「絵本を読む」カテゴリーアーカイブ

イェジー・フィツォフスキ/内田莉莎子/スズキコージ『なんでも見える鏡』

 これはおもしろい! ジプシーの昔話をもとにしているのですが、いわば恋の絵本です。

 主人公は貧乏なジプシーの青年。旅に出たジプシーは、美しい王女のいる国へとやってきます。そこでは「王女から隠れて見つからなかった者が王女の夫になれる」というおふれが出ていました。というのも、王女はとても勘がよく利口で、しかも世界中のものを何でも写し出す魔法の鏡を持っていたのです。美しい王女に一目惚れしたジプシーは、旅の途中で助けた大きな銀色の魚やワシやアリの王様の手を借りて、王女の難題に挑み、最後は王女と結ばれるという物語。

 ジプシーが恋の試練を乗り越えるというのが基本のストーリーなんですが、本当の主人公はむしろ王女かも。実はジプシーは2回も隠れることに失敗するんですね。2回続けて失敗したら重い罰を受けなければならないのですが、そのとき王女は次のように言います。

おまえを 罰しなくては
いけないのだけど、なぜか わたしにはできないわ。
いいこと、もう1かい かくれてごらん。ほんとうに
これでおしまいよ。

 王女はすでにジプシーに恋しているにもかかわらず、まだそれに気づいていない、あるいは気づきたくない(?)わけです。

 そして3回目。ここでタイトルの「なんでも見える鏡」が非常に印象深く生きてきます。いったい鏡に映ったのは何であったか? 昔話にしばしば見られるモチーフかもしれませんが、それでも割れて粉々になった鏡が実に鮮烈。

 ジプシーと王女が結ばれる画面もとても美しい。互いに手を伸ばし合う二人はまるで宙に浮いているかのように描かれています。恋の高鳴りが聞こえてきそうです。そういえば、同じような構図の有名な絵画があったような気がしました。

 絵はグラデーションがかかったような彩色が美しくダイナミック。とくにスズキコージさんらしい(?)のは、やはり、アリの王様ですね。妖しい怪物です。あと、天高く飛ぶワシもなかなかの格好良さ。

 うちの子どもは(たぶん?)恋や愛のモチーフはまだ分からなかったと思うのですが、読み終えて曰く「ジプシーはちょっと若すぎなんじゃない?」。つまり、王女と比べて年齢が若く釣り合いが取れないということのようです。なるほどねえ。

 たしかに絵を見るかぎりでは、年下に見えます。というか、王女ですからジプシーより偉そうなんですね。あるページでは、ジプシーよりも背が高く描かれています。たぶん、ひな壇の上にいるからでしょう。こういうところが、おそらく、「王女」が年上に見える理由じゃないかなと思いました。

 あと、うちの子どもは、物語のはじめでジプシーに「むちばかりくれた主人」が最後に国を追い出されたところがよく分からなかったようでした。うーん、たしかに、分かりにくいかも。

 ところで、とびらの向かい側のページに記されていましたが、どうやらフィツォフスキさんの再話そのものは1966年に書かれたもののようです。巻末の著者紹介によると、フィツォフスキさんは、ポーランドのワルシャワで1924年に生まれ、第二次世界大戦中はナチス占領下のワルシャワで地下抵抗運動に加わり、1944年のワルシャワ蜂起にも参加。ドイツの捕虜収容所で生き抜き、戦後、ポーランドに戻ったそうです。第二次世界大戦の荒波のなかで少年時代・青年時代を生きてきた方です。

 この絵本、おすすめです。

▼イェジー・フィツォフスキ 再話/内田莉莎子 訳/スズキコージ 絵『なんでも見える鏡』福音館書店、1989年

やぎゅうげんいちろう『はなのあなのはなし』

 これはおもしろい! 鼻の穴の仕組みやはたらきなどを扱った科学絵本。表紙も裏表紙も見返しも、穴、穴、穴……。本文では興味深い事実がいろいろ説明されています。うちの子どもといっしょに互いの鼻の穴を見せ合いながら読んでいきました。画面と比べながら「お父さんの鼻の穴はこんな感じ!」。

