「絵本を読む」カテゴリーアーカイブ

長新太『おなら』

 これは人間や動物たちのおならを取り上げた(一応)科学絵本。まず表紙がすごい。ゾウのおしりを正面(?)から見たもの。で、最初のページがゾウのおなら。インパクトがあります。

 本文では、なぜおならが出るのか、おならが臭い理由、おならが臭いときと臭くないときの違いなど、長さんのシンプルでユーモラスな絵とともにいろいろ興味深い説明がされています。へぇーと思ったのは、健康な人は一回に約100ミリリットル、牛乳瓶で半分弱くらい、おならをするということ。1日だと約500ミリリットル出しているそうです。いや、こんなにたくさん、おならをしているんだと意外でした。というか、あんまり自覚していないからかな?。

 おならをしないでいると身体に悪いという画面で、うちの子どもに「ちゃんとおならしてる?」と聞いてみたら、素直に一言「うん」(^^;)。

▼長新太『おなら』福音館書店、1978年(「かがくのとも傑作集」としての出版は1983年)

あべ弘士『雪の上のなぞのあしあと』

 日本で一番寒いところにある動物園、冬の間は雪が多く閉園しているのですが、もちろん、飼育係の人たちは動物たちの世話で大忙し。そんなある夜に起こった「事件」を描いたのがこの絵本。宿直の「ぼく」が見回りをしていると、これまで見たことも聞いたこともない足跡が動物園のなかをあちこちぐるぐる回っているのです。足跡図鑑を見ても他のどんな本を見ても載っていません。いったい何が夜の動物園を徘徊しているのか。仲間たちを呼んで動物園をまわってみると……。

 いやー、これはおもしろい! 「なぞのあしあと」の意外な正体には、うちの子どもも大受けしていました。それまでの緊迫した展開がページをめくると一気に解放されるかのよう。実におかしいです。

 ところで、うちの子どもは、読みはじめるとすぐに一言、「おおかみのガブのお話を描いた人が描いているんでしょ?」。「おおかみのガブのお話」というのは、ご存じ『あらしのよるに』です。動物の描き方で分かったみたいです。さすがー(親バカ^^;)。

 でも、あべさんの最近の絵本と比べると、だいぶタッチが違うような気がします。色数が多いというか、かなりの描き込みです。途中でマンガのように絵を並べているページもありました。

 思ったのですが、この物語はおそらく実話なんでしょうね。じっさい、あべさんは北海道の旭山動物園で飼育係をされていたそうです。いや、北国の動物園ならではの出来事と思います。たぶん「なぞのあしあと」の主にとっては本当に楽しい夜の散歩だったんじゃないでしょうか。

 この絵本、おすすめです。

▼あべ弘士『雪の上のなぞのあしあと』福音館書店、1989年(「かがくのとも傑作集」としての出版は1997年)

エゴン・マチーセン『あおい目のこねこ』

 今回もうちの子どもは、「青い目のこねこ」が「いぬ」の背中につかまって、山を登り降りするところに受けていました。これ以上省略できないというくらいシンプルな画面と繰り返されるめくりのリズムが、おかしさを生んでいると思います。あと、「きいろい目のねこたち」が木の上でがりがりにやせているところにも「すっごいやせてるねえ」。どうやらうちの子どもはこの絵本(絵童話)をだいぶ気に入ったようです。読み終わると「ああ、おもしろかった!」と心底から言っていました。

 ところで、表紙を見てあらためて思ったのですが、このネコ、青い目といっても眼を閉じていても青いんですね。つまり、眼のまわり全体が青。

▼エゴン・マチーセン/瀬田貞二 訳『あおい目のこねこ』福音館書店、1965年

たむらしげる『ひいらぎはかせとフロストマン』

 今回うちの子どもは裏表紙に描かれたロケットそりにひかれていました。「電気コートも着てるね!」。この電気コート、寒さに耐えるために全身をおおうつなぎのような服なのですが、背中にはバッテリーがついていて、それは服の大きさにより9Vとか4.5Vとか容量が違うようです。なかなか細かい描写ですね。でも、9Vくらいで暖かくなるのかなあ。

 それはともかく、「フロストマン」の息で真っ白に凍り付いたまちの景色がとても美しい。CGで描かれているのでしょうか、微妙な陰影がきーんと凍った空気を感じさせます。で、そのなかを歩く「ひいらぎはかせ」たち。思ったのですが、機能停止したまち、それも美しいまちを歩くというモチーフは、たむらさんの他の絵本にもけっこう見られるような気がします。

▼たむらしげる『ひいらぎはかせとフロストマン』フレーベル館、2001年

ふじかおる/梶山俊夫『へっぴり』

 千葉県の民話を元にした絵本。浜辺の村で「へっぷりしてはおどけてみせる」男の子。ある日、「おっかあ」といっしょに鬼にさらわれてしまいます。すきを見て逃げ出した二人ですが、気が付いた鬼が迫ってきます。そこで男の子は鬼に向けて「へっぷり」。笑い出した鬼は力が入らず、二人は宝を手に入れて無事に村へ戻るという物語。

