最近もずっと絵本は毎日1冊だったのですが、その理由がこの「ルドルフ」シリーズの2冊目。毎日、少しずつ読んでいって、今日、読み終わりました。
このシリーズは小学校中学年向きなので、5歳のうちの子どもにはけっこう難しいと思うのですが、本当に大好き。細かいところはよく分からなくても、冒険あり笑いあり涙ありのストーリーはたまらなく魅力的なようです。「おかしいねー」「どきどきするねー」と真剣に聞いています。なにせ読む量が多いので最初は私も大変だなーと思っていたのですが、だんだんおもしろくなってきました。
なんとなく思ったのですが、このシリーズには自立というテーマが底に流れているような気がします。たとえば人に飼われていることと野良であることの区別とその意味といったことが物語のなかでたびたび出てきます。あるいは、教養がある/ないというのが一つのキーワードになっていますが、これもたぶん自立に関係しているでしょうし、ネコが文字を読んだり書いたりすることも自立の一側面を表しているかもしれません。
で、明日からは、うちの子どもリクエストにより、シリーズの3冊目をもう一度、読んでいきます。とにかく、もう一回、読んでほしいとのこと。ほんとに好きなんだなあ(^^;)
▼斉藤洋 作/杉浦範茂 絵『ルドルフともだちひとりだち』講談社、1988年
平山暉彦『へんてこロボットのぼうけん』
今日は1冊。久しぶりに『へんてこロボットのぼうけん』。うちの子どもにとっては何度読んでもあきないようです。合体した「へんてこロボット」の登場場面では「ほんとにへんてこや!」とニコニコ。前と同じく今日も「早くコンパスが使いたいなあ」と言っていました。まあ使ってもよいと思うのですが、うちの下の子どもがまだ小さいので、ちょっとあぶないかなあ。
それはともかく、この絵本の絵は、視点の置き方と移動がおもしろいなと思いました。最初は、コンパスやビー玉が落ちている机の下、ほとんど床すれすれに視点が設定されています。そこから机の上に登っていき、窓を開け、そして外に出ていく(あるいは落ちていく)……。机の下の暗い空間と明るい外という光の対比もよいです。
あと、忘れられていたビー玉やコンパスたちは最後には子どもに見つかって、本来あるべきところに戻るのですが、ラストページがなかなか楽しい。ときどき夜みんなでロボットに合体している様子がそれとなく描かれていて、これもうちの子どもが気に入っている理由かなと思いました。
▼平山暉彦『へんてこロボットのぼうけん』「こどものとも年中向き」2003年3月号(通巻204号)、福音館書店、2003年
ボニー・ガイサート/アーサー・ガイサート『プレーリータウン』
以前読んだ『マウンテンタウン』と同じく、アメリカの小さなまちをモチーフにしたシリーズの1冊。この絵本で描かれるのは、大陸の草原に開拓された「プレーリータウン(大平原の町)」。
うちの子どもは表紙を見てすぐに『マウンテンタウン』と同じシリーズの絵本だと気が付いたのですが、はじめは「このまちはマウンテンタウンの隣にあるんでしょ」と言ってました。「また青いクルマが描かれているのかあ」なんてことも(^^;)。で、山がまったく見あたらない表紙の絵で少し説明したら、「マウンテンタウン」とは違うことが分かったようです。
そして、本文のとびらのページをめくると一言、「うわあ!」。うちの子どものこの気持ち、私もまったく同感です。遠く地平線まで広大なプレーリーが広がり、青い空を雲が流れていきます。横長の紙面が生かされ、絵本のなかを風が吹き抜けていくかのよう。
少し先にページを進めると、今度はたくさんのトウモロコシの畑が描かれています。ここでうちの子どもは心から「いいなあ」。実はうちの子どもはトウモロコシが大好きなのです(^^;)。
『マウンテンタウン』と同じく、この絵本でも「プレーリータウン」の四季が非常に繊細に描き出されています。夏の日に遠くから雨が近づいてくる様子、夕日に照らされるお祭り、冬のブリザード、月明かりに青く照らされしんしんと冷えわたるまち……。本当にすばらしい銅版画です。
