「絵本」カテゴリーアーカイブ

スズキコージ『おがわのおとを きいていました』

 主人公の女の子、「かなめんちゃん」が裏庭の小川を飛び越えるというお話。この小川、以前飛び越えようとして落っこちてしまったのです。キリギリスや殿様ガエル、フナたちが応援したり、からかったりします。

 小川を飛び越えるのは、大人にとっては、なんてこともないでしょうが、子どもにとっては大変な覚悟がいります。小川を前にした「かなめんちゃん」の様子からは、その緊張が伝わってきます。大きく息を吸って、気持ちを高めて、ついにジャンプ! このあとのページが一種のフェイントになっていて、おもしろい。そして、喜びと安堵を表しているタイトルも、印象的です。

 絵は、スズキコージさんらしい荒々しい筆致。全体にわたって明るい緑が彩色されています。草木はもちろん、小川も緑。

 冒頭の文に記されているのですが、物語の舞台は「はるか はるか きたの くに」。明るい緑は、北国の短い夏、しかし燃え立つような夏を表しているのかもしれません。

▼スズキコージ『おがわのおとを きいていました』学習研究社、2005年(初出:月刊保育絵本<おはなしプーカ>2003年8月号『おがわのおとを きいていました』)、[編集人:遠田潔、企画編集:木村真・宮崎励・井出香代、編集:トムズボックス、印刷所:図書印刷株式会社]

あべ弘士『えほんねぶた』

 あべ弘士さんによる「絵本ねぶた」制作の様子を撮影した写真絵本。「絵本ねぶた」は、弘前市の金剛山最勝院というお寺で絵が描かれ、青森で組み立てられ、青森ねぶた祭の「市民ねぶた」の前ねぶたとして運行されたそうです。あべさんが作られたのは、一般に青森ねぶたとして知られる立体の組ねぶたではなく、弘前ねぷたと同じ平面の扇ねぶた。

 この絵本では、制作のプロセスが一つ一つ写真で紹介されているのですが、和紙や墨汁、絵の具、筆といった画材や「ねぶた絵」作りの技法、組み立て方などが詳しく説明されており、興味深いです。なかでもロウソクのロウを使って描くのが、おもしろい。明るく透明感が出るとともに、絵の輪郭として独特の効果があるんですね。

 和紙は横3.6メートル、縦2.4メートルの巨大なもの。表側の絵(鏡絵)と裏側の絵(見送り絵)の2枚で、たくさんの動物が描かれていきます。カラフルで楽しい雰囲気です。そして、中央に大きく描かれるのは、あべさんが絵を担当した絵本、『トラのナガシッポ』のトラと、ご存じ『わにのスワニー』のワニがモチーフ。

 和紙の上に直接ひざをついて絵筆で少しずつ彩色していくあべさんの姿からは、緊張感がありながらも楽しそうな現場の雰囲気が伝わってきます。とくに、お寺の本堂におかれた和紙に最初の筆を下ろした写真が、とても美しい。大きな真っ白い和紙が広げられ、その一部にたっぷりの墨でアザラシの輪郭を描くあべさん。これからワクワクするような楽しいことが始まる……そんな期待に満ちた画面です。

 もちろん、完成した「絵本ねぶた」がまちを練り歩く写真もあります。たくさんの写真がコラージュされているのですが、ねぶたそのものではなく、祭りに参加している人たち、「はねと」が中心。激しくはじける(?)あべさんも写っています。子どもたちの写真もいっぱい。威勢のいいお囃子やかけ声が聞こえてくるようで、祭りのエネルギーと活気に満ちています。

 もう一つ印象的なのは、冒頭と巻末の絵のページ。ここの4ページないし3ページのみ、あべさんが絵を描いており、真ん中すべてが写真なんですね。最初のページでは、あべさんのルーツと「ねぶた」との関わりが語られ、最後の3ページには祭りの終わりが描かれています。ゆく夏を惜しむような切なさのある絵、そして、めくったラストページは、もう秋。東北の激しく短い夏が去っていったことを実感できます。この絵本は、「ねぶた」とともにあった一夏のドキュメントなんですね。

