月別アーカイブ: 2005年4月

ウィリアム・スタイグ『歯いしゃのチュー先生』

 ネズミの歯医者さん「チュー先生」はとても腕利きで、いつも患者さんでいっぱい。助手の奥さんと一緒にどんどん治していきます。モグラやシマリスといった自分と同じ大きさの患者さんはもちろんですが、ブタやウマ、ウシといった大きな患者さんも特別の設備で治療。とはいえ、「チュー先生」はネズミですから、たとえばネコやその他の危険な動物は最初から診療を断ってきました。

 ある日、虫歯を抱えたキツネがやってきます。本来ならお断りなのですが、あんまり痛そうなので、「チュー先生」はかわいそうに思い、治療することにしました。ところが、このキツネ、診察されているうちに、「チュー先生」を食べたくなってきました。さあ、「チュー先生」はどうやってこの危機を乗り越えるのか……。

 この絵本、先日読んだ『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』のシリーズ前作ではないかと思います。登場するのは、同じネズミの歯医者さん。『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』では「ソト先生」という名前でしたが、今回は「チュー先生」。でも、原書のタイトルを見ると、間違いなく「ソト先生」ですね。固有名をどう訳すか、訳者によって判断が違うのかなと思います。

 『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』もそうでしたが、この絵本でも、大きな動物たちと小さな「チュー先生」の対比がユニーク。多くの画面で「チュー先生」夫婦は小さく描かれており、ところが、この小さき者が力ある大きな者を助けるわけです。

 治療の描写もなかなかおもしろい。いろいろ特別の器具を使い、患者の口に入り込んで処置するんですね。ぱかっと開けた口のなかに美味しそうなネズミ。だから、キツネも食べたくなってしまうわけです。いや、気持ちは痛いほど(^^;)分かります。

 また、このキツネ、表情の変化が絶妙です。目つきや口の端の細かな動きが、ずるかしこいキツネの心情をよく伝えています。

 ところで、なるほどなーと思ったのが、自分の仕事に対する「チュー先生」の心意気。

「いったんしごとをはじめたら」と、チュー先生はきっぱりと
「わたしはなしとげる。おとうさんもそうだった」

 多少のリスクがあっても、仕事は最後までやり遂げる……。表紙に描かれた、治療台の横に立つ「チュー先生」のりりしい姿からも、自分の仕事に誇りを持っている様子がうかがえます。

 まあ、仕事の中身にもよりますし、いつでもそう出来るわけではないでしょうが、しかし、こういうのは格好よいです。

 原書”Doctor DE SOTO”の刊行は1982年。

▼ウィリアム・スタイグ/うつみ まお訳『歯いしゃのチュー先生』評論社、1991年

ウィリアム・スタイグ『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』

 ネズミの歯医者さん「ソト先生」とその奥さんで助手の「デボラさん」がアフリカに行き、ゾウの「ムダンボ」の虫歯を治療するという物語。途中で「ソト先生」がアカゲザルの「ホンキトンク」にさらわれたりしますが、最後は無事に虫歯を治します。

 小さなネズミと大きなゾウの対比が、なかなかユニーク。困り切った顔の「ムダンボ」が大きく口を開け、飲み込まれそうに小さな「ソト先生」と「デボラさん」が処置しています。いわば、大きなものと小さなものの力関係の逆転です。「ムダンボ」の虫歯を削って何で詰め物をするかも、なるほどなーのアイデア。

 それはともかく、この絵本の隠れたモチーフは、おそらく夫婦愛。「ソト先生」と「デボラさん」の夫婦は仕事上のパートナーでもあり、互いを尊敬し合い愛し合っていることが伝わってきます。

 たとえば「ホンキトンク」にさらわれたとき、二人は何よりお互いを心配し合います。「ソト先生」が閉じこめられた檻から脱出するときも、「デボラさん」に会いたいという一念で死にものぐるいの力を出すわけです。そして、ラストページ、「ソト先生」の言葉が最後の締めなのですが、これがまた二人の仲の良さを表していて、ちょっとよい感じです。

