月別アーカイブ: 2004年12月

北村想/荒井良二『まっくろけ』

 これはおもしろい! 小学二年生の「たっくん」の家のとなりには「グウさん」という芸術家が住んでいて、二人は友だちです。「グウさん」の仕事は墨で絵を書く仕事。ある日、「グウさん」は2日ばかり外出することになり、「たっくん」は「グウさん」の家で絵を描いていてよいことになります。ただ、一つだけ守らなくてはならないのは、棚の上にあるビンの墨だけは使ってはいけないということ。ところが、やってはいけないと言われると、どうしてもやってみたくなるのが人情。「たっくん」がその墨を使って描いてみると、なんと墨を少しでもつけると、あっというまに何でも真っ黒けになってしまう、という物語。

 最初はそのへんの紙や本を真っ黒けにしていた「たっくん」ですが、だんだんエスカレートしていき、電信柱や赤いクルマ、ガミガミじいさん、いじめっこまで、墨をつけ真っ黒にしていきます。

 最初は「ふーん」って感じで聞いていたうちの子どもですが、このあたりまで来ると、だんだんおもしろくなってきたようで、身を乗り出してきました。いろんなものが真っ黒になるところでは大受け。

 「たっくん」の真っ黒けはなお止まらず、ついにはママまで真っ黒けにされてしまいます。ところが、「たっくん」、ころんで地面で墨のビンを割ってしまうと、「たっくん」も含めてすべて何もかもが真っ黒け。

 いやー、本当にすごい! 実にアナーキーな展開。すべてを黒く塗れ!というわけですね。破壊的と言えば破壊的。でも、ここまでくると逆にすがすがしいかも。そういえば、ロックソングにそんなのがあった気がします。

 なかでも絵本を真っ黒にしているところが強烈。引用します。

たっくんはお家にかえると、このあいだママがかってくれた絵本をだしてきた。『クマちゃんのジャム』っていうつまんない絵本なんだ。クマが森のくだものでジャムをつくりましたっていうおはなしの、それだけの本。この本をいつも、ねるときにママがよんできかせてくれるんだけど、もう、たいくつでたいくつで。

 というわけで、『クマちゃんのジャム』も真っ黒にされてしまいます。いやはや。親がよかれと思って読んで聞かせても、子どもにとってはとてつもなく退屈……ありがちですね。独りよがりな読み聞かせなんか、黒くしてしまえ! と一刀両断です。いや、私も反省しないとダメかもしれません。

 ところで、この絵本は文章もなかなかおもしろいと思いました。こちらに語りかけてくるような表現なんですね。それも客観的な語りではなく、物語の登場人物とは違う第三者のキャラクターが文章中にはっきりと現れています。そのためか、子どもに読んでいるとだんだんのってきます。いわばその第三者を演じるような感じかなと思います。

 同じことは、物語の終わり方にも言えます。途中でいったんブレイクが入って「おしまい」になってしまいます。そのあと「おまけ」としてやっとハッピーエンド。フェイントをかまされたというか、これも語り手の作為の現れと言え、おもしろい趣向です。

 絵は、やはり黒の色が鮮烈。なんというか、深みのある黒。もしかすると本当に墨を使って描かれているのかもしれません。「たっくん」があちこちをスミで真っ黒にしはじめると、文章が書いてある見開き左ページも端の方が黒く彩色されます。どんどん黒が浸食してくるかのよう。

 で、一番すごいのが、すべてが真っ黒けになってしまった画面。泣き出した「たっくん」の涙も真っ黒。真っ黒な地上に対し、画面上部の青空と黄色い太陽がなんとも鮮やかです。そして、めくった次のページもすごい! 雨によって墨が少し流されている様子が描かれています。いや、どろどろと言えばどろどろなんですが、陰影のある黒が印象的。さらに、その次のおしまいのページもおもしろい。雨に流されてやっと元通りになった地上が淡く輝く色合いで描かれています。中央下のネズミ色、これは雨に溶けた墨の名残かも。この終わりの数ページの色彩の変化は本当にすばらしいと思いました。

