11月27日の日経新聞、土曜日の別刷り「NIKKEIプラス1」11面に載っていた記事。リードを引用します。
「絵本は子供のもの」。そんなふうに思っている人は少なくない。だがその絵本が最近は大人の男性の間にもじわりと広がりつつある。子育てにかかわりたいパパの強い見方として、自らと深く向き合う時間を提供するものとして、絵本が再認識されている。
11月27日の日経新聞、土曜日の別刷り「NIKKEIプラス1」11面に載っていた記事。リードを引用します。
「絵本は子供のもの」。そんなふうに思っている人は少なくない。だがその絵本が最近は大人の男性の間にもじわりと広がりつつある。子育てにかかわりたいパパの強い見方として、自らと深く向き合う時間を提供するものとして、絵本が再認識されている。
これはおもしろい! スズキコージさんのクリスマス絵本です。全体で5つの章に分かれ、絵本というよりは(岸田衿子さんがカバーで書かれていますが)絵入り物語。
はじまりは雪がしんしんと降り積もる夜の町。広場に座っていた「雪だるま」がゆっくりと歩き出し、レストランの前に雪で「ラッパ男」を作ります。非常にスリリングな導入。ここでもう、うちの子どもはこの絵本の魅力にとりつかれたようです。事情があって、最初の1章でいったん中断したら、「早く先を読んで!」とせがまれました(^^;)。
2章で登場した主人公の「メリー」は、「雪だるま」や「ラッパ男」とともに、サンタクロースのおいの「プレゼントンおじさん」の村へとやってきます。トナカイにまたがってサンタクロースにも会いに行き、最後はみんなでクリスマスのプレゼントを配ります。
ストーリーも絵も幻想的で魔法のよう。と同時にユーモラスなところがあって、楽しいです。うちの子どもにとくに受けていたのは、サンタクロースの山とドラゴンのエピソード。
読み終わったあと、うちの子どもは「雪だるまって、こんなふうに歩くんじゃない?」と言って、なんだか関取がしこをふんだような姿勢のまま歩いていました。おもしろいぞ、うちの子ども(親ばか^^;)。
この絵本は、基本的に見開きの左ページに絵、右ページに文章というつくり。絵はカラーとモノクロが交互に出てきます。とても印象的なのは、雪景色が黒っぽい青と白で描かれているところ。モノクロのページは濃い青で描かれ、カラーのページも雪の風景は青と白で彩色されています。この色合いがとても美しい。私は雪国出身なのですが、降り積もった雪はたしかにこんな色だったなあと思い出しました。なんというか、雪は光るんですね。とくに夜の雪は、ぼぉっと光を発します。この絵本の色彩は、その雪の光をよく表しているように感じました。
ところで、この絵本は、もともと1979年に旺文社より刊行され、一時、絶版になっていたもの。復刊ドットコムで117票のリクエストを得票し、2003年にブッキングより復刊されました。
巻末のスズキコージさんのあとがきも加筆されています。スズキさんは1979年の冬にヨーロッパを旅したそうで、そのときの印象がこの絵本のもとになっているとのこと。スズキさんによれば、その旅の「おみやげ」がまさにこの『クリスマスプレゼントン』。印象深いタイトルです。
この絵本、おすすめです。
▼スズキコージ『クリスマスプレゼントン』ブッキング、2003年
今日は1冊。マドレーヌたちのお隣のお屋敷に住んでいた男の子ペピート、お父さんのスペイン大使といっしょにロンドンに引っ越していきます。ところが、ロンドンに着いてからペピートは、マドレーヌたちに会えないさみしさで、みるみるやせてしまいまるで棒のよう。そこで、マドレーヌたちがロンドンに向かうという物語。
今回もマドレーヌは元気いっぱい。いろいろ騒動を巻き起こしますが、楽しい雰囲気。シリーズの他のものと同じく、黄と黒を使ったシンプルなページと色鮮やかなページが交互に現れ、またロンドンのさまざまな名所も随所に差し挟まれています。イギリス王室まで登場。よく見ると、ロンドンでも小さな男の子(?)たちが2列に並んで散歩しています。数えてみたら20人。マドレーヌたちとは違って緑の服装です。
この絵本、子どもともども楽しんだのですが、ただ、ストーリーそのものは少々ギクシャクしている気がしました。前半と後半が二つの別のお話に見えて、その結びつきがあまりスムーズではないような。結局、マドレーヌたちといっしょに馬がパリに行くのも「ん、なんで?」です。
それはともかく、一番最初のページでは、お話の基本的な前提を12人の女の子がまるで紙芝居のようにして説明しています。なるほど、こういう導入法もあるんですね。
原書の刊行は1961年。
