東 君平『びりびり』

 表紙に描かれているのは、黒い大きな怪獣のようなもの。小さな目が光っています。めくった見返しにはハサミが一つ。そして、本文は(タイトルページなしで)黒いページに白抜き文字の次の一文。

いちまいの くろいかみを びりびり やぶいていたら へんなどうぶつが うまれました。びりびりという なまえを つけてあげたら ひとりで あるきだしました。

 次の見開き2ページは、左が切り取られた黒いページ、右に四つ足で丸まるとした黒い「びりびり」が描かれています。まさにハサミで切り抜いたかのよう。スリリングな導入です。

 歩き出した「びりびり」は何でも食べてしまい、そのつど、食べられたものを取り返すために2つに破られます。破られた「びりびり」は半分の大きさになってそれぞれまた動きだし、1匹が2匹、2匹が4匹、4匹が8匹、8匹が16匹とどんどん増えていきます。

 これが一応のストーリーですが、この絵本のばあい、ストーリーはあってないようなもの。

 おもしろいのは、「びりびり」と手で破っているかのように描かれているところ。破れ目もぎざぎざです。もしかすると、本当に黒い紙を破って描かれている(?)のかもしれません。

 大きさが半分になって数が増えていくところは、破るというアクションがそのまま画面に定着しているような楽しい雰囲気です。本文はすべてモノクロですが、地味ということはまったくなく、躍動感に満ちています。絵本を見ている(読んでいる)私たちも、まるでじっさいに手を動かして「びりびり」「びりびり」黒い紙を破っているかのような気分になってきます。

 「びりびり」は小さな目といい半開きの口といい、表情があるようでないような、どちらかというと不気味です。しかし、破られて数が倍々に増えていき、みな右の方を向いてトコトコ歩いていくのも、なんだか楽しげです。

 また、この絵本の躍動感は文にも表されていると思いました。というか、絵と文が一体になってリズムを刻んでいます。文はたとえば次のような感じ。

ぼくの時計を パクパク食べた
それはビリビリ それはビリビリ
だいじな時計を とりかえせ
こらビリビリ そらビリビリ

 この調子がずっと繰り返され、とてもリズミカル。読み聞かせのときも、拍子をつけてまるで歌うかのようになります。「ビリビリ」という繰り返される言葉の響き、声に出すときの唇と口の動きもなんとなく心地よいです。

 この絵と文の一体感、変な話ですが、身体を動かしたくなってきます。みんなでいっしょに紙を「ビリビリ」破りながら歌って踊れそうなくらいです。

 よく見ると、表紙のタイトルと本文の最初のページでは「びりびり」と平仮名になっていますが、それ以外はすべて「ビリビリ」とカタカナ表記。

 「びりびり」が動き出す、「びりびり」と破る、「びりびり」と声を出す、「びりびり」と踊る(笑)、そんなリズムとアクションには「ビリビリ」のカタカタ表記がしっくりくるように感じました。

 ところで、奥付には、この絵本の来歴が説明されています。

本書「びりびり」は、1964年、東君平24歳のときの絵本で至光社より上梓されたものを、原書をできるだけ生かして再構成したものである。

 24歳のときの絵本! すごいですね。著者紹介によると、東さんは16歳で家を出て、22歳で『漫画讀本』でデビュー。翌年渡米し、6ヶ月のニューヨーク生活を経て、帰国後、絵本や童話などの創作活動を開始。1986年に46歳の若さで亡くなられたとのこと。24歳のときということは、ニューヨークから帰ってきてすぐに描かれた絵本ということでしょうか。

 東さんの他の絵本もぜひまた見てみようと思います。

▼東 君平『びりびり』ビリケン出版、2000年

オンデマンド移動図書館

 『季刊 本とコンピュータ』(編集:「本とコンピュータ」編集室、発売:株式会社トランスアート)、私のお気に入りの雑誌の1つです。タイトルの通り、本とコンピュータの現在をいろんな角度から考えていく雑誌。非常に内容が充実していて、毎号、楽しみにしています。

