月別アーカイブ: 2006年7月

ジョン・ヴァーノン・ロード『ジャイアント・ジャム・サンド』

 暑い夏、4百万匹のハチの大群に襲われた村が、みんで協力してハチを退治するお話。どうやって退治するかがポイントです。荒唐無稽、驚きの大作戦が繰り広げられます。どんな作戦なのかというと、ヒントはタイトル。うちの子どもも大受けでした。

 ハチ一匹一匹は小さきものですが、それを退治するためにとんでもなく巨大なものが作り出されるわけで、この対比が面白い。どこからこんな発想が出てきたのかというくらいのスケールの大きさなのですが、なんだか怪獣映画を見ているような趣きもあります。

 考えてみると、怪獣やウルトラマンなど、巨大なものって、それ自体、魅力があるなあと思います。絵本のモチーフとしても、絵にしたときのインパクトと面白さは格別です。どでかいものをテーマにした絵本って、他にもいろいろあった気がします。

 なんとなく思うのですが、巨大なものを中心にすえたとき、たぶん、二つの展開がある気がします。一つは、たとえば怪獣ものがそうですが、人間にはどうしようもない力、人間の小ささやか弱さが表される場合。ばんばん町が破壊され、いくら抵抗しても勝てないという展開ですね。もう一つは、その巨大なものが人間の生み出したものであり、だから、人間の力のすごさが表現される場合。まあ、ちょっと考えすぎかもしれませんが、両方がミックスされることも多い気がします。

 で、この絵本は、どちらかというと後者かな。村人たちみんなで協力し合って、ばかでかいものを作りあげ、ハチを退治していくわけです。その制作プロセスは豪快そのもの。ヘンな言い方ですが、なんだか清々しくなってきます。村の大問題に取り組むわけですが、くそまじめではなくて、快楽的なんですね。みんな楽しそうに作業をしています。

 一番楽しんでいるのは、もちろん、パン屋のおじさんとお百姓さん。二人とも大活躍です。とくにお百姓さんは、帽子に隠れて顔の表情がぜんぜん見えないのですが、たぶん、最高に面白がっていたんじゃないかなと思います。

 あと、よーく見ると、画面の端々にユーモラスな描写が見つかります。うちの子どもはヘリコプターに反応していました。それから、最初の方のページに登場する3人のおじさん。他のページにも小さく描かれていて、面白い。村人たちの作戦とは別にずっと戦っています(^^;)。他にもサイドストーリーが描き込まれているかもしれません。

 裏表紙には3匹のハチ。「3匹」というのがポイントですね。これがほんとの結末かな。

 原書“The Giant Jam Sandwich”の刊行は1972年。

▼ジョン・ヴァーノン・ロード/安西徹雄 訳『ジャイアント・ジャム・サンド』アリス館、1987年、[印刷・製本:大村印刷]

マージョリー・W・シャーマット/マーク・シマント『きえた犬のえ』

 「ぼくはめいたんてい」シリーズの第1巻。タイトルからも伺えるとおり、探偵ものの絵本です。全ページに絵が付いているので、絵本といえば絵本ですが、頁数が少し多めなので、絵本と児童文学の中間のような感じです。

 主人公は9歳の少年、「ネート」。彼は「めいたんてい」で、様々な事件を解決してきました。今回、「ネート」は、友達の「アニー」が描いたイヌの絵を探します。「アニー」は、家で飼っているイヌの「ファング」の絵を描いて机の上に出しておいたのですが、いつの間にかなくなってしまったのです。その絵を見たのは、なかよしの「ロザモンド」、弟の「ハリー」、そしてイヌの「ファング」だけ。「ネート」は「アニー」とともに、一人ひとりあたっていきます。

 いやー、これは面白い!! うちの子どもも大満足の一冊です。犯人はいったい誰なのか、物語に引き込まれます。もちろん、恐いことはまったくありませんが、展開の妙味はなかなかのもの。

 とくに最後の謎解きが絵本ならでは仕掛けになっていて、素晴らしいです。うちの子どもも「あっ!」と声を上げていました。おもしろいよねー、これ。

 それから、登場するキャラクターがまた魅力的。大人は一人も出てきません。それとなく存在が示唆されるのみで、子どもたちとイヌだけでお話は進んでいきます。で、この子どもたちが、かなり個性豊か。というか、言ってしまえば少々ヘンなんですね。品行方正、健康優良児とはちょっと違う、それがまた興味深い。

