すくすく子育て(NHK教育):絵本との出会い

 NHK教育で日曜の午後6時から放送されている「すくすく子育て」。番組のウェブサイトもあります。1月4日のテーマは「絵本との出会い」でした。テーマがテーマなので「これはちゃんと見たいな」と思い、ビデオに録画。ようやく見ることができました。

 今回は0歳児から赤ちゃんと絵本を楽しもうという主旨で、なかなかおもしろい内容だったのですが、「そんなこと言っていいのか?」と疑問に思うところもありました。

 とりあえず、役に立つ情報から……

 まず、私もはじめて知ったのですが、ブックスタートという取り組みが全国各地でおこなわれているそうです。これは0歳児健診のときに赤ちゃんと保護者に絵本を配布していく運動で、2003年12月現在で全国の計573の自治体がすでに実施しているとのこと。長野県茅野市では、出生届を提出するときに絵本を1冊プレゼントするといった取り組みもされているそうです。

 このブックスタート、もともとは1992年にイギリスのバーミンガムではじまり、2001年から日本でも本格的に取り組みがはじまったとのことです。ブックスタートをサポートする団体として、NPOブックスタート支援センターも2001年に設立されています。このNPOのウェブサイトに詳しい説明があります。

 それから、番組では、言葉がまだ分からない0歳児でも十分絵本を楽しめることがいろいろと説明されていました。読み聞かせのコツや、0歳児におすすめの絵本も紹介されていて、これは役立ちます。

 「すくすく子育て」のウェブサイトにも今回の内容の要約がありますが、おすすめ絵本については掲載されていないので、参考のため、以下に書誌情報を挙げておきます。

  • 神沢利子 文/柳生弦一郎 絵『たまごのあかちゃん』福音館書店、1993年、定価780円
  • 真砂秀朗『リズム』ミキハウス、1990年、定価(本体 826円+税)
  • 谷川俊太郎 作/元永定正 絵『もこ もこもこ』文研出版、1995年、定価(本体 1,243円+税)
  • 林明子『おつきさま こんばんは』福音館書店、1986年、定価735円
  • 中川ひろたか 文/100%Orange 絵『スプーンさん』ブロンズ新社、2003年、定価(本体 850円+税)
  • 中川ひろたか 文/100%Orange 絵『コップちゃん』ブロンズ新社、2003年、定価(本体 850円+税)

 0歳児のおすすめ絵本については、上記のNPOブックスタート支援センターのウェブサイトでもたくさん紹介されていました。

 で、私がこの番組で疑問に思ったことなのですが、「ママが読むとよい本」と「パパが読むとよい本」があると説明していたところです。どうやら声が高いが低いかで読み聞かせをしている赤ちゃんの反応が違うということで、「ママが読むとよい本=楽しい、メルヘンなど」「パパが読むとよい本=恐い、冒険など」とされています。これは、京都大学大学院助教授の正高信男さんの研究だそうで、ゲストの東京大学大学院助教授の秋田喜代美さんがそのように紹介していました。

 たしかに、赤ちゃんの発汗作用など科学的なデータの裏付けがあるようですが、でもなあ、なんかおかしくないですか? 問題になっているのは、声が高いか低いかであって、それは「ママ/パパ」とは関係ないんじゃないかなあ。女性にも声の低い人はいるし、男性にも声の高い人はいるわけで、それを「ママ/パパ」に簡単に割り振っていいんだろうか。男性だろうが女性だろうが、内容に応じて読み聞かせの声の表現を工夫すればいいだけでは? この図式、ちょっと問題ありと思います。

 もちろん、番組としては、「絵本が苦手なパパもぜひ絵本の読み聞かせをして下さいね」という主旨なんでしょうが、それを単純に「ママ/パパ」の役割分担につなげていいんでしょうか?