 以前、今江祥智さんと長新太さんが組んだ「黒の絵本」三部作のなかの2冊(『なんだったかな』と『よる わたしのおともだち』)を読んだのですが、こちらの『まっくろけ』もまさに「黒の絵本」。長さんの黒は光り輝く漆黒でしたが、荒井さんの黒は深みと厚みのある黒といったところでしょうか。なにせ墨ですから、なんだか重く粘りがあるような感じです。これもまた独特の美しさがあります。

 ちなみに、うちの子どもは読み終えたあと「家の壁を真っ黒にしたい!」と言っていました。お父さんやお母さんは真っ黒にしないそうです。はあ、よかったあ(^^;)。

 この絵本、おすすめです。

▼北村想 作/荒井良二 絵『まっくろけ』小峰書店、2004年、[ブックデザイン:高橋雅之]

アネット・チゾン/タラス・テイラー『バーバパパのしんじゅとり』

 「バーバパパのちいさなおはなし」シリーズの1冊。少し小さめの絵本シリーズです。今回、バーバパパたちは、みんなで真珠取りに出かけます。自分たちで船を造り、南の海へとやって来たバーバパパたち。いろいろ楽しいエピソードがあり、最後には「バーバベル」に真珠の首飾りを作ります。

 船や潜水用の箱を輪切りにして描写するのは、「バーバパパ」シリーズならではと思います。へぇーと思ったのは、バーバパパたちはどうやら人間と同じように呼吸をしていること。潜水用の箱や潜水服には、空気を送り込む管が付いています。でも、体のかたちを変えて変身すると、空気がなくても大丈夫なんですね。なかなか細かい描写です。

 巻末の注記によると、もともとこの絵本は「バーバパパ・ミニえほん」の21巻の装丁を変えて刊行したものだそうです。原書の刊行は1974年。

▼アネット・チゾン/タラス・テイラー/山下明生 訳『バーバパパのしんじゅとり』講談社、1997年、[装丁:スタジオ・ギブ]

イェジー・フィツォフスキ/内田莉莎子/スズキコージ『なんでも見える鏡』

 これはおもしろい! ジプシーの昔話をもとにしているのですが、いわば恋の絵本です。

 主人公は貧乏なジプシーの青年。旅に出たジプシーは、美しい王女のいる国へとやってきます。そこでは「王女から隠れて見つからなかった者が王女の夫になれる」というおふれが出ていました。というのも、王女はとても勘がよく利口で、しかも世界中のものを何でも写し出す魔法の鏡を持っていたのです。美しい王女に一目惚れしたジプシーは、旅の途中で助けた大きな銀色の魚やワシやアリの王様の手を借りて、王女の難題に挑み、最後は王女と結ばれるという物語。

 ジプシーが恋の試練を乗り越えるというのが基本のストーリーなんですが、本当の主人公はむしろ王女かも。実はジプシーは2回も隠れることに失敗するんですね。2回続けて失敗したら重い罰を受けなければならないのですが、そのとき王女は次のように言います。

おまえを 罰しなくては
いけないのだけど、なぜか わたしにはできないわ。
いいこと、もう1かい かくれてごらん。ほんとうに
これでおしまいよ。

 王女はすでにジプシーに恋しているにもかかわらず、まだそれに気づいていない、あるいは気づきたくない(?)わけです。

 そして3回目。ここでタイトルの「なんでも見える鏡」が非常に印象深く生きてきます。いったい鏡に映ったのは何であったか? 昔話にしばしば見られるモチーフかもしれませんが、それでも割れて粉々になった鏡が実に鮮烈。

 ジプシーと王女が結ばれる画面もとても美しい。互いに手を伸ばし合う二人はまるで宙に浮いているかのように描かれています。恋の高鳴りが聞こえてきそうです。そういえば、同じような構図の有名な絵画があったような気がしました。

 絵はグラデーションがかかったような彩色が美しくダイナミック。とくにスズキコージさんらしい(?)のは、やはり、アリの王様ですね。妖しい怪物です。あと、天高く飛ぶワシもなかなかの格好良さ。

 うちの子どもは(たぶん?)恋や愛のモチーフはまだ分からなかったと思うのですが、読み終えて曰く「ジプシーはちょっと若すぎなんじゃない?」。つまり、王女と比べて年齢が若く釣り合いが取れないということのようです。なるほどねえ。

