酒井駒子『ロンパーちゃんとふうせん』

 まちでふうせんをもらった「ロンパーちゃん」、家でいっしょに楽しく遊ぶのですが、風にふかれ木にひっかかってしまって……

 この絵本でまず印象的だったのは色彩の美しさ。全体にわたってグレーと白と黒を中心にした彩色で、かすれた筆致で描かれています。まるでモノクロ映画のようです。このかすれた色合いがたいへん美しいのですが、そのなかにあってなにより目を引くのが、ふうせんの明るい黄色。ふうせんに付いているひもが青であることも、黄色をより鮮やかにしていると思います。

 と同時に、ふうせんの明るい黄色は、たぶん「ロンパーちゃん」自身にとってそのように見えているんじゃないかなと思いました。自分のまわりの世界から浮かび上がってくる黄色。それがすべてであるかのように、視線がくぎづけになってしまう。

 というのも、「ロンパーちゃん」にとって、ふうせんはただのふうせんではなく、友だちというか、いわば自分と同じ生を宿したものです。「ロンパーちゃん」は、浮いているふうせんに花を見せてあげ、ままごと遊びをします。いっしょにふとんで寝ようと思い自分の寝間着の帽子をかぶせてあげるつもりでした。帽子をかぶったふうせんはまるで人間のように見えます。

 この彩色と描写からは、作者である酒井さんの視点がつねに「ロンパーちゃん」に寄り添っていることを感じます。いわばカメラのピントが「ロンパーちゃん」におかれているというか、じっさい絵の枠はほとんどいつも「ロンパーちゃん」を中心にしていて、他のものは枠の外にはみ出ています。ふうせんもまた、ちょうどロンパーちゃんの背丈ほどに浮かんでいます。中心に置かれた「ロンパーちゃん」の一つ一つのしぐさと様子は実に繊細に描かれていて、うれしさや悲しみといった感情の動きが伝わってきます。

 こういう子どもの日常のこまやかな描写は、酒井さんならではのものかもしれません。というのは、以前紹介した『この絵本が好き! 2004年版』のなかに酒井さんのエッセー(56~57ページ)が収録されていたのですが、これが非常に印象深かったのです。

 「手帳から、みっつ……」と題されており、酒井さんの身のまわりの3つのエピソードがスケッチされていました。短い文章ですがどれもとても魅力的です。2つは酒井さんが出会った子どもたちの様子を描いており、読んでいると、まるで映画を見ているかのようで、ふっと映像が立ち上がってきます。絵本作家に対してあるいは失礼かもしれませんが、酒井さんの(絵本のみならず)エッセーをもっと読んでみたいと思いました。

 あと、酒井さんのエッセーで興味深かったのは、それぞれのエピソードの終わり方。うまく言えませんが、ありがちな安易なむすびになっていないんですね。紋切型をはずすというか、そんな感じがしました。

 そのことは、この『ロンパーちゃんとふうせん』にも当てはまるかもしれません。読み聞かせを終えたとき、うちの子どもは「え、続きはないの?」と聞いてきました。たしかに、先のストーリーがまだあるかのような終わり方です。他の方の絵本ならもう少し物語を続けるかもしれません。でも、こういう終わり方も余韻があってよいと思います。

 もう一つ印象深かったのは、「ロンパーちゃん」の「おかあさん」。最初、ふうせんがすぐに天井に上がってしまい、そのつど「ロンパーちゃん」に取ってくれるようせがまれます。そのとき「おかあさん」はにっこり笑って喜んで取ってくれるかというと、そうではありません。

「やれやれ どうぞ」
「やれやれ これじゃあ かなわない」

 このセリフ、本当にささいなものですが、とてもリアルに感じました。なんとなく「しょうがないなあ」という感情がにじんでいます。

 しかし、だからといってイライラしたりせず、ちょっとした工夫をするんですね。ああ、すごいなあと思いました。

 自分のことを振り返ってみると、日ごろ親としてこのように大らかにまた機知に富んだ豊かな対応をしているだろうかと少し気になりました。何かというとイライラしてしまったり、言わなくてもいいことを子どもに言っていないかどうか。あまり自信がないです。