 ウェブサイトも、日本語の「本とコンピュータ・ウェブサイト」「国際版 The Book & The Computer」の2つがあり、こちらも内容豊富です。

 その2003年冬号(第2期10号)の子雑誌「未来の本のつくり方」に「特集 『オンデマンド移動図書館』がやってきた」(127-144ページ)という興味深い記事がありました。ちなみに、『季刊 本とコンピュータ』は幾つかの子雑誌を含んで作られています(子雑誌は付録ではなく一冊に綴じ込まれています)。

 「オンデマンド移動図書館」というのは、アメリカの非営利組織「インターネット・アーカイブ」が取り組んでいる「ミリオンブックス・プロジェクト」のこと。

 ミニバンにコンピュータやカラープリンターなどの機材を積み込んで各地に出かけ、その場で子どもの本や絵本のデジタルテクストをダウンロードし、カラープリンターで刷って本にするというプロジェクトです。

 ミニバンは「ブックモービル」というそうですが、屋根にはパラボラアンテナが付いていて、カリフォルニアの事務局のサーバーから衛星を通じてデジタルテキストのデータを受信できるようになっています。参加者は、ラップトップコンピュータに示される本のリストから欲しいものを選んでダウンロードし、それをカラープリンターで紙に印刷。そして、印刷された紙を参加者は自分で折って折り丁を作り、さらに裁断機で折り丁の縁を断ち落として揃えます。最後に製本機で紙の背を接着して表紙をつけ、完成です。

 できあがった本の写真も載っていましたが、なかなかきれいです。絵本も、ページをそのまま転写しているので意外なほど原本の雰囲気が保たれているとのこと。

 「ブックモービル」の費用は1万5000ドル(約162万円)、1冊の材料費はわずか1ドル程度。これは従来の移動図書館の貸し出し費用よりも安いそうです。参加者の料金は無料。今後の目標は、著作権の消滅した本を2005年末までに100万冊、スキャナーで読みとってデジタル化し、誰でも無料で入手できるようにすることだそうです。

 さらに、このプロジェクトは、アメリカだけでなく、インド、エジプト、ウガンダ、中国と世界各地に広がっており、インドでは政府が費用を負担して本のデジタルコピーに取り組んでいるとのこと。また、今後数年間で世界に5000箇所のオンデマンド印刷のステーションを作る計画もあるそうです。

 この試み、ネットのテクノロジーと昔ながらの手仕事がジョイントしていて、非常におもしろいと思いました。

 参加者は自分だけの1冊の本を自分で作るわけで、楽しそうです。製本の作業風景の写真も掲載されていましたが、参加している子どもたちはみな真剣です。「インターネット・アーカイヴ」の主宰者ブルースター・カールさんはインタビューに答えて次のようなエピソードを紹介していました。

 子どもは製本を手伝わせると、のめりこみます。あるお母さんから、子どもが[自分が作った]『不思議の国のアリス』を枕の下に入れて寝ていると聞きました。(132ページ)

 また、こういう製本の体験は、絵本というモノをまったく違った角度から見直すことになると思います。1枚の紙を8つ折りにするという折り丁の仕組みを学習したり、自分で裁断機や製本機を使ったり、本というモノの基本的な成り立ちを身をもって知ることになり、それは、絵本の表現の理解にとっても有意義なんじゃないでしょうか。

 もう一つ、プロジェクトを支えている基本思想も興味深いです。ブルースター・カールさんは、これまでに出版された書物をすべて集め、しかもそれを世界のどこにいる人でも使えるようにすることを理念として語っています。そのさい、このデジタル・ライブラリーに取り組むにあたって現代は3つの条件に恵まれているとされます。一つ目は何でも電子的に保存できるようになったこと。二つ目はインターネットという開かれたネットワークがあること。そして三つ目として挙げられているのが以下です。

 第三はいちばん理解されておらず、いちばん尊重されていないことだと思いますが、私たちは開かれた社会が望ましいという考えが根づいた文化の世界に生きています。民主的な政治制度を築き、経済を発展させるには情報へのアクセスこそが鍵だと信じられている世界なのです。歴史をふりかえっても、そうそうある眺めではありません。私たちは、もう二度とないかもしれない機会を手にしています。(136ページ)