 そういえば、とびらの前の一番最初のページには、「ソト先生」と「デボラさん」が並んで写っている額縁入り写真(?)がさりげなく描かれていました。

 原書”Doctor DE SOTO goes to Africa”の刊行は1992年。

▼ウィリアム・スタイグ/木坂涼 訳『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』セーラー出版、1995年

内田麟太郎/高畠純『ワニぼうのこいのぼり』

 登場するのはワニの家族。「おとうさん」が「ワニぼう」に鯉のぼりを買ってきます。さっそく庭に揚げてみると、青空を気持ちよさそうに泳ぐ鯉のぼり。あんまりうらやましいので、「おとうさん」はなんと「ワニのぼり」(!)をはじめ、「ワニぼう」と「おかあさん」もそれに加わっていくという物語。

 この「ワニのぼり」、つまりは、鯉のぼりと同じように、口にひもをつけて、それを柱に結わえ、みずから風に吹かれるわけです。うーむ、これはおもしろい!

 もちろん、ワニが風に吹かれて空を泳ぐなんて現実にはありえませんが、なんとも楽しい描写。青い空と白い雲をバックに、緑色のワニが浮かんでいるのです。

 また、子どもの「ワニぼう」より先に「おとうさん」がまず「ワニのぼり」になるのも、よい感じです。というか、もしかすると、日々の仕事に疲れたお父さんこそ、鯉のぼりがうらやましく思えてくるのかもしれませんね(^^;)。

 ところで、5月の空を泳ぐ気持ちよさをこの絵本では、春風の美味しさという実に印象的なフレーズで表しています。なるほどなー。鯉のぼりが口を開けて泳いでいる様子は、たしかに春風をおなかいっぱい味わっているようにも見えますね。春風のさわやかさ、心地よさを、美味しさという味覚で表現する……。突飛なようでいて、でも、とても実感がわきます。

 うちの子どもは、「ワニぼう」たちの「ワニのぼり」にニコニコ。終わりのページで街中の動物たちがそれぞれ「○○のぼり」をしている画面では、指さしながら「あ、ヤギ。こっちはゾウ。ペンギンもいるー! タコのぼりー!」と大受けしていました(^^;)。

▼内田麟太郎 文/高畠純 絵『ワニぼうのこいのぼり』文溪堂、2002年

またき けいこ『たくあん』

 表紙と裏表紙を広げて一つにすると、大きな大きな白い大根が横たわっています。この絵本のテーマは「たくあん」。大根の種がまかれ成長し、畑から抜かれて干され、樽に漬けられ、最後に「たくあん」としておにぎりの横に並べられるまでが描かれています。

 福音館書店の月刊誌「かがくのとも」の1冊ですが、何か科学的説明や図解が載っているわけではありません。むしろ、文章は詩のような趣。けれども、「たくあん」が出来上がるまでのプロセスが丹念に描写されており、一つの食べ物が食卓に並ぶまでの作業の積み重ねと時間の流れを実感できます。

 絵は、ダイナミックな筆致と鮮やかな色彩で、なかなかの迫力。ただし、人間は一人も登場しません。中心をなすのはあくまで大根と「たくあん」。もちろん、「たくあん」は人間の手が加わってはじめて出来上がるわけですし、この絵本でも、大根が干され漬けられることがきちんと描かれています。とはいえ、大根を育て「たくあん」を作ることは、自然の営みや変化を基礎にしていると言えるでしょう。この絵本の描写は、そのことに焦点を当てているように思います。

 使われている色のなかでは、とくに黄色が印象的。最初のページでは、黄色い画面に大根の小さな種がたくさん散りばめられており、ページをめくると、この黄色が暖かな太陽の光であることが分かります。終わりのページでは樽のなかで出来上がったたくさんの黄色い「たくあん」が見開き2ページいっぱいに描かれています。この黄色は、なんとも美味しそう。そして、ラストページは、大きな黄色い太陽(?)に浮かぶ赤唐辛子。

 つまり、「たくあん」の黄色とは、お日様の黄色なんですね。秋の日差しを浴びて大根は生長し、また冬のお日様にあたって甘くなる。太陽の恵みを存分に受けて美味しい「たくあん」が出来上がることが、黄色の彩色からよく伝わってきます。