 なにより「へっぷり」のかけ声と音がおかしい。

へっぷりどりで ござあい
めくそ はなくそ けつのくそ
おんどり いっぱつ
ときのこえー
プップ ピッピ ボーン

 これに、おしりを「ぷぷりん」と突き出した男の子の絵が付いています。いやはや、なんともユーモラス。これにはさすがの鬼もかないませんよね。うちの子どもも、ウヒウヒ受けていました。

 彩色の基本は緑がかった黄色と黄土色。もしかすると、おならというモチーフに合わせたものかもしれません。と同時に、昔話の雰囲気をかもし出していて、あたたかな色合いです。登場するキャラクターのなかでは、鬼だけが他と違って赤色でなかなかの迫力。とはいえ、その豪快な笑い顔がよいです。

 あとがきでは、水谷章三さんが物語の元になった民話について説明していました。水谷さんによれば、屁の話は民話や笑い話にはたくさんあるとのこと。そのなかでも、この千葉県の民話は、お話の舞台が海辺から山奥へそしてまた海辺へと展開すること、また屁の主が男の子であることが珍しいそうです。

 ところで、この絵本は、鳥越信さんと松谷みよ子さんが監修された「ぼくとわたしのみんわ絵本」シリーズの1冊。奥付の注記によると、もともとは1981年に第一法規出版より刊行されたものを改訂復刊したものだそうです。

▼ふじかおる 文/梶山俊夫 絵『へっぴり』童心社、2000年、[装丁:杉浦範茂]

上田真而子/斎藤隆夫『まほうつかいのでし』

 魔法使いの先生が出かけている間に、その弟子が魔法の呪文を試そうとする物語。結局、魔法を止める呪文を覚えておらず、お城中水浸しになってしまいます。

 この物語の原作はゲーテのバラード(物語詩)。サブタイトルに「ゲーテのバラードによる」と記してありました。かなり有名なバラードで、小説な童話や映画などいろんなものの原作になっているみたいですね。

 そういえば、いま気が付いたのですが、先月読んだバーバラ・ヘイズンさんとトミー・ウンゲラーさんの『魔術師の弟子』も同じゲーテのバラードに基づいた絵本ですね。当然ながら、同じ物語でも作者によって描写が違い、なかなか興味深いです。同じ原作から複数の絵本が生まれることは、いわゆるおとぎ話や昔話にはけっこうあると思いますが、物語詩を原作にしたのは珍しいかも。

 ウンゲラーさんの絵もなかなか強烈でしたが、斎藤さんの絵も独特の雰囲気。物語はほとんどお城のなかで展開するのですが、黄土色の壁のレンガ模様が全体の基本トーン。よーく見ると、魔法の道具や動き出すほうき、さらには壁に飾ってあるさまざまな彫刻や植物にも眼が付いており、じっと弟子の様子を見ています。しかも、弟子の動きに応じて目玉が左右に動いている……。

 また、収拾がつかなくなった弟子を助けに魔法使いの先生が帰ってくるのですが、この先生、なかなか恐い。太陽を背にしてほとんど全身真っ黒。画面の中央にすっくと立っています。よく見ると暗い顔に目や鼻や口がうっすらと浮かんでいて、なんとも不気味。ちょっとおかしいかもしれませんが、映画『スター・ウォーズ』のダークマスター(?)に似ているような。ウンゲラーさんの『魔術師の弟子』でも、表紙に描かれていた魔術師は黒ずくめで目だけ光っていました。どちらも人間ならざるものを感じさせます。

 この絵本、おすすめです。

▼上田真而子 文/斎藤隆夫 絵『まほうつかいのでし』福音館書店、1992年

たむらしげる『ひいらぎはかせと フロストマン』

 「ひいらぎはかせ」シリーズの1冊。今回は、なんでも凍らせてしまう巨大な「フロストマン」がまちに現れ、すべてを氷の世界に閉じこめてしまいます。この危機を救うのが「ひいらぎはかせ」。氷で出来たアイスロボット、「アイスマン」たちを造り出し、「フロストマン」をやっつけるという物語。

 「ひいらぎはかせ」がどうやってまちを救うかが見物です。「おお、こうくるか」の驚きの展開。なかなかユーモラスで、うちの子どももだいぶ受けていました。

 「ひいらぎはかせ」シリーズは裏表紙もおもしろい。物語の楽しい続きが描かれています。うちの子どももニコリ。

 ところで、カバーには作者のたむらさんの案内文が掲載されていました。数年前の冬にアラスカに旅行に行ったとき、巨大なフロストマンが雪原をゆっくりと歩いている水彩画を描いたそうです。その絵がこの絵本のもとになっているとのことでした。