 主人公の「ネート」は「めいたんてい」ですから、もちろん、切れ味抜群、沈着冷静、頭脳明晰なんですが、と同時に、独得の個性があります。なんといえばよいか、つまり、ハードボイルド。最初の登場シーンからしてクールです。

 「しごとは いつも ひとりで します」し、「しごとちゅう」は笑ったりしませんし、「アニー」へのほのかな好意(?)も素直に表したりなんかしません。会話もどことなくウィットに富んでいますし、ラスト、雨の後ろ姿には私もちょっとしびれました(^^;)。

 その一方で、大好物のパンケーキへのこだわりが妙に可笑しい。着ている服装も、探偵ものの定番。だぶだぶの格好は、なんだか大人子どもでかわいいです。

 巻末には訳者の光吉夏弥さんの「あとがき」があり、シリーズの紹介と作者の簡単なプロフィールも記されていました。原書“Nate the Great”の刊行は1972年。ストーリーも絵もまったく古さを感じさせません。アメリカでは、ペーパーバックスにもなったヒットシリーズだそうですが、納得です。

 この絵本、うちの子どもも私も、たいへん気に入ったので、ぜひシリーズの他の巻を読んでいきたいと思います。

▼マージョリー・ワインマン・シャーマット 文/マーク・シマント 絵/光吉夏弥 訳『ぼくはめいたんてい1 きえた犬のえ』大日本図書、1982年、[印刷所:株式会社精興社、製本所:株式会社若林製本工場]

谷川俊太郎/飯野和好『おならうた』

 うーん、面白い! タイトルの通り、テーマは「おなら」です。

 見開き2ページいっぱいに、様々な「おなら」をしている情景が描かれ、それに簡潔な文が1文だけついています。この文章が非常にリズミカルで、まるで歌うように読んでいけます。というか、どれも、「ぶ」「ぼ」「へ」……と「おなら」の音が文末表現なんですね。なんだか痛快な気分になってきます。

 当たり前ですが、「おなら」の音って、ほんとに多様だなあと変なところに感心してしまいました。いや、「おなら」って、ある意味、楽器ですね。自分でコントロールするのは難しいけど(^^;)、いろんな音、しかも個性的な音を出せる楽器。ちょっと恥ずかしいけど、なんだか楽しくもなる楽器です。いやまあ、おかしな考えかもしれませんが、この絵本を声に出して読んでいると、あながち間違いでもない気がしてきます。

 そして、この絵本、文はもちろんのこと、それに付けられた絵がまた素晴らしい。谷川さんの詩にまったく負けていないというか、相乗効果で、おかしさが二乗になっていると思います。それぞれ味わい深い描写で、可笑しいです。

 とくに面白いのが大人。「おなら」をしているのは、化け物(?)、動物、子ども、大人、男性、女性、おじさん、おばさん……と様々なのですが、大人の「おなら」がなんともいえない趣きを醸し出しています。いや、実にユーモラス。

 子どもは、「おなら」をするときもシンプルです。でも、大人はそうはいかない。微妙な表情と動作がそこに現出するわけですが、そのあたりの玄妙なニュアンスが活写されています。

 また、「おなら」って、思いがけないところで一発出ちゃいますよね。「おなら」は元来、暴力的なものだと言えるかもしれませんが、そういう部分も描かれている気がしました。「あっ!」と思ったときには出ちゃって、一気に場が弛緩し流れが変わってしまうというか……。「おなら」の力はあなどれません(^^;)。

 色彩はもちろん黄色がポイントです。なんだか臭ってきそうな色合い。とくに「すかしっぺ」が雰囲気でています。

 ところで、この絵本は、谷川俊太郎さんの『わらべうた』に集録されている「おならうた」に飯野和好さんが新作を加えて絵本にしたとのこと。奥付に説明が記されていました。谷川さんの詩に飯野さんが加筆していると思いますが、一読した感じでは、どれがそうなのか分かりません。全体に自然な感じです。

