月別アーカイブ: 2004年11月

瀬川康男『ひな』

 今日は2冊。子犬の「ひな」がカエルや人間の女の子に出会う様子が描かれています。女の子との交流はとてもほほえましい。瀬川さんならではの抽象化された線と複雑な文様、また細かな彩色が実に美しいです。イヌと人間が友だちになるというモチーフは、瀬川さんの他の絵本にもあったように思いますが、においをかいだり、かんだり、なめたり、花を飾ったり、だきしめたりといった体感的な交流はなんとも気持ちよさそう。幸福感に満ちています。
▼瀬川康男『ひな』童心社、2004年、[装丁:辻村益朗+オーノリュウスケ]

松岡達英『だんごむし うみへいく』

 今日は1冊。この絵本は「だんごむし」たちが海の仲間に会いに行く冒険物語。「たんごむし」シリーズはうちの子どもも大好きです。このシリーズでおもしろいなと思うのは、物語は擬人化されているのですが、絵はかなりリアルであること。ダンゴムシが日本語をしゃべったり、船で海に行ったり、たき火をしたりと、たしかにファンタジー。とはいえ、だからといって、ダンゴムシなどの生物の顔や身体が人間のように描かれることはなく、かなり写実的です。ファンタジーなのにリアルというか、リアリティのあるファンタジーというか、独特の雰囲気を生んでいると思います。
 表紙と裏表紙の見返しには、物語に登場するいろいろな生き物のイラストが名前付きで載っていました。海の生き物は名前もかたちもユニークなものが多いですね。私はあまり知識がないので、子どもの質問に答えられなかったのですが、本文の絵と照らし合わせながら楽しみました。
 うちの子どもは、「だんごむし」シリーズのなかでもこの絵本が特に気に入ったようで、買って持っていたいと言っています(今日、読んだのは図書館から借りました)。どうしようかなあ。絵本の本棚はもう満杯ですし、うーむ、困った。
▼松岡達英『だんごむし うみへいく』小学館、2001年

ジョン・バーニンガム『ずどんと いっぱつ』

 「だれがみたって みにくい めすのこいぬ」「シンプ」、まちはずれのごみ捨て場に捨てられてしまいます。ネコに追いかけられたり、野犬狩りに捕まったり、たいへんな目に遭いながら、サーカスのテントにたどりつきます。そこで出会ったのが「ピエロのおじさん」。「シンプ」の考えた曲芸でサーカスの人気者になるという物語。

 ラストはハッピーエンドなのですが、途中まではいったいどうなるんだろうと少しドキドキしました。とくに「シンプ」が捨てられる画面では、見開き2ページの半分以上にわたって暗く陰鬱なごみ捨て場が描かれ、ページの上部では「おじさん」が「シンプ」をまさに捨てています。めくった次のページは、遠くに消えていく「おじさん」のワゴンを「シンプ」が見つめている画面。

どうして わたしだけ ひとりぼっちで おいていかれるの。どうすればいいんだろ。

なんだか本当に切なくなる描写です。だからと言うべきか、後半のサーカスで「シンプ」が活躍する一連の画面は、本当に楽しい。

 絵はかすれたような彩色がとても美しいです。部分的にモノクロでペン描きされているところもあって、それがアクセント。「シンプ」は黒イヌなのですが、みにくいということはなく、とぼけた雰囲気の無表情がよいです。

 うちの子どもは、読む前に表紙に描かれている「シンプ」の絵を見て、「このイヌ、何かに似てるねえ。ほら、この前読んだでしょ」と言って、絵本の箱のなかから『コートニー』を取り出していました。なるほど、たしかに目のあたりが似ています。

 考えてみれば、『コートニー』は、もらい手のいない老犬があっと驚く大活躍をする物語でした。捨てイヌがサーカスの人気者になる『ずどんと いっぱつ』と共通のモチーフを読みとれるように思います。なんとなく、弱者に対するバーニンガムさんのあたたかい視線が感じられます。

 あらためて見ると、とびらの次のページには、黒イヌの写真と「アクトンにささぐ」という献辞が記されていました。この「アクトン」は、もしかしてバーニンガムさんが飼っているイヌかもしれませんね。原書の刊行は1966年。この絵本、おすすめです。