 他人の鼻の穴をしげしげ見ることなんて、ふつうはないので、なかなか楽しいです。それで、なんとなく分かるなあと思ったのは、次の一文。

ぼくも おじいさんになったら、
あれぐらいの はなのあなに
なるんだろうか?
どきどきしてしまう。

 たしかに自分も小さいころ、父や祖父の鼻の穴を見て何かを感じていたような気がします。とくに鼻毛とかね。考えてみれば、小さな子どもの視点からすると大人の鼻の穴は下からのぞけますし、割と見えやすいですね。

 あと、うちの子どもがおもしろがっていたのは、アザラシやカバなどは鼻の穴を空けたり閉じたりできるというところ。ゴリラの鼻水の話や、鼻の穴のなかに朝顔の種を入れておくと芽が出るというところにも大受けしていました。これ、本当の話なのかな。いや、ありそうな気がします。

 この絵本、科学とはいっても難しいところはぜんぜんなく、非常に身近なところから分かりやすく、ユーモラスに説明しています。しかも、すごいと思うのは、それが科学の基本的な発想法をよく伝えているところ。たとえば最初の方のページでは、いろんな人の鼻の穴を比較してみたり、また人間と動物の鼻の穴を比べたりしています。考えてみれば、比較というのはおそらく科学にとってとても重要な手法と言えるでしょう。その比較の考え方をこれだけ興味深く表しているのは、すばらしいと思います。

 終わりの方では、鼻の穴の他にも身体にはいろいろな穴があり、それらはとても大事であることが説明されていました。うーむ、なるほどなあと納得の結論です。穴という点から自分の身体を見直すのは、とても新鮮でなおかつ重要なんじゃないでしょうか。

 それはそうと、以前も思ったのですが、他の絵本でもやぎゅうさんが描く人物はみんな鼻の穴がりっぱなんですね。鼻の穴というテーマは、やぎゅうさんにぴったり。いや、そんなことを言ったら失礼かな(^^;)。

▼やぎゅうげんいちろう『はなのあなのはなし』福音館書店、1981年(「かがくのとも傑作集」としての刊行は1982年)

ルース・スタイルス・ガネット/ルース・クリスマン・ガネット『エルマーのぼうけん』

 昨日で「ルドルフ」シリーズはひとまず読み終えたので、今日からは「エルマー」シリーズ。定番と言っていいかと思います。少しずつ読んでいきます。

 期待に違わず、なかなかスリリングな導入。ただ、最初はなにせ「とうさんのエルマー」の回想というかたちをとっているので、うちの子どもには少し分かりにくかったかも。物語のなかで語り手が変わっていくような感じなのですが、最後はもう一度、元の語り手に戻るのだろうか、それとも現在のお話につながるのかな。

 この本は絵本というよりは児童文学ですが、挿し絵がすばらしい。表紙のライオンのイラストとその色合いは見ているだけでワクワクしてくるよう。本文の挿し絵はモノクロですが、動物たちの様子がユニークに描写されており、冒険の雰囲気が伝わってきます。

 表紙と裏表紙の見返しには、物語の舞台となる「みかん島」と「動物島」の詳しい地図が付いていました。物語のエピソードも書き添えられています。これも、たのしい仕掛けです。

 この本、うちの子どもはたいへん惹き付けられたようで、『ルドルフといくねこくるねこ』を読んでいるときから、早く読みたいなあとだいぶ気になっているようでした。いや、その気持ち、よく分かります。「エルマー」シリーズは私も読んだことがなかったので、これから楽しみです。