 字がとても少ないこともあって、うちの子どもは一人で読んで、ウヒウヒ喜んでいました。好きだねえ、「おなら」。でも、大人も、なんだかんだいって、あの間の抜け具合が好きなんじゃないかな、ほんとは。

▼谷川俊太郎 原詩/飯野和好 絵『おならうた』絵本館、2006年、[印刷・製本:荻原印刷株式会社]

マレーク・ベロニカ『おやすみ、アンニパンニ!』

 主人公の女の子「アンニパンニ」とクマの「ブルンミ」がイチゴ摘みの帰りに拾った「こねこ」にご飯をあげお風呂に入って、一緒に寝るという物語。小さな子でも十分ついていけます。途中で「こねこ」の居所が分からなくなるというひねりがあって、これがワンポイント。お話に引き込まれます。

 とにかく、とてもお洒落な絵本。私はオシャレとはほとんど無縁な生活を送っていますが、そんな私から見ても、色といい線といい、実に品がよいです。子どもより大人の方が魅了されてしまうかもしれません。

 原書“Jo Ejszakat, Annipanni”(文字の表記は異なります)は1973年発行のようですが、まったく古びておらず、新刊本といってもおかしくないほどです。色彩も造形も、またストーリーも、時代に左右されない生命力を持っていると思います。

 クマの「ブルンミ」がいいですね。どうも寝相が悪いようで、いつの間にか逆に寝ているのが可愛い。うちの子どもにそっくりです(^^;)。

▼マレーク・ベロニカ/羽仁協子 訳『おやすみ、アンニパンニ!』風濤社、2001年、[印刷:吉原印刷株式会社、製本:榎本製本株式会社、装丁・組版:文京図案堂]

長谷川義史『いっきょくいきまぁす』

 うーん、面白い! 長谷川義史さんならではのサービス満点のエンタティメント絵本。

 ストーリー(?)は、タイトルにも伺えるように「ぼく」「おとうさん」「おかあさん」がカラオケに行って歌を歌うというもの。というか、ストーリーはあってないようなもので、とにかく3人が次から次へと歌っていきます。

 基本的に曲を選んで、司会の「ミスターカラオケ」の導入があり、ページをめくると、見開き2ページいっぱいに歌の世界が広がっています。ユーモラスな描写、楽しいディテールがてんこ盛りで、実に楽しめます。よく見ると、ページの端々に可笑しいものが描き込まれているんですね。

 なかには長谷川さんのあの傑作、『どこどこどこ』が「サービス」で付いているページもあり、うちの子どもも大受けでした。表紙・裏表紙の見返しも、隅から隅まで仕掛けがあって面白い。

 また、3人が歌う曲は誰もが知っているような童謡や昔のヒット曲ばかり。子どもが知らないものもありますが、親の世代はもちろん知っている曲です。読み聞かせというよりは、歌い聞かせ(?)になって、妙に盛り上がります。なんだか熱が入っちゃうんですよね。いや、楽しいです。

 有名な「ぐりとぐら」シリーズをはじめとして、絵本のなかに歌の要素が含まれていることはよくあると思いますが、ここまで歌がメインになっている絵本は、あまり他にないかも。

 選曲も絵も、下世話と言えば下世話。上品とはとても言えないかもしれません。しかし、ここまで娯楽を徹底すると、(ちょっと大げさかもしれませんが)従来の絵本の世界を越え出ていくような、そういう勢いがあるように思えてきます。雑然としていて、でも大らかでユーモラス、そのパワーです。

 長谷川義史さんの芸風(?)って、けっこう貴重と思うのですが、どうでしょう。

▼長谷川義史『いっきょく いきまぁす』PHP研究所、2005年、[印刷・製本所:凸版印刷株式会社、制作協力:PHPエディターズ・グループ]

ラスカル/ルイ・ジョス『オレゴンの旅』

 非常に印象深い絵本。子どもだけでなく大人が読んでも深く感銘を受けると思います。でも、もしかすると読者を選ぶかもしれません。あるいは大人向けと言えるかも。

 物語はいわばロードムービー、サーカスのクマとピエロがピッツバーグからオレゴンへ旅をするというストーリーです。

 クマの名前は「オレゴン」。「ぼくを大きな森まで連れてっておくれ」と言う「オレゴン」の頼みに、ピエロは一緒にサーカスを出ることにします。長距離バス、ヒッチハイク、貨物列車、そして歩いて、1人と1匹は「大きな森」を目指します。まるで優れた映画を見ているかのような陰影に富んだ静謐な描写。慎み深い色彩、抑えた筆遣いが、たいへんに美しい。

