「絵本」カテゴリーアーカイブ

ミコスラフ・サセック『ジス・イズ・ケープケネディ』

 ご存じNASAのケネディ宇宙センターのあるケープケネディ(ケープカナベラル)を描いたノンフィクション絵本。前半はケープケネディに隣接するココアビーチが描写され、後半は宇宙基地と、そしてロケットの発射です。

 ココアビーチはいわば「ロケット発射台の観光地」。あらゆるお店がロケットや宇宙に関係づけられていて、なかなか面白いです。

 ふつう、海外絵本の邦訳では、お店の看板などの表記は日本語に差し替えられる場合が多いと思いますが、この絵本では、原書の英語表記のままになっています。軽やかでカラフルな色合いとも相まって、それが、たいへん効果的であるように思いました。英語の手書きのレタリングを日本語に直していたら、雰囲気は台無しです。そもそも看板というのは、街の表情を伝える上で、とても重要なポイントじゃないかと思います。

 それはともかく、うちの子どもにとって魅力的だったのは、やはり後半の宇宙基地とロケットの描写。マーキュリー計画のアトラスロケットの打ち上げが臨場感たっぷりに描かれていきます。うちの子どもは、とくに様々なかたちのアンテナが面白かったようで、また1961年にチンパンジーがロケットに乗って弾道飛行に成功したことに驚いていました。

 実は私も、読んでいて、ずいぶん昔の話だなあと思ったのですが、あとになって気がつくと、原書“This is Cape Kennedy”の刊行は1963年なんですね。だから、マーキュリー計画成功の熱気がさめやらぬ時代に刊行されたわけです。まさに有人宇宙飛行の黎明期。現在とのタイムラグについては、巻末に少し注記がありました。日本との関係もふれられていて、この間のロケット開発のスピードを実感できます。

 別の見方をすれば、ロケットや宇宙旅行について、明るい希望を持っていた時代と言えるかもしれません。それは、ラストの数ページにも表れている気がします。というか、宇宙へのそうしたあこがれは、今でも変わりないのかもしれませんね。

 ただ、その一方で、ロケット開発が当時の冷戦を背景にしていたことも確かです。そのこともまた、この絵本からは、かなりはっきりと読み取れます。フロリダの青い空、美しいビーチ、宇宙への憧憬、最先端の科学技術、そして軍事開発。それが一つに集まっているのがケープケネディという場所。

 とはいえ、絵は明るく軽快。古さをまったく感じさせません。途中まで刊行年を勘違いしていたほどです。

 この絵本は、世界の様々な都市を取り上げた“This is ……”シリーズの一冊。他には、ニューヨーク、パリ、ロンドン、サンフランシスコ、ミュンヘン、等があるようです。また読んでみたいと思います。

▼ミコスラフ・サセック 著/松浦弥太郎 訳『ジス・イズ・ケープケネディ』ブルース・インターアクションズ、2006年、[装幀:加藤雄一、日本語版編集:荒木重光、印刷・製本:大日本印刷]

長新太『にゅーっ する する する』

 これはすごい! 地面のようなものから一本の「手」が「にゅーっ」と突き出て、いろんなものを「する する する」と引きずり込んでいくという物語(?)。文章のほとんどは「にゅーっ」と「する する する」の繰り返しになっています。

 とにかく絵のインパクトが強烈。「手」に捕まったいろんなものが地面(?)にアタマからずぶずぶとはまりこんでいきます。足の先だけが地面(?)から突き出ていたりします。靴が脱げて転がっていたりします。

 いや、これは見ようによっては、明らかににホラーですね。突き出てくる「手」にしても、ぐにゃぐにゃしていて、この世のものとは思えません。地面のように見えるものも、地平線いっぱいにまで広がり、赤オレンジ色をしています。空はピンクと黄色です。ある種、彼岸の景色かもしれません。

 うちの子どもも、ちょっと怖かったようです。読み終わったあとで「読まなければよかったかなー。夢に出てくるかも」なんて言っていました。

 いや、もちろん、長さんの絵本ですから、どことなくユーモラスです。最後のページも、おかしみがあります。面白いような怖いような、なんともいえない魅力のある絵本です。

 ところで、「手」が出てくる地面なんですが、「地面」とは簡単に言えない気がしてきました。もっと柔らかで、なま暖かいもの。泥とか。もしかすると、絵の具かもしれないな。固形ではないです。

