「絵本を知る」カテゴリーアーカイブ

図書館のおはなし会

 今日は週に一度の図書館の日。いつも通り近くの公立図書館に行ってみると、偶然、おはなし会がおこなわれていました。私たちが図書館に着いたときがちょうどはじまるところ。子どもも「見てみたい」と言うので、いっしょに楽しんできました。

 以前にも何度か図書館のおはなし会に出てみたのですが、うちの子どもはすぐに途中で飽きてしまって、最後までいたためしがありませんでした。ところが、今日は、お話がおもしろかったのか、しまいまでずっと座ってお話を聞いていました。幼稚園でも絵本の読み聞かせをしているようなので、みんなでお話を聞くのに慣れてきたのかもしれません。

 おはなし会の内容は、絵本の読み聞かせ、おはなしの語り、紙芝居と盛りだくさん。とくにおもしろかったのは「エプロンシアター」。たくさんポケットのついたエプロンを付け、人形とそのポケットで物語を語るというものです。エプロンにはマジックテープがはってあり、人形などを貼り付けることができます。私ははじめて見たのですが、なかなかおもしろかったです。

 よほど楽しかったのか、うちの子どもは、幼児向けのおはなし会のあとに時間を空けておこなわれた小学生向けのおはなし会にも参加していました。私が目を離したすきに、いつのまにか一人でおはなし会の部屋に入り小学生向けのお話を聞いていて、びっくりしました。ついでに出席カードとシールまで余分にもらってきて、しかも、そのおはなし会で読み聞かせをした絵本までちゃっかり借りてきていました。

 ところで、今日のおはなし会、参加者はやはり子ども連れのお母さんがほとんどで、お父さんは私を含めて2人だけでした。ちょっと残念。図書館の絵本コーナーでもお父さんは少数派ですし、お母さんの参加者が多いおはなし会の部屋にはなかなか入りづらいところです。

 でも、今回、最初から最後まで参加してみて、おはなし会はなかなかよいなあと思いました。担当の方の実演を見ていると、絵本の読み聞かせの仕方とか、参考になります。おはなし会の出席カードももらいましたし、機会があったら今後も出てみようと思いました。

 お父さんにもっと参加してもらうには、おはなし会での絵本や紙芝居の読み聞かせに男性も加わるといいかもしれないですね。内容もバラエティに富んでくるし、子どもたちにとってもおもしろいのではないでしょうか。

 というか、図書館のおはなし会は、もう少し展開の可能性があるような気もします。おはなし会は女性(お母さん)がするもの(参加するもの)みたいな先入観を一度壊してみてはどうでしょう。女性(お母さん)だけでなく、男性(お父さん)、さらには少し前まで子どもだった高校生や大学生、あるいはお年寄り……、老若男女、性別・年齢を問わずいろんな方が絵本や紙芝居の読み聞かせをしたら、すごくおもしろくて楽しくなると思うのです。さまざまな人生経験のある方(ない方)がそれぞれの解釈で読み聞かせをやってみる、それは子どもたちにとって有意義であるのみならず、読み聞かせをする方にとっても得るものが多いと思います。そういう場があると、広く絵本をめぐる状況もかなり変わってくるような気がします。

いとうひろしさん関連のウェブサイト

 先日紹介した『どろんこ どろちゃん』の作者、いとうひろしさん関連のウェブサイトです。

 まず、絵本の出版社、絵本館作家紹介

 絵本館で絵本を出されている作家さんが紹介されており、そのなかに、いとうさんご自身のエッセーが掲載されています。原っぱで手にしたバッタの足から絵本が語られていて、おもしろいです。

絵本も同じです。自分の心をひらくきっかけにすぎません。絵本にかいてあることなんてどうでもいいんです。その先が絵本の楽しみ、おもしろさだと思います。

 絵本をきっかけにして心が開かれる、これは子どもだけではなく大人にも当てはまるかもしれませんね。

 続いて、同じく絵本館が書店向けに不定期に発行している絵本館通信「絵本はごちそう」Vol.4(2000.秋号)のなかの「きいてきいてコラム●いとうひろし」。これは、毎回、絵本作家の方にいろいろ質問して答えていただくコーナーのようです。

