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田島征彦『じごくのそうべえ』

 軽業師の「そうべえ」、歯抜き師の「しかい」、医者の「ちくあん」、山伏の「ふっかい」の4人が地獄で大暴れするというストーリー。

 この絵本、以前から読んでみたいと思っていたのですが、読み聞かせで親子ともども大笑いして、実に楽しめました。いやー、これは最高ですね。

 やはり子どもに大受けしていたのは、汚い話ですみませんが「ふんにょうじごく」。これは、おもしろい! 私も読み聞かせのとき、思わず吹き出してしまいました。

 それから、「じんどんき」に呑み込まれてお腹のなかをいろいろいじるところ。これも大笑い!

 いやー、こう言っては顰蹙を買いそうですが、やっぱりねー、「ふんにょう」とか「おなら」とか「こちょこちょ」とか、人間の生理にはたらきかけます。子どもだけじゃなく、誰にとっても根源的におもしろいものじゃないかなあと思います。こぎれいにしていても、身体の反射にはかないません。大らかで楽しいです。

 絵は、迫力があってしかもユーモラス。とくに地獄に行ってからの4人は、鬼などに比してとても小さく描かれているのですが、そのことで逆に、ふんどし一丁の身体全体を使った大活躍、アクションに次ぐアクションが目を引きます。

 興味深いと思ったのは、絵が描かれている素材。見たところ、紙ではなく布のようなのです。布に筆で直接描かれてるのか、あるいは版画でしょうか。それとも、染色かもしれませんね。

 それから、文は全編すべて関西弁の会話調、読み聞かせでも得体の知れない「なりきり関西人」で楽しめました。でも、やっぱり、この絵本は本当の関西弁で聞きたいですね。たぶん、イントネーションとかリズムとか、本場の関西弁だったら、おもしろさ倍増じゃないかなと思います。

 あと、おもしろいのは、お話の舞台は江戸時代あたりですが、文のなかに「ピンク」「トイレ」「ホーク」といったカタカナが少しだけ出てくるところ。もちろん、読み聞かせをしていて別に違和感はないのですが、ちょっと不思議ですね。

 ところで、この絵本には「桂米朝・上方落語・地獄八景より」というサブタイトル(?)が付いています。もともとは落語のお話とのこと。

 カバーには、桂米朝さんの一文が掲載されています。なかなか興味深いので、引用します。

 上方落語<地獄八景亡者戯>───古来、東西で千に近い落語がありますが、これはそのスケールの大きさといい、奇想天外な発想といい、まずあまり類のない大型落語です。
[中略]
 むかしは、地獄極楽のおはなしは老人が孫に説いてきかせたものでしたが、今日では、もはや断絶……という状態ですね。
 えんまが舌をぬいたり、三途の川や針の山の知識が消滅してしまったら、落語もやりにくくなります。この絵本がその穴埋めをしてくれたら……と念願している次第です。

 「地獄八景亡者戯」(じごくはっけいもうじゃのたわむれ)、うーん、すごいタイトルですね。おもしろそうです。それに、この絵本では地の文はすべて会話調ですが、落語ではたぶん違うじゃないかなと思いました。他にもいろいろアレンジされているでしょうし、これは一度、もともとの落語を聞いてみたいところです。

 落語をもとにした絵本は他にもけっこうあるような気がしますが、どうでしょう。そういえば、川端誠さんの落語絵本のシリーズがありましたね。じゅげむじゅげむの人気で図書館ではいつも貸し出し中です。

 それはともかく、桂米朝さんが書かれているように、地獄極楽とか閻魔大王とか三途の川とか、たしかにいまの子どもたちにはなじみがうすいかもしれませんね。あ、でも、NHK教育で放送されている「おじゃる丸」で知っていたりするかも。

 しかしまあ、私も、子どものとき祖父や祖母から地獄の話しとか聞かされたことがありますが、これはやっぱりとても恐い話だったと記憶しています。この種の恐さは、もしかすると、いまの子どもたちには縁遠いかもしれません。いや、そうでもないかな、別のかたちの恐い話が身近にあるのかも……

 ともあれ、地獄にしても鬼にしても、本当はとても恐いからこそ、それをひっくりかえしたときのユーモアが増すわけで、背景となる文化はけっこう大事かなと思います。

 もう一つ、気になったのが、カバーに小さく記されていた次の一文。

1985年5月、装丁を改版しました。

 どんなふうに変わったんでしょうか。気になります。機会があったら確認してみたいと思います。

 装丁といえば、裏表紙の絵もなかなか楽しいです。眼鏡をかけたふんどし一丁の男の人が恐そうな鬼の絵を筆で豪快に描いています。これは、たぶん作者の田島さんの自画像ですよね。ふんどし一丁というところが最高です。この絵本にぴったりです。いや、ほんとに。

▼田島征彦『じごくのそうべえ』童心社、1978年