 男性だって「楽しい、メルヘンなど」の絵本を読んでいいし、女性だって「恐い、冒険など」の絵本を読んでいい。こんな窮屈で不自由な読み聞かせはしたくないし、自分の子どもにもそんなつまらないことを教えたくないので、私としては断固、上記の図式に反対です。絵本の読み聞かせって、もっと自由で楽しいものだと思うのですが……

槇ひろし/前川欣三『くいしんぼうのあおむしくん』

 「あおむし」で「くいしんぼう」というと、エリック=カールさんの『はらぺこあおむし』という非常に有名な絵本が思い浮かびます。この槇さんと前川さんの絵本は、『はらぺこあおむし』とはまったく性格が違う、でも間違いなく傑作です。

 ただ、この絵本、おそらく好き嫌いが分かれると思います。一般の絵本のイメージを打ち破った「ブラック」で寓話的なストーリー、黙示録的と言っていいような展開。これまでに私が読んだ絵本のなかで、もっとも印象が強烈だった一冊です。

 主人公の「まさおくん」は、帽子を食べている「そらと おなじいろをした へんなむし」を見つけます。

「わかったぞ。おまえは ぼうしを たべる わるい むしだろう」
「ごめんね。 ぼく……くいしんぼうの あおむしなの」

 この「あおむしくん」は、心底くいしんぼうで、なんでも食べてどんどん大きくなっていきます。しかも、いくら食べても、すぐにおなかがすいてしまいます。町じゅうのゴミを食べても満足できず、はては「まさおくん」の住んでいた町のすべて、パパもママも友達も、建物も緑も、文字通りなにもかも食べてしまいます。

「あのねえ、ぼくが みんな たべちゃったの」
「えっ! ぱぱや ままは どこ?」
「あのう……やっぱり ぼくが たべちゃった。
でも まさおくんだけは たべたなかったよ。
だって ぼくたち ともだちだもんね」
「なんだって! ばか ばか ひどいよう!」
[中略]
「ごめんね、ごめんね。
まさおくんが そんなに かなしむなんて
ぼく しらなかったの」

 旅に出た「あおむしくん」と「まさおくん」ですが、「あおむしくん」は、おなかがすくと本当にダメで、通った町のすべてを食べてしまいます。どんどん食べるからずんずん大きくなり、ずんずん大きくなるからどんどん食べ、あっちの国からこっちの国まで残らず食べてしまいます。そして、

もう なんにも ありません

 夕日に照らされた何にもない大地が地平線まで広がります。雲よりも高く巨大になった「あおむしくん」と豆粒のように小さな「まさおくん」だけがこの地上に残されてしまいます。

 そして、衝撃のラスト。驚天動地とはまさにこのことで、あまりのすごさに腰が抜けそうになります。これは、ぜひ、読んでみて下さい。裏表紙の「あおむしくん」にも注目。さらなる展開が待っています。

 ストーリーは「すごい!」の一言ですが、絵は、むしろユーモラス。何でも食べてしまうとはいっても、おそろしいシーンは全くありません。本当に親しみのある絵で、「あおむしくん」もとてもかわいく描かれています。

 そのかわいい「あおむしくん」がなさけない顔をして「ごめんね、ごめんね」と言いながら、すべてを食べ尽くしてしまう……。うーん、やっぱり、こわいかな。

 とはいえ、これほど強い印象を与える絵本もそうありません。ちょっと大げさですが、ある意味、絵本の表現の可能性を広げていると思います。

 この絵本は、最初、福音館書店の月刊絵本誌『こどものとも』に1975年に掲載されたそうですが、25年後の2000年に「こどものとも傑作集」としてはじめて単行本化されました。25年をへてはじめて単行本になるなんて、実はこの絵本、けっこうファンが多いのかなと思います。

▼槇ひろし 作/前川欣三 画『くいしんぼうのあおむしくん』福音館書店、2000年

荒井良二『はっぴいさん』

 当たり前ですが、絵本は、絵と文からできています。だから、文の何をどこまで絵にするかが、けっこう大事なんじゃないかと思います。逆に、文には書いてないことも絵によって伝えることができます。絵がメッセージになって、文の意味内容が変わってきたり、深まったりもすると思います。

 そんなことをあらためて考えたのが、この荒井良二さんの『はっぴいさん』を読んだときでした。

 困ったことや願い事をきいてくれるという「はっぴいさん」は、山の上の大きな石の上にときどき来るそうです。そこで、朝早くから「ぼく」と「わたし」の2人は、「はっぴいさん」に会いにそれぞれ別々に山を登っていきます。2人の願いというのは、「ぼくは、のろのろじゃなくなりたい」「わたしは、あわてなくなりたい」という小さな、でも本人にとっては切実な願いです。

はっぴいさん はっぴいさん
どうぞ ぼく/わたしの ねがいを きいてください
はっぴいさん!