 あと、興味深かったのは、畑から抜いた大根を木で組んだやぐらに干しているところ。やぐらは畑のそばにあって、幾つも並んでいます。家の軒先に干すというのは、私が小さい頃にもあったと思うのですが、やぐらに干すのは、はじめて知りました。昔からの伝統的なやり方かなと思います。

▼またき けいこ『たくあん』「かがくのとも」2001年11月号(通巻392号)、福音館書店、2001年

岸田衿子/中谷千代子『ジオジオのたんじょうび』

 世界中で一番強いライオン、「ジオジオ」はお菓子が大好き。ケーキやパイやプリン、柏餅など、甘いものを食べていれば、普通の食事は何もいりません。そんな「ジオジオ」にお菓子を作っているのが、ゾウの「ブーラー」。専属のコックです。

 70歳の誕生日を迎えるにあたって、「ジオジオ」は「ブーラー」に特別のケーキを注文します。動物たちは、ケーキの材料を集めるのに大忙し。最初は自分だけで誕生日を祝おうと考えていた「ジオジオ」ですが、それがどうなったか。なんだか気持ちがあたたかくなるようなラストです。

 この物語でとくに印象深いのが、「ジオジオ」が夢に見る、5歳のときの誕生日の様子。家族みんなが集まって誕生日をお祝いし、一年に一度だけお母さんが焼いてくれるケーキをみんなで分けて食べます。ろうそくの灯に照らされたみんなの笑顔。そして「おかしは、いくつに きれば いいの?」というお母さんの声。実に幸せな情景です。

 小さいころ誕生日に食べたこのケーキの美味しさが、「ジオジオ」が甘いものを好きな理由なんですね。でも、それは、甘いケーキだから美味しいのではなく、みんなで分かち合うからこそ美味しいということ。そのことを「ジオジオ」はずっと忘れていたわけですが、70歳の誕生日を前にしてようやく思い出します。自分が本当に求めていたものが何だったのか、はじめて理解する「ジオジオ」。

 家族を亡くし動物たちに恐れられるだけだった孤独な「ジオジオ」が、もう一度、他者とのきずなを取り戻す……。そこには、以前読んだ『ジオジオのかんむり』と共通のモチーフを読み取れます。

 また、「ジオジオ」の夢の描写が非常に体感的であるのも興味深いと思います。甘い匂い、ろうそくの灯、口のなかに広がる美味しさ、お母さんの声……。いわば五感のすべてが一つとなって、「ジオジオ」の幸せな記憶を成しているわけです。

 なかでも、眠る「ジオジオ」を包み込むケーキの甘い匂い、つまりは嗅覚が記憶を呼び覚ますきっかけになっており、そして、夢から覚めても聞こえてくるお母さんの声、つまり聴覚がその記憶の本質を伝えていると言えるかもしれません。

 中谷さんが描く「ジオジオ」は、百獣の王というより、むしろ、おだやかでおしゃれな紳士といった風情。それはこの物語によく合っていると思います。岸田さんの「あとがき」では、物語の背景やモチーフの一端が記されていて、こちらも興味深いです。

 うちの子どもは、ニコニコしながら聞いていました。「ジオジオ」が「ブーラー」にお菓子を作ってもらうところでは、「いいなあ」と心底うらやましそう(^^;)。そして、読み終わると一言「おいしい物語だねえ」。うちの子どもにとっては「ジオジオ」の心の動きなどよりも、とにかく好きなお菓子をいつでも食べられることに惹かれたようです。

 「ジオジオ」の物語は、どうやらまだ他にもあるようなので、次の機会に読んでみたいと思います。うちの子どもも「また読みたーい」と言っていました。

 この絵本(絵童話)、おすすめです。

▼岸田衿子 作/中谷千代子 絵『ジオジオのたんじょうび』あかね書房、1970年

ステファニー・ブレイク『うんちっち』

 主人公は「うさぎのこ」。この子はたった一つの言葉しか言えませんでした。それが、なんと「うんちっち」。お母さんやお父さんやお姉さんが何と言っても、「うんちっち」としか答えません。そんなある日、「うさぎのこ」は「オオカミ」に食べられてしまいます。さあ、いったい「うさぎのこ」はどうなってしまうのか……。