 さりげない描写ですが、この「おかあさん」のように子どもに接することができたらなと思いました。

▼酒井駒子『ロンパーちゃんとふうせん』白泉社、2003年

『子どもの本~この1年を振り返って~2003年』(その1)

 だいぶ更新が滞っていました。いろいろ仕事が立て込んでいて、記事を書く時間もなかなか取れませんでした。

 今回、紹介する『子どもの本~この1年を振り返って~2003年』は、2003年、1年間の子どもの本の出版状況をカテゴリー別に概説したもの。NPO図書館の学校が2001年から毎年発行しているものの最新版です。NPO図書館の学校は、ウェブサイトもあります。

 本書には、2003年12月1日に開催された同名の会での発表、講演、講評がそのまま収録され、また図書館の学校が選んだ2003年の「おすすめの本200選」が書誌情報と紹介文付きで掲載されています。

 具体的なカテゴリーは、絵本、フィクション、ノンフィクション、ヤングアダルト、紙芝居、マンガ。それぞれ新刊書の読み合い・合評をしているグループの方や専門家の方が1年間の出版状況を振り返るとともに注目の本を紹介しています。これに加えて、絵本作家のあべ弘士さんの講演と、児童文学作家・児童書評論家のひこ・田中さんの総評が載っていました。

 子どもの本をめぐる2003年の傾向を大きく知ることができ、またブックガイドとしても有用と思います。「こんな絵本があるんだ」と発見がありましたし、絵本以外のカテゴリーはそんなに馴染みのない世界だったので、おもしろかったです。

 と同時に、講演や概説にはいろいろ興味深い点もあったので、また別の記事で紹介してみようと思います。

▼NPO図書館の学校 編集・発行『子どもの本~この1年を振り返って~2003年』発売:リブリオ出版、2004年、定価 1,365円

映画の『11ぴきのねこ』

 OKI*IKU Note さんのところで紹介されていた馬場のぼる『11ぴきのねこ』、実はこの絵本のアニメ映画を以前、見たことがあります。地域の映画鑑賞会の特別上映だったのですが、うちの子どもといっしょに見に行きました。

 あらかじめもらった案内には上映時間が90分と書いてありました。絵本のお話からすると、どう考えても90分にはなりませんよね。いったいどうなるのだろうと思っていたら、基本的なストーリーは同じですが、いろいろと物語が追加されていました。

 たとえば最初の設定からして少し違います。11ぴきのねこはねこの街に暮らしており、しかも、イタズラばかりして街の大人たちを困らせているという設定になっています。その後、じいさんねこから大きな魚の話を聞いて魚をつかまえに行くのは同じですが、湖に到着するまでにいろんなエピソードが追加されていました。

 とはいえ、そのエピソードは、苦しい旅を続けるなかで仲間のきずなを確かめ合ったり自分たちの夢を求める姿を描いていて、そんなに違和感なく見ることができました。大きな魚との対決やラストもほぼ原作通りになっていましたし、これはこれで、おもしろかったです。うちの子どもも満足していました。

 全体的にアニメ映画としても出来がよい方かもしれません。

 で、一番びっくりしたのが声優です。「とらねこたいしょう」の声を担当していたのは、なんと、郷ひろみ! いやー、本当にびっくりしました。この映画はもともと1980年の公開なので、20年以上前の郷ひろみです。

 でも、この郷ひろみの声が、意外や意外、「とらねこたいしょう」に割と合っているんですね。ネコ声というか、けっこう似合っていました。声優としても下手じゃないように思いました。

 もう一つ、おもしろかったのが、制作当時の時代ゆえでしょうか、なんとなくサイケデリックな雰囲気がただよっていたこと。11ぴきのねこがまたたびを食べてトリップするシーンがあるのですが、これが極彩色でけっこう強烈。いっちゃってます。

 あと、一つ、分からなかったのは「ねんねこさっしゃれ」。「大漁節」はぴったりの歌だったのですが、「ねんねこさっしゃれ」はちょっとイメージの違うものになっていました。あまり子守歌らしくなかったです。まあ、「ねんねこさっしゃれ」は私もよく分かっていないのですが……