▼たむらしげる『ひいらぎはかせと フロストマン』フレーベル館、2001年

クリス・バン・オールスバーグ『ジュマンジ』

 先日読んだ『ザスーラ』の前作。こちらも、うちの子どもがもう一回読んでみたいというので、図書館からまた借りてきました。

 「ピーター」と「ジュディ」のきょうだいは、パパとママがオペラに見に行っている間、お留守番をしています。家で遊ぶのにもあきた2人は、公園の木の根本にゲーム盤「ジュマンジ──ジャングル探検ゲーム」を見つけます。さっそく家に帰ってゲームをはじめるのですが、なんと、このゲームはゲームのなかの出来事がすべてじっさいに2人のまわりで起こるというもの。

 以前読んだときの印象が強かったからか、うちの子どもには「少し恐いから読んでいるとき画面を近づけないで」とあらかじめ頼まれました(^^;)。じっさい物語は危機また危機の連続。なかなか手に汗握る展開です。うちの子どもも少し緊張しながら聞いていました。

 物語は実にスリリングでダイナミックですが、これに対して絵は白と黒のモノトーンで非常に細密な描写。徹底的に写実的に描くことで、とても静謐な画面になっています。この対比がおもしろい。

 また、視線の置き方も独特かなと思いました。上から見下ろしたり下から見上げたりする構図が多く、それが画面の立体感を強めているとともに、どことなく普通ではない雰囲気を生み出しているように感じます。

 そういえば、この絵本は実写映画になっていたと記憶しています。私は見たことがないのですが、物語はたしかに映画向きのような気がします。とはいえ、この絵本の持つ動と静の結びつきは、映画にするのはかなり難しいだろうなと思いました。

 うちの子どもがニヤリとしたのがラストページ。次の『ザスーラ』へとつながる画面です。原書の刊行は1981年。この絵本、おすすめです。

▼クリス・バン・オールスバーグ/辺見まさなお 訳『ジュマンジ』ほるぷ出版、1984年

カーラ・カスキン/マーク・サイモント『オーケストラの105人』

 演奏会に向けてオーケストラの105人はいろいろ支度をしていくのですが、そのなかでとくにいいなあと思ったのは、家を出るときの画面。ここでは105人を送り出す側が描かれています。

105人の 男のひとと 女のひとは
みんな「いってきます」と いいます。
おかさん おとうさん ご主人 奥さん
また 友だち 子どもたち 犬たち
小鳥たち 猫など 家に のこるものに
「いってきます」と いいます。

 演奏会に出かけることは105人にとって、また「家にのこるもの」にとっても、一つの仕事なんですよね。だから、家の者は特別に何かをして送り出すわけではなく、ごくふつうに日常のこととして送り出す。

 たとえば、妻は台所で洗い物をしながら送り出すし、夫あるいはお父さんは読んでいた新聞から顔を上げて送り出す、そしてまた子どもは宿題をやっている机から送り出す。しかも、この子はなんとなくつまらなそうな顔をしています。猫や犬も「あ、行くの」といった感じの表情です。こういう描写はとてもリアルだなあと思いました。

 と同時に、このいつもと変わらぬ日常のあることが、おそらくはオーケストラの105人の仕事を支えていることもなんとなく感じ取れます。

 もちろん、105人のなかには一人暮らしの人も当然いると思いますが、画面には壁にかけられた絵や観葉植物も描かれていました。これらもまた「家にのこるもの」であり、一人ひとりの日常生活を供にしているものと言えるかもしれません。

▼カーラ・カスキン 作/マーク・サイモント 絵/岩谷時子 訳『オーケストラの105人』すえもりブックス、1995年[新版]

スズキコージ『クリスマスプレゼントン』

 今回も、うちの子どもは、サンタクロースの山に大受けしていました。巨人の顔で、内部が何かの基地みたいに描写されています。これは、うちの子どもにはたまらない魅力ですね。そういえば「プレゼントンおじさん」の村の家々も煙突が顔みたいになっています。

 ところで、主人公の「メリー」が「プレゼントンおじさん」の村に行っている間、まったく外見が同じの「雪のメリー」が「メリー」の代わりに町で生活しています。「プレゼントンおじさん」曰く「メリー、ここに いたいだけ、ゆっくりしておいき」。

 これは、なんというか、子どもの一つの願望を表しているかもしれないなと思いました。つまらない日常から抜け出て魔法と冒険に生きる、しかも自分の同じ姿形の分身が自分の身代わりになってくれる、誰にも帰りなさいと言われることなく楽しい毎日がすぎていく……。

 それでも最後は町に戻ります。「プレゼントンおじさん」たちとも別れ、もう一人の自分である「雪のメリー」にもさよならを告げます。その心情が何か具体的に書かれているわけではありませんが、この別れの場面とそして「メリー」の手に残されたガラス玉の描写は非常に印象的。なんだろうな、考えすぎかもしれませんが、「子ども」の「メリー」にとってのクリスマスがこれで終わったのかもしれないと思いました。

▼スズキコージ『クリスマスプレゼントン』ブッキング、2003年