本の本棚はもう満杯ですし、うーむ、困った。
▼松岡達英『だんごむし うみへいく』小学館、2001年

ジョン・バーニンガム『ずどんと いっぱつ』

 「だれがみたって みにくい めすのこいぬ」「シンプ」、まちはずれのごみ捨て場に捨てられてしまいます。ネコに追いかけられたり、野犬狩りに捕まったり、たいへんな目に遭いながら、サーカスのテントにたどりつきます。そこで出会ったのが「ピエロのおじさん」。「シンプ」の考えた曲芸でサーカスの人気者になるという物語。

 ラストはハッピーエンドなのですが、途中まではいったいどうなるんだろうと少しドキドキしました。とくに「シンプ」が捨てられる画面では、見開き2ページの半分以上にわたって暗く陰鬱なごみ捨て場が描かれ、ページの上部では「おじさん」が「シンプ」をまさに捨てています。めくった次のページは、遠くに消えていく「おじさん」のワゴンを「シンプ」が見つめている画面。

どうして わたしだけ ひとりぼっちで おいていかれるの。どうすればいいんだろ。

なんだか本当に切なくなる描写です。だからと言うべきか、後半のサーカスで「シンプ」が活躍する一連の画面は、本当に楽しい。

 絵はかすれたような彩色がとても美しいです。部分的にモノクロでペン描きされているところもあって、それがアクセント。「シンプ」は黒イヌなのですが、みにくいということはなく、とぼけた雰囲気の無表情がよいです。

 うちの子どもは、読む前に表紙に描かれている「シンプ」の絵を見て、「このイヌ、何かに似てるねえ。ほら、この前読んだでしょ」と言って、絵本の箱のなかから『コートニー』を取り出していました。なるほど、たしかに目のあたりが似ています。

 考えてみれば、『コートニー』は、もらい手のいない老犬があっと驚く大活躍をする物語でした。捨てイヌがサーカスの人気者になる『ずどんと いっぱつ』と共通のモチーフを読みとれるように思います。なんとなく、弱者に対するバーニンガムさんのあたたかい視線が感じられます。

 あらためて見ると、とびらの次のページには、黒イヌの写真と「アクトンにささぐ」という献辞が記されていました。この「アクトン」は、もしかしてバーニンガムさんが飼っているイヌかもしれませんね。原書の刊行は1966年。この絵本、おすすめです。

▼ジョン・バーニンガム/渡辺茂男 訳『ずどんと いっぱつ』童話館、1995年

今江祥智/和田誠『あめだまをたべたライオン』

 今日は1冊。アフリカの緑の森に暮らすライオンの「ルル」。ある朝、目の前に落ちてきた黄色いあめ玉を飲み込んでしまいます。するとまるで子猫のような声になってしまった「ルル」はじっと穴暮らし、外に出られなくなってしまうという物語。
 「ルル」という名前がちょっとおもしろい。たてがみがあるからオスだと思うのですが、なんだかカゼ薬みたいな、かわいい名前です。絵を見ても、百獣の王といった迫力はぜんぜんなく、少しとぼけた様子。
 結局、穴のなかでおなかがすいてしまった「ルル」は、なんと「こうさぎ」に助けられて生きながらえます。声が変わってしまったがゆえに、食べる/食べられる関係が逆転し、弱きもの助けられていく、それは、声がもとに戻ったあとも「ルル」の生き方を変えていきます。なかなか楽しいラストです。うちの子どもも読んだあと「おもしろかったね」と言っていました。この絵本、おすすめです。
▼今江祥智 作/和田誠 絵『あめだまをたべたライオン』フレーベル館、1978年