 2人は、山のてっぺんで大きな石の上の端と端に座り、それぞれ「はっぴいさん」がやってくるのを待つのですが、待っても待っても「はっぴいさん」は来ません。そのうち、2人はそれぞれの願い事を打ち明けます。そして、「のろのろなのは何でも丁寧だからだよ」「あわてるのは何でもいっしょうけんめいだからだよ」とお互いに話すのです。

はっぴいさんは きませんでしたが
たいようを みているうちに ふたりは
なんだか はっぴいさんに あえたように おもいました

 この絵本で「すごい」と思ったのは、そのストーリーだけではありません。手文字の文のなかには何も書かれていませんし、荒井さんの絵はとても淡くカラフルなのですが、その背景の絵が強いメッセージを伝えています。

 「ぼく」と「わたし」が山登りに出発するまちは、破壊され荒廃している様子が描かれています。また、山の上で2人は「おおきな たいように むかって たくさん ねがいを 」言うのですが、その山のふもとでは戦車が何台も通り、家々は壊され、電柱は折れ曲がり、人びとが右往左往している様子が、大きな大きな黄色い太陽にてらされた遠い小さな風景として描かれています。そして、表紙と裏表紙の見返しには、荒涼とした景色が乱暴な鉛筆書きで広がっています。

 「ぼく」と「わたし」が「たくさん」願ったことが何だったのか、文章には何も書かれていません。でも、荒井さんの絵をみていると、「ぼくらのねがい」が何よりもはっきりと分かるような気がします。

 そして、それはまた、「はっぴいさん」が来なかった理由や、それでも2人が「はっぴいさん」に会えたように思ったことの意味を、もう一度あらためて考えさせるようにも思います。

 この絵本が刊行されたのが2003年の9月ということも、一つの意味をもっていると思います。

 絵だけではないし、文だけでもない。絵と文がいっしょになって、新しいメッセージを伝える。それが、この絵本の魅力と思います。

▼荒井良二『はっぴいさん』偕成社、2003年

父の友

 以前の「絵本の推奨年齢」で少しふれた「父の友」ですが、図書館で久しぶりに『母の友』を見ていたら、連載記事のなかに「父の友」がありました。紹介によると、「父親が父親に向けて発信するページ」だそうで、3ヶ月ごとに執筆者が交替するそうです。

 もともと『母の友』それ自体、副タイトルに「幼い子を持つおかあさん、おとうさんに。子どもにかかわるすべての人に。」となっていますし、お父さんが読んでもおもしろい記事やためになる記事がけっこう掲載されていますね。

 でもなあ、なんだかんだいっても雑誌のタイトルは『の友』だし、「父の友」のページも3ページくらいしかないしね。やはり、1年に1度くらい増刊で『の友』をぜひ出してほしいところです。けっこう売れると思うのですが・・・。

ハーウィン・オラム/きたむらさとし『ぼくはおこった』

 絵と訳を担当している、きたむらさとしさんは、1980年代からイギリスで絵本を書かれている方だそうです。絵柄のなかにも、イギリス風のまち並みや二階建てバスが出てきます。

 でも、この絵本のテーマは、イギリスならではというものではまったくなく、どこの国・地域の子どもたちにも共通のものと思います。楽しくテレビの西部劇をみていたアーサーくん、「もうおそいからねなさい」とお母さんに注意され、怒り出します。「どうしてそんなことを言うの? い・や・だ!!!」という子どもの気持ち、これがこの絵本のモチーフです。

 アーサーくんの怒りは、とどまるところを知りません。家のなかはめちゃくちゃになり、まちは海に沈みます。「もう じゅうぶん」と誰が言っても、アーサーくんの怒りは収まりません。果ては、地球にヒビが入って割れてしまい、月も星々も何もかも、こっぱみじんに砕かれてしまいます。

 こうやって書いてみると、ひどく暴力的なように思えるかもしれません。でも、子どもの感情には本当にこういうところがあって、それをこの絵本はとてもうまく表現していると思います。大人がなんだかんだ言っても収まらず、自分のまわりを全部こわしてしまうかのような感情の表れ。