 考えてみると、こういう柔らかなものにはまりこむというモチーフは、長さんの他の絵本でも読み取れる気がします。あくまで、なんとなくなんですが……。

▼長新太『にゅーっ する する する』福音館書店、1989年(「年少版こどものとも」としての発行は1983年)、[印刷:大日本印刷、製本:多田製本]

H.A.レイ/エミイ・ペイン『ポケットのないカンガルー』

 お母さんカンガルーの「ケイティ」は、おなかのポケットがありません。だから、小さな坊やの「フレディ」をどこにも連れて行くことができないのです。ポケットのことを考えるたびに、「ケイティ」は悲しくなり、大きな涙が落ちてきます。この絵本は、そんな「ケイティ」が最後の最後に「ポケット」を手に入れる物語。

 前半は悲しい展開です。他の動物の真似をしてなんとかポケットなしで子どもを運ぼうとするのですが、うまくいきません。そのたびにがっかりして泣いてしまうわけです。

 そんな「ケイティ」ですが、常に前向き。なんとかしようと頑張ります。そして、ついに、「フクロウ」からヒントをもらい、最高の「ポケット」を見つけるわけです。

 このメリハリのある物語は、明るい色彩で勢いのある絵と、とてもよく呼応していると思います。それが一番よく表れているのは、「ケイティ」が素晴らしいポケットに「フレディ」を入れて、汽車よりも速くフルスピードでジャンプしている画面。見開き2ページをいっぱいに使った躍動感あふれる描写です。

 ところで、この絵本、読みようによっては、子育てをめぐる困難とその解決を描いているようにも思えました。つまり、子育ては、他の人の真似をしてもうまくいかず、自分で工夫しないといけないということ。まさに唯一無二の出来事が起こるわけです。また、場合によっては、市場が助けになることもあること。それでも、周りの自発的なサポートが必要であること。

 そして、「ケイティ」がそうであったように、助けられた者は今度は、みずから助ける者になること。

 いや、それほど大したことではないかもしれませんが、いろいろ読み取れる気がします。

 巻頭には、レイさんから日本の読者へのメッセージが掲載されていました。また、カバーには、訳者の西内さんの案内が載っています。1970年に邦訳が刊行され、その後、1994年に原作と同じ判型で復刊されたそうです。

 原書”KATY No-Pocket”の刊行は1944年。1972年にリニューアルされているようです。

▼画家 H.A.レイ/作者 エミイ・ペイン/訳者 西内ミナミ『ポケットのないカンガルー』[改訂版]偕成社、1994年、[印刷:大日本印刷(株)、製本:造本工業(株)]

バーナード・ウェーバー『アリクイのアーサー』

 主人公はアリクイの男の子「アーサー」。この絵本では、「アーサー」のお母さんの「わたし」が語り手となり、5つの物語が語られています。どれも、ほほえましい親子のやりとりが描かれており、読んでいるとニコニコしてきます。

 一番最初のページでは、お母さんが「ふだん」の「アーサー」を紹介するのですが、これがまた実に愛情にあふれています。なにせ「もんくなしに すばらしい むすこ」なのです。この辺り、私も非常によく分かります。いやまあ、要するに親ばかなんですね。

 で、そんな素晴らしい「アーサー」も時々、「こまった子」になってしまう。その5つのエピソードが語られるのですが、「こまった」とはいっても、もちろん、かわいく愛らしいものです。うちで一番受けたのは、「アーサー」の食べ物の好き嫌いのこと。なにせ「アリクイ」ですから、人間の好き嫌いとは訳が違います。つい笑ってしまいます。

 絵は、「アーサー」とお母さんの表情がよいです。二人ともあまり表情が変わらないのですが、会話のやりとりに応じて、微妙なニュアンスが描かれ、なかなかおもしろい。目元のちょっとした違いです。

 唯一不満(?)なのは、この絵本では、お父さんがまったく登場しないことかな(^^;)。

 原書”An Anteater Named Arthur”の刊行は1967年。

▼バーナード・ウィーバー/みはらいずみ 訳『アリクイのアーサー』のら書店、2001年、[印刷:精興社]

アーノルド・ローベル『ふくろうくん』

 一人暮らし(?)の「ふくろう」の5つのお話。どれも、どことなく孤独と寂しさが奥底にあるように感じるのですが、と同時に、軽やかなユーモアに包まれています。くすくすと笑いたくなってくる感覚です。

 それが一番表れているのは、なんといっても「なみだの おちゃ」。ずっと悲しいことばかりが列挙されていくのですが、最後の2ページでそれが一気に反転します。いや、というか、そもそも最初のページからして違いますね。「ふくろう」曰く「さあて、ぼく はじめるよ」。なんの屈託もなく、快活そのものです。