 そして、ピエロという主人公の設定から浮かび上がってくる、社会から排除された者の悲哀。ヒッチハイクで乗せてもらった黒人ドライバーとの会話はそのことを如実に物語っています。

 途中まで私は、クマとの悲しい別れを予感していました。なぜなら、ピエロにとって、「オレゴン」との旅は幸せなものだったからです。「ぼくたち」はいつも一緒に歩き、食べ、眠ります。「世界中のすべては、ぼくたちのものでした」。そのことは、常に「ぼくたち」が並んだ画面に表れているように思います。

 けれども、「大きな森」にたどり着いたとき、いったいどうなるのか。クマの「オレゴン」が自分の居場所を見つけたとき、ピエロはどうするのだろうか。無二の存在との別れがやってくるのではないか。

 しかし、結末は違っていました。社会から排除されているがゆえに自分で自分に縛られていたピエロもまた、この旅を通じて自由な自分を取り戻したのだと思います。文字のない最後のページには、そのことが象徴的に描き出されています。ほんの少しの悲しみと孤独をたたえながら、それでも、未来への開放と希望を感じさせるラストです。

 なんとなく思うのですが、「ぼくたち」の旅は、身に付いてしまっていた色々なものをどんどん捨て去っていく旅だったのかもしれません。余分な荷物は持たず、片道切符だけ。お金はすぐになくなり、カバンの底に残っていた1ドル硬貨は、川で水切り遊びに使ってしまう。何も要らない、ただ「もっと美しい場所」へと向かうだけ。

 そして、「オレゴン」との約束を果たしたときはじめて、最後の最後まで残っていたものを捨て去り、今度はまさに自分自身の新しい旅に出発するわけです。「オレゴン」との旅は、自分を無くすことで自分を再生する旅と言ってもいいかもしれません。

 もう一つ、とても印象深いのが、扉の向かいのページ、献辞の下に記されたエピグラフ。「感覚」というアルチュール・ランボーの詩です。表紙にもなっている、本文の真ん中の見開きページに呼応しているように思います。

 「話もしないし、なんにも考えないのに、かぎりない愛が魂にあふれてくるんだ、……」。たしかに「オレゴン」は、「大きな森まで連れてっておくれ」という冒頭の一言以外、何もしゃべらないのです。それでも「ぼくたち」の間に「かぎりない愛」があふれていたことは間違いありません。だからこそ、ピエロは何もかも捨て去り、そして自分を取り戻せたのだと言えるかもしれません。

 原書“Le Voyage D’Oregon”の刊行は1993年。

▼ラスカル 文/ルイ・ジョイス 絵/山田兼士 訳『オレゴンの旅』セーラー出版、1995年、[印刷・製本:大日本印刷]

平山和子『くだもの』

 幼児絵本、あるいは赤ちゃん絵本の定番中の定番。うちの子どももお気に入りで、読むといつも、描かれている果物を指さして「すいか!」「りんご!」と言っています。

 この絵本の魅力は、まずは描かれている果物それ自体。非常に瑞々しく美しく、しっかりとした存在感を放っています。手にとって食べられそうなくらいの迫力。子どもたちが引きつけられるのも当然と思えます。

 そして、それら果物が誰の視点から描写されているかが、たぶん、この絵本の一番の特徴。よく指摘されることですが、子どもの目線に立って描かれているわけです。

 すいか、もも、ぶどう……と幾つもの果物が描写されるのですが、最後のバナナを除いてすべて、はじめに皮をむいたり切り分けたりする前の果物それ自体が描かれ、その次に食べられるようになった果物と「さあ どうぞ」の文章が置かれています。最初の果物それ自体の圧倒的な存在感は、これ自体、子どもの目から見た果物の姿を捉えたものと言える気がします。そして、それに続く「さあ どうぞ」の文が付けられた絵は、どれも、読んでいる私たちに向かって果物が差し出される絵柄になっています。まさに子どもの目線からみた果物です。