 ところで、今回の「ねぶた」制作については、2004年6月9日付けの東奥日報に関連記事が載っています。Web東奥・ニュース20040609_13:あべ弘士さんが絵本ねぶた制作です。記事によると、あべさんは2年連続で「絵本ねぶた」を制作されたそうです。

▼あべ弘士『えほんねぶた』講談社、2005年、[ブックデザイン:沢田としき、撮影:恩田亮一・柏原力・編集部、印刷所:株式会社精興社、製本所:大村製本株式会社]

二宮由紀子/あべ弘士『くまくん』

 逆立ちをした「くまくん」、「自分は今さかさまだから、もしかして”くま”じゃなくて”まく”なんじゃないか」と考えました。いろんな動物たちも、「くまくん」(「まくくん」?)のマネをして逆立ちし、名前が逆さまになっていくというお話。

 いやー、なんとも、ナンセンスな展開。「くまくん」以外はみんな、元の名前がいいや、となるんですが、逆立ちした名前とそれがよくない理由は、読んでいてへなへなと脱力してくる感じです。一種の言葉遊びですが、名前が逆さまになるだけで、ずいぶんイメージが変わるんですね。その横滑りぶりが、とてもおかしい。予想通りと言うべきか、「かばくん」も登場していました。

 ラストのオチも、ユニーク。また別の言葉遊びが始まりそうです。

 考えてみれば、こういう言葉遊びは、子どもにとって、なじみ深いかもしれません。あだ名もその一つかなと思います。大人になると、名前をいじるのは失礼という社会常識が邪魔しますが、子どもにとっては、とても身近な遊び。その楽しさがこの絵本には表されていると思います。

 絵は、白い画面に動物だけが描かれており、森や草原といったような背景描写は一切ありません。でも、この画面のシンプルさは、言葉遊びというモチーフによく合っていると思いました。名前を逆に読むのは、とても抽象的な操作なんですね。逆立ちも、上を下に、下を上にというごく単純なアクション。だから、余計な装飾をそぎおとした画面が、しっくりくるように感じます。

 あと、ページのめくりのリズムも印象的です。「くまくん」と動物たちとのやりとりがあり、そしてページをめくると逆立ちしているのです。めくったときのインパクトが効いています。

▼二宮由紀子 作/あべ弘士 絵『くまくん』ひかりのくに、2004年、[印刷所:図書印刷株式会社]

アンソニー・ブラウン『こうえんのさんぽ』

 この絵本、どうやら先日読んだ、アンソニー・ブラウンさんの『こうえんで…4つのお話』の元になったもののようです。登場人物も基本的なストーリーも同じ。うちの子どもも、冒頭の文章を少し読んで、すぐに気が付きました。「スマッジ」という女の子の名前でぴんときたようです。

 『こうえんで…4つのお話』の原書の刊行が1998年で、この『こうえんのさんぽ』の原書は1977年の刊行。およそ20年ぶりに描き直したと言っていいでしょう。

 ストーリーはおおむね同じなのですが、描写はまったく異なります。なにより目に付くのは、登場人物が人間であること。アンソニー・ブラウンさんの絵本と言えば、ゴリラがトレードマークですよね。『こうえんで…4つのお話』もそうでした。これに対し、『こうえんのさんぽ』ではごく普通の人間が描かれています。ゴリラのキャラクターを発見する前の絵本と言えそうです。

 それから、『こうえんで…4つのお話』は、同じ公園での出来事が4人の登場人物それぞれの視点から語られるという非常に多元的で重層的なつくりになっていましたが、『こうえんのさんぽ』はごく普通の直線的なストーリー展開になっています。

 そうであるがゆえに、『こうえんで…4つのお話』に見られたような、4人の登場人物それぞれの情感の描写は、相当に希薄です。もちろん、「チャールズ」と「スマッジ」の出会いと交流もきちんと描かれているのですが、しかし、『こうえんで…4つのお話』ほどエモーショナルではありません。