 いやー、これはおもしろい! 最近、読んだ絵本のなかではベストの1冊です。なによりおかしいのが「うんちっち」という言葉。うちの子どもはまず、これに大受けでした。やっぱりねー、汚いものは楽しいんですよね。子どもは、こういう大人が嫌がるような言葉、眉をひそめるような言葉を言いたがるところがあります。この絵本での「うんちっち」の連呼(?)には、大人のつまらない良識を笑い飛ばしてしまう、そんなパワーを感じます。

 そして、ストーリーも実に秀逸。いきなり「オオカミ」に食べられちゃうところにびっくりしました。恐ろしいというのではなく、呆気にとられる感じです。ちなみに、うちの子どもは冷静に一言、「まるのみだね」。

 この急展開のあとも「あっ!」と驚きの物語。もちろん、「うさぎのこ」はちゃんとお父さんやお母さんのもとに帰ってきます。そして、大爆笑のラスト。うちの子どもも大受けでした。どういう結末なのかは、ぜひ読んでほしいと思います。いや、実にすばらしい(?)絵本です。なんというか、突き抜けたおもしろさ!

 いや、考えようによっては、少々乱暴なストーリーとも言えます。どうして「オオカミ」の「おいしゃさん」が「うさぎ」で、しかも、その「おいしゃさん」が他ならぬ「うさぎのこ」のお父さんなのか?とかね。でも、この絵本には、そんなことはお構いなしの力強さがあります。

 それから、主人公の「うさぎのこ」や「オオカミ」の描写も、とてもユーモラス。「うさぎのこ」は、まん丸な眼で、前歯が1本抜けた口を開け、後ろに手で組んで「うんちっち」。単純にかわいいとか愛らしいのではなく、どことなく不気味なところが魅力です。

 ところで、この絵本は、左ページに文字、右ページに絵という作り。左ページの文字はかなり大きく印刷されており、うちの子どもでも読めそうなくらいです。

 で、「うさぎのこ」が言い続ける「うんちっち」なんですが、よーく見ると、一箇所だけ、文字の配置が他と違っています。それは、「オオカミ」が「うさぎのこ」に「ぼうやをたべても いいかい?」とたずねたところ。「うさぎのこ」はもちろん、「うんちっち」と答えるのですが、この「うんちっち」だけ、「うん」と「ちっち」の間にわずかにスペースが空いています。つまり、「うん ちっち」と文字が並べられているわけです。そして、めくった次のページでは、「オオカミ」が「うさぎのこ」をぺろりと食べてしまう。

 なるほどなーと、何だか感心してしまいました。たぶん原書でも、同様な文字配置になっているんでしょうね。要するに、「オオカミ」にとっては、「うん」(つまり「食べていいよ」)と言ったのと同じというわけです。「オオカミ」にとってそのように聞こえたということか、それとも実は「うさぎのこ」自身、「うん」と「ちっち」の間にブレイクを入れて答えたのか……。いやー、なんだか深読みできそうです(^^;)。

 あと、おもしろいなと思ったのは、文字の左ページと絵の右ページの背景色。多くの見開きでは左ページと右ページの背景色が違っており、しかもかなりコントラストの強い配色。背景色のみならず、描かれているものの多くも、眼がチカチカしてくるような強烈な色合いです。

 そんななかで、左ページと右ページの背景色がほとんど同じ見開き画面が幾つかあります。すべてがそうだというわけではありませんが、物語のポイントになるところ、「あっ!」と気持ちが引き込まれるところが、そういう画面構成になっていると思いました。

 当たり前といえば当たり前ですが、色の配置について非常に確信的というか、作り込まれている気がします。

 ところで、今回、子どもと一緒に読むとき「うんちっち」という言葉のイントネーションを少し工夫してみました。あんまり抑制をつけないで、詰まったような感じで、平板に言ってみたのです。我ながら、なかなかおもしろい効果。うちの子どもにかなり受けました。曰く「うんちっちは、全部、その言い方で言って!」。いや、受けてよかったです(^^;)。

