月別アーカイブ: 2004年12月

映画の『11ぴきのねことあほうどり』

 以前、映画の『11ぴきのねこ』を見ましたが、先日(といってもだいぶ前ですが)その続編『11ぴきのねことあほうどり』を見ました。今回も地域の映画鑑賞会の上映で、うちの子どもといっしょに見に行きました。

 1986年の作品で上映時間は90分。大まかなストーリーは原作通りですが、いろいろエピソードが追加されています。たとえば「あほうどり」の島に到着する前に山猫の島に不時着してそこで山猫とやりあったり、「あほうどり」の島に着いてからも原作にはないエピソードがあり、島を離れるところまで描かれています。「11ぴきのねこ」の一匹と「あほうどり」の一羽のロマンス(!)まであって、ちょっとびっくり。

 前作では「とらねこたいしょう」の声を郷ひろみが担当していて驚いたのですが、今回は郷ひろみではなく、プロの声優さんが声をあてていました。その代わりというか、ネコと恋に落ちる「あほうどり」の声を三田寛子さんが担当していました。いや、これまたびっくり。でも、割と合っていたと思います。

 今回もうちの子どもは大満足。私自身は、どちらかといえば前作の『11ぴきのねこ』の方がよかったかな。なんというか、前作の方が11ぴきの連帯感がよく出ていたような気がしました。とはいえ、こちらも、(もちろん子ども向けですが)アニメ映画としては比較的良心的と思います。

 この映画の基本情報は下記のサイトに掲載されています。

あべ弘士『雪の上のなぞのあしあと』

 今回もうちの子どもは謎の足跡の正体に大受けしていました。おもしろいよなー。でも、この正体、なかなかかわいいです。つぶらな瞳がまたよいです。

 ところで、表紙とその見返しまた裏表紙の見返しには、一匹の動物が描かれています。表紙では、動物園に向かっててくてく歩いているみたい。これはキツネかな。おそらく動物園のまわりにも北国の野生の動物たちが生息しているのでしょう。これもまた、北国の動物園の魅力の一つなのかもしれません。

 本文では宿直の仕事について次のように書かれていました。

まっくらで、まわりには いろんな どうぶつがいて、にんげんは ぼく ひとり。
こわいだろう、だって? とんでもない!
この しゅくちょくは ぼくの いちばんの たのしみなんだ。

ゾウ、ライオン、ヘビ、トリ……だいすきな どうぶつたちに かこまれている ぼく。
みんなは ぼくのことを にんげんの だいひょうと おもってくれている。
そして ひとばんじゅう はなしかけてくる。

 動物たちに対するあべさんの愛情がよく伝わってきます。

▼あべ弘士『雪の上のなぞのあしあと』福音館書店、1989年

クリス・バン・オールスバーグ『ジュマンジ』

 再び『ジュマンジ』。『ザガズー』のあとに読んだのですが、「じんせいって びっくりつづきですね!」という『ザガズー』の末尾の一文に対してうちの子ども曰く「でも、もっとびっくりするのがこっち」。

 今回もうちの子どもは、読む前に「[読んでいるとき画面を]絶対に近づけないと約束して!」と言っていました。で、最初わざと低い声で読んでみたら「普通の声で読んで!」と言われました。よっほど恐いんだな(^^;)。それでも、この絵本、読んでみたくなる魅力があるんですね。

 それはともかく、なんとなく思ったのですが、『ジュマンジ』では人の顔の表情がそれほど正面から描かれていません。後ろ姿が割と多いですし、上から見下ろす構図もけっこうあります。表情が分からないことが逆に画面の緊張感を高めていると思います。あるいは、顔の表情といった分かりやすいものではなく、画面全体で緊迫した雰囲気を表していると言えるかもしれません。

▼クリス・バン・オールスバーグ/辺見まさなお 訳『ジュマンジ』ほるぷ出版、1984年

クエンティン・ブレイク『ザガズー』

 うーむ、これはおもしろい! 子どもを育てそして老いていくことを非常に象徴的に描いた絵本。もしかすると、子どもより大人(とくに子育て中の大人)の方が楽しめるかもしれません。

 幸せに楽しく暮らしていた「ジョージ」と「ベラ」。ある日、小包が届きます。開けてみると、なかには「ザガズー」と名札のついた「ちっちゃな ピンクの いきもの」。赤ちゃんが入っていたわけです。二人は「ザガズー」を放りっこして幸せな日々を過ごします。ところがある朝、「ザガズー」は、恐ろしいキイキイ声で泣く大きなハゲタカの赤ん坊に変わってしまいます。別の朝には、なんでもメチャメチャにする小さなゾウ、泥だらけにするイボイノシシ、怒りっぽい竜、コウモリとどんどん変わっていきます。そのうち毛深く「とらえどころのない」生き物になってしまって……という物語。