▼ルドウィッヒ・ベーメルマンス/江國香織 訳『ロンドンのマドレーヌ』BL出版、2001年
今日は1冊。金曜日の夜、まちのフィルハーモニック・ホールで演奏会を開くオーケストラのメンバーがどんな支度をして集まるのかを描いた絵本。体を洗ってふく、ヒゲをそる、下着をつける、くつ下をはき服を着る、楽器の入ったカバンを持ち家の人に「いってきます」と言う……といった一つ一つのプロセスが見開き2ページを単位にして描かれていきます。ラストは、指揮者が指揮棒を振って演奏会を開始。
シャワーを使うかお風呂に入るか、男の人たちがヒゲをそるかどうか、アンダーショーツかブリーフか、女の人たちが宝石をつけるかどうか、などなど、それぞれの支度はもちろん人によって違うわけですが、その違いが細かく描写されていて、おもしろい。
姿かたちを並べて描き、しかも数値を出して正確に分類しているところは、なんとなく今和次郎さんの考現学を彷彿とさせます。たとえばこんなところ。
男の人たちは 下着を きてしまうと
こんどは 袖の長い 白いシャツをきて
ボタンを かけます。
それから 黒いズボンを はきます。
45人は 立ったまま ズボンをはいて
47人は 腰かけて はきます。
この文が付いたページには、じっさい8人の男の人がシャツを着たりズボンをはいたりしている様子が描かれています。
各人それぞれの支度なのですが、なかでも独特なのが指揮者。フリルの付いたシャツや白い蝶ネクタイや燕尾服は指揮者しか着ませんし、運転手つきのクルマでホールに向かいます。なるほどねーと納得。
105人一人ひとりの個性あふれる支度は、それぞれの多様な生活を表し、またそれぞれの演奏する楽器が固有の音色を持っていることを反映しているかのようです。と同時に、そうであるからこそ、105人全員が集まり一つになって美しいシンフォニーを奏でることのすばらしさも伝わってくるように思いました。
原書の刊行は1982年。この絵本、おすすめです。
▼カーラ・カスキン 作/マーク・サイモント 絵/岩谷時子 訳『オーケストラの105人』すえもりブックス、1995年[新版]
今日は1冊。サンタクロースはどこに住んでいるのか、クリスマス以外は何をしているのか、どうやって世界中の子どもたちのことを知るのか、たくさんのプレゼントをどうやって準備しているのか、一晩の間に世界中をまわることができるのはなぜか……、そんな疑問の数々に答えてくれるのがこの絵本。
フィンランドの北のはずれ、コルバトントリという山のふもとにサンタさんは住んでいるのですが、一人ではありません。かつて家や森の守り神だった何百人もの小人たちといっしょに村をつくって暮らしているのです。で、この小人たちが一年を通じてクリスマスの準備をしているというわけです。いや、たしかにサンタさん一人で全部まかなえるわけはありませんね。
みんな白く長いヒゲに赤い衣装。クリスマスの準備をしていく1年間の様子がユーモラスに、と同時に割と説得的に(?)描写されています。なるほどなあという驚きの事実も。たとえばサンタさんは一日中、寒いそりに座っているのがつらいので、リューマチのクリームをぬってあらかじめマッサージをするのだそうです。
またクリスマスの夜みんなで食べるおかゆのなかには、幸せをもたらすというアーモンドを一粒だけ入れておくそうで、サンタと小人たち全員でお祝いしている画面をよく見ると、たしかに一人アーモンドに当たった小人がいます。なかなか楽しい。
でも、一番インパクトがあったのは、プレゼントを配り終えて村に帰ってきてからみんなでサウナに入っているところ。気持ちよさそうなのですが、ちょっとくさそうかも(^^;)。
うちの子どもは本文のとびらに描かれていたオーロラにひかれていました。これ何?と聞いてきたので少し説明したら直接見たがっていました。うーむ、日本ではなかなか見られないねえ。
原書の刊行は1981年。
▼マウリ・クンナス/稲垣美晴 訳『サンタクロースと小人たち』偕成社、1982年
今日は1冊。ブルガリアの昔話をもとにした絵本です。ブドウ畑で働くお百姓さんとむくどりとのやりとりが、四季の移り変わりのなかで描かれています。お百姓さんはいつも、いっしょに農作業をしようと誘うのですが、むくどりは、巣作りをしていたり卵をあたためていたりと大忙しでブドウ畑には行きません。そして、最後、秋のブドウ摘みのときだけ、むくどりは子どもたちといっしょに参加。甘いブドウをおなかいっぱい、ごちそうになります。むくどりの親子は一番よいところだけもらうわけですが、だからといって、何か道徳的な含意があるわけではありません。むしろ、お百姓さんもむくどりも満足そうです。