 この映画の基本情報は下記のサイトに掲載されています。

アネット・チゾン、タラス・テイラー『おばけのバーバパパ』

 「バーバパパ」シリーズ、図書館から借りて読んでいるのですが、うちの子どもは大好きです。ほとんど毎晩、読み聞かせ絵本に選ぶほどです(うちでは寝る前の絵本はたいてい子供が自分で選びます)。

 『おばけのバーバパパ』はシリーズの第一作目。まだ「バーバママ」や子どもたちは登場しません。「バーバパパ」の誕生が描かれています。フランソワの家の庭で生まれた「バーバパパ」、一度は動物園に入れられるのですが、まちで大活躍して人気者になり、再びフランソワの家に戻っていっしょに暮らしはじめるというストーリー。

 「バーバパパ」シリーズは図書館でも大人気で、全巻そろっていたことは一度もありません。何度も貸し出されているのでけっこう本が傷んでいたりしますが、それは、このシリーズが愛されている証かもしれませんね。

 ところで、たいてい貸し出し中になっているので、実はわが家ではシリーズを順番通りに読んでいません。シリーズのかなり後のものから読みはじめました。あまりよくないのかもしれませんが、うちの子どもにとってはそんなに違和感はないようで楽しんでいます。

 で、そんなふうに読んでいくなかで、以前うちの子どもに「バーバパパって何?」とたずねてみました。間髪を入れずに返ってきた答えは、

「ねんど。すっごくやわらかい、ねんど」(!)

 なるほどーと思いました。色もカラフルだし、自分のからだを自由自在に変えられるところは、たしかに、ねんどみたいです。

 でも、たしか「バーバパパ」は「おばけ」じゃなかったかなと思い、この第一作目を読んでみました。それで気が付いたのですが、お話のなかでは「バーバパパ」が「おばけ」であるとは一言も書かれていないんですね。

 本文のとびらに記されている原本のタイトルも BARBAPAPA だけで、日本語の「おばけ」に対応する言葉は見あたりません。邦訳のタイトル『おばけのバーバパパ』は訳者の山下明生さんのアイデアなんじゃないでしょうか。そんな気がします。

 そもそも庭の土のなかから生まれてきますし、うちの子どもの言うとおり、やっぱり元は「ねんど」なんじゃないかなーと親ばかな私は思ってます(苦笑)。うちの子どもは、この『おばけのバーバパパ』を読んだあとも、「バーバパパ」はやっぱりねんどだと言っています(笑)。あ、もしかして「ねんどのおばけ」かもしれませんね。

 しかしまあ、少なくとも「おばけ」というよりは「生き物」。シリーズの他の絵本でも、自然を大切にし、人間はもちろん、他の動物や植物も深く愛している姿が描写されていたかと思います。地球のなかから生まれ、生きとし生けるものすべてを慈しむグレートな「生き物」、それがバーバパパとその家族。

 とはいえ、シリーズの絵本をすべて読んでいるわけではないので、他のところで「おばけ」の話が出てくるのかもしれません。

 それはともかく、「バーバパパ」シリーズの絵はなかなか興味深いなと今回あらためて思いました。

 一つは彩色。すべてに色を付けず、ばあいによっては着色しないで白いままにしている(?)のが、おもしろいです。たとえば木々も、緑に彩色しているところと、白いまま輪郭だけになっているところがあります。昼間の建物もあまり色が付いていません。これは、画面ごとの色のバランスやストーリーの意味合いを考えてのことかなと思いました。

 もう一つは、(最後のページを除いて)すべて縦に輪切りにして横から描くようになっているところ。土のなかにいる「バーバパパ」の様子や木の根っこも横から見えます。家や動物園の施設も縦に輪切りになっています。視覚的に楽しめます。

 あと、画面にほとんど奥行きがないのもおもしろいです。最後のページも上から見下ろすようなかたちで描かれているのですが、ここでもあまり立体感はありません。だからといっておかしいわけではなく、むしろ軽快で心地よい感じです。