 原書”Caca boudin”の刊行は2002年。この絵本、おすすめです。

▼ステファニー・ブレイク/ふしみ みさを 訳『うんちっち』PHP研究所、2005年

斉藤洋/杉浦範茂『ルドルフとイッパイアッテナ』

 またまた『ルドルフとイッパイアッテナ』。うちの子どもの大のお気に入りで、去年からもう3回か4回くらい読んでいます。5歳児が読むには難しいところがあると思うのですが、当人は何度読んでもおもしろいみたいで、実に楽しそうに聞いています。

 しばらく前から少しずつ読んできて、今日は第19章、「期待と失望、そしてまた希望」でした。岐阜で飼いネコだった主人公の「ルドルフ」が、ひょんなことから東京にやってきて、そこで「イッパイアッテナ」や「ブッチー」といった仲間に出会う物語。最初は故郷の町の名前(つまり岐阜)も分からなかったのですが、「イッパイアッテナ」の指導のもと文字が読めるようになり、ついに自分のふるさとの名前と場所を知ります。ところが、岐阜はとても遠く、ネコ一匹が帰ることはほとんど不可能。「ルドルフ」は深く失望するのですが、真っ赤な日の出を見るうちに勇気がわいてきます。

日の出だ。

新しい一日が始まる。

まぶしいのをがまんして、ぼくは、のぼりかけた太陽を正面から見すえた。しばらく見ていると、ほんのすこしずつ、太陽がのぼっていくのがわかる。じりじり暗い空気をおしあげていく。そうだ、ああいうふうに、なにがなんでものぼろうとするものは、だれも、おしとどめることはできないのだ。

かならず帰るんだ。そう心にかたく決心することがだいじなんだ。帰れないかもしれないなんて、思ってはいけないのだ。ぼくは、だんだん勇気がわいてきた

 付けられている挿絵は、日の出をじっと見すえる「ルドルフ」の黒い後ろ姿。ここを読んでいて、少し、ぐっときました。

 実は4月から仕事の内容が変わって、格段に忙しくなりました。とにかく目の前の案件をさばいていくだけで、本来自分がすべきことにあまり時間をかけられません。いや、やりがいはあるのですが、でも、なんというか忙しさに埋没しているだけのような気もします。少し立ち止まって、自分の仕事を広い視野で俯瞰する必要があるなあと感じていたのです。

 そんななかで、上記の箇所を読んで「ああ、そうだよなあ」と思ったわけです。何が大事なのかをよく考えて、それを見失わず追い続ける……。

 いやまあ、いい歳をしたおじさんが、あまりに単純で、おバカなんですが(^^;)、でも、たまには、こんなシンプルで熱い気持ちも必要だなと思うのです。

▼斉藤洋/杉浦範茂『ルドルフとイッパイアッテナ』講談社、1987年

「丸の内ブックカフェ」

 クリップしている東京新聞の記事、飲食しながら絵本が読める「丸の内ブックカフェ」。この取り組み、朝日新聞でもasahi.com: 「絵本の面白さ知って」丸の内ブックカフェ開催中-文化・芸能の記事で取り上げられていました。

 東京、丸の内周辺のカフェ22店が4月16日から5月1日まで、飲食しながら絵本が読める「丸の内ブックカフェ」になるそうです。4月23日の「子ども読書の日」にちなんで、文化庁と大手町・丸の内・有楽町再開発計画推進協議会が共催、朝日新聞社が協力しているとのこと。

 発案者は文化庁長官の河合隼雄さん。「カフェでお父さんたちが読んだらおもろいやないか」ということで始まったのだそうです。カフェに置かれる絵本は計12冊。河合さんや谷川俊太郎さん、斉藤由貴さん、阿川佐和子さんらがセレクト。手にとって自由に読むことができます。お父さん向けの絵本ガイドも用意され、5月1日までは近くの丸善や冨山房書店などの3つの店舗ですぐに購入できるそうです。いや、これは、すごいですね。