また、紙面には人びとの暮らしとまちの変化が一つ一つ大切に描き込まれています。久美さんのあとがきを読むと、最初読んだときはぜんぜん気が付かなかった描写がたくさんあることが分かりました。学校の校庭の遊び道具や貯水タンクのいたずら書き、子イヌたちの誕生などは、うちの子どもといっしょにあらためて探してみました。これも楽しい趣向です。まさに本文中の下記の文章の通りです。
なんでもいつでも少しずつ変わっていくものです。いくつかの変化は、はっきりと目に見えます。あまり変わったように見えないものもあります。
変わっていかないようで変わっていく人びとの営み、それは紙面のなかでは小さく小さく描かれています。でも、このささやかな営みが本当にいとおしく思えてくる、そんな気がします。自然のなかで、まちに抱かれ、日々を過ごしていくこと、その一瞬、一瞬のかけがえのなさ。
ところで、カバーには訳者の久美沙織さんの次のようなメッセージが記されていました。
鉄道が通るまえ、その地には、たくさんの野生生物やネイティブ・アメリカン(いわゆるインディアン)が暮らしていたはずです。開拓は、ある意味、彼らを追い出すことでした。そのことはけっして忘れてしまってはいけないと思います。
しかし、ここでは、どうか、素朴であたたかな暮らしぶりを味わってください。きっとあなたも安らぎや、懐かしさを覚えるでしょう。
久美さんが記されているとおり、歴史の事実は事実としてはっきりと認識する必要があると思います。とはいえ、その事実によってこの絵本のすばらさが減じられるものでもないと感じます。ささやかであってもかけがえのない人びとの日常、それは普遍的な意味を持っており、そこから逆に歴史の事実の重みもまたはっきりと理解できるように思いました。
原書の刊行は1998年。この絵本、おすすめです。
▼ボニー・ガイサート 文/アーサー・ガイサート 絵/久美沙織 訳『プレーリータウン』BL出版、2000年
ウィリアム・スタイグ『ぶたのめいかしゅ ローランド』
今日は1冊。主人公はブタの「ローランド」。ギターを弾きながらすばらしい歌声を聞かせる、「はなさきからひずめまで、うたのてんさい」です。その「ローランド」が故郷を旅立ち、旅回りの歌手として世間に出ていく物語。
最後は王様(ライオン!)に認められて宮廷の歌い手になり最高芸術賞のメダルまでもらうのですが、旅の途中ではキツネの「セバスチャン」にだまされて食べられそうになります。「ローランド」は古い型のギターを持ちベレー帽までかぶって芸術家風、対する「セバスチャン」はいかにもずるそうな表情でいろいろ悪だくみをします。そのやりとりがおもしろい。
ところで、主人公が歌手ですから、当然、物語のなかに何曲も歌が出てきます。もちろん、歌詞だけで節は分かりません。そこで、場面の雰囲気に合わせて、演歌風、フォーク風、オペラ風といった感じで、デタラメに歌ってみました。なかなか楽しい。家族にも受けたのでよかったです(^^;)。ちなみに私はかなりの音痴(!)。いや、根拠なしの自画自賛です(苦笑)。原書の刊行は1968年。
▼ウィリアム・スタイグ/瀬田貞二 訳『ぶたのめいかしゅ ローランド』評論社、1975年
ユーリー・ノルシュテイン/セルゲイ・コズロフ/フランチェスカ・ヤルブーソヴァ『きりのなかのはりねずみ』
今日は1冊。日が沈んだあと「こぐま」の家に出かけた「はりねずみ」、深い霧のなかでいろいろな生き物に出会うという物語。
絵は非常に幻想的。霧の粒子の一つ一つが画面に定着しているかのようです。まわりがよく見えない霧のなか、しかも夜。向こうからやってくる動物たちは大きな顔だけ出して消えていき、あるいは声だけが遠くから聞こえてきます。正体不明なのは、途中で川に落ちた「はりねずみ」を助けるなまず(?)も同じ。ぼんやりとした輪郭と目だけが川面に映ります。なんとも不思議な雰囲気。「はりねずみ」は不安そうにつねに目を大きく見開いていて、霧のなかの所在なさが伝わってきます。
一つ謎なのは「みみずく」。「はりねずみ」のあとをこっそりつけていくのですが、霧のなかで一度姿を現したかと思うとすぐにいなくなります。なんだろう。実は「はりねずみ」と友だちになりたかったのだろうか。
うちの子どもは、「はりねずみ」が「かたつむり」と出会った画面に注目。
こんどは、すぐそばで「ハーッ、ハーッ!」と、
大きな いきづかいが きこえました。
きりのなかに、ぞうでも いるのでしょうか?