絵は水彩画でしょうか。繊細にリアルにブルガリアの自然が描き出されています。四季の自然の変化と、ブドウ畑の農作業の様子、そしてむくどりの巣作りと子育て、これらが一つになり1年間のときの流れが実感できます。ページのつくりも、複数ページを単位にして、これらを一つのまとまりとして示すようになっています。お百姓さんをはじめ、登場する人物が着ているのは、もしかするするとブルガリアの民族衣装かも。
ところで、うちの子どもは、梅雨(?)の描写に反応していました。
6がつが きました。
なんにちも あめの ひが つづいて、
のはらも はたけも みずびたしになりました。
うちの子ども曰く「でも、この雨があるから、作物は育つんだよねー」。おおっ、いつの間にそんなことが分かるようになったんだ! と、ちょっと親ばかになりました(^^;)。
▼八百板洋子 再話/T・マノーロフ 絵『むくどりとぶどうのき』「こどものとも年中向き」1994年11月号(通巻104号)、福音館書店、1994年
今日は1冊。日本の昔話をモチーフにした絵本です。二人で暮らす「じいさ」と「ばあさ」。ある日、山にしばかりに行った「じいさ」は、二十歳の若者になって帰ってきます。山の川端には若返りの桃がなっていて、これを食べると若くなるのです。そこで、「じいさ」に勧められて「ばあさ」もその桃を食べに山にむかうのですが、どうも食べ過ぎたみたいで赤ちゃんになってしまうという物語。
作者の梶山さんがカバーに書かれていますが、あらためて考えてみると奇想天外なお話です。うちの子どもは「ばあさ」が赤ちゃんになった場面がよく分からなかったようで、「別の人になっちゃったの?」と言っていました。少し説明してようやく理解したようです。うちの子ども曰く「僕はこの桃、食べたくない」。うーん、そうか。どうやら赤ちゃんにはなりたくないみたいです(^^;)。
絵は、緑と茶を基調とした彩色に太い線、文章も手書き文字で、なんとなく暖かみがあります。山々の稜線と木々が独特のリズムをもって繰り返し描かれており、これもおもしろい。桃の木をよく見ると、「じいさ」は桃を1個しか食べていないのですが、「ばあさ」は5個も食べていることが分かります。これじゃあ、赤ちゃんになるのも当然ですね。
ラスト、赤ちゃんになってしまった「ばあさ」と「じいさ」がいっしょに暮らしている様子が描かれているのですが、これがなんとも幸せそう。二人ともニコニコしています。二人がとても仲がよいことは、最初に「じいさ」が山にしばかりに行く場面にも表れているように思いました。
じいさは やまへ
しばかりに いったって。
ばあさは さびしくて
いちにち かどにたって
まっていたって。
「じいさ」もまた、「ばあさ」が桃を食べにいったとき、家の角に立って待っているんですね。
ところで、うちの子どもと私の今日の疑問は、赤ちゃんになった「ばあさ」に誰がお乳をあげるんだろうということ。ウシを飼っているわけでもなさそうだし、どうするのかなあ。うちの子ども曰く「ばあさが自分のお乳を自分で飲むんじゃないの」。いや、それは無理だって(^^;)。
▼梶山俊夫『じいさとばあさ』フレーベル館、1994年
これはおもしろい! 青い目をした子ネコがネズミの国を見つけにでかける物語。途中で魚やハリネズミ、5匹のネコに出会いますが、子ネコが青い目をしているため、誰もきちんと相手にしてくれません。それでも、主人公の子ネコはめげたり泣き言を言ったりせず、「なんでもないさ」と実に前向きで楽天的。無理をしているのではなく、自然にそうなっていることが分かります。そして、最後にはついにネズミの国を発見し、また他のネコたちにも認められます。
子ネコのなにごとにもポジティヴな姿勢はなんだかすがすがしく、またとくに次の言葉が印象に残りました。
ある日、こねこは、「おもしろいことを
してみよう。なんにもなくても、
げんきでいなくちゃいけないもの」と、
おもいました。
元気ではないのに無理して元気になるのではなく、何かおもしろいことをやってみよう、そして元気にやっていこう、ということかなと思います。おもしろいことをして楽しんで、それが元気になる……。いいなあ。なんだか見習いたいくらいです。
ところで、この絵本では、見開き2ページの左ページに文章、右ページに絵が配置されています。福音館書店の「世界傑作童話シリーズ」の1冊で、絵本というよりは童話なのかもしれません。「1のまき」「2のまき」……と全体で7節の構成。ページ数も比較的多いのですが、文章が短くリズミカルなので、どんどん読んでいけます。