 そして、ラスト1ページの開放感。悲しいことはたくさんあるし、とことん悲しいのだけれど、でも、それに囚われることはないんだな。そういう気分になります。

 うちの子どもは、やはり「なみだの おちゃ」の味が気になるようでした。話が終わる前に、ちゃんと予想していました。うちの子ども、涙の味をどんなふうに感じてきたのかな。それが、「なみだの おちゃ」のように「とても いいもん」になっているといいなと思います。

 あと、「おつきさま」のお話も、なんだか子どもの頃のことを思い出しました。夜の帰り道、いつまでも付いてくる月に、たしかに友情のようなものを感じていたと思います。

 絵は、「ふくろう」の大きく見開かれた目が印象的。一人ぽつんとたたずんでいる、そんな雰囲気があります。

 原書”Owl at Home”の刊行は1975年。

▼アーノルド・ローベル/三木卓 訳『ふくろうくん』文化出版局、1976年、[印刷:文化カラー印刷、製本:大口製本]

ルドウィッヒ・ベーメルマンス『マドレーヌのクリスマス』

 「マドレーヌ」シリーズのクリスマス絵本。クリスマス・イヴの夜、「パリの、つたのからまる ふるいやしき」では、みんな風邪をひいて寝込んでしまいました。「ミス・クラベル」まで倒れてしまいます。ただ一人、「マドレーヌ」だけは元気いっぱい。みんなの介抱や家事にかいがいしく働いています。

 考えてみれば、この舞台設定、いわば最低のクリスマス・イヴです。本当ならみんなで静かに過ごす聖なる時間、心温まる時間のはずなのに、そんな余裕はまったくありません。みんなのために、はちまきまでして一所懸命はたらく「マドレーヌ」。

 しかし、そんな「マドレーヌ」たちにも、クリスマスはやってきます。しかも、とびきりのプレゼントとともに。いったい、どんなプレゼントだったのか、ぜひ読んでみて下さい。クリスマスの静かな喜びがじんわりと伝わってきて、思わずニコニコしてくる、そんなプレゼントです。

 そのことを一番はっきりと伝えているのは、白みの多い画面がほとんどのなかで、唯一、見開き2ページ全面にわたって彩色されているページ。夜のパリを背景にした美しく軽やかな色彩、そして「マドレーヌ」たちの様子からは、なんだかクリスマスの奇跡を感じます。

 そして、めくった次のページもなんともいえず魅力的。あるいは、子どもよりは、お父さんやお母さんの方が、ぐっとくるかもしれません。こんなふうに暖かなクリスマスを過ごしたいなあと思ってしまいます。

 表紙の美しさも必見ですね。雪が舞い散るなか、パリのエッフェル塔がクリスマスツリーになり、「マドレーヌ」を除いて、みんな後ろ向きに描かれています。聖なる夜です。

 ところで、一つ注目されるのは、他の「マドレーヌ」シリーズとは違って、この絵本では、二色刷りのページがないところ。これまでに読んだ「マドレーヌ」シリーズの絵本は、どれも、ページによって使う色を変え、二色だけのページとカラフルなページとが混じっていました。それはそれで、とてもおもしろい効果があったと思います。でも、この絵本では、二色刷りのページはありません。どうしてかな。あるいはクリスマスを題材にしているからかもしれません。

 あと、「マドレーヌ」のアップがあるのも珍しいかも。「じゅうたんしょうにん」のユーモラスな描写もよいです。

 原書”MADELINE’S Christmas”の刊行は1956年。

▼ルドウィッヒ・ベーメルマンス/江國香織 訳『マドレーヌのクリスマス』BL出版、2000年、[印刷・製本:図書印刷株式会社]

デイヴィッド・ウィーズナー『大あらし』

 主人公はデイヴィッドとジョージの兄弟。二人の住む地域をハリケーンが通過し、その後、倒れた楡の木で遊ぶ様子が描かれていきます。

 読んでいて、なんとなく子どものときのことを思い出しました。嵐がやってくるのは、いわば非日常、だから、どことなくワクワクするところがあったように 思います。窓の外を葉っぱが吹雪きのように飛んでいき、風がうなり、家がギシギシ音を立てる……。ちょっと恐いような、しかし、なんだか気持ちが高ぶるよ うな感覚です。停電になったりすると、部屋の景色そのものも見慣れぬものに一変し、なおさらドキドキしてきます。