▼ジョン・バーニンガム/渡辺茂男 訳『ずどんと いっぱつ』童話館、1995年

今江祥智/和田誠『あめだまをたべたライオン』

 今日は1冊。アフリカの緑の森に暮らすライオンの「ルル」。ある朝、目の前に落ちてきた黄色いあめ玉を飲み込んでしまいます。するとまるで子猫のような声になってしまった「ルル」はじっと穴暮らし、外に出られなくなってしまうという物語。
 「ルル」という名前がちょっとおもしろい。たてがみがあるからオスだと思うのですが、なんだかカゼ薬みたいな、かわいい名前です。絵を見ても、百獣の王といった迫力はぜんぜんなく、少しとぼけた様子。
 結局、穴のなかでおなかがすいてしまった「ルル」は、なんと「こうさぎ」に助けられて生きながらえます。声が変わってしまったがゆえに、食べる/食べられる関係が逆転し、弱きもの助けられていく、それは、声がもとに戻ったあとも「ルル」の生き方を変えていきます。なかなか楽しいラストです。うちの子どもも読んだあと「おもしろかったね」と言っていました。この絵本、おすすめです。
▼今江祥智 作/和田誠 絵『あめだまをたべたライオン』フレーベル館、1978年

荒井良二『ぼくとチマチマ』

 「ぼく」と「ぼく」が昨日ひろった子猫の「チマチマ」に朝が訪れるという物語。「ぼく」のまちが少しずつ明るくなり、だんだんにぎやかになっていく様子が描写されています。地平線の向こうからは、鳥や牛やバスや汽車といったごくふつうのものだけでなく、大小の太鼓やラッパやアコーディオンやスープも手足や顔付きでやってきます。なんとも不思議な雰囲気。
 建物のかたちからすると、「ぼく」が住むのは中近東の砂漠のまちでしょうか。市場のお店が開いて、いろんな人たちがまちなかにだんだんと出てきます。小さく描き込まれた人びとの営みもおもしろい。
 そして、最後に現れるのが太陽。複数ページにわたって少しずつ地平線上に上がってくるのですが、とぼけた表情でどうやら砂漠を歩いています。この太陽が実に大きくて明るくあたたかで、「ぼく」と「チマチマ」のこれからはじまる1日を祝福しているかのようなラストです。
▼荒井良二『ぼくとチマチマ』学研、2004年

香山美子/長新太『たからげた』

 「日本の民話えほん」シリーズの1冊。年を取った「おかあ」と「むすこ」の貧しい二人暮らし。「おかあ」がかぜをひいて寝込んでしまい、「むすこ」は欲張りでけちん坊の「ごんぞうおじ」にお金を借りに行きますが、当然、貸してくれません。途方に暮れる「むすこ」の前に「しろい きものを きた じいさま」が現れ、転んだ数だけ小判が出るという下駄をくれます。うわさを聞きつけた「ごんぞうおじ」は無理矢理その下駄を借りていき、自分でも転んで小判をざくざく出すのですが……という物語。
 表紙にもなっている「ごんぞうおじ」がなかなか強烈。いかにも強欲そうな顔と態度です。実は小判を出すたびにどんどん背が縮んでいくのですが、そのことを分かっていない「ごんぞうおじ」は、なんと最後にムシ(!)になってしまいます。このムシがまた、実に小さく描かれているのですが、律儀に「ごんぞうおじ」の顔(だいぶかわいくなっています^^;)が付いています。ムシになっても下駄にしがみついているのは、いかにも「ごんぞうおじ」。結局、風に飛ばされてしまいます。後日談として村にはそののち小さな「ごんぞうむし」がたくさんわいて出てくるとのことで、その絵も描かれているのですが、村の子どもたちに遊ばれています。「ごんぞうおじ」、ちょっとかわいそうかも。
 それはともかく、うちの子どもが気になっていたのは、「ごんぞうおじ」が出した小判の山のゆくえ。「むすこ」がもらったんじゃないかと言っていましたが、どうだろうねえ。
▼香山美子 文/長新太 画『たからげた』教育画劇、1998年