荒井良二『ぼくとチマチマ』

 「ぼく」と「ぼく」が昨日ひろった子猫の「チマチマ」に朝が訪れるという物語。「ぼく」のまちが少しずつ明るくなり、だんだんにぎやかになっていく様子が描写されています。地平線の向こうからは、鳥や牛やバスや汽車といったごくふつうのものだけでなく、大小の太鼓やラッパやアコーディオンやスープも手足や顔付きでやってきます。なんとも不思議な雰囲気。
 建物のかたちからすると、「ぼく」が住むのは中近東の砂漠のまちでしょうか。市場のお店が開いて、いろんな人たちがまちなかにだんだんと出てきます。小さく描き込まれた人びとの営みもおもしろい。
 そして、最後に現れるのが太陽。複数ページにわたって少しずつ地平線上に上がってくるのですが、とぼけた表情でどうやら砂漠を歩いています。この太陽が実に大きくて明るくあたたかで、「ぼく」と「チマチマ」のこれからはじまる1日を祝福しているかのようなラストです。
▼荒井良二『ぼくとチマチマ』学研、2004年

香山美子/長新太『たからげた』

 「日本の民話えほん」シリーズの1冊。年を取った「おかあ」と「むすこ」の貧しい二人暮らし。「おかあ」がかぜをひいて寝込んでしまい、「むすこ」は欲張りでけちん坊の「ごんぞうおじ」にお金を借りに行きますが、当然、貸してくれません。途方に暮れる「むすこ」の前に「しろい きものを きた じいさま」が現れ、転んだ数だけ小判が出るという下駄をくれます。うわさを聞きつけた「ごんぞうおじ」は無理矢理その下駄を借りていき、自分でも転んで小判をざくざく出すのですが……という物語。
 表紙にもなっている「ごんぞうおじ」がなかなか強烈。いかにも強欲そうな顔と態度です。実は小判を出すたびにどんどん背が縮んでいくのですが、そのことを分かっていない「ごんぞうおじ」は、なんと最後にムシ(!)になってしまいます。このムシがまた、実に小さく描かれているのですが、律儀に「ごんぞうおじ」の顔(だいぶかわいくなっています^^;)が付いています。ムシになっても下駄にしがみついているのは、いかにも「ごんぞうおじ」。結局、風に飛ばされてしまいます。後日談として村にはそののち小さな「ごんぞうむし」がたくさんわいて出てくるとのことで、その絵も描かれているのですが、村の子どもたちに遊ばれています。「ごんぞうおじ」、ちょっとかわいそうかも。
 それはともかく、うちの子どもが気になっていたのは、「ごんぞうおじ」が出した小判の山のゆくえ。「むすこ」がもらったんじゃないかと言っていましたが、どうだろうねえ。
▼香山美子 文/長新太 画『たからげた』教育画劇、1998年

バーバラ・ヘイズン/トミー・ウンゲラー『魔術師の弟子』

 今日は3冊。以前読んだ『ラシーヌおじさんとふしぎな動物』もなかなか強烈でしたが、ウンゲラーさんのこちらの絵本もかなりのインパクト。留守番を頼まれた魔術師の弟子の「フンボルト」、雑用の楽をしようと魔術の本を見て呪文を唱えるのですが、それが大失敗。ライン川を見下ろす魔術師の城が水浸しになってしまいます。
 物語はそんなに恐くありませんが、絵がすごい。ページのあちらこちらに不穏なものや気味の悪いものがたくさん描き込まれ、よーく見ると薄暗がりには怪物の目や口が開いています。魔術師の城なので、こわーい実験室なんかもあります。まさにスプラッター絵本。
 とはいえ、なんとなくユーモラスなところがあり、恐いモノ見たさというか、恐いんだけれどもついつい見たくなる、そんな魅力に満ちています。うちの子どもも「恐いねー」とか言いながら、一人でページをめくって楽しんで(?)いました。
 原書の刊行は1969年。この絵本、おすすめです。
▼バーバラ・ヘイズン 文/トミー・ウンゲラー 絵/たむら りゅういち あそう くみ 訳『魔術師の弟子』評論社、1977年