 良くも悪しくもアメリカ的と言えるかもしれませんが、「開かれた社会」の重要性とその歴史的な貴重さはたしかにもっと尊重されるべきじゃないかと思いました。

 ブルースター・カールさんが主宰している「インターネット・アーカイヴ」のウェブサイトはこちら。http://www.archive.org/

 この「インターネット・アーカイヴ」のなかの「ミリオンブックス・プロジェクト」のウェブサイトはこちら。http://www.archive.org/texts/collection.php?collection=millionbooks

 「インターネット・アーカイブ」については、同じ『本とコンピュータ』に紹介記事が掲載されていました。139ページから144ページ、二木麻里さんの「<世界書物>の条件」です。こちらも、なかなかおもしろかったです。

フリーマーケットの『こどものとも』

 今日は近くの比較的大きな公園で開催されたフリーマーケットに行って来ました。うちの子どものお目当てはおもちゃ、そして私のお目当てはもちろん絵本です。

 子どものおもちゃ選びにつき合いつつ、「絵本ないかな」ときょろきょろしていたら、福音館書店の月刊絵本誌『こどものとも』を発見。年少版や年中版も合わせて20冊ほどがずらりと並んでいました。新しいものが多く、驚いたことに2004年3月号まで含まれています。

 お店の人に聞いてみたところ、お子さんが双子であるため、幼稚園(?)で同じ『こどものとも』を2冊もらってしまうとのこと。不要な1冊をフリーマーケットに出品しているそうです。なるほど、そういうこともあるんですね。

 『こどものとも』は現在1冊380円ですが、今回は1冊50円(!)という驚きの値段。中身もおもしろそうなものが多かったので、一気に十数冊を買い占め、しかも値段交渉して総額から100円引きにしてもらいました(笑)。お店の方には本当に感謝です。

 さっそく今晩、そのうちの3冊を読み聞かせ。どれもなかなかよかったです。うちの子どもも楽しんでいました。明日以降も少しずつ読んでいこうと思っています。

 ともあれ、今日のフリーマーケットは良心的なお店が多く、絵本以外でもいろいろ掘り出し物がありました。こういうことがあるので、フリーマーケット通いはやめられません。

良識とは何か

 このウェブログは絵本をテーマにしています。絵本の話題からははずれますが、アメリカのパウエル国務長官のインタビューを読んで、「良識」について考えさせられました。JNNの単独インタビューの記事を引用します。

 JNNとの単独会見に応じたパウエル国務長官は3人が解放されたニュースを聞いて、「とても喜んでいます。日本人人質のことを心配していたので、無事解放され、とてもうれしい」と語りました。

 また、パウエル長官は日本人人質とは反対にイタリア人民間人1人が殺害されたことに弔意を表すとともに、日本、イタリアの両首相が誘拐グループの部隊撤退要求に応じなかったことを高く評価しました。

[中略]

 さらに日本の一部で、人質になった民間人に対して、「軽率だ、自己責任をわきまえろ」などという批判が出ていることに対して、「全ての人は危険地域に入るリスクを理解しなければなりません。しかし、危険地域に入るリスクを誰も引き受けなくなれば、世界は前に進まなくなってしまう。彼らは自ら危険を引き受けているのです。ですから、私は日本の国民が進んで、良い目的のために身を呈したことをうれしく思います。日本人は自ら行動した国民がいることを誇りに思うべきです。また、イラクに自衛隊を派遣したことも誇りに思うべきです。彼らは自ら危険を引き受けているのです。たとえ彼らが危険を冒したために人質になっても、それを責めてよいわけではありません。私たちには安全回復のため、全力を尽くし、それに深い配慮を払う義務があるのです。彼らは私たちの友人であり、隣人であり、仲間なのです。」と述べています。

 

 この記事の日付は 16日 16:26。同じ16日の 13:04 付けの時事通信の記事では、小泉首相は次のように語っていました。

 小泉純一郎首相は16日午前、解放された3人が政府の渡航自粛の呼び掛けを聞かずにイラク入りしたことに対し、「昼夜24時間態勢でいかに多くの人が取り組んだか。退避勧告を無視して出掛けた方に良く考えていただきたい」と苦言を呈した。3人が解放後も「イラクに残りたい」などと語ったことについては「これだけ多くの政府の人たちが寝食を忘れて努力しているのに、なおかつそういうことを言うのか。自覚というものを持ってもらいたい」と述べた。首相官邸で記者団に語った。

