あらためて説明する必要もない超有名シリーズの第一作目。うちの子どもにはまだ難しいかなとも思ったのですが、図書館から借りて読み聞かせをしました。けっこうおもしろかったようです。
荒れ狂う嵐の夜、ヤギとオオカミが小さな小屋でいっしょになります。暗闇でしかも2匹とも風邪をひいていて匂いが分からず、相手がオオカミ/ヤギであることに気が付きません。そのためもあって、(誤解しながら)なぜか話が合ってしまい、互いに意気投合します。
「なんか、わたしたちって、にてると、おもいません?」
「いよっ、じつは おいらも いま、きが あうなあ~って。」
「そうだ。どうです、こんど てんきの いいひに
おしょくじでも。」
「いいっすねえ。ひどい あらしで さいあくの
よるだと おもってたんすけど、
いい ともだちに であって、こいつは
さいこうの よるかも しんねえす。」
というわけで、次の日のお昼に小屋の前で待ち合わせをすることにして2匹は別れます。合い言葉は「あらしの よるに」。
あくるひ、この おかの したで、なにが おこるのか。
このはの しずくを きらめかせ、ちょっぴりと かおを
だしてきた あさひにも、そんなこと、わかる はずも ない。
これがラスト。読み聞かせが終わると、うちの子どもはとたんに「えーっ、続きは? 続きは? 続きはないの?」と聞いてきました。続きがあることを教えると「読みたい! 読みたい!」とせがんできました。うん、うん、私も読みたい。
実は私もこのシリーズははじめて読むので、このあとどんなふうにストーリーが展開するのか、まったく知りません。というわけで、来週以降、子どもといっしょにシリーズの続編を順々に読んでいこうと思います。
で、この第一作目についてですが、まず、読み聞かせのしがいのある絵本だなあと思いました。というのは、ヤギとオオカミでセリフの口調がはっきりと違うんですね。どちらかというとヤギはていねいな口調で、これに対し、オオカミは少しくずれた感じの口調になっています。だから、読み聞かせのときも、このセリフの表現の違いに合わせて、(ヤギは少し高い声でオオカミは逆に低い声にするとか)声音を工夫できます。子どもにとっても、内容上少しむずかしいところがあっても、口調と声音の違いは分かりやすいし、楽しめるのではないでしょうか。
絵は黒を基調としており、暗闇での出会いを印象深く描写しています。モノクロページもありました。基本的にどのページも、見開きの右ページにヤギ、左ページにオオカミを配置し、まんなかに文章がおかれていて、この文章の部分がヤギの絵とオオカミの絵を分断しています。これは、ヤギとオオカミの楽しい(?)会話と、でも両者が本当のことを知らない様子をあざやかに表しているような気がします。
また、ストーリーと密接に結びつき、絵もとてもスリリングな展開になっています。たとえば、最初の見開きページ、文章では嵐のなかヤギが小屋にたどりついたことだけが書かれているのですが、絵では左ページのはじにオオカミの姿がすで描かれています。ここのオオカミは暖色系の色になっており、その上空の雨もまた暖色系でちょっと見たところでは(文章にオオカミが出てこないこともあり)オオカミの存在には気が付かなかったりします。私も最初、見落としました。
そして、オオカミが小屋に入ってくる場面では、最初はオオカミが使っている杖だけ、ページをめくるとオオカミの足と口、さらにめくった次のページでついにオオカミの顔が現れるようになっています。文章のなかでも、オオカミの顔が出てくるのと同時にオオカミという言葉がはじめて使われており、なかなかスリリングです。
それから、先にふれた、見開き2ページでヤギとオオカミの絵が分断されていることですが、一つの絵のなかにヤギとオオカミがいっしょに描かれるのは4回だけかと思います。そのうちの3回は、オオカミの足がヤギの腰にあたったり、稲妻の光で小屋のなかが昼間のように明るくなったり、雷の音で2匹が体を寄せ合ったりと、互いの正体を知ってしまうかもしれない緊迫した場面です。4回目は、結局互いの正体を知らずに2匹が左右に別れていく場面です。
この絵の構成は、ヤギとオオカミの間の気づきそうで気づかない会話の妙とともに、物語のスリルを高めていると思いました。
ともあれ、この絵本、続きが本当に楽しみです。なるべく続編の情報をインプットしないで、できるだけ真っさらなまま子どもといっしょに読んでいこうと思います。
▼木村裕一 作/あべ弘士 絵『あらしのよるに』講談社、1994年