 ただし、子どもの視点は全体にわたって繰り返されるのですが、唯一、違うのがラストページ。ここでは、視点が反転し、子どもではなく、果物を差し出す側、おそらくは親の視点から、バナナの皮をむく子どもの姿が描かれています。

 なんとなく思ったのですが、こうした視点の置き方と最後の反転には、もしかするととても大きな意味合いがあるのかもしれません。

 まず、繰り返される「さあ どうぞ」の文と絵。ここで示されているのは、自分の意思で自由に食べることが出来ない者の存在と、食べることが出来るように世話してくれる者の存在です。読者は終始、前者の視点に立つことになります。

 こういうシチュエーションは、おそらく大人にとっては、自分が出来ないこと、ある種の不能感を繰り返し確認することを意味するかもしれません。たとえば病気等で入院していて、身体が動かない状態です。変な言い方かもしれませんが、次から次へと「ほれ、食べろ、食べろ」と急かされているような感もなきにしもあらずです。

 しかし、子どもにとっては、たぶん全く違う意味を持つでしょう。つまり、自分が守られていること、自分が相手に認められていること、相手に尊重されていることが、何度も示されているわけです。そのことの安心感、充足感もまた、この絵本が伝えているものの一つかなと思います。

 そして、ラストページの視点の反転。ここでは、二つのことが表されている気がします。

 一つは、この絵本を読む子どもの視点から見るなら、それまで「さあ どうぞ」と言われてきた者がまさに自分自身であることを確認するという意味です。果物を差し出されてきたのは誰なのか、ラストページではじめて自分と同じ子どもであることが示されます。だから、守られ大事にされているのが自分であることが確かめられるわけです。

 もう一つは、世話されるだけの存在であった自分がみずから何かを成し遂げうることがここに表されています。それまで「さあ どうぞ」と言われて与えられるだけだったのが、今度はバナナの皮を自分でむいて、自分で食べる……。それは、大げさかもしれませんが、守られるだけの存在から一歩外に出ることを含意しています。そして、そういう自分のいわば新しい姿をそれまでとは別の視点から確認するわけです。こうしてみると、視点の反転は、受動性から能動性への反転を伴っていると言えるかもしれません。

 いやまあ、なんだか難しくて、考えすぎかもしれませんが、なかなか奥が深い絵本であることは確かかなと思いました。

▼平山和子『くだもの』福音館書店、1979年(「福音館の幼児絵本」としての発行は1981年)、[印刷:三美印刷、製本:多田製本]

小風さち/山口マオ『わにわにのごちそう』

 しばらく前から我が家の定番に加わっているのが、この『わにわにのごちそう』。「わにわに」シリーズの1冊です。

 主人公の「わにわに」が台所に入ってきて、お肉を料理して食べるという、きわめてシンプルなストーリー。「こどものとも年少版」で刊行されたものなので、小さな子どもでも十分ついていける物語です。

 しかし、この絵本、大人の目から見てもとても魅力的です。何が良いって、まずは主人子「わにわに」の造形。ワニが料理するわけですから、当然、その行動は擬人化されています。

 とはいえ、「わにわに」それ自体は比較的リアルなんですね。かわいこぶっているところがあまりなく、黄色い目にしても、鋭い刃が並んだ口にしても、深い緑の皮膚にしても、野性味があります。骨太な筆致が効果的で、這いずり方一つとっても、ずっしりとした重さが伝わってくるような描写です。

 そして、このリアルなワニが這いずっているのが、どことなく懐かしさを覚えるような少し古めの日本家屋であることも面白い。木の柱に木目の床、木製のテーブルとイス、ステンレスの流し、「丸大豆しょうゆ」の瓶や竹かごに入った野菜が部屋の隅におかれ、アパートや長屋の中古物件の雰囲気をかもしだしています。壁のホックにかけられたエプロンや手袋、真っ白なスリードアの冷蔵庫にはマグネットでメモが止められ、洗いかごには食器が並び、なんともこぢんまりとした生活臭がただよってくる……。この舞台設定のなかでワニが這いずり料理して食べるという、いわば地に足の付いたナンセンス(?)が独得のおかしさを生んでいると思います。