 たしかに絵を見るかぎりでは、年下に見えます。というか、王女ですからジプシーより偉そうなんですね。あるページでは、ジプシーよりも背が高く描かれています。たぶん、ひな壇の上にいるからでしょう。こういうところが、おそらく、「王女」が年上に見える理由じゃないかなと思いました。

 あと、うちの子どもは、物語のはじめでジプシーに「むちばかりくれた主人」が最後に国を追い出されたところがよく分からなかったようでした。うーん、たしかに、分かりにくいかも。

 ところで、とびらの向かい側のページに記されていましたが、どうやらフィツォフスキさんの再話そのものは1966年に書かれたもののようです。巻末の著者紹介によると、フィツォフスキさんは、ポーランドのワルシャワで1924年に生まれ、第二次世界大戦中はナチス占領下のワルシャワで地下抵抗運動に加わり、1944年のワルシャワ蜂起にも参加。ドイツの捕虜収容所で生き抜き、戦後、ポーランドに戻ったそうです。第二次世界大戦の荒波のなかで少年時代・青年時代を生きてきた方です。

 この絵本、おすすめです。

▼イェジー・フィツォフスキ 再話/内田莉莎子 訳/スズキコージ 絵『なんでも見える鏡』福音館書店、1989年

岸田典大さんの絵本パフォーマンス

 クリップしていた記事、札幌テレビ放送のSTVニュースで取り上げられていた「絵本パフォーマー」岸田典大さん。以前、北海民友新聞の記事にも掲載されていました。

 STVニュースでは映像も見ることができます。自作自演、オリジナルの音楽に合わせて絵本を読む、というか「歌う」パフォーマンス。子どもたちから手拍子まで起きています。うーむ、すごい! これ、一回ぜひ実地に見てみたいですね。

 実は今年の8月にわが家のアイドル(?)飯野和好さんによる『ねぎぼうずのあさたろう』浪曲調読み聞かせをじっさいに見ることができたのですが(そのうち必ず記事にする予定です^^;)、それに匹敵するかも。

 検索してみたら岸田さんのウェブサイトもありました。絵本パフォーマー・岸田典大のHP~絵本パフォーマンスは絵本と音楽の新しい世界です。詳しいプロフィールに「絵本パフォーマンス」の説明、今後のライブスケジュール、ライブの感想、BBSや日記(RSS付き)まであります。非常に充実した内容。

 ウェブサイトでの「絵本パフォーマンス」の説明は次の通り。

市販の絵本にオリジナル音楽をつけて、ステージパフォーマンスとして行なっているのが、『絵本パフォーマンス』です。

 なんとなく、飯野和好さんが言われていた「芸能」としての読み語りを思い出しました。これについては絵本を知る: 『飯野和好と絵本』(その3)に書きました。

 ウェブサイトからリンクされているそら色ステーションでも岸田さんのパフォーマンスとインタビューを視聴できます(リンク先のページの一番下にあります)。いや、ほんとにすごい! 歌っているというか、もうラップですね。北海民友新聞の記事だと、なんと『ぐりとぐら』はヒップホップ調(!)になっているそうです。おもしろいなあ。

 思ったのですが、これはもう歌って踊れますね。いや、じっさい踊れそうです。考えてみれば、踊りたくなる絵本ってありますよね。それを実現してしまっている……。絵本の読み聞かせは声に出して聞くというところで体感的なものですが、さらにその先に行けそうです。身体全体で絵本を感じ取る、なんてこともおかしな話ではないでしょう。この点にかかわって、ウェブサイトでは次のように書かれていました。

従来の読み聞かせのイメージとはがらりと変わっているのではないでしょうか。紙芝居的で、ミュージカルチックで、ボードビルっぽい読み聞かせ。

 ページをめくりながら子どもに静かに読んでいくといったいわば読み聞かせに関する私たちの常識を完全に打破していて、なんというか実に痛快です。いや、絵本パフォーマンスの方が実は絵本の本質に迫っているのかもしれません。

 絵本パフォーマンスの絵本LISTのところを見ると、スズキコージさんの『サルビルサ』や『ウシバス』、長谷川集平さんの『トリゴラス』、片山健さんの『どんどん どんどん』に長新太さんの『キャベツくん』、センダックさんの『かいじゅうたちのいるところ』にスタイグさんの『みにくいシュレック』、等々とすごいラインナップ。うーむ、『サルビルサ』と『トリゴラス』と『どんどん どんどん』、これはぜひとも見て聞いて感じてみたいです。