 原書の刊行は1948年。

▼ルース・スタイルス・ガネット 作/ルース・クリスマン・ガネット 絵/渡辺茂男 訳/子どもの本研究会 編『エルマーのぼうけん』福音館書店、1963年

斉藤洋/杉浦範茂『ルドルフといくねこくるねこ』

 再び読んでいたこの本、今日ようやく読み終わりました。最後の対決はなかなかの盛り上がり。2回目ですが、子どもともども楽しみました。うちの子どもは、登場するネコのセリフの一つに大受け。読んだあと何度も思い出し笑いしていました。トイレのなかで一人で「アハハハ!」と笑っているので、なんだかおかしい(^^;)。

 それはともかく、「ルドルフ」シリーズ、第4弾も出るのかなあ。第2弾から第3弾が刊行されるまで、だいぶ時間がかかっています。もしかすると第4弾が出るころにはうちの子どもも一人で本を読めるようになっているかも……。それはそれで少しさみしかったりして。でも、これだけ魅力的なキャラクターと物語ですから、第4弾、ぜひ期待したいと思います。

▼斉藤洋 作/杉浦範茂 絵『ルドルフといくねこくるねこ』講談社、2002年

ロブ・ルイス『はじめてのふゆ』

 小さな地ネズミの「ヘンリエッタ」。生まれた春にお母さんが死んでしまったので、ひとりぼっちで暮らしています。そんな「ヘンリエッタ」にはじめての冬が訪れるというストーリー。

 ひとりぼっちで、しかもはじめての冬。だから、「ヘンリエッタ」は冬ごもりをどうしたらよいのか知りません。仲間たちが、食べ物を集めておかないといけないことを教えます。そこで、「ヘンリエッタ」は、食べ物置き場を掘り、木の実や草の実を集めるのですが、なにせはじめてなので、なかなかうまくいきません。仲間たちに助けてもらってやっと食べ物が集まるのですが、うれしくてパーティを開いたばかりに全部、食べてしまいます。さあ、いったいどうなるかが物語のオチ。

 あっと驚く結末、と同時に、なんだかとぼけていておかしいです。いや、考えてみれば、このオチは間違っているわけではないんですね。でも、いったいどうなるんだろうと心配したあとに、ヘナヘナと脱力した感じ。

 仲間との友情も描かれているのですが、多くの画面は「ヘンリエッタ」一匹だけが登場します。微妙な表情からは驚きや困惑や喜びがよく伝わってきます。いろいろ困難があっても、めげずに木の実や草の実を集めていて健気。とくに、そのまなざしがよいです。

 絵は、粒子が粗いというか、かすれてざらっとした色合いが美しい。秋から冬にかけての自然の移り変わりが繊細に描かれています。黄色く色づいた森や赤い夕焼けに照らされた畑の様子は非常に鮮やかな彩色。冷たい雨にけむる森や雪が降りはじめた景色もよいです。葉がすべて落ちて細かな枝だけになった木々の描写も、冬の雰囲気をよく伝えていると思いました。

 もう一つ、おもしろいと思ったのが「ヘンリエッタ」が住んでいる穴ぐらのなかの家具調度類。よく見ると、人間の道具がいろんなかたちでアレンジされているんですね。こんなところにこんなものが、といった楽しさがあります。

 ところで、うちの子どもは、これまで、ひらがなをときどき思い出したように覚えていたのですが、今日は表紙のタイトルを自分で読んでいました。分からないところは、ひらがなの表を見て確認。だいぶおもしろかったらしく、本文の一部も、たどたどしいながらも自分で少し読んでいます。うちの子ども曰く「読んでみるとおもしろいねえ」。成長したなあ。

 原書"Henrietta’s First Winter"の刊行は1990年。奥付によると、この絵本は、第1回外国絵本翻訳コンクール最優秀賞受賞作に加筆し出版したものだそうです。

▼ロブ・ルイス/船渡佳子 訳『はじめてのふゆ』ほるぷ出版、1992年、[装幀:小林健三]