 絵本だから当然かもしれませんが、誰かが名前を付けたわけでもなく生まれたときから「バーバパパ」、しかも子どももまだいないのに「パパ」というのも、おもしろいですね。

▼アネット・チゾン、タラス・テイラー/山下明生 訳『おばけのバーバパパ』偕成社、1972年

穂高順也/荒井良二『さるのせんせいとへびのかんごふさん』

 動物村に新しくできた病院、「さるのせんせい」と「へびのかんごふさん」が開きました。「へびのかんごふさん」は清楚でかわいく、「さるのせんせい」も目が笑っていてやさしそう。ところが、その診察と治療がすごいのなんの、ぶっとんでます。

 とくに「へびのかんごふさん」の活躍ぶりに、唖然、呆然、間違いなし。口あんぐりのあとは何も考えずに大笑いです。

 我が家で一番うけていたのは、薬を作るところと注射の場面。「ぶた」や「ぞう」の治療もすごかった。最後の最後まで大活躍していて、ここまでやってくれると、なんだかすがすがしくなってきます。

 一見むちゃくちゃなのですが、でも考えてみると筋はちゃんと通っているんですね。論理的といえば論理的。それが逆におかしさを増しています。また、お医者さんらしい妙に冷静なセリフも笑えます。

 絵はとてもカラフルで楽しい雰囲気。よく見ると、場面によっては花がぼんやりと顔になっていたり、見ようによっては少し不気味なところもあります。でも、それも全体のアクセントになっています。

 ところで、今日の記事ではこの絵本の何がそんなにおかしいのか、ぜんぜん具体的に書いてませんが、これはぜひ一度、読んでみて下さい。種明かしをしたらつまらないなと思いました。

▼穂高順也 文/荒井良二 絵『さるのせんせいとへびのかんごふさん』ビリケン出版、1999年

サイモン・ジェームズ『ふしぎなともだち』

 ママとこの町に引っ越してきた男の子、レオン。パパは軍隊に入って遠くの地に離ればなれ。そんなレオンにもボブという新しい友だちができ、レオンの部屋でいっしょにくらします。実はボブは誰にも見えないのですが、レオンにはボブがそこにいることが分かります。

だから、レオンは かならず ボブの
せきを よういする。あさごはんの ときも、
「ボブ、もっと ミルク どう?」

 ある日のこと、隣の家に引っ越してきた男の子を見かけます。会いに行こうと決めたレオンは(見えない)ボブといっしょに隣の家のドアに続く階段を上るのですが、途中でボブが消えてしまって……といったストーリー。

 多くの画面でレオンは一人ぼっちです。寝て、朝起きて、着替えて、歯をみがき、朝食をとる、すべて一人きりです。学校に行くときも家に帰ってからも一人。いっしょにいるはずのボブの姿は描かれていません。誰も座っていないイス、広い空間がボブを取り囲んでいます。また、ママが登場するのは、レオンに上着を着せている一場面だけ。レオンはサッカーボールを持っていますが、部屋のなかに置いたきりで、友だちといっしょに遊ぶ場面はありません。街路樹の葉が落ちていることからすると、季節は冬のようです。

 とはいえ、画面の端々からうかがえるのは、さびしさというより、まっすぐにけんめいに日々を生きる様子。

 ママは一度しか登場しませんが、その表情としぐさからは、レオンを大事に愛していることがそこはかとなく伝わってきます。また、レオンのベッドわきには笑顔のパパの写真が立てかけてあり、ダイニングにはたぶんレオンが生まれたばかりのころのパパとママとレオンの写真が飾ってあります。パパからはしばしば手紙が届き、それをレオンは楽しみにして何度も読んでいます。

 どれもさりげない描写で、絵に付けられた文も説明を省いて簡潔そのもの。でも、そうであるからこそ、家族の愛情やけなげなレオンの姿が浮かび上がってくるように思います。

 ところで、この絵本の本文には「あっ!」と驚く非常に不思議なラスト、まるでミステリー映画のような結末が用意されているのですが、さらに心を動かされたのが、本文のラストページをめくったその先です。表紙の見返しと裏表紙の見返しが効果的に使われており、なんだかあたたかな気持ちになります。