 この絵本でも、デイヴィッドとジョージの会話や、停電して非常用ランプに照らされた寝室の様子に、そんな嵐の非日常が表れているような気がしました。

 また、家の外の大嵐に比して、暖炉の前に集まった家族4人の姿は、なんともいえず暖かく安心感に満ちていて印象的。ただ、(少々ひねくれた見方かもしれ ませんが)ちょっと類型的すぎるかなあ。落ち着いていて頼りになるお父さんに、やさしいお母さんといった風情。いかにもアメリカ的な(?)家族像です。

 それはともかく、この絵本の一番の醍醐味は、嵐が去ったあとの描写。根こそぎ倒れた楡の大木は、デイヴィッドとジョージの最高の遊び場。巨大な楡の木 は、二人にとってただの倒木ではなく、次から次へと姿を変えていく魔法の空間、波瀾万丈の冒険の舞台です。夢中になって遊ぶ二人の様子は、横長の見開き2 ページいっぱいに描き出され、実に魅力的。うちの子どもも、かなり惹かれていました。

 とくに、二人が大きな枝の隙間に座っている画面からは、二人の表情といい、木漏れ日の陰影といい、この楡の大木が「とくべつな場所」であることがよく伝 わってきます。いわば秘密基地ですね。こういう自分たちだけの夢と冒険が詰まった空間は、誰にとっても(子どものみならず、たぶん大人にとっても)、あこがれなんじゃないかと思います。

 ところで、物語の結末について、うちの子ども曰く「自分で作ればいいのにねえ」。つまり、「とくべつな場所」は、大嵐が来なくたって自分で作ればいい じゃないかとのこと。うーむ、うちの子ども、なかなか大したものかも(親ばか^^;)。

 原書"Hurricane"の刊行は1990年。もしかすると、この絵本に登場する「デイヴィッド」は、作者のウィーズナーさん自身かもしれませんね。 ファーストネームが同じです。ウィーズナーさん自身の子ども時代の出来事を描いたのかも。

▼デイヴィッド・ウィーズナー/江國香織 訳『大あらし』ブックローン出版、1995年、[印刷・製本:大村印刷株式会社]

アンソニー・ブラウン『くまくん まちへいく』

 まちにお出かけした「くまくん」、「ねこ」と仲良くなります。ところが、その「ねこ」は、動物を倉庫に閉じこめる怪しげな男たちに捕まってしまいます。そこで、「くまくん」が「ねこ」と動物たちを助け出すというストーリー。

 アンソニー・ブラウンさんの絵本といえば、細部の仕掛けが魅力ですが、この絵本では、だいぶブラックな雰囲気になっています。表紙からして既にブラック。本文でもたとえば「くまくん」と「ねこ」がウィンドーをのぞく肉屋。よーく見ると、とびらの下から真っ赤な血(?)がしみ出ています。ウィンドーのなかも、どことなく不気味です。

 そして、一番恐ろしいのが、動物たちをさらって倉庫に閉じこめる男たち。黒の帽子に黒のコートとズボン、黒靴に黒の手袋と、みんな全身黒ずくめです。しかも、コートの袖と帽子、また動物たちを運ぶ黒塗りの自動車には、髑髏のマーク入り。うーむ、姿格好からは、なんとなく第二次世界大戦中のナチスを連想させます。顔の表情がずっと見えず陰鬱な雰囲気で、「ねこ」をぐいっとわしづかみにするところや、「まぁーて!!!」と叫ぶところなどは、かなりの怖さ。絵本の表現としては、だいぶ強いと言えるかもしれません。

 もちろん、この絵本は、そんなブラックなところばかりではありません。なにより楽しいのが、主人公の「くまくん」。登場する他の動物たちが割とリアリスティックに描かれているのに対して、「くまくん」はぬいぐるみ。真っ白い体で、赤地に白の水玉のリボンを蝶ネクタイにして付けています。丸いお目々もチャーミング。

 しかも、この「くまくん」、魔法の鉛筆を持っているんですね。この鉛筆は、描いたものがそのまま本物になるという優れもの。「くまくん」は魔法の鉛筆を使って、「ねこ」や動物たちを救出し、大活躍するわけです。黒服の男たちをきりきりまいさせるところは、開放感に満ちていて、楽しい描写。

 鉛筆で描いたものが実体化するのは、なんとも軽やかで視覚的にもおもしろいです。こういう「描く」という営みそれ自体に焦点を当てるのは、アンソニー・ブラウンさんの他の絵本にも共通に読み取れるモチーフかなと思います。