パット・ハッチンス『ぎんいろのクリスマスツリー』

 クリスマスを前に「りす」は自分の木を一生懸命飾り付けるのですが、なかなか気に入りません。そのうち夜になると、木の一番上の枝の真上に美しい銀色の星が出て、輝くクリスマスツリーになります。「りす」は大喜び。ところが、次の日、起きてみると、もう銀色の星はありません。いったい誰が取ってしまったのだろうと探しに出かける物語。

 「りす」は「あひる」「ねずみ」「きつね」「うさぎ」に出会うのですが、みんな何かを隠していて、あやしいなあと疑います。もちろん、誰も銀色の星を取っているわけはありません。ラストはすべての疑問が解けて、楽しいクリスマス・イブ。みんなでお祝いし、「りす」の銀色のクリスマスツリーも明るく輝きます。

 動物たちの毛並みは、ハッチンスさん独特の様式化された線描き。そして、なにより「りす」のクリスマスツリーが色鮮やかで美しいです。オレンジと緑と黄色で飾られ、上空には白く輝く大きな星。

 また、夜の描写が非常におもしろいです。画面を黒くあるいは暗くするのではなく、もくもくとわき上がる雲のような模様を青で描き、それによって辺りが見えなくなったことを表しています。なかなか新鮮な表現。

 そして青くなった画面のなかで、まるで舞台のカーテンを開くかのようにして、銀色のクリスマスツリーが現れます。じっさい物語のラストで青く彩色された部分は雲を表しており、雪が降りはじめると雲が割れて銀色の星が光り輝くという描写。「りす」はささやくように「クリスマス おめでとう みなさん!」と言います。この「ささやくように」というのが画面にとても合っていると思いました。いわばクリスマスの奇蹟。

 原書"The Silver Christmas Tree"の刊行は1974年。この絵本、おすすめです。

▼パット・ハッチンス/渡辺茂男 訳『ぎんいろのクリスマスツリー』偕成社、1975年

たむらしげる『ランスロットのきのこがり』

 「ランスロット」と「モンジャ」がきのこ狩りをするのは、実に巨大なきのこの森。思い出したのですが、たむらさんの『ロボットのくにSOS』にもよく似た場面が出てきます。こちらは地下に広がるきのこの森でしたが、やはり巨大なきのこ。考えてみれば、通常では考えられないくらい大きなものに囲まれるという情景は、たむらさんの他の絵本でもけっこう見られるような気がします。

 それはともかく、カバーにたむらさんの説明があったのですが、「ランスロット」のアンテナ、赤く変わったんですね。「パブロくん」が塗ってあげたとのこと。ちょっと、おしゃれかも。

▼たむらしげる『ランスロットのきのこがり』偕成社、2004年、[ブックデザイン:高橋雅之(タカハシデザイン室)]

クリス・バン・オールスバーグ『ジュマンジ』

 今日もうちの子どもは読む前に、「画面を絶対に近づけないで!」と言っていました。よっぽど恐いんだな。それでも、この絵本は大好き。今回「ジュディ」と「ピーター」が「ジュマンジ」に到達して危機を脱したあとで、うちの子ども曰く「ジュマンジのゲーム、やってみたいなあ」。恐いんじゃないの?と聞いてみたら、でもやってみたいとのこと。なんとなくこの気持ち、分かるような気がします。(ちゃんとゴールにたどり着けるなら)ドキドキハラハラの最高のゲームかもしれませんね。

 ところで、うちの子どもは「ジュディ」と「ピーター」がジュマンジのゲームを抱えて公園から出ていく画面に注目していました。二人を見送るように騎馬像の後ろ姿が描かれているのですが、うちの子どもの考えでは、この騎馬像があやしいとのこと。つまり、ジュマンジのゲームを作ったのは騎馬像なんじゃないか。なぜなら、馬に乗っているしハトがまわりを飛んでいるし、動物たちがまわりにいるから。それに、途中で出てくる案内人はこの馬に乗っている人なんじゃないか……。うーむ、なかなかおもしろい解釈。画面では騎馬像は公園を出ていく二人を後ろからじっと見下ろすような描写になっており、たしかにあやしい雰囲気があります。いずれにせよ、ジュマンジを作ったのは誰か、いったい誰が公園に置いたのかは一つの謎ですね。