絵は黒と青と黄の3色のみ。子ネコの目の色の青と他の5匹のネコの目の色の黄色だけが彩色されています。それはまた、子ネコの置かれた特殊な境遇を強調しているかのようです。じっさい「ふつうの、いいねこは、きいろい目だまなんだよ」とか「青い目のねこは、うそがうまいんだろ」とか言われてしまいます。とはいえ、この子ネコ、しぐさと表情がとてもかわいい。これに対して黄色い目の5匹のネコは、最後にはかわいいネコになるのですが、はじめは実にワルそうな表情。
ちょっと思ったのですが、作者のマチーセンさんはデンマークの方。(正確には分かりませんが)ヨーロッパでは青い目はノーマルなんだろうと思います。とすると、この絵本では、人びとがごくふつうに接している「青い目」を特異なもの、「へんてこなもの」あるいは周りから受け入れられないものとして描くことで、いわば価値の逆転をしているように思いました。それはまた、さまざまな紋切り型が人為的で無根拠で無意味であることを表していると言えるかもしれません。
あと、この絵本では、描かれている線が非常にシンプル。背景などの描写はほとんど省略されています。たとえば、洞穴や夜の描写は、黒く塗られたなかにネコの目だけが描かれています。あるいは子ネコは大きなイヌの背中につかまり山々を上り下りしてネズミの国にたどり着くのですが、この山々の描写は斜めの線が1本だけ。とはいえ、このシンプルな描写と繰り返される上り下り、そしてページのめくりが、独特のおかしさを生んでおり、うちの子どもはこの場面で大受けしていました。ネズミをたらふく食べた子ネコがまるまると太ったり、ひょろひょろにやせた5匹のネコの描写も、なんだかおかしい。うちの子ども曰く「やせすぎや!」。
ところで、うちの子どもが気になっていたのが、子ネコの鼻(?)の描き方。ページによって白いままだったり黒く描かれていたりとさまざま。どうして白かったり黒かったりするのか、うちの子どもは不思議がっていました。また、うちの子どもによると、この黒いのは鼻ではなく模様なのではないか、とのこと。うーむ、どうだろうね。
原書の刊行は1949年。この絵本(絵童話)、おすすめです。
▼エゴン・マチーセン/瀬田貞二 訳『あおい目のこねこ』福音館書店、1965年
今日は1冊。これは本当にすごい! はじめて読んだときも衝撃を受けたのですが、何回読んでもそのすさまじさに圧倒されます。舞台は砂漠。一匹の獲物(イノシシのような小さな恐竜のような謎の生物)をめぐって、二つの国、二つの軍隊が衝突するという物語(かな?)。
二つの軍隊の一方は人間で砂漠の遊牧民。もう一方はロボットのような何か人造生物に見えます。人間ではないようなのですが、こちらは定住民。二人の王様(?)がときの声を上げ、軍隊が砂漠を進軍。獲物を間に置いて対峙した両軍は徐々に緊張が高まり、ついに戦いがはじまります。見開き2ページをいっぱいに使った一連の画面はまさにド迫力。
この戦争がどのように終わるのかが見ものです。赤く焼けた大地と波打つ空、結局、誰が獲物を得たのか? 何となく寓意的なメッセージが感じ取れるように思いました。
もう一つおもしろいのは、フキダシのかたちで描き込まれているセリフ。短いものばかりなのですが、日本語ではありません。なんとも不思議な音感の言葉です。しかも、二つの国、軍隊の間で語順がまったく正反対。これは、もしかすると両国の考え方が相容れないことを暗示しているのかもしれません。
それはともかく、戦争のセリフなので読み聞かせといっても、なんだか雄叫びを挙げるような感じ。いや、乱暴といえば乱暴なのですが、なんというか声を発することの原始的な楽しさを体感できるように思います。うちの子どもも、このセリフ、おもしろがっていました。
あと、裏表紙が注目。まさにペンと剣。ペンを取るスズキコージさんのいわば命がけの闘いを表しているかのようです。この絵本、おすすめです。
▼スズキコージ『サルビルサ』ほるぷ出版、1991年[装丁:平野甲賀、編集:トムズボックス]
今日は1冊。うちの子どもは、この絵本のラストページが大好き。水牛の背中にチョーク(?)で書いて算数の勉強をしている男の子のモノクロ写真です。
すいぎゅうさん、
2たす2は いくつ?わしゃ、しらん。
しらんでも かまわん。わしの せなかが
しっとるわい。
この最後の文をうちの子どもは方言で言い換えていました。幼稚園に行っているうちにいつのまにか方言が身に付いたようです。
▼車光照ほか 写真/松岡享子 文『いつも いっしょ どうぶつとくらすアジアのこどもたち』「こどものとも」1994年2月号(通巻455号)、福音館書店、1994年