 絵は、そんなに暴力的なものではなく、むしろ、ユーモラスなところがあると思います。「何があっても許さない」と怒りに怒ったアーサーくんのへのじ顔と、まわりの大人たちの困った様子が対比されています。ついには星々まで砕いていくところでは、輪郭をブラして描いたり、ぐにゃりと歪めて描いたりして、これも、おもしろい表現。

 そして、「子どもってほんとにそうだよなあ」と思わずうなずくのがラスト。すべてを砕いて、火星のかけらに座ったアーサーくん。着替えてベッドにもぐり込みます。そして、

「ぼく どうしてこんなに おこったんだろう」
でも アーサーには
さっぱり おもいだせなかった

▼ハーウィン・オラム/きたむらさとし『ぼくはおこった』評論社、1996年

絵本の推奨年齢

 「ひねもすのたりのたりかな」のFFへんしゅ~ちょさんにうちのブログを紹介していただきました。ありがとうございます。ココログではあまり絵本の話題とか見かけないのですが、やはり、ココログを利用しているのは若い人が多いのかなと思います。

 ところで、FFへんしゅ~ちょさんも書かれていましたが、絵本についている「推奨年齢」、これは、たしかに「謎」ですね。出版社によって違うようで、とくに推奨年齢がついていないものもけっこうありますが、最大手(?)の福音館書店の絵本にはたいてい裏表紙に書いてあると思います。しかも、福音館は、「読んであげるなら」と「自分で読むなら」の二つにしていて、実に丁寧(?)。「3才~小学校初級向き」といった書き方になっています。

 福音館のウェブサイトをのぞいてみましたが、どうやって年齢設定しているのか、とくに説明はないようです。ただ、福音館では、月刊絵本誌をいっぱい出していて、これが、たぶん推奨年齢設定に関係しているのかなと思います。

 ざっと挙げてみると、『こどものとも 012』(10ヵ月から2才向き)、『こどものとも 年少版』(2才から4才向き)、『こどものとも 年中向き』(4才から5才向き)、『こどものとも』(5才から6才向き)、『おおきなポケット』(小学校1、2年向き)、『たくさんのふしぎ』(小学校3年生から)、となっていて対象年齢が細かく分かれています。中身も、たとえば文字の量とか一つのページのなかでの絵のレイアウトの仕方とか、たしかに、それぞれの雑誌によって微妙に違っています。福音館は、月刊絵本誌に掲載されたものをしばらくしてから「傑作集」として単行本にしたりするので、それで割に細かく年齢設定するのかもしれません。

 とはいっても、どうやって、それぞれの月刊絵本誌に掲載されるものが分類されているのかは、やはり「謎」。絵本作家さんに依頼するときも「今度は3才向きに」とかお願いするのでしょうか。もしかして児童文学や児童心理学の専門家がアドバイザーについていたりするんだろうか・・・うーむ。

 それはそれとして、あらためて考えてみると、ふつうの雑誌(女性誌とか男性誌とか)のように対象年齢が細かく分かれるのは、出版社にとっては一つの営業戦略なのかもしれません。上記の福音館の月刊絵本誌は、幼稚園を通じての定期購読も多いようで、うちの子どもが通っている幼稚園でも配布されています。で、これも、園児が年少さんか年中さんか年高さんかによって、配られる絵本誌が違うんですね。

 いや、もちろん、これは、たとえば福音館を非難しているわけではないです(念のため)。むしろ、いろんな月刊絵本誌が公刊されているのは、非常にいいことと思っています。図書館に行ったときも、うちの子どもは、幼稚園では配られていない福音館の月刊絵本誌を読んだりして楽しんでいますし、書店で買うときもあります。

 余談ですが、図書館で私もたまーに福音館の雑誌『母の友』とかのぞいたりします。『父の友』は刊行されていないのですが、1年に1回とか増刊号で出すとおもしろいと思うのですが・・・。