▼クリス・バン・オールスバーグ/辺見まさなお 訳『ジュマンジ』ほるぷ出版、1984年

上田真而子/斎藤隆夫『まほうつかいのでし』

 途中で帰ってくる魔法使いの先生、太陽を背にして全身黒々としているのですが、よく見ると、どうやらヒゲがあるようです。うちの子どもが気が付きました。うーむ、なかなか恐いです。

 あと、斎藤さんの絵でおもしろいな思ったのは、左右対称になっている部分がけっこうあること。文様のような表現や幾何学的な単純化された線とも相まって、何か秩序のある画面になっていると思います。それは魔法使いという物語のモチーフと呼応しているような気がします。

▼上田真而子 文/斎藤隆夫 絵『まほうつかいのでし』福音館書店、1992年

マイケル・ローゼン/ヘレン・オクセンバリー『きょうは みんなで クマがりだ』

 お父さん(?)と子どもたち4人にイヌ1匹、みんなで「クマがり」をするお話。草原や川やぬかるみや森や吹雪を通り抜け、海辺の洞穴にたどり着きます。「クマがり」は一応タイトルになっていますし、本文中にも「きょうは みんなで クマがりだ」という文章が繰り返し出てくるのですが、結局、クマを捕まえられたかどうか。なんだかテープを高速で逆回ししているような、おもしろいオチです。

 絵はモノクロとカラーのページが交互に出てきてリズミカル。モノクロのページでは草原や川やぬかるみや森や吹雪を前にして困っている様子が視点を比較的近づけて描かれ、カラーのページではそこをずんずん通り抜けている様子が少し遠くから描写されています。停滞しそしてまた動き出す、そのストップ・アンド・ゴーがモノクロとカラーで表されていて、おもしろい。

 また、困っている画面に付けられた文章も印象的。

うえを こえては いかれない。
したを くぐっても いかれない。
こまったぞ!
とおりぬけるしか ないようだ!

 そうだよなあ、通り抜けるしかないよなあ。上を超えるとか下をくぐるとか、避けることはできないんだなあ、はー。ちょっと考えすぎかもしれませんが、与えられた試練や課題に正面からぶつかることを教えられたような……。

 あと、子どもたちが4人登場し、そのなかには小さな幼児もいます。きょうだいと思いますが、お姉さんやお兄さんが小さい子の面倒を見ている様子も描かれていて、ほほえましい。でも、お母さんは出てこないようです。

 というか、家族(?)が描かれているなら必ず母親が登場しなければならないというのは、一種の思いこみですね。そもそもこの物語は家族でなければならない理由は何もないと思います。

 と思っていたら、他の紹介では、お母さんも登場していることになっていました。うーむ、そうなのかなあ。いや、一番背の高い女の子、母親には見えなかったのですが……。

 あと、この絵本は表紙と裏表紙の見返しも物語の一部。とくに裏表紙の見返し。月明かりに照らされた浜辺をクマが帰っていく様子が描かれています。なんだか後ろ姿がさみしそうです。あるいは、みんなと遊びたかったのか。

 ところで、うちの子どもは、この絵本があまり好きではないようで、読んだあと「あんまりおもしろくない」と言っていました。「僕はクマがりはしない」とも。絵のタッチが好きじゃないのかな。私から見ると標準以上のおもしろさがあると思うのですが、でもまあ、親子の間で価値観が違うのは当たり前ですね。

 原書の刊行は1989年。

▼マイケル・ローゼン 再話/ヘレン・オクセンバリー 絵/山口文生 訳『きょうは みんなで クマがりだ』評論社、1991年