 ライブの様子については、岸田さんのウェブサイトからリンクが張ってあるきっかけ空間 BRICOLAGE – ブリコラージュ –にとても詳しくリポートが掲載されていました。本当に楽しそうです。

やぎゅうげんいちろう『はなのあなのはなし』

 これはおもしろい! 鼻の穴の仕組みやはたらきなどを扱った科学絵本。表紙も裏表紙も見返しも、穴、穴、穴……。本文では興味深い事実がいろいろ説明されています。うちの子どもといっしょに互いの鼻の穴を見せ合いながら読んでいきました。画面と比べながら「お父さんの鼻の穴はこんな感じ!」。

 他人の鼻の穴をしげしげ見ることなんて、ふつうはないので、なかなか楽しいです。それで、なんとなく分かるなあと思ったのは、次の一文。

ぼくも おじいさんになったら、
あれぐらいの はなのあなに
なるんだろうか?
どきどきしてしまう。

 たしかに自分も小さいころ、父や祖父の鼻の穴を見て何かを感じていたような気がします。とくに鼻毛とかね。考えてみれば、小さな子どもの視点からすると大人の鼻の穴は下からのぞけますし、割と見えやすいですね。

 あと、うちの子どもがおもしろがっていたのは、アザラシやカバなどは鼻の穴を空けたり閉じたりできるというところ。ゴリラの鼻水の話や、鼻の穴のなかに朝顔の種を入れておくと芽が出るというところにも大受けしていました。これ、本当の話なのかな。いや、ありそうな気がします。

 この絵本、科学とはいっても難しいところはぜんぜんなく、非常に身近なところから分かりやすく、ユーモラスに説明しています。しかも、すごいと思うのは、それが科学の基本的な発想法をよく伝えているところ。たとえば最初の方のページでは、いろんな人の鼻の穴を比較してみたり、また人間と動物の鼻の穴を比べたりしています。考えてみれば、比較というのはおそらく科学にとってとても重要な手法と言えるでしょう。その比較の考え方をこれだけ興味深く表しているのは、すばらしいと思います。

 終わりの方では、鼻の穴の他にも身体にはいろいろな穴があり、それらはとても大事であることが説明されていました。うーむ、なるほどなあと納得の結論です。穴という点から自分の身体を見直すのは、とても新鮮でなおかつ重要なんじゃないでしょうか。

 それはそうと、以前も思ったのですが、他の絵本でもやぎゅうさんが描く人物はみんな鼻の穴がりっぱなんですね。鼻の穴というテーマは、やぎゅうさんにぴったり。いや、そんなことを言ったら失礼かな(^^;)。

▼やぎゅうげんいちろう『はなのあなのはなし』福音館書店、1981年(「かがくのとも傑作集」としての刊行は1982年)

ルース・スタイルス・ガネット/ルース・クリスマン・ガネット『エルマーのぼうけん』

 昨日で「ルドルフ」シリーズはひとまず読み終えたので、今日からは「エルマー」シリーズ。定番と言っていいかと思います。少しずつ読んでいきます。

 期待に違わず、なかなかスリリングな導入。ただ、最初はなにせ「とうさんのエルマー」の回想というかたちをとっているので、うちの子どもには少し分かりにくかったかも。物語のなかで語り手が変わっていくような感じなのですが、最後はもう一度、元の語り手に戻るのだろうか、それとも現在のお話につながるのかな。

 この本は絵本というよりは児童文学ですが、挿し絵がすばらしい。表紙のライオンのイラストとその色合いは見ているだけでワクワクしてくるよう。本文の挿し絵はモノクロですが、動物たちの様子がユニークに描写されており、冒険の雰囲気が伝わってきます。

 表紙と裏表紙の見返しには、物語の舞台となる「みかん島」と「動物島」の詳しい地図が付いていました。物語のエピソードも書き添えられています。これも、たのしい仕掛けです。

 この本、うちの子どもはたいへん惹き付けられたようで、『ルドルフといくねこくるねこ』を読んでいるときから、早く読みたいなあとだいぶ気になっているようでした。いや、その気持ち、よく分かります。「エルマー」シリーズは私も読んだことがなかったので、これから楽しみです。