 それから、この絵本は、縦30センチに横20.5センチと少し縦長。この縦長の画面も物語と密接に結びついていると思いました。たとえばレオンの住んでいる部屋の天井はどれも非常に高く、ドアや窓も縦長で大きく描かれ、これに比してレオンはとても小さく描写されています。レオンが一人であることを如実に物語っていて印象的です。

 また、レオンがとなりの家の階段を上っていく場面でも、階段は縦長に長く大きく、また、登り切った先のドアもレオンの前にそそり立つように描かれています。階段に座り込むレオン、ドアの前に立ちすくむレオン。レオンの不安と逡巡がよく伝わってきます。

 あと、レオンが黒髪の黒人で隣家の男の子が金髪の白人であることも、象徴的かなと思いました。それほど強い主張ではないでしょうが、民族や肌の色の違いを越えることの大切さが示唆されているのかもしれません。

▼サイモン・ジェームズ/小川仁央 訳『ふしぎなともだち』評論社、1999年

『飯野和好と絵本』(その3)

 インタビューでもう一つおもしろかったのが、読み語りから生まれる「芸能」について語っているところ。

 飯野さんは、月に1~2回、渡世人の旅姿で読み語り公演をされているそうです。北海道から沖縄まで全国の図書館や小学校や酒蔵やお寺など、自身の絵本を手に持って浪曲や講談、落語調で読むとのこと。そのときに感じられたのが絵本の持つユニークな力。引用します。

絵本の言葉を読むことで、語り手と聞き手がひとつの場を共有するんですね。一冊の本から突然、立体的な芸能の場が立ち上がってくる。読んでいる途中も、小学生なんかが突っ込みを入れてくる。それに僕が返して、掛け合いが生まれる。

[中略]

お母さんが子どもに読み聞かせるときも同じだと思うんですよ。たったふたりの間だけど、おはなしが繰り広げられる場を共有している。今ごろになって、絵本の深さ、はかり知れない可能性を強く感じますね。(80ページ)

 読み語り(ないし読み聞かせ)を「芸能」として捉える! これはおもしろいですね。「芸能」と言っても、具体的に浪曲や講談だけでなく、少し広く考えるとよいように思いました。つまり、語り手(演じ手)と聞き手がいて、同じ場を共有し、しかもコミュニケーション(掛け合い)が生まれるということ。この意味では、子どもへの読み聞かせも、たしかに「芸能」の場になるのかなと思います。

 逆に言うと、場の共有と掛け合いによってこそ、読み語りや読み聞かせはより生き生きとしてくると言えるかもしれません。

 そういえば、うちの子どもも読み聞かせで、たまに「突っ込み」を入れてきます。それに応えながら絵本を読んでいくのは、なかなか楽しいです。

 ところで、飯野さんは現在、小学校などの生徒向けに『ねぎぼうずのあさたろう』のミュージカルシナリオを書いているとのこと。大分県ではおばちゃんたちが「あさたろう」のお芝居を上演していたそうです。やっぱり『ねぎぼうずのあさたろう』は芝居心(?)をくすぐるんじゃないかと思います。

 子どもの頃のごっこ遊びが飯野さんのチャンバラ時代劇絵本の原点だそうですが、その絵本が今度はチャンバラのお芝居やミュージカルを生み出していく。ぐるっとめぐって一つにつながっているようで、おもしろいです。

 飯野さんご自身も、読み語り公演のほかに、荒井良二さんやあべ弘士さんといった絵本作家の方々と劇団「てくてく座」を結成して時代劇ミュージカルを上演したり、ブルース・ハーモニカ奏者としてライブハウスに出演しているそうです。多彩な活動ですが、こういった「芸能」活動がまた、飯野さんの絵本作りにも生かされているように思いました。

▼飯野和好 監修/水田由紀 著『みずゑのレシピ 飯野和好と絵本 ストーリーを考える・キャラクターをつくる』美術出版社、2003年、定価(本体 1,900円+税)

『飯野和好と絵本』(その2)