 もちろん、アメリカと日本、置かれた状況が違うでしょうから簡単に比べることはできません。

 とはいえ、国家の指導者層の発言として、どちらがバランスのとれた良識ある発言かは明らかであると思います。

 手元の辞書を引いてみると、「良識=健全な判断力」(『新明解 国語辞典 第4版』)と出ていました。

田島征彦『じごくのそうべえ』

 軽業師の「そうべえ」、歯抜き師の「しかい」、医者の「ちくあん」、山伏の「ふっかい」の4人が地獄で大暴れするというストーリー。

 この絵本、以前から読んでみたいと思っていたのですが、読み聞かせで親子ともども大笑いして、実に楽しめました。いやー、これは最高ですね。

 やはり子どもに大受けしていたのは、汚い話ですみませんが「ふんにょうじごく」。これは、おもしろい! 私も読み聞かせのとき、思わず吹き出してしまいました。

 それから、「じんどんき」に呑み込まれてお腹のなかをいろいろいじるところ。これも大笑い!

 いやー、こう言っては顰蹙を買いそうですが、やっぱりねー、「ふんにょう」とか「おなら」とか「こちょこちょ」とか、人間の生理にはたらきかけます。子どもだけじゃなく、誰にとっても根源的におもしろいものじゃないかなあと思います。こぎれいにしていても、身体の反射にはかないません。大らかで楽しいです。

 絵は、迫力があってしかもユーモラス。とくに地獄に行ってからの4人は、鬼などに比してとても小さく描かれているのですが、そのことで逆に、ふんどし一丁の身体全体を使った大活躍、アクションに次ぐアクションが目を引きます。

 興味深いと思ったのは、絵が描かれている素材。見たところ、紙ではなく布のようなのです。布に筆で直接描かれてるのか、あるいは版画でしょうか。それとも、染色かもしれませんね。

 それから、文は全編すべて関西弁の会話調、読み聞かせでも得体の知れない「なりきり関西人」で楽しめました。でも、やっぱり、この絵本は本当の関西弁で聞きたいですね。たぶん、イントネーションとかリズムとか、本場の関西弁だったら、おもしろさ倍増じゃないかなと思います。

 あと、おもしろいのは、お話の舞台は江戸時代あたりですが、文のなかに「ピンク」「トイレ」「ホーク」といったカタカナが少しだけ出てくるところ。もちろん、読み聞かせをしていて別に違和感はないのですが、ちょっと不思議ですね。

 ところで、この絵本には「桂米朝・上方落語・地獄八景より」というサブタイトル(?)が付いています。もともとは落語のお話とのこと。

 カバーには、桂米朝さんの一文が掲載されています。なかなか興味深いので、引用します。

 上方落語<地獄八景亡者戯>───古来、東西で千に近い落語がありますが、これはそのスケールの大きさといい、奇想天外な発想といい、まずあまり類のない大型落語です。
[中略]
 むかしは、地獄極楽のおはなしは老人が孫に説いてきかせたものでしたが、今日では、もはや断絶……という状態ですね。
 えんまが舌をぬいたり、三途の川や針の山の知識が消滅してしまったら、落語もやりにくくなります。この絵本がその穴埋めをしてくれたら……と念願している次第です。

 「地獄八景亡者戯」(じごくはっけいもうじゃのたわむれ)、うーん、すごいタイトルですね。おもしろそうです。それに、この絵本では地の文はすべて会話調ですが、落語ではたぶん違うじゃないかなと思いました。他にもいろいろアレンジされているでしょうし、これは一度、もともとの落語を聞いてみたいところです。

 落語をもとにした絵本は他にもけっこうあるような気がしますが、どうでしょう。そういえば、川端誠さんの落語絵本のシリーズがありましたね。じゅげむじゅげむの人気で図書館ではいつも貸し出し中です。

 それはともかく、桂米朝さんが書かれているように、地獄極楽とか閻魔大王とか三途の川とか、たしかにいまの子どもたちにはなじみがうすいかもしれませんね。あ、でも、NHK教育で放送されている「おじゃる丸」で知っていたりするかも。

 しかしまあ、私も、子どものとき祖父や祖母から地獄の話しとか聞かされたことがありますが、これはやっぱりとても恐い話だったと記憶しています。この種の恐さは、もしかすると、いまの子どもたちには縁遠いかもしれません。いや、そうでもないかな、別のかたちの恐い話が身近にあるのかも……