 話を推奨年齢に戻すと、(当たり前ですけど)子どもにとっては、推奨年齢が何歳だろうが、関係ないですね。中身がおもしろそうだったら、「これ、読んで!」です。私自身も、図書館や本屋で絵本を選ぶとき、そこに記されている推奨年齢を見ることはあまりないです。まだ小さな乳児のときはそうでもないでしょうが、子どもがある程度大きくなると、直感というか、絵の印象や文字の量で決めてます。

山下洋輔/長新太『ドオン!』

 この絵本は、文をジャズ・ピアニストの山下洋輔さんが書いています。山下さんらしくというか、この絵本のおもしろさは、なんといっても、太鼓の響きです。「オニのこ ドン」と「にんげんのこ こうちゃん」が太鼓をたたき合って「けんか」をはじめ、それがだんだんエスカレートしていくというストーリー。このたいこの音が、おもしろい。少し引用してみます。

ドン! ドン!
ドンドコ ドンドン ドン!
ドコンコ ドコンコ ドン!
ドコドコ ドコドコ ドコンコ ドン!
ドカシャバ ドカシャバ ドカドカドカ!
ドンカカ ドンカカ ドカカカドン!
ダダフカ ダダフカ
シャカスク シャカスク

といった感じで、読み聞かせをするときも、リズミカルで楽しめます。巻末の著者紹介によると、山下さんは「佐渡国・鼓童」の方たちとの交流からこの絵本のアイデアが生まれたそうですが、太鼓のいろんなリズムを日本語の響きにうまく表していると思います。

 絵は、割と強いタッチの原色中心で、「けんか」でありながら楽しい雰囲気を出しています。オニの世界は赤い山々にあやしい白雲がうずをまいていて、これもおもしろい。

 そして、ストーリーの秀逸さもこの絵本の魅力の一つです。「オニのこ ドン」も「にんげんのこ こうちゃん」もいたずらばかりしていて、「でていけ!」と家から追い出されてしまいます。でも、2人が太鼓で「けんか」をはじめると、「こうちゃんに なにを するの」「ドンちゃんに なにを するんだ」と両方のお父さんもお母さんも出てきて、太鼓をたたきはじめます。「こうちゃん」の猫と犬、「ドン」の鶏と牛、オニの世界からも人間の世界からもみんなが集まって、みんなで太鼓をたたき合います。太鼓の響きがどんどん重なり合っていきます。

 この太鼓の「けんか」がどんなかたちで終わるか注目です。これは、ぜひぜひ読んでみて下さい。とても、おおらかなハッピーエンドです。人間のけんかも、(ありえないけれども)こんなふうであったらなあと思わずにはいられません。一見したところ乱暴ですが、でも、とてもしゃれた絵本です。

▼山下洋輔/長新太『ドオン!』福音館書店、1995年

あべ弘士『ライオンのよいいちにち』

 絵本には「お父さんもの」と呼べるようなジャンルがあると思います。なんといったらいいのか、「いろいろ大変だけどお父さんは家族を愛している、子どもを愛している」、「お父さん大活躍」、といったようなモチーフの絵本です。

 この手の絵本、現にお父さんである(?)私は、とても苦手です。なんか、はずかしい。そんなに声を大にして「お父さんの家族愛」を描かんとならんのかなあと、その不自然さに引いてしまいます。「父性愛」を押しつけられるようで、かないません。むずがゆい感じ。居心地が悪いのです。

 あべ弘士さんの『ライオンのよいいちにち』、これは違います。この絵本のお父さんはライオンですが、一応「お父さんもの」と言っていいと思います。でも、世にあふれる「お父さんもの」絵本とはちょっと違うのです。

 ストーリーは、とてもシンプル。アフリカのサバンナでライオンのお父さんが5匹の子どもたちと散歩に出かけるというもの。たいした出来事もなく事件も何も起こりません。タイトルのとおり、子どもと散歩に出かけた「よいいちにち」。

 散歩のとちゅうで、うり坊をつれたイボイノシシのお母さんとかヒョウとかゾウの家族が声をかけてきます。いわく、

おこさんつれて うらやましいわ。
うちの おとうちゃん、こどもなんて ほったらかしよ

こども たくさん ひきつれて。
こもりかい?