 原書の刊行は1948年。

▼ルース・スタイルス・ガネット 作/ルース・クリスマン・ガネット 絵/渡辺茂男 訳/子どもの本研究会 編『エルマーのぼうけん』福音館書店、1963年

斉藤洋/杉浦範茂『ルドルフといくねこくるねこ』

 再び読んでいたこの本、今日ようやく読み終わりました。最後の対決はなかなかの盛り上がり。2回目ですが、子どもともども楽しみました。うちの子どもは、登場するネコのセリフの一つに大受け。読んだあと何度も思い出し笑いしていました。トイレのなかで一人で「アハハハ!」と笑っているので、なんだかおかしい(^^;)。

 それはともかく、「ルドルフ」シリーズ、第4弾も出るのかなあ。第2弾から第3弾が刊行されるまで、だいぶ時間がかかっています。もしかすると第4弾が出るころにはうちの子どもも一人で本を読めるようになっているかも……。それはそれで少しさみしかったりして。でも、これだけ魅力的なキャラクターと物語ですから、第4弾、ぜひ期待したいと思います。

▼斉藤洋 作/杉浦範茂 絵『ルドルフといくねこくるねこ』講談社、2002年

五味太郎さんデザインの廣榮堂「元祖きびだんご」

 先日、岡山に出張したですが、岡山駅でおみやげを探していて見つけたのが廣榮堂の「元祖きびだんご」。店員さんの話では、岡山で数ある「きびだんご」のなかでも廣榮堂のが一番とのこと。買って帰って家族みんなで食べました。けっこうおいしかったです。それはともかく、注目はパッケージ。なんと五味太郎さんオリジナルのパッケージデザインなんですね。

 廣榮堂のウェブサイトはこちら。安政3年(1856年)創業とのこと。「元祖きびだんご」のページを見ると、いろんな種類があります。そのすべてが五味さんオリジナルのパッケージ。「桃太郎」の登場人物をモチーフにして、それ以外のキャラクターも加えられています。

 箱のなかに入っている説明書きのしおりや、一つ一つのきびだんごの包み紙にも、五味さんのイラストをあしらったオリジナルのデザイン。昔話の自由で楽しい雰囲気が出ていて、「きびたんご」という商品によく合っていると思います。

 ウェブサイトでは五味太郎さんと廣榮堂代表取締役の武田さんの対談も載っていました。五味太郎さんに依頼した経緯なども触れられています。

 五味太郎さんのお話でなるほどなと思った点が2つ。1つは子どものまわりにあるものこそデザインをよく考えないといけないということ。この点で日本はかなり遅れていていい加減であることが指摘されています。一例として通信簿のデザインが挙げられていました。うーむ、これはたしかにそうですね。子どもにとって、あたかも自分のすべてを数値化してしまうような、とんでもなく乱暴なもの。そのデザインをほんのちょっとでも神経を使って丁寧に作れば、違った世界が開けるんじゃないかということ。

 もう1つは、おとぎ話の同時代性を図るということ。五味さんのデザインでは「桃太郎」のもともとのキャラクター以外も取り入れられているのですが、その理由が説明されています。おとぎ話はそもそも語り継がれるものであり、したがって、そこでは常に新しい要素がミックスされ、いつも同時代であり続ける。逆に言えば、おとぎ話を「名作」として固定化した時点で、それはもはや「おとぎ話」ではなくなっており、その本来のポテンシャルを喪失してしまうということかなと思いました。読み継がれる、語り継がれる、というのは、すでに出来上がったものをそのまま受け継ぐことではなく、常に同時代においてアレンジし再生していくこと。

 なんと、廣榮堂にはこのパッケージに対してファンレターが届いているそうです。すごいですね。

ロブ・ルイス『はじめてのふゆ』

 小さな地ネズミの「ヘンリエッタ」。生まれた春にお母さんが死んでしまったので、ひとりぼっちで暮らしています。そんな「ヘンリエッタ」にはじめての冬が訪れるというストーリー。