 また、アンソニー・ブラウンさん独特のスーパーリアリズムもまだ見られません。毛の一本一本まで描いていくという過剰なまでの描写はまだなく、割と平板な描き方になっていると思います。ほとんど同じ構図でありながら、描き方がぜんぜん違っていたりします。あえて言うなら、「チャールズ」と「スマッジ」の髪の毛の描き方に少しだけ、その後のリアリズムの片鱗が表れているくらいでしょうか。

 その一方で、その後のブラウンさんの絵本と共通する部分もあります。それは、ディテールの遊び。『こうえんで…4つのお話』ほどではありませんが、『こうえんのさんぽ』にも画面のあちこちに、おもしろい仕掛けがたくさんあります。うちの子どももかなり楽しんでいました。こういう細部へのこだわりは、ブラウンさんがずっと以前から持っていたものなんですね。

 なんとなく思ったのですが、20年たって描き直したというのは、アンソニー・ブラウンさんがこの物語とモチーフにかなりの思い入れを持っていたということかもしれません。社会階層をまったく異にする二人が、あるとき、ある場所で偶然に出会い、心を通わせる……。

 2冊の絵本ともラストページは同じです。「チャールズ」がつんであげた花を、家に帰った「スマッジ」が窓辺に飾ります。その花の美しさは、二人の出会いの掛け替えのなさを表していると言えるのかもしれません。

 原書”A Walk in the Park”の刊行は1977年。

▼アンソニー・ブラウン/谷川俊太郎 訳『こうえんのさんぽ』佑学社、1980年、[印刷・製本:共同印刷株式会社]

太田大八『だいちゃんとうみ』

 夏の絵本を代表する名作。とても評判がよいのでずっと気になっていたのですが、今回はじめて読みました。本当に途方もなく美しい絵本。ページをめくりながら、感嘆のため息しか出ません。

 物語は、夏休みに従兄弟の「こうちゃん」の家に遊びに行った「だいちゃん」の一日。川エビをすくいに行ったり、海で釣りをしたり、潜ったり泳いだり、浜辺でご飯を食べたりと、楽しい水遊びの様子が描かれています。

 なにより印象深いのは、海や川の水面の色合い。陰影に富み、光と影にゆらめく水面は、底の深さまで感じさせます。ときとところによって表情を変えていく水の描写が、実に美しい。とりわけ浅瀬に足を入れている画面は、水底の砂に波の影や魚の影、足の影が重なり、「だいちゃん」と一緒になって、ゆらゆら揺れる海水を感じることができます。本当に自分の足を浅瀬に入れているような感覚。

 もう一つ、すごいと思ったのは、夜明け前の暗がりから明るい昼、夕暮れ、夜へと、画面全体にわたって夏の一日の光の移り変わり、明暗が非常に繊細かつ鮮やかに描き出されているところ。空の色、海の色、山の色、そして空気の色、すべてが少しずつ変化していき、一つ一つの画面にその瞬間の夏の光が写し取られています。

 文章の付いていないラストページ、丸電球といろりの火に照らされた食卓も、自然の光とはまた違い、人工的でありながら暖かみのある色合いで、とても美しく、また親しみ深く感じました。

 それにしても、こんなふうに自然に抱かれ夏を丸ごと感じ取るなんて、今では、なかなか難しいかもしれませんね。うちの子どもたちは、夏をどんなふうに感じているんだろうと、少し考えてしまいました。

 また、この絵本に描かれているのは大家族で、しかも近隣のつながりの強さも示唆されています。こういう社会環境も、今では失われつつあるのかもしれません。

 裏表紙の見返しには、大村湾に面した物語の舞台の地図が付いていました。主人公の「だいちゃん」は、作者の太田大八さんご自身でしょうか。自伝的絵本と言えそうです。

▼太田大八『だいちゃんとうみ』福音館書店、1979年(こどものとも傑作集としては1992年)、[印刷:精興社、製本:精美堂]

スズキコージ『すいしょうだま』

 これは、すごい! 魔法使いの息子が、兄弟の助けを借りて、魔法をかけられたお姫様を救い出すという物語。

 とにかく、ど迫力の絵に圧倒されます。エネルギーに充ち満ちた筆致に、濃密な描き込み。むせかえるほどに充溢する色とかたち。これまでに読んだスズキコージさんの絵本のなかでも、ここまで鮮烈なのは、ちょっとないんじゃないかと思いました。

 物語は、冒頭からとばしています。「魔法使いの女」が登場するのですが、自分の息子たちをちっともかわいがらず、ワシやクジラに変えてしまうのです。これは恐い。

 そして、物語の中ほどに現れる「お姫様」。こちらも強烈!