 あと、動物たちのなかでは、羊が興味深い。よくは分からないのですが、何か寓意が込められているのかもしれません。

 うちの子どもは、黒服の男の口のなかに注目していました。一見して恐ろしい絵柄ですが、よーく見ると、アンソニー・ブラウンさん独特のユーモアが感じ取れます。

 原書”Bear goes to Town”の刊行は1982年。

▼アンソニー・ブラウン/あきのしょういちろう 訳『くまくん まちへいく』童話館、1994年、[印刷・製本:大村印刷株式会社]

桑原隆一/栗林慧『アリからみると』

 これは、すごい! アリの目線から撮影した写真絵本。トノサマバッタ、イナゴ、ウスバキトンボ、ショウリョウバッタ、オオカマキリ、ノコギリクワガタにカブトムシと、いろんな虫たちの驚きの写真が次から次へと登場します。まさにセンス・オブ・ワンダー。

 文字通りアリの視線から見ているので、どの虫たちも画面に収まりきらないほど巨大で、ものすごい迫力です。私もうちの子どもも思わず「おーっ!」と感嘆の声を上げたほどです。

 ページをめくっていると、まるで自分がアリになったような感覚。なんだか怪獣映画のような趣もあります。アリがトノサマバッタやオオカマキリを見上げる構図は、人間がゴジラを見上げる構図と同じなんですね。青い空や遠くの木々などが背景に写っており、画面に奥行きがあることも、そんな感覚を起こさせます。

 また、虫たちの格好良さは特筆もの。キリリと伸びた足、鋭角的に曲げられた環節、木々や地面をがっちりつかむツメ、まるで鎧のように整えられた硬い外皮、繊細な模様を浮きだたせた羽……なんともいえない機能美に満ちています。クワガタやカブトムシの角なんて、(もともと魅力的ではありますが)普段見ているのとは別物の立派さ。昆虫という生き物の凄みを感じ取れます。

 ところで、考えてみると、これらの写真は、アリの目に本当に映っているものとはだいぶ違うんでしょうね。昆虫の眼は複眼ですし、視野も広いでしょうから、写真とは異なる景色が見えていると思います。その意味では、アリの「目」というよりは、アリの「視点」から見る、と理解するのがよいかもしれません。もちろん、だからといって、この写真絵本の素晴らしさは変わりありません。

 それはともかく、この写真、どうやって撮影したんだろう? たぶん特殊なレンズや機具を用いるのでしょうが、虫たちは逃げたりしないのかな。なんだか舞台裏を知りたくなってきます。検索してみたら、カメラマンの栗林慧さんは、同様の写真絵本を何冊も公刊されており、解説書も執筆されていました。今度また図書館で探してみようと思います。

▼桑原隆一 文/栗林慧 写真『アリからみると』福音館書店、2001年(「かがくのとも傑作集」としての刊行は2004年)、[印刷:日本写真印刷、製本:多田製本]

シャーロット・ゾロトウ/メアリ・チャルマーズ『にいさんといもうと』

 兄さんと小さな妹の絆を描いた絵本。「にいさん」はいつも「いもうと」をからかって泣かせてばかりいます。でも、本当は「いもうと」をとても大事に思っているんですね。だから、泣かせるとはいっても、それはあくまでカッコだけ。ちゃんとフォローしていて、「いもうと」もすぐにニッコリ。

 この絵本では、そんな日々のエピソードが幾つも描かれていくのですが、二人のやりとりが実にほほえましい。一つ一つのしぐさが繊細に描き出されていて、二人がとても仲良しであることがよく伝わってきます。読んでいて、なんだか、あたたかな気持ちになります。

 とくに印象的なのは色の配置。黒以外には、明るい青と黄の二色しか使われていないのですが、それは「にいさん」(青)と「いもうと」(黄)の服の色なんですね。そして、最後に二人が一緒に描く「おひさまのえ」はまさに青と黄で彩色されています。青い空の中ほどに黄色の「おひさま」が浮かんでいる絵。

 この絵は、まさに二人の絆の深さを表現しているように思えてきます。からかってばかりいるけれども、「いもうと」をあたたかく見守っている「にいさん」。それは、裏表紙に描かれた二人の姿にも表れています。

 原書”Big Brother”の刊行は1960年。なんとも可愛い絵本です。

▼シャーロット・ゾロトウ 文/メアリ・チャルマーズ 絵/矢川澄子 訳『にいさんといもうと』岩波書店、1978年、[印刷:精興社、製本:牧製本]