はりねずみは こわくなって、そこを はなれました。
という文が付いているのですが、絵をよく見ると、大きな動物の影がうっすらと「はりねずみ」の背後に描かれています。「ここにいるねえ」とうちの子ども。
それから、「はりねずみ」は霧のなかに浮かぶ「しろいうま」に誘われるようにして霧に入っていきます。「はりねずみ」は「しろうまさん、きりのなかで おぼれないかしら?」と心配しているのですが、うちの子どもの疑問は「霧って海みたいなものなの?」。
作者のユーリー・ノルシュテインさんはアニメーション作家。以前読んだ『きつねとうさぎ』と同じく、この『きりのなかのはりずねみ』ももとはアニメーションとのこと。絵本の表現とはだいぶ違うかもしれませんね。機会があったらぜひ見てみたいです。この絵本、おすすめです。
▼ユーリー・ノルシュテイン、セルゲイ・コズロフ 作/フランチェスカ・ヤルブーソヴァ 絵/児島宏子 訳『きりのなかのはりねずみ』福音館書店、2000年
武田英子/清水耕蔵『みさきがらす』
「げんた」がからす山に見つけた白いカラスは、真っ白であるがゆえに、黒いカラスたちにつつかれ、からす山を追い出されてしまいます。ところが、この白いカラス、先を見通す不思議な力を持っていました。その力によって厳寒の冬に黒いカラスたちを助け、からす山のリーダーになっていくという物語。
以前読んだ『八方にらみねこ』もそうでしたが、絵は純和風。繊細な彩色で実に美しいです。鳥たちの羽の一枚一枚や木々の肌合いがあたかも文様のように描き出されています。黒々としたたくさんのカラスのなかで白いカラスは浮かび上がってくるかのよう。
また画面の構図も、グッとクローズアップされたものと遠景とが並べられ、独特の奥行きを生んでいます。たとえば、ある画面では地面すれすれにおかれた視点から草花は大きく描かれ、これに対してそのはるか向こうに空高く飛翔する白いカラスは小さく描写されています。天高くぐんぐん上っていく白いカラスを遠く仰ぎ見るような構図。同じことは白いカラスが木の実を集める画面にも当てはまり、地面すれすれの視点から落ち葉や木の実が実に大きく描かれ、その向こうに白いカラスの姿。非常にダイナミックな画面です。
それから、人間の子どもの「げんた」はずっと白いカラスを見守るのですが、なんとなく、自分と白いカラスとを重ね合わせていることがうかがえます。それは、「げんた」がはじめて白いカラスを見つけたとき誰も信用してくれなかったことに表れていると思います。物語の終わりで「げんた」は、仲間の先頭に立って飛んでいく白いカラスを見つめるのですが、そこではこう書かれています。
げんたは 白い からすを みつめて いた。
ひろげた つばさが でっかく みえる。
ぐんぐん はばたいて、力づよく とんで いく。
「げんた」を励ますかのような白いカラスの飛翔。「げんた」は画面の端に小さく描かれているのですが、両手を上げて白いカラスを見送るその姿からは、気持ちの高まりが伝わってくるような気がします。
ところで、武田さんの「あとがき」によると、古来、カラスはさきゆきの吉凶を告げる鳥、いいことを知らせる「幸鳥(さきどり)」と信じられていたとのこと。そうした予兆能力は「御先」としてうやまわれ、カラスやキツネなどは「みさき性」を持つと考えられていたそうです。この絵本の物語は、そうした伝承をもとに新しく創作したお話。また、白いカラスは実在するそうで、鹿児島で撮影された写真も付いていました。
この絵本、おすすめです。
▼武田英子 文/清水耕蔵 絵『みさきがらす』講談社、1987年
クリス・バン・オールスバーグ『ザスーラ』
この『ザスーラ』は同じオールスバーグさんの絵本『ジュマンジ』の続編。両方とも以前一度図書館から借りて読んだのですが、もう一度読んでみたいといううちの子どものリクエストによりまた借りました。『ジュマンジ』はなかったので『ザスーラ』だけ。
登場するのは「ウォルター」と「ダニー」の兄弟。公園で見つけたゲーム盤(日本の双六みたいなものかな)で遊びはじめると、ゲーム盤の上で起きている事柄が自分たちのまわりで現実になります。ゲームの内容は地球からザスーラ星まで行って戻ってくる宇宙旅行。二人の家は突然、宇宙に放り出され、流星群に突っ込んだり、ロボットに襲われたり、ゾーガン星人の海賊船に攻撃されたりと、たいへんな大冒険になります。