 こういう試みを見ると、やっぱり絵本は本当に流行っているんだなあとあらためて実感しますね。従来、絵本がなかった空間にどんどん絵本が入ってきている、そんな印象を受けます。

 その結果として、河合さんが言われているように、日頃あまり絵本に接する機会のないお父さんやサラリーマンの方々が絵本に目を開かれるのなら、それはとても有意義と思います。これをきっかけに、自宅でもお父さんが絵本の読み聞かせを始めるようになるかもしれませんね。

 ただ、一つ気になるのは、こういう取り組みが主に大人に向けてなされていること。上記の河合さんの言にもありますが、絵本をカフェに置いて誰に読んでもらいたいのかといえば、あくまで大人。これで本当によいのかなと少し疑問もわいてきます。

 たとえば、今回の試みに参加したカフェに親子連れが気楽に入っていけるのかどうか。そのカフェで小さな子どもたちが絵本に楽しく接したり、あるいはお父さんやお母さんと一緒に絵本を読めるのかどうか……。もしそうではないなら、いったい、このカフェに置かれている絵本とは何なのだろう? 何かズレているような……。

 まあ、ちょっと考えすぎかもしれません。でも、カフェという空間は、なかなか小さな子ども連れでは入りにくいことが多いんですね。だから、せっかくカフェに絵本を置くなら、そこが同時に子どもたちも楽しく過ごせる場であってほしいと思います。もしかすると、「丸の内ブックカフェ」でも、そういう工夫をしているところがあるのかもしれませんが……。

 あと、今回の試み、共催している文化庁大手町・丸の内・有楽町地区 再開発計画推進協議会のウェブサイトには、とくに情報が見あたりませんでした。私の検索の仕方が悪いのかもしれませんが、参加しているカフェの所在地や連絡先、そこに置かれている絵本の一覧、また誰がどんな絵本をセレクトしたのか、といったことくらいは知りたいところです。まあ、まだ始まったばかりなので、そのうち情報が掲載されるかもしれません。

【追記(2005年5月4日)】

 上記で関係サイトに情報が掲載されていないと書きましたが、どうやら、私の勘違いのようです。この間に情報掲載ページを見つけました。大手町・丸の内・有楽町地区再開発計画推進協議会と文部科学省が推進している「丸の内元気文化プロジェクト」のサイト、Marunouchi.comのイベント開催実績一覧のページ、Marunouchi.comです。今回の実施店舗とおすすめ絵本の取り扱い書店のリストが載っていました。

 「丸の内ブックカフェ」は5月1日までなので、もう終了していますが、店舗と書店のリストを引用しておこうと思います。

<丸の内ブックカフェ実施店舗>

  • エクセルシオールカフェ(丸の内トラストタワー店、丸の内ビル店)
  • スターバックスコーヒー(KDDI大手町ビル店、新大手町ビル店、丸の内三菱信託銀行ビル店、JR東京駅日本橋口店、丸の内ビル店、丸の内三菱ビル店、丸の内新東京ビル店)
  • タリーズコーヒー(大手町日本ビル店、丸の内古河ビル店、パシフィックセンチュリープレイス丸の内店)
  • チェーロ(東銀ビル)
  • 三菱電機 DCROSS(三菱電機ビル)
  • フラッグスカフェ(三菱電機ビル)
  • ガストロパブ クーパーズ(三菱ビル)
  • 相田みつを美術館内(東京国際フォーラム)
  • Marunouchi Cafe(新東京ビル)

<お薦めの絵本の取扱書店>

  • 冨山房書店(丸の内MY PLAZA)
  • 丸善(丸の内オアゾ丸の内本店、丸ビル店)

 もしかすると、継続して絵本を置いているカフェもあるかもしれませんね。期間中の反響やその後についても知りたいところです。

長新太『おばけのいちにち』

 「おばけのいちにち」とはいっても、夜の「おばけ」ではありません。この絵本に描かれるのは、朝から夜までの明るい昼間の「おばけ」。

 朝の歯みがき、スーパーで買い物、同じ「おばけ」のお客様とおしゃべり、読書に運動に洗濯と、「おばけ」の日常が長さん一流のナンセンスで描写されていきます。クスクス笑いたくなってくる感じ。