顔はねずみ色をした、くしゃくしゃのばあさんで
かみの毛をもやしたようないやなにおいを、あたりにまきちらしていた。

付けられている絵は、まさに文章の通り。造形も色合いも、不穏な雰囲気を醸し出しています。もちろん、魔法のせいでこうなっているわけですが、それにしても、「お姫様」のこんな描写、他の絵本ではちょっとお目にかかれないと思います。たぶん、スズキコージさんにしか描けないんじゃないかな。絵本の暗黙のルールを壊していると言えるかもしれません。いや、もちろん、それが素晴らしいと思います。

 さらに、荒ぶる牛との戦いに、真っ赤な火の鳥、潮をぶちまけるクジラと、すさまじい冒険がこれでもかと続きます。

 とにかく熱い画面に押しまくられる感じなのですが、と同時に、そこはかとなくユーモラスなところがあるように思いました。「魔法使いの女」の最後や物語のオチは、なんとなく力が抜けています。

 この絵本は最初、1981年にリブロポートより刊行され、その後、2005年に復刊。復刊ドット・コムに寄せられたリクエスト投票により復刊したそうです。これだけ強烈な絵本ですから、リクエストが集まるのも当然のような気がしました。

▼スズキコージ『すいしょうだま』ブッキング、2005年、[印刷・製本:株式会社シナノ]

アンソニー・ブラウン『こうえんで…4つのお話』

 二組の親子とイヌの、公園での出会いを描いた絵本。一方が「ママ」とその息子の「チャールズ」とラブラドールの「ビクトリア」で、他方が「パパ」とその娘の「スマッジ」とイヌの「アルバート」。二組は同じ公園に同じ時間、居合わせるのですが、そのことが、「ママ」「パパ」「チャールズ」「ビクトリア」の4つの視点から4つの物語として別々に語られていきます。

 まず面白いのは、4つの物語が交差しつつ異なるところ。同じ出来事でも、4人それぞれで受け取り方が違うわけです。それぞれの社会的背景や性格の違いと言っていいかもしれません。

 また、4つの語り手の違いが、絵の彩色の違いに現れているところも興味深いです。意気消沈している「パパ」にとって公園はまるで暗い夜のように描かれ、快活で元気な「スマッジ」にとっては明るく鮮やかな原色。加えて、文章のフォントも、4つの物語それぞれで異なります。うーむ、実に凝った作りです。

 イヌの「ビクトリア」と「アルバート」はすぐに仲良く遊ぶのですが、「ママ」と「パパ」、また「ママ」と「スマッジ」、「パパ」と「チャールズ」は、互いにほとんど接点がなく通り過ぎるだけ。そんななか、「チャールズ」と「スマッジ」は少しずつ近づき、心を通わせます。二人が並木の下にたたずむ遠景は、画面のなかで小さく描かれているのですが、掛け替えのない一瞬を表していて、とても美しいです。

 そして、二人の出会いがどんなに「チャールズ」にとって貴重なものだったのかが、公園の空の描写で表されています。最初は暗くどんよりと曇っていた空が、「スマッジ」との出会いとともに、徐々に青空に変わっていきます。これは、「チャールズ」のいわば心象風景と言えそうです。

 二人の出会いと交流には、貧富の差を越えるという含意もあると思いました。「ママ」は裕福なお金持ちで、「パパ」は失業者なんですね。

 あと、この絵本では、画面の端々に実に多くのものが隠されています。隠し絵の要素もふんだんに盛り込まれ、絵探し絵本の趣もあります。うちの子どもも、あれこれ指さして楽しんでいました。読むたびに「あっ!」という発見があって面白いです。

 しかも、単に画面の情報量が多いだけでなく、それは物語や登場するキャラクターに密接に結びついているんですね。シンボリックなところがたくさんあり、ディテールそのものが独自のストーリーを語っているように感じました。