おや ライオンさん、おさんぽですかね
それにしても あなた かんしんね

 ライオンのお父さんは、「まあな」とか「それほどでも」とか適当な返事をしつつ、こんなふうに思うのです。

(わしは、こどもと さんぽするのが すきなだけだ。
よけいな おせわなのだ。)

(わしは、こうしているのが いいのだ)

(わしは、ふつうに しているだけだ)

 こういう自然体なところ、肩の力を抜いたところが、この絵本のよいところです。「お父さんなのに子育て」とか「お父さんだからがんばる」とか、そんな「りきみ」とは無縁です。

 散歩の終わりは、お気に入りの岩山。ここで、子どもたちといっしょにお昼寝です。いつの間にか夕方になり夜になります。すると、遠くの方でライオンのお母さんがシマウマを追って狩りをしている様子が見えてきます。すると、ライオンのお父さん、いわく

いつも いつも ごくろうさんです。
わしも そろそろ・・・。
おっと よいのが うかびました。

ゆれゆられ しろくろシマウマ 月の下

なかなか

 そうです。このライオンのお父さんの趣味(?)は俳句! 岩山の上で俳句を思いついては「うん、なかなか」と自分で感心するお父さん。

 あべさんの絵は、横長の見開き2ページを丸ごと使った水彩画。近くのものを大きく、遠くのものを小さく描き、とても奥行きがあって、広い広いサバンナが絵本のなかにひろがっています。地平線いっぱいに続く草原、青い空に雲の群れが浮かび、遠くにスコールがみえ、風が吹き抜けていきます。そこを、5匹の子どもを連れたライオンのお父さんがゆっくりと歩いていきます。夕日に赤く染まり月に青々と照らされるサバンナも美しい。

 ともあれ、のーんびり、ゆーったりした自然体の「お父さん」がなにより魅力的。世の「お父さんもの」絵本に「なんか違う」と思っている方、ぜひ一度、読んでみて下さい。

▼あべ弘士『ライオンのよいいちにち』佼成出版社、2001年

つちだのぶこ『でこちゃん』

 片山健さんとならんで、私の好きな絵本作家が、つちだのぶこさんです。この方は、まだ若くて、そんなにたくさん絵本を描いていないのですが、どの絵本も(私にとっては)ほとんど、はずれなし。日本経済新聞の土曜日の別刷り「NIKKEIプラス1」の最終面にイラストも描かれています。でも、イラストより、ぜひぜひ絵本を描いてほしい作家さんです。最近は、かの斎藤孝さんが文章を担当して『声にだすことばえほん おっと合点 承知之助』も出されていますが、つちださんが文も絵も描いた絵本の方がよいです。

 この『でこちゃん』はつちださんが文も絵も描かれた一冊。日曜日にお母さんに髪の毛を切ってもらった「てこちゃん」、前髪を切りすぎて「でこちゃん」になってしまって・・・というお話。気に入らなくて、いろいろ悩むのですが、最後は、お姉ちゃんが「おまじない」をしてくれて、幼稚園でもそれが大流行、といったところです。絵はユーモラスでとてもあたたかみがあります。

 この絵本の魅力の一つはなんとなく「なつかしい」ことです。てこちゃんの家族は、おじいちゃん、おとうさん、おかあさん、おにいちゃん、おねえちゃん、そして猫と、三世代同居しかも3人きょうだいという大家族です。この家族の間のやりとりが、あったかくて、なんとなく「なつかしい」。たとえば、サザエさんとか、そんな感じです。

 それから、てこちゃんがおかあさんとお買い物に出かけるのも、食堂やお肉屋さんやお団子屋さん、魚屋さんがならんだ昔ながらの商店街。アーケードなんてなくて、「なつかしい」感じです。かなりにぎわっていて、こんな商店街は、地方だったら、もうほとんど見られないんじゃないかなと思います。

 それから、もう一つ、おもしろいのは、この絵本のディテールです。よーく細部を見てみると、いろいろ発見があります。

 てこちゃんの子ども部屋の本棚をみると、『マニマニのおやすみやさん』とか『カリカリのぼうしやさん』というつちださん自身の絵本のタイトルが見えます。その横にあるのは『やまのかいしゃ』。この『やまのかいしゃ』というのは、片山健さんの絵本の一冊です。そして、本棚の上に一枚の絵が飾ってあるのですが、その署名が「カタヤマ ケン」。さらに、てこちゃんが通っている幼稚園の棚に上には『きつねのテスト』というタイトルの絵本がさりげなく置いてあります。この絵本も、片山健さんが絵を担当した絵本なのです。たぶん、つちださんは片山健さんのファンなんじゃないかなと思います。