 ともあれ、地獄にしても鬼にしても、本当はとても恐いからこそ、それをひっくりかえしたときのユーモアが増すわけで、背景となる文化はけっこう大事かなと思います。

 もう一つ、気になったのが、カバーに小さく記されていた次の一文。

1985年5月、装丁を改版しました。

 どんなふうに変わったんでしょうか。気になります。機会があったら確認してみたいと思います。

 装丁といえば、裏表紙の絵もなかなか楽しいです。眼鏡をかけたふんどし一丁の男の人が恐そうな鬼の絵を筆で豪快に描いています。これは、たぶん作者の田島さんの自画像ですよね。ふんどし一丁というところが最高です。この絵本にぴったりです。いや、ほんとに。

▼田島征彦『じごくのそうべえ』童心社、1978年

大人が絵本を読むこと

 ソラさんが開設されているウェブログ、skyward「子どものうちに絵本は読みたい」という記事を読みました。「大人受けを狙った絵の本」とそれを受容する人たちへの違和感を書かれていると思うのですが、ちょっとギクリ!としたところがあったので、かなり長くなりますが、引用します。

絵本は子どもだけのものじゃないとか、癒されるとか、絵本を読むと“忘れかけていた子どもの頃の純粋な気持ち”を思い出すとかって言う人が多いのにはほんと辟易。人それぞれ好き好きだから別にいいんだけど、絵本が心底好きで絵本を専攻してた私としてはそういうのがどうも気持ち悪い。

[中略]

最近になって思うのは、多分ね、大人になって、“絵本のすばらしさ再確認”みたいな人って、再確認も何も、子どもの頃にまともな絵本を与えてもらってないって人も結構多いんだろうなぁということ。絵本が本当に良いかどうかって、子どもの時期に読まないと分からんし(まぁ、絵本を良い悪いで括っていいのかどうかっていうのも微妙だけども)。

[中略]

絵本は子どもだけじゃなくて大人が読んでも十分感動するだの何だのってエラそうに言わんとって欲しいワ。当たり前のことだもの。本当に良い絵本は大人でも楽しめるなんて。しかも、大人向けの“絵本風に作った本”を、「大人でも絵本は楽しめる」という風に言われると何だかなぁ…あれはちゃんとした絵本を読めない大人用に“やさしく”作られたものだというのにね。あんなの子どもは読まないよ。子どもをなめてもらっちゃ困る。

 この記事を読んで思ったのは、もしかして私も「子どもの頃にまともな絵本を与えてもらってない」一人なのかなということが一つ。そして、「絵本のすばらしさ再確認」とか「絵本は大人が読んでも十分感動する」とか言っちゃいけないんだろうかという疑問が一つ。

 自分の子どものころを思い出してみると、絵本を読んでもらった楽しい記憶はありますが、そんなにたくさんではなかった気がします。少なくとも(ソラさんが書かれているように)「良い/悪い」絵本を区別できるほどは読んでこなかったと思います。で、自分の子どもができてから、あらためて「絵本はおもしろいな」と思い、このウェブログを作っています。

 この点からすると、私もまた、ソラさんに批判されてしまうかもしれませんね。

 ただ、私のばあい「絵本は子どもだけのものじゃない」とは思っていますが、絵本を読んで「癒される」とか「“忘れかけていた子どもの頃の純粋な気持ち”を思い出す」とかいったことは、あまりないです。

 私にとって絵本は、まずは子どもといっしょに楽しむものです。読み聞かせをして、子どもといっしょに笑ったり、しんみりしたり、おしゃべりしたりすることがおもしろいのです。そういうコミュニケーションの場を生み出してくれるのが絵本。

 そして、それだけじゃなく、私個人にとっても(つまり子どもとの関係を離れても)絵本はおもしろいと思っています。そのおもしろさは、たとえば、すばらしい映画や音楽や小説に接するのとまったく同じものです。一つの表現のジャンルとして絵本は非常に魅力的です。絵本のそういうおもしろさは、子どもの時期でないと分からないものではなく、大人になってから分かることもあり、子どもからお年寄りまで世代を問わず楽しめる(つまりそのよさが分かる)ものじゃないでしょうか。