 インタビューを読んで意外だったのは、飯野和好さんにも不遇の時代があったということ。

 そもそも絵本の世界に入ったきっかけは、堀内誠一さんだそうです。堀内さんに出会ってファンタジーを知り、それを自分なりに描いて絵本にしたのが、1981年の『わんぱくえほん』(偕成社)。しかし、それまではなかなか認められず、それ以降も10年は絵本の仕事が来なかったとのこと。ちょっと信じられない話ですが、「絵がきれいでない」とか「アクが強すぎる」とか言われて絵本として使ってもらえなかったのだそうです。

 そして再び絵本に取り組んだのが1991年の『ハのハの子天狗』。この絵本はほるぷ出版のシリーズ「イメージの森」の一冊です。ここではじめて、チャンバラ絵本といういまに続く飯野さんオリジナルの世界ができ、仕事をするときの迷いがなくなったとのこと。この『ハのハの子天狗』については次のように語られていました。

チャンバラの絵本をつくりたいと編集者に言ったら「あ、いいですね。チャンバラ、私も好きですよ」。これはうれしかったねぇ。今までは「絵本はこうでなければ」と言われていたのが、自分の好きなものをそのまま出して一緒にやっていける受け手が出てきた。勇気が出るよね。(78ページ)

 絵本の出版にとって編集者の存在の大きさがよく分かる逸話です。「イメージの森」シリーズはいままでにないような絵本を作ろうという企画で、だから、飯野さんにも話が来たのだそうです。「イメージの森」というと、スズキコージさんの『サルビルサ』というこれまた強烈な絵本を思い出しましたが、当時、絵本の表現の幅を広げようという意識が編集者の側にあったのかなと思います。

 このことと関連して、飯野さんは90年代以降の絵本の世界の変化についても語っています。

 1990年代頃からかな、絵本の世界が変わってきたような気がするんです。それまでは絵本は子供のためのもの、というしばりが強かった。ちゃんとした筋立てがあって絵も明るいもの、可愛いものが求められた。僕のは「気持ち悪い」と言われてなかなか使ってもらえなかったんです。売り込みをしてもほとんどダメだったし……。

 だけど、編集者などのつくり手や、読者の意識がだんだん変わってきたんですね。絵本にはもっと多様な世界があるんじゃないか、と。

 絵本は絵の力で物語るという、ユニークな性質を持ったもの。子供のためだけというのではもったいないと思います。(79ページ)。

 「気持ち悪い」と言われたとのこと。うーん、びっくりです。

 あまり短絡的に考えてはいけないのでしょうが、上記の飯野さんのインタビューを読んで、狭隘な「子ども観」が絵本の世界を貧弱にすることもあるのかなと思いました。「子どものため」を意識しすぎることが逆に子どもの感性をみくびることになる、あるいは一定のイメージを子どもに押しつけることになる。

 だから、「子供のためのもの」という凝り固まったしばりを解くことで、絵本の世界が広がり、それがたとえば『ねぎぼうずのあさたろう』シリーズのような子どもたちにとって圧倒的におもしろい絵本を生み出すこともあるということ。

 これからの仕事について、飯野さんは「年齢を超えた絵本」を描いてみたいと語っています。たとえば、人間の情念がからんだ物語や、チャンバラ絵本でもドロドロと暗い雰囲気を持ったものだそうです。「10年後くらいにはなんとかなるんじゃないか」ということですが、絵本の世界がさらに広がりそうで楽しみです。

▼飯野和好 監修/水田由紀 著『みずゑのレシピ 飯野和好と絵本 ストーリーを考える・キャラクターをつくる』美術出版社、2003年、定価(本体 1,900円+税)

『飯野和好と絵本』(その1)

 この本は、『ねぎぼうずのあさたろう』等のチャンバラ時代劇絵本で知られる飯野和好さんが、絵本作りのノウハウを語った入門書。主として、絵本を自分で作ってみたいという人向けの本ですが、飯野さんの絵本が好きな方にとってもなかなかおもしろいと思います。