 また、文章の文字はふつうの印刷文字なのですが、それ以外に、手書きのせりふがいっぱい。これが、とてもユーモラスで、いい雰囲気を出してます。

 あと、商店街のお店の上では忍者が手裏剣をとばしていたり、おじいちゃんが「フォ フォ」なんて言いながらあやしい人形を操っていたり、子ども部屋の壁にはってあるお習字が「何だってキツネ君」とか、楽しいディテールがいっぱいです。

 幼稚園のイスには、つちださんの絵本『カリカリのぼうしやさん』の主人公、カリカリさんがぬいぐるみで置いてあったりしますし、おじいちゃんの人形の一つも、つちださんの絵本『やまのやまびこ』のなかにちょこっと出てくるキャラクターの一つです。このあたりは、読み聞かせのときにうちの子どもが発見して、私に教えてくれました。

 そんなわけで、いろいろディテールで何度も楽しめるのがこの絵本です。

▼つちだのぶこ『でこちゃん』PHP研究所、2000年

飯野和好『ねぎぼうずのあさたろう その1』

 うちの子どものお気に入りの一つがこの『ねぎぼうずのあさたろう』シリーズ。現在、その4まで出ているのですが、何かというと「その5はいつ出るの?」と聞いてきます。私もこのシリーズは大好きです。その4が出たときに、まちの書店でも平積みになっていたので、とても人気があるのだと思います。

 この絵本のおもしろいのは、なんといっても浪曲風時代劇というところ。浪曲と絵本の結びつき、こんな絵本は他にないでしょう。

 扉のページには、「二代広沢虎造風浪曲節で」なんて説明書きがあります。この広沢虎造さんって誰だろうと思っていたら、たいへん有名な浪曲師の方でした。センチメンタル浪花節さんのサイトに説明がありました。あと、日本映画データベースで検索してみると、多くの映画にも出演されているようです。アマゾンで検索してみると、CDもいっぱい出されています。でも、「二代」ということは、「一代目」の広沢虎造さんもいらっしゃるのでしょうか。もしご存じの方がおられたら、教えて下さい。

 この絵本の作者の飯野和好さん自身も、落語家の方と組んで「浪曲風読み聞かせ」「講談風読み聞かせ」をされているそうです。なんと作者みずからが読み聞かせをしたビデオも出ています。飯野和好痛快活劇ビデオに案内がありました。

 絵本では、手書きの文字で書かれた文章が楽しいです。冒頭から、

はるがすみ~
むさしのくにのつちのかおり
とあるのどかな
むらのなは
ちちぶごうりは
あさつきむらよ
いちじろまあるく
ピリリとげんき
はたけそだちの
おとこのこ
そのなも
ねぎぼうずの
あさたろう~

といった具合で、言葉の表現がテンポよく、とてもおもしろい。読み聞かせをするときも、ついつい自分流に浪曲の感じ(?)で読んでしまいます。

 そのほか、この「その1 とうげのまちぶせ」の数々のセリフは、わが家でちょっとしたブームになりました。「へへっ どうだぃ あっ かんにんしてください」とか「な、なんでい きもちのわるい さむらいだなあ へへえ、ねぇ」とか「あやしい なぞの ろうにんもの」とか。

 絵は水彩で、主に見開き2ページを丸ごと使ったど迫力のものです。まあるい顔の「ねぎぼうずのあさたろう」、「あさたろうのはは おたま」、きゅうり顔の「なぞのろうにんもの きゅうりのきゅうべえ」といった具合に、野菜をモチーフにした絵も楽しいです。

 そして、やはり魅力的なのは、主人公のあさたろう。悪いことが大嫌いで一本気な男の子です。必殺技はなんと「ねぎじる」。

 このシリーズのおもしろさは、お父さんにとっても大満足と思います。お父さんのちょっと低い声で読み聞かせをするとばっちりでしょう。

▼飯野和好『ねぎぼうずのあさたろう その1』福音館書店、1999年