バーバラ・ヘイズン/トミー・ウンゲラー『魔術師の弟子』

 今日は3冊。以前読んだ『ラシーヌおじさんとふしぎな動物』もなかなか強烈でしたが、ウンゲラーさんのこちらの絵本もかなりのインパクト。留守番を頼まれた魔術師の弟子の「フンボルト」、雑用の楽をしようと魔術の本を見て呪文を唱えるのですが、それが大失敗。ライン川を見下ろす魔術師の城が水浸しになってしまいます。
 物語はそんなに恐くありませんが、絵がすごい。ページのあちらこちらに不穏なものや気味の悪いものがたくさん描き込まれ、よーく見ると薄暗がりには怪物の目や口が開いています。魔術師の城なので、こわーい実験室なんかもあります。まさにスプラッター絵本。
 とはいえ、なんとなくユーモラスなところがあり、恐いモノ見たさというか、恐いんだけれどもついつい見たくなる、そんな魅力に満ちています。うちの子どもも「恐いねー」とか言いながら、一人でページをめくって楽しんで(?)いました。
 原書の刊行は1969年。この絵本、おすすめです。
▼バーバラ・ヘイズン 文/トミー・ウンゲラー 絵/たむら りゅういち あそう くみ 訳『魔術師の弟子』評論社、1977年

佐々木マキ『ムッシュ・ムニエルとおつきさま』

 今日は1冊。今回の「ムニエル」の魔法の呪文は以前にもましてとぼけています。これで本当に魔法がきくのかなと思ってしまいます(^^;)。とぼけていると言えば、今回登場する双子の「ニッチモ博士」と「サッチモ博士」、ほとんど同じに描かれているので区別がつきません。よく見ると、どうやらネクタイの縞模様が逆方向に入っているのが違いのようです。
▼佐々木マキ『ムッシュ・ムニエルとおつきさま』絵本館、2001年

ボニー・ガイサート/アーサー・ガイサート『マウンテンタウン』

 今日は1冊。今回はハイイログマの着ぐるみ(?)を探したり、修理された煙突を見つけたりして楽しみました。「あとがき」に書かれていた「モービルホーム区画(移動式の家の区画)」、まだ分かりません。たぶん、あそこだと思うんだけどなあ。
 ところで、この絵本では、クローズアップのときも誰か特定の人に焦点が当てられるのではなく、まちとそこで生活する人びとの営みが少し距離を置いて描かれています。そこには、農業や鉱業や商業などの日々の労働と生活のさまざまな楽しみが、一つ一つはとてもささいだけれども、しかし、かけがえのない大切なものとして描写されている、そんな印象を持ちました。
▼ボニー・ガイサート 文/アーサー・ガイサート 絵/久美沙織 訳『マウンテンタウン』BL出版、2002年

アナリーセ・ルッサルト/ヨゼフ・ウィルコン『月がくれたきんか』

 今日は1冊。貧しくとも誠実なる者(「ミロ」)には未来が開け、富んでいても強欲なる者(「ルド」)には未来は閉じられるという物語。昔話にしばしば登場するモチーフと言えるかもしれません。大きな鏡に映し出された月が「ミロ」には金貨を、「ルド」には闇を与えます。これも昔話によくあると思うのですが、眠り込んだ「ミロ」には奇蹟が起こり、ずっと起きていた「ルド」には何もありません。一度、自分を自分ではなくすること、それは他者に誠実であるときにもそうなるような気がしますが、このことによってはじめて、あり得ないすばらしいことが起きるのかなと思いました。
 それはともかく、この絵本の絵はとても美しい。一番すごいなと思ったのは、銀の牧場に行った「ミロ」が鏡を草の上に置いて眠っている画面。空の上からは白い満月がこうこうと光を放ち、鏡にはその月が映し出されています。月明かりにぼうっと照らし出された草原と林のあちこちから動物たちが顔をのぞかせています。鏡のかたわらで眠り込む「ミロ」。静謐で神々しい画面です。この見開き2ページだけ文章はついていません。逆に「ルド」が不誠実であることを示す画面は、グレーや黒を基調にして不穏な雰囲気をかもし出しています。
 「ミロ」と「ルド」の服装の対比もおもしろいと思いました。「ミロ」はぱりっとしてりっぱ、逆に「ルド」はもっさりとしてくすんだ服装なのです。「ミロ」の方がよっぽど金持ちに見えて、最初どちらが「ミロ」でどちらが「ルド」なのか、分からなくなったほどです。これも物語と密接に関係しているように思いました。
 原書の刊行は1988年。この絵本、おすすめです。
▼アナリーセ・ルッサルト 文/ヨゼフ・ウィルコン 絵/いずみちほこ 訳『月がくれたきんか』セーラー出版、1988年