 この後者の部分では、やはり「絵本は子どもだけのものじゃない」と言える気がしますし、そのことは、少なくとも世間一般では「当たり前のこと」にはなっていないと思うのですが、どうでしょう。「絵本は女性と子どものもの」みたいな先入観なり感性は相当に根強いと思います。

 ソラさんが違和感を持たれている「大人受けを狙った絵の本」にしても、じっさいそれを読んでいるのは若い世代の女性に限られるかもしれません。とはいえ、私はその種の本を読んだことがないのでよく分かりませんが。

 それはともかく、絵本がまだまだ社会的に認知されていないとするなら、たとえ「大人受けを狙った絵の本」であっても、絵本を知る一つのきっかけになるならいいのではないかと私は思いました。ソラさんが書かれているように、「大人受けを狙った絵の本」と「そうじゃない絵本」とが違うことを知り「ちゃんとした絵本」を読むことにつながっていくなら、それはそれでよいのではないかと。そんなにうまくいかないと言われそうですが……

 とりとめがなくなってきましたが、要するに、「癒されるとか言うな」「絵本は子どもだけのものじゃないなんて当たり前のことを言うな」と言われるのは、ちょっとしんどいということ。また、「絵本のよさは子どものときにしか分からない」「子どものときにまともな絵本を与えてもらっていないから、大人になってそんなことを言っている」というのも、絵本を知るせっかくの機会を閉ざすことにならないか、ということ。

 ソラさんにとっては当たり前のことばかり書き連ねているかもしれませんが、トラックバックしておきます。もし主旨をはずしているようだったら、すみません。

『この絵本が好き! 2004年版』

 この本では、2003年に刊行された絵本について、アンケートに基づくランキングが掲載されています。アンケートの回答者は76人。絵本の専門書店の店長さん、図書館の司書さん、美術館や文学館の学芸員さん、絵本の研究者、編集者、イラストレーターや翻訳家など、いわば絵本読みのプロの方々です。2003年の1年間に刊行された絵本のなかで、好きな絵本を国内絵本と海外翻訳絵本に分けてそれぞれ3冊選んでもらい、その総数に基づいてベスト23が算出されています。

 参考になると思うので、そのベスト23を記しておきます。同じ票数のばあいは同順位で書名の五十音順の配列になっているそうです。

国内絵本ベスト11
1.酒井駒子『ロンパーちゃんとふうせん』白泉社
2.斎藤孝/つちだのぶこ『おっと合点承知之助』ほるぷ出版
3.長新太『みみずのオッサン』童心社
4.安野光雅『旅の絵本Ⅴ』福音館書店
4.荒井良二『はっぴいさん』偕成社
6.長谷川集平『はせがわくんきらいや(復刊)』ブッキング
6.きむらゆういち/はたこうしろう『ゆらゆらばしのうえで』福音館書店
以下順位なし:
 山内祥子/片山健『アマガエルとくらす』福音館書店
 中川ひろたか/100%ORANGE『コップちゃん』ブロンズ新社
 三沢厚彦『動物たち』理論社
 内田麟太郎/いせひでこ『はくちょう』講談社

海外翻訳絵本ベスト12
1.ジョン・バーニンガム/長田弘 訳『旅するベッド』ほるぷ出版
2.エリサ・クレヴェン/江國香織 訳『おひさまパン』金の星社
3.M・B・ゴフスタイン/末盛千枝子 訳『ゴールディーのお人形』すえもりブックス
4.ジェイムズ・マーシャル/モーリス・センダック/さくまゆみこ 訳『おいしそうなバレエ』徳間書店
4.マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット/うちだややこ 訳『岸辺のふたり』くもん出版
4.C・V・オールズバーグ/村上春樹 訳『急行「北極号」(改装改訳新版)』あすなろ書房
4.マンロー・リーフ/ルドウィッヒ・ベーメルマンス/福本友美子 訳『ヌードル』岩波書店
以下順位なし:
 ウラジーミル・ラドゥンスキー/木坂涼 訳『おしっこぼうや』セーラー出版
 F・ヤールブソワ/Y・ノルシュテイン/こじまひろこ 訳『きつねとうさぎ』福音館書店
 クリス・バン・オールスバーグ/かねはらみずひと 訳『ザスーラ』ほるぷ出版
 D・B・ジョンソン/今泉吉晴 訳『ヘンリー フィッチバーグへいく』福音館書店
 オクタビオ・パス/キャサリン・コーワン/マーク・ブエナー/中村邦生 訳『ぼくのうちに波がきた』岩波書店