 見開き2ページの中央に、主人公の「おばけ」の家が置かれ、基本的にそのまわりで物語が進んでいきます。おかしいのは、この「おばけ」、顔も足もない、全身緑色ののっぺらぼう。水滴を上下逆にしたようなかたちです。恐いことはまったくなく、むしろポップでかわいいくらいです。

 そして、その「おばけ」のなんとも普通の、しかしどこか奇妙な日常が実にユーモラス。うちの子どももゲラゲラ笑っていました。とくにおもしろがっていたのは、「おばけ」の歯ブラシと野球の練習。あと「おばけ」のパンツにも大受けでした(^^;)。

 長さんの絵本を読むといつも思うことですが、いったい、どこからこんな発想が飛び出してくるんだろうというくらい、アタマがクラクラしてきます。いや、もちろん、それが楽しくて長さんの絵本を手に取るわけですが(^^;)、なんだか良質のトリップのようなものかもしれませんね(なんていうと失礼かな)。

 それはともかく、この絵本で、おもしろいなと思ったのは、「おばけ」の家のまわりに描き込まれている生き物たち。近くに小さな池があって、魚やカエルやザリガニが見え隠れしています。蝶や鳥も飛んでいます。ネコもやってきて「おばけ」とけんかをするんですが、それ以外は、とても平和でのどかなんですね。これも「おばけ」とのギャップがあって、おもしろいです。

 あと、ラストページも必見。たいへん美しい夜の訪れです。

▼長新太『おばけのいちにち』偕成社、1986年

長谷川摂子/荒井良二『へっこきあねさ』

 これはおもしろい! 大工の「あんにゃ」と「ばあさ」の二人暮らしの家に嫁に来た「あねさ」、実はたいへんな屁の持ち主だったという物語。

 まずは音がすごい。品のない話で恐縮ですが、「ぷっ」とか「ぶっ」とか「ぶぶっ」とか、そんな半端なものではありません。

どっばーん!
だっばーん!
でっぼーん!

辺り一面に響き渡る、文字通り破格の音なのです。たとえば大砲をどかーんと撃つような感じでしょうか。

 活字で組まれた文章のなかで、この屁の音だけ、手書き文字。しかも、だいぶ大きく書かれています。音の豪快さがよく伝わってきます。また、声に出してみると、これが実に開放的。うちの子どもと一緒に読むとき、かなり気合いを入れて言ってみました。うーむ、楽しいぞ!(^^;)

 さらに、屁の「かぜ」が強烈。「ばあさ」は天井まで吹っ飛ばされ、柿の木にみまえば実が一つ残らず落ちてくるし、渡し船は川の向こうまで流されます。いやはや、すさまじい。というか、たいへん便利な屁です(^^;)。

 そして、何よりも驚いたのが、この「あねさ」、屁をただぶっ放すだけではないこと。こ、これは、すごすぎる! 何がすごいのかは、ぜひ読んでみて下さい。まさに驚愕、呆気にとられること間違いなしです。

 荒井さんの絵は、「あねさ」の描き方が秀逸。だってね、気立てがよさそうな可愛い娘さんが、着物の裾をまくって、白いおしりを天に突き出し、どっかーんと屁をこいているのです。絵本のなかでこんな描写、古今東西、はじめてではないでしょうか。いや、冗談抜きで、すばらしいと思います。ある意味、絵本の世界を一つ広げたと言える気がします。

 屁そのものは、当然ながら(?)主に黄色を使って描かれているのですが、汚いということはありません。少し蛍光の入った透明感のある黄色です。この彩色は、あっけらかんとした大らかな物語によく合っていると思いました。

 ところで、屁、といえば、臭いはいったいどうなのか? 絵をよーく見ると、どうやら、やっぱり臭いようです(^^;)。

 うちの子どもは、「あねさ」の豪快なおならに、ゲラゲラ、ウヒウヒ、大受けしていました。この絵本、下ネタはダメという人には向きませんが、そうでなければ、おすすめです。

▼長谷川摂子 文/荒井良二 絵『へっこきあねさ』岩波書店、2004年、[装丁:桂川潤]