 原書”Voices in the Park”の刊行は1998年。この原書タイトルも、なかなか意味深です。

▼アンソニー・ブラウン/久山太市 訳『こうえんで…4つのお話』評論社、2001年、[凸版印刷]

かこさとし『かいぞく・がいこつ・かいぶつじま』

 うーむ、これは、すごい。タイトルにも示唆されるとおり、海を舞台にした海賊物語。海賊はもちろん、それ以外にも、かなりワルい人たちが登場します。

 何より驚いたのが、物語の結末。まったく予想を裏切った、まさに驚きのオチです。物語の定石を意識的にはずしていると言っていいかもしれません。

 ある意味、急転直下のカタストロフィ。誰も救われず、あとには青い海だけが残る……。ちょっとびっくりしますが、このストーリー展開、私はポジティヴな意味でかなりおもしろいと思いました。

 物語のみならず、絵のタッチも、かこさとしさんの他の絵本とはだいぶ違った印象。荒々しいところが若干あります。それは、見知らぬ場所に連れて行ってしまう、この絵本の物語によく合っていると思います。

 あとがきには次のように記されていました。

恐ろしくない厳しさ、楽しさを伴ったけわしい関係が少しでもお伝えできれば幸いです。

 なんとなくですが、ときとして不条理な自然の猛威、人間の浅知恵なんぞ簡単に凌駕してしまう自然の力がここには描かれているのかもしれません。

 あと、後日もう一度読んでいて気が付いたのですが、タイトルにも含まれている「かいぶつ」、実は前半の絵のなかにも隠れているんですね。よーく見ると、島の形が微妙に「かいぶつ」です。

 ところで、この絵本は、「かこさとし 七色のおはなしえほん」シリーズの1冊。カバーの説明によると、シリーズの絵本はそれぞれ、白、茶、藤、黒、赤、黄、青の七色のうち一色を基調にしているとのこと。それぞれ、「おもしろ絵本」「おもちゃ絵本」「おもあか絵本」と呼ぶそうです。

 で、『かいぞく・がいこつ・かいぶつじま』は「おもあお絵本」。たしかに、海の青を基本色にして、部分的に鮮やかな黄が使われています。この色の対比はなかなか印象的。

▼かこさとし『かいぞく・がいこつ・かいぶつじま』偕成社、1985年、[表紙・カバーデザイン:ヒロ工房、印刷:小宮山印刷、製本:サン・ブック]

ふくだとよふみ/なかのひろみ/まつもとよしこ『ぞう どうぶつえんであそぼ』

 これは、おもしろい! ゾウのモノクロ写真絵本。ただの動物写真ではありません。ゾウの全身像はもちろんですが、ここまでやるかというくらいの接写がたくさん。どうやって撮影したのか、まさに驚きの写真です。

 たとえば、鼻のしわしわのアップや鼻の穴、口や牙などなど、すぐそば数十センチで間近に見ているかのようなど迫力の写真が次から次へと登場します。ゾウのおっぱい、耳の穴や長くりっぱな眉毛、身体のあちこちに生えた毛、足の裏のひびなんて、はじめて見ました。これは本当にすごいです。

 とくに人間の目の高さから見上げたゾウの姿は、実に大きくりっぱで、文字通り偉大。カラーではなくモノクロであることが、なおさら、ゾウという生き物のすごみを感じさせるように思いました。ゾウの身体に刻まれた皺の深さなんて、モノクロだからこそ表現できるんじゃないでしょうか。

 巻末、裏表紙の見返しには、一つ一つの写真の解説と、ゾウの生態に関するたくさんの豆知識が掲載されています。こちらにも、驚きの説明がいろいろありました。非常に興味深いです。

 奥付を見ると、取材・撮影協力は群馬サファリパークとのこと。表紙の見返しのイラストは、どうやら、ふくだとよふみさんや、なかのひろみさん、まつもとよしこさんの家族や友人たちのようです。以前読んだ『う・ん・ち』同様、楽しい本作りの雰囲気が伝わってきます。