訳者の金原さんも「あとがき」で書かれていますが、本当に黒一色のモノクロとは思えないほど、見開き2ページを丸ごと使った絵が迫力に満ちています。斜めになった構図や窓の外に広がる星空が宇宙空間を描写し、主人公二人の表情が危機また危機の連続を伝えています。SF映画のような物語ですが、静止した絵によって逆に想像力がかきたてられ、いわばダイナミズムが生まれている、そんな気がします。たとえばゾーガン星人は、天井の穴から降りようとしている爬虫類風の足としっぽだけが描かれているのですが、全部描かれていないからこそ、おそろしさが増していると思います。
あと、物語のラストがとても印象的。けんかばかりしていた「ウォルター」と「ダニー」。二人のきずながある一つの言い間違いで表されています。一応のハッピーエンドなのですが、でも、私はあのあとの「ダニー」のことを考えると少し切なくなります。
ところで、うちの子どもにとって、この絵本はだいぶ恐いらしく、読むとき絵本の画面を自分に近づけないでと頼まれました。読み終わったあとも一言、「少し恐かったねえ」。とはいえ、恐いんだけれどもう一度読みたくなる、そんな魅力があるようです。
原書の刊行は2002年。この絵本、おすすめです。
▼クリス・バン・オールスバーグ/金原瑞人 訳『ザスーラ』ほるぷ出版、2003年
アーノルド・ローベル『いたずら王子バートラム』
いたずらばかりしてまわりを困らせている「バートラム王子」。ある朝、空を飛んでいる魔女を黒い鳥と間違えてパチンコを打ってしまい、怒った魔女の呪文で小さなドラゴンに変えられてしまいます。お城から逃げ出した「バートラム」は森に向かうのですが……という物語。
「バートラム王子」のいたずらぶりがなかなか強烈。うちの子どもも「僕はこんな悪いことはしない」と言っていました。「バートラム王子」、もう目つきからして違います。表紙にも描かれているのですが、ちょっと凶悪な人相で本当にワルそう。最後はドラゴンから人間に戻ることができるのですが、もとに戻ってからはかわいい王子さま。表情もニコニコしています。この対比がおもしろいです。でもまあ、いたずらっ子なところも残っているといいなと思いました。原書の刊行は1963年。
ところで、訳者の湯本香樹実さんはもともと小説家、この絵本ははじめての翻訳絵本とのこと。だいぶ以前に湯本さんの小説が原作でもう亡くなった相米慎二さんが監督された映画『夏の庭』を見たことがありました。私は相米さんの映画が割と好きなのですが、『夏の庭』も、登場する子どもたちの生き生きとした姿と三国連太郎さんが演じたおじいさんが記憶に残っています。
▼アーノルド・ローベル/湯本香樹実 訳『いたずら王子バートラム』偕成社、2003年、[装丁:丸尾靖子]
瀬川康男『ひな』
今日は2冊。子犬の「ひな」がカエルや人間の女の子に出会う様子が描かれています。女の子との交流はとてもほほえましい。瀬川さんならではの抽象化された線と複雑な文様、また細かな彩色が実に美しいです。イヌと人間が友だちになるというモチーフは、瀬川さんの他の絵本にもあったように思いますが、においをかいだり、かんだり、なめたり、花を飾ったり、だきしめたりといった体感的な交流はなんとも気持ちよさそう。幸福感に満ちています。
▼瀬川康男『ひな』童心社、2004年、[装丁:辻村益朗+オーノリュウスケ]
松岡達英『だんごむし うみへいく』
今日は1冊。この絵本は「だんごむし」たちが海の仲間に会いに行く冒険物語。「たんごむし」シリーズはうちの子どもも大好きです。このシリーズでおもしろいなと思うのは、物語は擬人化されているのですが、絵はかなりリアルであること。ダンゴムシが日本語をしゃべったり、船で海に行ったり、たき火をしたりと、たしかにファンタジー。とはいえ、だからといって、ダンゴムシなどの生物の顔や身体が人間のように描かれることはなく、かなり写実的です。ファンタジーなのにリアルというか、リアリティのあるファンタジーというか、独特の雰囲気を生んでいると思います。
表紙と裏表紙の見返しには、物語に登場するいろいろな生き物のイラストが名前付きで載っていました。海の生き物は名前もかたちもユニークなものが多いですね。私はあまり知識がないので、子どもの質問に答えられなかったのですが、本文の絵と照らし合わせながら楽しみました。
うちの子どもは、「だんごむし」シリーズのなかでもこの絵本が特に気に入ったようで、買って持っていたいと言っています(今日、読んだのは図書館から借りました)。どうしようかなあ。絵本の本棚はもう満杯ですし、うーむ、困った。
▼松岡達英『だんごむし うみへいく』小学館、2001年