 以上のように、一応ランキングになっていますが、それぞれの絵本が何票獲得したのかは記されていませんでした。掲載されているアンケートの回答をみてみると、選ばれた絵本は実にバラバラです。じっさい国内絵本では回答者76人に対し選出された絵本が121種類、海外翻訳絵本も回答者76人に対し118種類の絵本が選ばれています。国内絵本の第1位になっている『ロンパーちゃんとふうせん』でも、ざっと数えてみると、76人中9人しか選んでいないようです。特定の絵本にたくさんの票が集まっているわけではないと言っていいでしょう。

 考えてみれば、他のジャンルならともかく、絵本のばあい、こんなふうに票が分かれるのは当然かもしれませんね。みんなが好きな絵本があるのではなく、その人に固有の経験や記憶と結びついた、自分だけのお気に入りの絵本がある、そんな気がします。絵本はそれだけ多様で懐が深く、各自に固有の感動を呼び起こすものなのかもしれません。

 そのことは、今回のアンケートで同時におこなわれた「次世代に伝えたい絵本」の回答を見ても分かります。見事なまでにバラバラです。

 なんだか絵本のランキングをすることが本当に有意義なのかどうか、少し考えてしまいます。とはいえ、アンケートの回答やコメントを読んだりして、「こんな絵本があるんだ」といろいろ参考になりました。ランキングは、それをあまり重要視せず、絵本を知る一つの手がかりと考えておくのがよいかもしれません。

 それはともかく、この本では、ランキングされた絵本の紹介やすべてのアンケート回答のほかに、2003年の絵本について、たくさんのエッセー、座談会、インタビューなどが掲載されており、非常に読み応えがあります。絵本をめぐる現在の状況やトピックを広く見渡すことができるように思いました。

 また、カラーページもけっこうあり、ブックガイドとしても役立ちそうです。巻末には、2003年に刊行された国内絵本と海外翻訳絵本のリスト(約1300冊!)も付いていて、これも参考になります。

 『この絵本が好き!』は2003年版もあるようなので、そのうち読んでみようと思います。

▼別冊太陽編集部 編『この絵本が好き! 2004年版』平凡社、2004年、定価(本体 1,000円+税)

きむら ゆういち/はた こうしろう『ゆらゆらばしのうえで』

 「うさぎ」とそれを追いかける「きつね」は、丸太橋にさしかかります。ところが、大雨で一本の丸太だけになっていた橋は、2匹が乗ったとたんに土手からはずれ、フラフラとシーソーのようにゆれはじめます。「うさぎ」と「きつね」は「ゆらゆらばし」の上で立ち往生。うっかり動いたら2匹とも逆巻く川に落ちてしまい、助かりません。動きの取れない2匹は話をすることしかできず、やがて心を通わせはじめます。

 このストーリー、同じく木村裕一さんが文を担当した『あらしのよるに』とよく似ています。もちろん、『あらしのよるに』のオオカミとヤギは互いの勘違いから友達になるわけですし、細部はぜんぜん違います。とはいえ、本来は食べる/食べられる関係にある2匹が特異な状況のなかで不思議な友情を育んでいくというモチーフはまったく同じです。うちの子どもも、読み聞かせのあと「似てるねえ」と言っていました。

 そういえば、タイトルも少し似てますね。『あらしのよるに』と『ゆらゆらばしのうえで』ですから、同じく「の」をはさんでの助詞止めです。

 それはともかく、この絵本でおもしろいと思ったのは、まずは縦長の造本。

 縦31センチ、横19センチという縦長の紙面がとても効果的に生かされています。「ゆらゆらばし」はほとんどいつも紙面の上方に描かれており、その下の広く白い空間が、橋の高さ・谷の深さを物語っています。

