お父さん(?)と子どもたち4人にイヌ1匹、みんなで「クマがり」をするお話。草原や川やぬかるみや森や吹雪を通り抜け、海辺の洞穴にたどり着きます。「クマがり」は一応タイトルになっていますし、本文中にも「きょうは みんなで クマがりだ」という文章が繰り返し出てくるのですが、結局、クマを捕まえられたかどうか。なんだかテープを高速で逆回ししているような、おもしろいオチです。
絵はモノクロとカラーのページが交互に出てきてリズミカル。モノクロのページでは草原や川やぬかるみや森や吹雪を前にして困っている様子が視点を比較的近づけて描かれ、カラーのページではそこをずんずん通り抜けている様子が少し遠くから描写されています。停滞しそしてまた動き出す、そのストップ・アンド・ゴーがモノクロとカラーで表されていて、おもしろい。
また、困っている画面に付けられた文章も印象的。
うえを こえては いかれない。
したを くぐっても いかれない。
こまったぞ!
とおりぬけるしか ないようだ!
そうだよなあ、通り抜けるしかないよなあ。上を超えるとか下をくぐるとか、避けることはできないんだなあ、はー。ちょっと考えすぎかもしれませんが、与えられた試練や課題に正面からぶつかることを教えられたような……。
あと、子どもたちが4人登場し、そのなかには小さな幼児もいます。きょうだいと思いますが、お姉さんやお兄さんが小さい子の面倒を見ている様子も描かれていて、ほほえましい。でも、お母さんは出てこないようです。
というか、家族(?)が描かれているなら必ず母親が登場しなければならないというのは、一種の思いこみですね。そもそもこの物語は家族でなければならない理由は何もないと思います。
と思っていたら、他の紹介では、お母さんも登場していることになっていました。うーむ、そうなのかなあ。いや、一番背の高い女の子、母親には見えなかったのですが……。
あと、この絵本は表紙と裏表紙の見返しも物語の一部。とくに裏表紙の見返し。月明かりに照らされた浜辺をクマが帰っていく様子が描かれています。なんだか後ろ姿がさみしそうです。あるいは、みんなと遊びたかったのか。
ところで、うちの子どもは、この絵本があまり好きではないようで、読んだあと「あんまりおもしろくない」と言っていました。「僕はクマがりはしない」とも。絵のタッチが好きじゃないのかな。私から見ると標準以上のおもしろさがあると思うのですが、でもまあ、親子の間で価値観が違うのは当たり前ですね。
原書の刊行は1989年。
▼マイケル・ローゼン 再話/ヘレン・オクセンバリー 絵/山口文生 訳『きょうは みんなで クマがりだ』評論社、1991年