 はじめに口上(?)が記されていました。

「このたび、私、おきて破りの絵本塾を始めることにいたしました。皆さまに、かけがえのない一冊の絵本をつくっていただくため、飯野の仕事の舞台裏、すべてお目にかけてしまいやしょう。
我まま勝手なやり方は、どうぞご勘弁。
それでは、わらじのひもをきゅっと締めて、いざ、まいろうかぁ~!」(6ページ)

 付けられた写真が、満開の桜の下、渡世人風の格好で二カッと笑う飯野さん。楽しい雰囲気です。

 絵本塾は、ご存じ「ねぎぼうずのあさたろう」と「にんにくのにきち」が弟子になって進みます。アイデア発想法、キャラクター作りやストーリー作り、下描きから着彩、画材選び、さらには手製本の仕方に至るまで、一つ一つていねいに説明されています。写真もたくさんあり、絵本を作ってみたいという人にはたいへん参考になると思います。雑誌『みずゑ』誌上で1年間にわたって読者の一人が飯野さんのアドバイスのもと絵本を実作した過程も再録されていました。かなり実践的です。

 自分が本当に描きたいものを原点にする、ファンタジーであっても現実のリアリズムに裏打ちされていることが大事、といった絵本作りの基本姿勢についても、多くのコメントが記されています。

 また、この本には『freestyle art book』という何も描かれていない「まっ白い絵本」がセットで付いていました。全部で24ページ。これを使って、自分だけの絵本を作ってみようということのようです。

 なんとなく思ったのですが、絵本作り、いまブームなのかもしれませんね。

 絵本作りはともかくとして、飯野さんの絵本を知るうえでも興味深い点がたくさんありました。たとえば、飯野さんのアイデア発想法は、電車に乗ることだそうです。まわりの乗客をよく観察して、そこから絵本のキャラクターやストーリーを考えていくとのこと。

 また、飯野さんの画材遍歴、じっさいの着彩や手書き文字書きのプロセスも、これでもかというくらい、詳細に説明されています。着彩については、1枚の絵を仕上げていく過程が24枚の写真付きで載っていました。細かな筆使いまで分かるようになっています。

 すごいなと思ったのは、手書き文字の書き方。さらっと一筆で書いているわけではまったくなく、文字の角を強めたり先を丸くしたり塗りつぶしたり太くしたり、一つ一つの文字ができあがるまでに幾つもの作業が重ねられています。手書きとはいっても、それは、文字の新しいデザイン、新しい書体を生み出すことと言ってよいようです。

 それから、これもはじめて知ったのですが、下描きの最初の段階では、キャラクターや個々の場面のコンテを描かれるのだそうです。描き上げたコンテは床などにずらっと並べ、全体の構成やストーリーの流れをあらためて練っていき、また、場面の構図、人物のポーズや表情や服装、セリフやト書きなど、細かな点も一つ一つ検討するとのこと。そのうえで、全体を通しての下描きであるラフを描き、さらにまた検討。こうしてやっと本画に入るそうです。

 この一連の過程で飯野さんが気を付けていることの一つは次の点。

 絵本の場合、特徴的なのは、”めくり”で進行してゆく読み物だということ。だから、ページをめくった瞬間の印象がものをいうんです。

 僕がいつも心がけているのは、ページをめくるときの読者の予想を裏切ること。たとえば構図でも、「こうくるだろうな」というのを、あえてはずす。

 そしてひとつの場面でも、見下ろしたアングル、見上げたものなど、2、3パターン描いてみて、内容を伝えながらも、いちばん目に驚きを与えるものを選びます。

 思いがけないものがパッと現れると、人って「あ、いいな」と思うわけ。その瞬間、その絵本の中にフッと入っちゃう。
(40ページ)

 絵本の特質の一つが「めくり」にあるとのこと、言われてみればたしかにその通りですね。おもしろいです。

 ほかには、チャンバラ絵本が生まれたきっかけも書かれていました。ジョニー・ハイマスさんという写真家が撮った山道の写真なのだそうです。飯野さんが子どもの頃に学校に通っていた道にそっくりで、そこから子どもの頃のチャンバラごっこを描いてみようと思い立ったとのこと。