 ひとりぼっちで、しかもはじめての冬。だから、「ヘンリエッタ」は冬ごもりをどうしたらよいのか知りません。仲間たちが、食べ物を集めておかないといけないことを教えます。そこで、「ヘンリエッタ」は、食べ物置き場を掘り、木の実や草の実を集めるのですが、なにせはじめてなので、なかなかうまくいきません。仲間たちに助けてもらってやっと食べ物が集まるのですが、うれしくてパーティを開いたばかりに全部、食べてしまいます。さあ、いったいどうなるかが物語のオチ。

 あっと驚く結末、と同時に、なんだかとぼけていておかしいです。いや、考えてみれば、このオチは間違っているわけではないんですね。でも、いったいどうなるんだろうと心配したあとに、ヘナヘナと脱力した感じ。

 仲間との友情も描かれているのですが、多くの画面は「ヘンリエッタ」一匹だけが登場します。微妙な表情からは驚きや困惑や喜びがよく伝わってきます。いろいろ困難があっても、めげずに木の実や草の実を集めていて健気。とくに、そのまなざしがよいです。

 絵は、粒子が粗いというか、かすれてざらっとした色合いが美しい。秋から冬にかけての自然の移り変わりが繊細に描かれています。黄色く色づいた森や赤い夕焼けに照らされた畑の様子は非常に鮮やかな彩色。冷たい雨にけむる森や雪が降りはじめた景色もよいです。葉がすべて落ちて細かな枝だけになった木々の描写も、冬の雰囲気をよく伝えていると思いました。

 もう一つ、おもしろいと思ったのが「ヘンリエッタ」が住んでいる穴ぐらのなかの家具調度類。よく見ると、人間の道具がいろんなかたちでアレンジされているんですね。こんなところにこんなものが、といった楽しさがあります。

 ところで、うちの子どもは、これまで、ひらがなをときどき思い出したように覚えていたのですが、今日は表紙のタイトルを自分で読んでいました。分からないところは、ひらがなの表を見て確認。だいぶおもしろかったらしく、本文の一部も、たどたどしいながらも自分で少し読んでいます。うちの子ども曰く「読んでみるとおもしろいねえ」。成長したなあ。

 原書"Henrietta’s First Winter"の刊行は1990年。奥付によると、この絵本は、第1回外国絵本翻訳コンクール最優秀賞受賞作に加筆し出版したものだそうです。

▼ロブ・ルイス/船渡佳子 訳『はじめてのふゆ』ほるぷ出版、1992年、[装幀:小林健三]

パット・ハッチンス『ぎんいろのクリスマスツリー』

 クリスマスを前に「りす」は自分の木を一生懸命飾り付けるのですが、なかなか気に入りません。そのうち夜になると、木の一番上の枝の真上に美しい銀色の星が出て、輝くクリスマスツリーになります。「りす」は大喜び。ところが、次の日、起きてみると、もう銀色の星はありません。いったい誰が取ってしまったのだろうと探しに出かける物語。

 「りす」は「あひる」「ねずみ」「きつね」「うさぎ」に出会うのですが、みんな何かを隠していて、あやしいなあと疑います。もちろん、誰も銀色の星を取っているわけはありません。ラストはすべての疑問が解けて、楽しいクリスマス・イブ。みんなでお祝いし、「りす」の銀色のクリスマスツリーも明るく輝きます。

 動物たちの毛並みは、ハッチンスさん独特の様式化された線描き。そして、なにより「りす」のクリスマスツリーが色鮮やかで美しいです。オレンジと緑と黄色で飾られ、上空には白く輝く大きな星。

 また、夜の描写が非常におもしろいです。画面を黒くあるいは暗くするのではなく、もくもくとわき上がる雲のような模様を青で描き、それによって辺りが見えなくなったことを表しています。なかなか新鮮な表現。

 そして青くなった画面のなかで、まるで舞台のカーテンを開くかのようにして、銀色のクリスマスツリーが現れます。じっさい物語のラストで青く彩色された部分は雲を表しており、雪が降りはじめると雲が割れて銀色の星が光り輝くという描写。「りす」はささやくように「クリスマス おめでとう みなさん!」と言います。この「ささやくように」というのが画面にとても合っていると思いました。いわばクリスマスの奇蹟。

 原書"The Silver Christmas Tree"の刊行は1974年。この絵本、おすすめです。

▼パット・ハッチンス/渡辺茂男 訳『ぎんいろのクリスマスツリー』偕成社、1975年