 まさに副題のとおり「じんせいって びっくりつづき」。でも、それを、コミカルな描写でサラリと風通しよく描いているところが魅力です。

 考えてみると、最初に小包で赤ちゃんが届くというのは、たしかに荒唐無稽なんですが、けっこう感覚的に分かるような気がします。いや、それは私が男性だからかもしれませんが……。

 また、「ザガズー」が最後に変身(?)する「とらえどころのない」生き物。これは、なんだか身につまされますね。たしかになー、自分もそんなときがあったなあと思わず我が身を振り返ってしまいます。もしかすると、いまもそうかもなあ。

 しかしまあ、この物語、比喩ではなく真面目に受け取るなら、かなり重い内容が含まれていると思います。家族内のさまざまな暴力の背景となる部分もあるでしょう。しかし、この、マンガのような描写と白味の多い画面が実に軽やかに前向きに、読んでいる私たちの肩をポンポンとたたいてくれる、そんなふうに感じました。

 また、一番すごいと思ったのがラスト。「ああ、そうか、そうだよなあ」と子どもといっしょに読みながら心のなかでうなずいてしまいました。誰かに育てられ、誰かを育て、そしてまた誰かに育てられる……。人間が「自立した人間」であるかに見えるのは限られた時間内のことで、誰かを必要とする、「人間」ではない時間がはじめとおわりにあるんですね。そもそも「自立」なんてのは一種の幻想かも……。「ジョージ」と「ベラ」と「ザガズー」そして「ザガズー」のパートナーの「ミラベル」が互いに肩と腰に手をあてて紙面の向こうに歩いていく画面からは、そんなことも考えてしまいました。

 ところで、うちの子どもには、「ザガズー」がどんどん変身していくところがおもしろかったようです。もしかすると、ハゲタカに変わったところでは、うちの下の子どもと重ね合わせていたかも。ゾウになったところでは「ハゲタカの方がましだねえ」なんて言っていました(^^;)。

 原書"Zagazoo"の刊行は1998年。この絵本、おすすめです。

▼クエンティン・ブレイク/谷川俊太郎 訳『ザガズー』好学社、2002年

内田麟太郎/伊藤秀男『ひたひたどんどん』

 天気のよい朝、まちの人たちが空を見上げると、なんと海が空に浮かんでいます。クジラやサメやカメ、魚たち、それに船まで浮かべた海が空中を進んでいく……。そのうち、まちの空は海でおおわれてしまい、地上は大騒ぎ。

 絵は緑と青で描かれた海がなかなかの迫力。どうして海が空に浮かんでいるのか、その理由はラストで明らかになるのですが、あらためてみると、とびらや最初のページにも関連することが描かれているようです。

 それはともかく、うちの子どもといっしょに見つけたのですが、家の屋根の上になんだか不思議な生き物(?)がいます。ネコのようだけど、ちょっと違うなー。

▼内田麟太郎 文/伊藤秀男 絵『ひたひたどんどん』解放出版社、1998年、[ブックデザイン:森本良成]

たむらしげる『ひいらぎはかせとフロストマン』

 またまた『ひいらぎはかせとフロストマン』。うちの子どもはかなり気に入っています。「フロストマン」はまちじゅうを凍らせてしまうのですが、見た目はあまり恐くありません。逆にユーモラス。凍り付いたまちの白や青と「ひいらぎはかせ」の研究所や光の黄、色の対比が美しいなと思いました。

▼たむらしげる『ひいらぎはかせと フロストマン』フレーベル館、2001年

酒井駒子『よるくま クリスマスのまえのよる』

 クリスマスイブの夜、「ぼく」と「よるくま」の不思議な交流を描いた絵本。主人公の「ぼく」は、サンタさんが来てくれるかどうか心配しています。なぜなら、「ぼく わるいこだから。きょう ママに いっぱい しかられたから」。ここがなんとも切ない。考えてみれば、クリスマスイブはとても楽しみな時間、もしかすると子どもにとって1年で一番わくわくするような幸福な時間。ところが「ぼく」は心配でたまらないのです。だからこそと言うべきか、「ぼく」はやって来た「よるくま」にサンタクロースのことを教えてあげ、自分が「よるくま」の「サンタさん」になってあげる……。

 前作の『よるくま』を読んだときも思ったのですが、なんとなく愛情に対する不安が一つの共通のモチーフのように感じます。前作では、たしか「おかあさん」をさがす「よるくま」の描写がたいへん鮮烈でした。画面が黒く彩色され「よるくま」は涙を流していたと思うのですが、その画面に至ったとき、うちの子どもがハッとして緊張したことを覚えています。今回は前作のような強い描写はありませんし、一応、ハッピーエンドです。それでも、子どもの不安感が底にあることは伝わってくるような気がします。