 写真の実物も掲載されていましたが、本当に昔ながらの緑に包まれた山道。奥の方で左に曲がって山に隠れるようになっています。向こうから何が出てくるか分からない、そんな感じです。こういう場面設定は、飯野さんのチャンバラ絵本にも何度か出てきたと思います。

 あと、子どものころから現在に至るまでを語ったインタビューも載っていました。ここでも興味深い点が幾つかあったのですが、これはまた別の記事で紹介したいと思います。

▼飯野和好 監修/水田由紀 著『みずゑのレシピ 飯野和好と絵本 ストーリーを考える・キャラクターをつくる』美術出版社、2003年、定価(本体 1,900円+税)

ボニー・ガイサート/アーサー・ガイサート『ヘイスタック』

 タイトルになっている「ヘイスタック」とは、干し草をまとめて山のように高々と積み上げたもののこと。北アメリカの大草原地帯(プレーリー)でかつて当たり前に見られたものだそうです。英語のつづりは、haystack。この絵本は、農家が「ヘイスタック」をどのように作り、1年を通じてどんなふうに用いてきたのかを描いたノンフィクションです。

ほんのこの間のことなんだよ。
干し草をかためる便利な機会ができるまでは、わしらの暮らしておった
大平原(プレーリー)にはな、あっちこっちに、でっかい「ヘイスタック」があったものだ。

 この絵本では、まず農家が「ヘイスタック」を作っていく様子が丹念に描写されています。春になり夏になって育ちきった牧場の草は、草刈り鎌をつけたトラクターで刈り取られ、リフトを使って牧場の真ん中にかき集められ、それをさくで囲んで「ヘイスタック」ができあがります。絵をみると、2階建ての家なみに高く、横幅も4,50メートルくらいありそうです。

 巨大な干し草の山は、秋から冬にかけて牛たちの餌となります。冬の終わりが近づいて、お腹が大きくなった雌牛たちが別のかこいに移されたら、今度は豚の親子たちの餌。子牛が生まれたら、牛の親子たちも戻ってきて、みんなで分け合います。食べられるだけでなく、暑い日には涼しい影をつくり、冬の冷たい風からは守ってくれ、子豚や子牛の遊び場にもなります。

 こうして「家になり、えさになって、山ほどのいのちを育ててくれた」ヘイスタックは、どんどん小さくなり、食べのこしやフンに姿を変え、そして肥料として牧場中にばらまかれます。

そうしてまた、新しい春がきて、すべてがゆっくりとめぐりはじめるんだ。
もう一度、はじめから。

 春、夏、秋、冬、そしてまた春という悠々たる時間の流れ、そして自然のゆったりとした営みを実感するラストです。

 この絵本は、縦18センチに横29センチとかなりの横長。でも、横長の画面だからこそ、北アメリカの大平原が印象深く描写されています。見渡すかぎりの広大な草原、はるか遠くに見える貨物列車、点在する農家の家並み、地平線の上を流れゆく雲、夜の草原に浮かぶ大きな月や一面の雪景色も非常に美しい。

 大自然に抱かれた農民たちの生活もまた引きつけられました。画面のなかではつねに小さく描かれているのですが、よく見ると家族みんなで農業を営んでいる様子がうかがえます。子どもも半分遊びながら手伝っています。「ヘイスタック」の上で一休みして、みんなでのんびり大草原と流れる雲をながめている画面は、ため息が出ます。

 思ったのですが、かつての日本の農村地帯でも、おそらくは同じような営みが見られたのではないでしょうか。秋に刈り取った稲藁もまた、「ヘイスタック」と同様、少しも無駄にせずしかも自然のはたらきにそって活用されてきたのではないかと思います。

 そんな農家の営みや知恵は、近年あらためて注目され評価されているように感じます。絵本の世界でも、昔の農業や農家の暮らしを描いたものがあると思いますが、どうでしょう。

 とはいえ、こういったものはやはり実地にふれることが大事かもしれませんね。

▼文 ボニー・ガイサート/絵 アーサー・ガイサート/訳 久美沙織『ヘイスタック』BL出版、1998年