 この写真絵本、それ自体の大きさは小さめ(18×15㎝)ですが、内容はまさに必見。うちの子どもも、かなり気に入っていました。おすすめです。

▼ふくだとよふみ 写真/なかのひろみ 企画・文/まつもとよしこ 構成・デザイン『どうぶつえんであそぼ ぞう』福音館書店、2004年、[印刷:鏡明印刷株式会社、製本:大村製本]

かこさとし/赤羽末吉『あるくやま うごくやま』

 かこさとしさんの「かがくの本」シリーズの1冊。長い長い時間のなかで、山もまた様々にかたちを変えていくことが説明されています。雨や雪や氷河によって削られ流され、あるいは地震や火山によって大きく変化し、そしてまた草や木の生長によっても作用されていく……。一瞬たりとも止まることなく、山がいつも動いていることが分かります。

 冒頭では、山のかたちが変わることが「すわりばしょをかえたり」「あるきだしたり」「ふとったり」「しわだらけになったり」と、まるで人間であるかのように記されていました。それ自体おもしろいのですが、加えて、赤羽さんの絵がまた秀逸。山々に眼と口が付いており、笑っているような考えているような、なんともおかしな表情です。表紙も同様なんですが、まさに赤羽さんならではの大らかでユーモラスな描写。

 考えてみると、赤羽さんが科学絵本の絵を担当されるのは、かなり珍しいかもしれません。そもそも、かこさとしさんと赤羽末吉さんが組んだ絵本は他にないんじゃないでしょうか。巻末にラインナップが載っていたのですが、この絵本が含まれている「かがくの本」シリーズの多くは、かこさん以外の方が絵を担当されていました。

 私は最初、赤羽さんの絵は科学絵本には向かないんじゃないかと思ったのですが、実際読んでみると、そうでもなかったです。

 いや、たしかに、山に眼や口が付いているユーモラスな絵柄は表紙と冒頭ページだけで、あとは文章の説明をそのまま解説するような絵になっています。その点では、赤羽さんの個性があまり出てこない印象もあります。

 しかし、限定された色遣い、骨太でのびやかな筆致は、やっぱり赤羽さんの絵であって、他の誰のでもありません。白みの多いシンプルな画面からは、何百年、何千年にもわたる長い時間の流れのなかで少しずつ山が姿を変えていく様子を感じ取ることができます。過剰な色や説明的すぎる線を省略していることが逆に、この絵本の主題に密接に寄り添うことになっているように思いました。

 奥付には、かこさとしさんのエッセイ、「固定した考えにとらわれないこと」が載っています。こちらも非常に興味深い。不動であるかに見える山が長い時間の流れのなかでは激しく動くこと、それを描くことで何を伝えたかったのか、簡潔に述べられています。本当は引用しない方がよいのかもしれませんが、自分用のメモとして一部、引用させていただきます。

このことは、正しい科学への第一歩である、条件や環境をかえると物事はまるでちがった結果となること、固定した見方、考え方にとらわれないことへの発展として、わたしは極めて大切にしたいと思っています。

 ところで、この絵本、うちの子どもには、だいぶ、おもしろかったようで、興味深そうに聞いていました。まずは崖の地層を描いた画面に反応。曰く「これ、見たことあるよねえ」。二人でいろいろ話しているうちに、思い出しました。また火山を描いたところでは、去年、旅行した阿蘇山のことを話しました。なかなか楽しいです(^^;)。

 巻末に載っていた「かこ・さとし かがくの本」シリーズのラインナップ、うちの子どもはだいぶ惹かれたようで、全10冊のタイトルを読まされました。「これも読みたいねえ」「これも読みたーい!」というもの多数(^^;)。次に図書館に行ったとき借りてこようと思います。

 ちなみに、このシリーズは、第17回サンケイ児童出版文化賞を受賞したそうです。タイトル一覧の上部に記されていました。

▼かこさとし 著/赤羽末吉 絵『あるくやま うごくやま』童心社、1968年、[表紙レイアウト:辻村益朗、写真植字:東京光画株式会社、製版・印刷:小宮山印刷株式会社、製本:サンブック株式会社]