 もう一つ、手書きふうに印字された文章もとても良いです。簡潔にしてメリハリがきいていて、声に出して読んでいると、とても楽しい。なんていったらいいのか、歌で例えたらサビがきちんと効いているんですね。ぐっと力の入るところがあるわけです。

 また、幾つか擬態語が効果的に使われていて、これも盛り上がります。まずは重力を感じる這いずり音。そして、とくに肉を食べているときの擬態語と描写は、なんとなく食べることの本来的な凄みを感じさせると言ったら言い過ぎでしょうか。凶暴でありながら快楽的な食です。

 食べるといえば、裏表紙もおかしいですね。いったい、どんなふうに食べてるんだろう。ここはとてもカワイイです。

▼小風さち 文/山口マオ 絵『わにわにのごちそう』「こどものとも年少版」2002年9月号(通巻306号)、福音館書店、2002年、[印刷:日本写真印刷、製本:宅間製本紙工]

ヴィルヘルム・ブッシュ『マクスとモーリツのいたずら』

 こ、これはすごい……。なにげなく図書館で手に取り借りてきたのですが、こんなにすごい絵本だったとは!

 主人公はマクスとモーリツの二人の男の子。二人がしでかした7つのいたずらとその顛末が描かれていきます。この「いたずら」がなかなか強烈で、たいへんな悪たれぶり。大人たちが眉をひそめるような行動が次から次へと続きます。こんな絵本、教育上よろしくないなんて、敬遠されるくらいかも。

 しかし、しかし、この絵本のすさまじいところは、実は二人の「いたずら」ではありません。あっ!と驚く、まさにまさに驚愕の結末が待っています。呆気にとられること間違いなし! いや、これほど凄みのあるブラックな絵本は、あまり他にないと思います。

 一応、「いたずらなんかしたらダメだよ」と、教育的なメッセージが込められていると言えなくもない……かな? というか、そんなありきたりの展開、常識の範囲はとっくに超えちゃってます。

 やっぱりねー、子どもの「いたずら」なんて、ある意味、かわいいもの。本当に恐いのは大人なんですね。あるいは、狭い社会の怖ろしさが描き出されていると言えるかも。

 物語は壮絶と言っていいのですが、絵はとても軽快でユーモラス。そのギャップがまた面白いです。また、訳文がリズミカルでとても読みやすい。

 あと、気になるのは主人公二人の家族。ぜんぜん似てないので、兄弟ではなさそうですが、しかし、親はどうしたんだろうか。孤児という設定なのかな。謎です。

 この絵本、うちの子どももさすがに驚いていました。「えーっ!」。いや、父ちゃんもびっくりだよ、ホント。うーむ、読んでよかったんだろうかと若干の危惧を覚えつつ、とはいえ、ぜんぜん屈託のない我が子がなんとなく頼もしく思えたのでした(なんだか分かりませんが^^;)。

 原書“Max und Moritz”の刊行は1865年。140年以上前の絵本なんですね。でも、それほど古さは感じません。むしろ、このブラックな趣きは現代的と言えるかも。

▼ヴィルヘルム・ブッシュ/上田真而子 訳『マクスとモーリツのいたずら』岩波書店、1986年、[印刷:精興社、製本:三水舎]

荒井良二さんと野村誠さんのワークショップ

 以前のエントリーで触れた、荒井良二さんと野村誠さんのワークショップ、
子どもプロジェクト:九州大学ユーザーサイエンス機構に案内が出ていました。子どもプロジェクト: 荒井良二+野村誠 ワークショップ参加者募集!です。

 ワークショップの期日は8月1日から3日まで。なんと3日間連続です。そのため、募集参加者も3日間とも参加できる小学生とのこと。定員は30名ですから、少数限定ですね。

 これは、かなり中身の濃いワークショップになるのではないでしょうか。詳細はまだ発表になっていませんが、絵を描くことと音を奏でること、二つの表現形態の相互作用がテーマになるのかな。非常に楽しく、またワクワクするような場が生まれそうです。

 例のNHK教育の「あいのて」効果で応募が殺到しそうな気がしますが、近場の方はぜひ応募されはいかがでしょう。