 また、見開き2ページの中央に丸太を支える橋脚が描かれ、左に「きつね」、右に「うさぎ」が配置されています。2匹が動いてバランスが崩れると丸太がシーソーのように上下し、この描写は、2匹が「お互いの重さ」を必要としいわば運命共同体であることを鮮明に表していると思います。

 それから、「ゆらゆらばし」の下の逆巻く川の描写もおもしろいと思いました。「うさぎ」や「きつね」、それから「ゆらゆらばし」は、たとえば切り絵のように輪郭がくっきりと鋭角的に描かれています。これに対し、紙面の一番下に描き出されている川の流れは、とても荒々しいタッチで、色の飛沫が飛び散ったかのような彩色もされています。激しく荒れ狂う川面と水しぶきを感じ取ることができます。

 あと、カバーには、木村裕一さんと秦好史郎さんの写真が載っているのですが、これがお二人の幼稚園・保育園時代のものなのです。かわいい男の子のモノクロ写真です。これもおもしろい趣向ですね。

▼きむら ゆういち 文/はた こうしろう 絵『ゆらゆらばしのうえで』福音館書店、2003年

かぜをひいてしまいました

 のどが痛くてつばを飲み込むのも一苦労。熱も出てきました。うーん、きつい。でも、仕事が立て込んでいるので、家に帰るわけにはいきません。とにかくできるところまでやって早く帰ろう……今晩は絵本の読み聞かせも無理だなあ……

 だいぶ暖かくなってきましたが、みなさん、かぜにはお気を付け下さい。

島田ゆか『バムとケロのおかいもの』

 「バムとケロ」、あらためて説明の必要のない大人気シリーズです。うちではこの『バムとケロのおかいもの』を持っていて、シリーズの他の絵本は図書館から借りて読みました。うちの子どもも大好きです。

 このシリーズの魅力は、なによりディテールの楽しさ。

 ページごとに「あっ!」というディテールがたくさん描き込まれており、何度読んでもあきません。『バムとケロのおかいもの』でも、市場にお買い物に行くというメインストーリーに加えて、サイドストーリーが幾つもあります。それらは画面のあちこちに散りばめられており、あれこれ見つけて楽しめます。そういう細部について、読み聞かせのとき子どもといろいろ話ができるのもよいですね。

 それから、登場する日用品や小物がとてもおしゃれ。この点も人気の理由の一つと思います。作者の島田さんは、もともとパッケージデザインなどをされていたとのこと。ファッション雑誌に載っていてもおかしくないくらい、洗練されている気がします。いわゆる「おしゃれ」とは無縁な生活を送っている私にとっては、ちょっとこぎれいすぎるというか、こういうのは苦手なのですが、好きな人にとってはたまらない魅力かなと思います。

 あと、バムとケロ以外のキャラクターもシリーズのなかで共通していて、これも読んでいて楽しめます。しかも、島田さんのもう一つのシリーズ「カバンうりのガラゴ」ともキャラクターが重なっています。「バム」と「ケロ」は「ガラゴ」シリーズのなかにも少しだけ登場しますし、たしか「ガラゴ」も「バムとケロ」シリーズのどこかに出ていたと思います。うちの子どもに教えてもらったのですが、『バムとケロのおかいもの』には、「ガラゴ」シリーズに出ていたキャラクターが何匹も登場しています。

 だんだんとキャラクターが増えていき、それぞれのサイドストーリーが加わり、絵本のなかの世界が広がっていく、そんな印象があります。

 全体の物語は、どちらかと言うと、ほほえましくなごめるものですが、これに対し、サイドストーリーや小物やキャラクターなど画面の情報量はとても多く、非常に濃密に作り込まれています。この落差のおもしろさが「バムとケロ」シリーズの特徴ではないでしょうか。

 もう一つ注目したいのが、島田さんの作風の変化です。「バムとケロ」シリーズを最初から順番に読んでいくと、少しずつ描き方やタッチが変わってきていることが分かります。かなり微妙な違いなのですが、たとえば芝生や草原の描写一つとっても、第一作と現在とでは違うと思います。それはサイドストーリーの描き込みにも言えて、はじめはいまほどディテールが細かくないような気がするのですが、どうでしょう。徐々にいまの作風が完成されていった様子を見て取ることができ、これもおもしろい点かなと思います。

▼島田ゆか『バムとケロのおかいもの』文溪堂、1999年