 そして、そういう不安感は子どもにとっては日常的なのかもしれません。不安がまったくないことがよいことなのかどうか、私はよく分からないのですが、とはいえ、その不安にきちんと寄り添うことができているかどうか、あまり自信がないです。

 それはともかく、この絵本では「よるくま」と「ぼく」の最初の出会い(?)がもしかすると描かれているのかも。「ぼく」がいまより小さいときに「よるくま」をプレゼントされている様子が回想(?)のようなかたちで描写され、また「ぼく」のベッドにはいつもクマのぬいぐるみが置いてあります。前作でどう描かれていたのかよく覚えていないのですが、あるいはこのクマのぬいぐるみが「よるくま」なのかも。

▼酒井駒子『よるくま クリスマスのまえのよる』白泉社、2000年、[装丁:坂本佳子]

長新太『おなら』

 これは人間や動物たちのおならを取り上げた(一応)科学絵本。まず表紙がすごい。ゾウのおしりを正面(?)から見たもの。で、最初のページがゾウのおなら。インパクトがあります。

 本文では、なぜおならが出るのか、おならが臭い理由、おならが臭いときと臭くないときの違いなど、長さんのシンプルでユーモラスな絵とともにいろいろ興味深い説明がされています。へぇーと思ったのは、健康な人は一回に約100ミリリットル、牛乳瓶で半分弱くらい、おならをするということ。1日だと約500ミリリットル出しているそうです。いや、こんなにたくさん、おならをしているんだと意外でした。というか、あんまり自覚していないからかな?。

 おならをしないでいると身体に悪いという画面で、うちの子どもに「ちゃんとおならしてる?」と聞いてみたら、素直に一言「うん」(^^;)。

▼長新太『おなら』福音館書店、1978年(「かがくのとも傑作集」としての出版は1983年)

あべ弘士『雪の上のなぞのあしあと』

 日本で一番寒いところにある動物園、冬の間は雪が多く閉園しているのですが、もちろん、飼育係の人たちは動物たちの世話で大忙し。そんなある夜に起こった「事件」を描いたのがこの絵本。宿直の「ぼく」が見回りをしていると、これまで見たことも聞いたこともない足跡が動物園のなかをあちこちぐるぐる回っているのです。足跡図鑑を見ても他のどんな本を見ても載っていません。いったい何が夜の動物園を徘徊しているのか。仲間たちを呼んで動物園をまわってみると……。

 いやー、これはおもしろい! 「なぞのあしあと」の意外な正体には、うちの子どもも大受けしていました。それまでの緊迫した展開がページをめくると一気に解放されるかのよう。実におかしいです。

 ところで、うちの子どもは、読みはじめるとすぐに一言、「おおかみのガブのお話を描いた人が描いているんでしょ?」。「おおかみのガブのお話」というのは、ご存じ『あらしのよるに』です。動物の描き方で分かったみたいです。さすがー(親バカ^^;)。

 でも、あべさんの最近の絵本と比べると、だいぶタッチが違うような気がします。色数が多いというか、かなりの描き込みです。途中でマンガのように絵を並べているページもありました。

 思ったのですが、この物語はおそらく実話なんでしょうね。じっさい、あべさんは北海道の旭山動物園で飼育係をされていたそうです。いや、北国の動物園ならではの出来事と思います。たぶん「なぞのあしあと」の主にとっては本当に楽しい夜の散歩だったんじゃないでしょうか。

 この絵本、おすすめです。

▼あべ弘士『雪の上のなぞのあしあと』福音館書店、1989年(「かがくのとも傑作集」としての出版は1997年)

エゴン・マチーセン『あおい目のこねこ』

 今回もうちの子どもは、「青い目のこねこ」が「いぬ」の背中につかまって、山を登り降りするところに受けていました。これ以上省略できないというくらいシンプルな画面と繰り返されるめくりのリズムが、おかしさを生んでいると思います。あと、「きいろい目のねこたち」が木の上でがりがりにやせているところにも「すっごいやせてるねえ」。どうやらうちの子どもはこの絵本(絵童話)をだいぶ気に入ったようです。読み終わると「ああ、おもしろかった!」と心底から言っていました。

 ところで、表紙を見てあらためて思ったのですが、このネコ、青い目といっても眼を閉じていても青いんですね。つまり、眼のまわり全体が青。

▼エゴン・マチーセン/瀬田貞二 訳『あおい目のこねこ』福音館書店、1965年