「久山太市」タグアーカイブ

アンソニー・ブラウン『こうえんで…4つのお話』

 二組の親子とイヌの、公園での出会いを描いた絵本。一方が「ママ」とその息子の「チャールズ」とラブラドールの「ビクトリア」で、他方が「パパ」とその娘の「スマッジ」とイヌの「アルバート」。二組は同じ公園に同じ時間、居合わせるのですが、そのことが、「ママ」「パパ」「チャールズ」「ビクトリア」の4つの視点から4つの物語として別々に語られていきます。

 まず面白いのは、4つの物語が交差しつつ異なるところ。同じ出来事でも、4人それぞれで受け取り方が違うわけです。それぞれの社会的背景や性格の違いと言っていいかもしれません。

 また、4つの語り手の違いが、絵の彩色の違いに現れているところも興味深いです。意気消沈している「パパ」にとって公園はまるで暗い夜のように描かれ、快活で元気な「スマッジ」にとっては明るく鮮やかな原色。加えて、文章のフォントも、4つの物語それぞれで異なります。うーむ、実に凝った作りです。

 イヌの「ビクトリア」と「アルバート」はすぐに仲良く遊ぶのですが、「ママ」と「パパ」、また「ママ」と「スマッジ」、「パパ」と「チャールズ」は、互いにほとんど接点がなく通り過ぎるだけ。そんななか、「チャールズ」と「スマッジ」は少しずつ近づき、心を通わせます。二人が並木の下にたたずむ遠景は、画面のなかで小さく描かれているのですが、掛け替えのない一瞬を表していて、とても美しいです。

 そして、二人の出会いがどんなに「チャールズ」にとって貴重なものだったのかが、公園の空の描写で表されています。最初は暗くどんよりと曇っていた空が、「スマッジ」との出会いとともに、徐々に青空に変わっていきます。これは、「チャールズ」のいわば心象風景と言えそうです。

 二人の出会いと交流には、貧富の差を越えるという含意もあると思いました。「ママ」は裕福なお金持ちで、「パパ」は失業者なんですね。

 あと、この絵本では、画面の端々に実に多くのものが隠されています。隠し絵の要素もふんだんに盛り込まれ、絵探し絵本の趣もあります。うちの子どもも、あれこれ指さして楽しんでいました。読むたびに「あっ!」という発見があって面白いです。

 しかも、単に画面の情報量が多いだけでなく、それは物語や登場するキャラクターに密接に結びついているんですね。シンボリックなところがたくさんあり、ディテールそのものが独自のストーリーを語っているように感じました。

 原書”Voices in the Park”の刊行は1998年。この原書タイトルも、なかなか意味深です。

▼アンソニー・ブラウン/久山太市 訳『こうえんで…4つのお話』評論社、2001年、[凸版印刷]

アンソニー・ブラウン『こしぬけウィリー』

 主人公「ウィリー」はとても弱虫。まちのチンピラたちに「こしぬけウィリー」と呼ばれています。なぜなら、自分がまったく悪くなくても、自分が殴られていても、「すみません、ごめんなさい!」と謝ってしまうのです。そんな「ウィリー」が一念発起、「こしぬけ」におさらばしようと体を鍛えていく物語。

 「ウィリー」のこの大変身が見物。最初のページには、自信なくオドオドした表情、体も細く小さく、猫背でポケットに手を突っ込み、足取り重く歩く「ウィリー」が描かれています。それが、ジョギングにエアロビクスにボクシング、ボディービルにウエイトリフティングとトレーニングを続けるうちに、まったくの別人に変わっていきます。活力あふれる精悍な顔つき、大きく力強い体、背はしゃきっとし、胸をはって颯爽と歩く「ウィリー」。

 うちの子どもは、「ウィリー」が筋肉ムキムキになって鏡に自分の体を映している画面に大受けしていました。いやはや、なんともすごい筋肉。

 そして、まちに出た「ウィリー」は、チンピラたちにからまれていた女の子「ミリー」を救い、「ミリー」の愛まで勝ち取るのですが、そのあと、どうなったか。このラストには、うちの子どももびっくりしていました。「えっ! 元に戻ってる!」。まあ、外見が変わっても、中身は同じということでしょうか。なかなかユーモラスなオチです。

 でも、考えてみると、このラストは、なんだか安心できます。筋肉ムキムキになっても、心優しき「ウィリー」のまま。いや、その方が「ミリー」にも、もてるんじゃないかな(^^;)。

 それはともかく、この絵本のキャラクターはすべてゴリラ。絵は非常にリアリスティックで、毛の一本一本まで描き込まれており、これはもうゴリラ以外のなにものでもないです。ところが、それが人間以上に人間らしいんですね。服を着て人間のような生活をしているのですが、たとえば「ウィリー」の表情の変化を見ても、なんとも人間らしく、ゴリラであることを忘れてしまいます。いや、逆にゴリラであるからこそ、人間的なものがよりはっきり現れてくるのかも。

 あるいは、このリアリスティックな描写で人間の男の子が主人公として描かれていたら、どうだったか。絵本としてちょっと成り立たないかもしれませんね。「ウィリー」がチンピラにからまれている場面はもっと深刻になりそうですし、筋肉ムキムキになっていくところのおかしさも半減する気がします。ゴリラであることが、ファンタジーを可能にしていると言えるかもしれません。

 うーむ、なんだか難しくなってきましたが、絵のリアルな部分とファンタジーな部分の独特の結合が、この絵本のおもしろさかなと思いました。

 読み終わったあとで、うちの子どもは「ぼくは、こんなにムキムキになるのはイヤだなあ。だって、恥ずかしいから」なんて言っていました。たしかにねえ(^^;)。

 原書”Willy the Wimp”の刊行は1984年。この絵本、おすすめです。

▼アンソニー・ブラウン/久山太市 訳『こしぬけウィリー』評論社、2000年