 いとうさんには、好きな季節、子どものときに大好きだった遊び、好きな食べ物、好きな作家や画家など、10この質問が出されています。好きな絵本も挙げられているので、そのうち読んでみようかなと思いました。桜を背景にしたいとうさんの写真も付いていました。

 とくにおもしろかった回答を2つ引用します。

3.歳をとったら、どんなおじいさんになりたいですか?
 すっごくいじ悪でヘンクツで回りの大人からはきらわれるのに、一部の子どもには、妙に好かれる変なおじいさん。
6.最近、思わずふきだしてしまった出来事は?
  5歳の息子とおふろに入っていました。彼はせっけんのついたスポンジで体をあらっています。「もっとごしごしとおしりもちゃんと洗って」と私。すると彼。「あっ! おしりの穴にせっけんのあわが入っちゃった。でも、いいか。これで、うんちもきれいになるしね」

 この絵本館通信「絵本はごちそう」は、他にもおもしろい記事がいっぱいあって、おすすめです。

 最後に、三井グループの三井広報委員会が発行している『三井グラフ』Volume130 JANUARY-MARCH 2003。特集が「絵本の楽しみ」で、そのなかの記事「この絵本が好き! 絵本のプロが自分のために選んだ5冊」にいとうさんも寄稿されています。

 いとうさんが選んだ5冊は次のとおり。これらも、そのうち読んでみようかなと思いました。

  • 『きょうりゅうきょうりゅう』バイロン・バートン
  • 『ピッツァぼうや』ウィリアム・スタイグ
  • 『ベントリー・ビーバーのものがたり』マージョリー・W・シャーマット/リリアン・ホーバン
  • 『ゼラルダと人喰い鬼』トミー・ウンゲラー
  • 『アルド・わたしだけのひみつのともだち』ジョン・バーニンガム

 この『三井グラフ』Volume130 は、いとうさんの他に、内田麟太郎さん、西村繁男さん、長野ヒデ子さん、石津ちひろさんといった作家の方や、子どもの本専門店メルヘンハウスの三輪 哲さん、たんぽぽ館の小松崎辰子さんが、5冊の絵本を選んでエッセーを寄稿されています。他には、赤木かん子さんのエッセーとおすすめ絵本の紹介、読み聞かせについての記事もあり、なかなか充実しています。こちらもおすすめです。

長 新太『絵本画家の日記2』

 先日の記事に引き続いて、長 新太さんの『絵本画家の日記2』です。絵本ジャーナル『Pee Boo』10号から30号(1992年10月から1998年11月)に掲載されたものを加筆・再構成されたとのこと。

 この本は2003年刊行。『絵本画家の日記』が1994年刊行ですから、ほぼ10年ぶりに続編が公刊されたことになります。『絵本画家の日記』と比べて本の大きさがひとまわり小さくなり、なかの紙質も少し違うようです。カラーページはありません。前作と同じく、1ページに1日ずつ、長さんの手書きの文章とイラストが載っています。

 絵本をめぐる状況へのユーモアあふれる、しかし鋭い舌鋒はこの本でも変わりありません。たとえば

○月○日。ふつうの画家や、イラストレーター、漫画家など、つきあいはあるが、みんな絵本のことはよく知らない。おそらく、絵本を手にしたこともないだろう。彼らの頭にあるのは大昔の絵本だ。「そんな仕事、やめなさいよ」と言うイラストレーターもいる。さみしい1日。

○月○日。生真面目というのも困りものだ。良識派を自認しているから、正々堂々としている。児童書の選択なども、コンクリートで出来たようなものばかりえらぶ。たまに悪口も書きたくなるよ。「ナンセンスに感動がありますか?」なんて詰問する。あるのでゴジャリマスヨーダ。

○月○日。「質はともかく、売れるものをつくるのが、いい編集者ですよ」と、ある編集者が言う。「質はともかく、売れるものを描くのが、いい絵本作家ですよ」と、ある絵本作家が言う。「質なんかわかりません。売れてるものを買うのが、わたしたちです」と、ある母親が言う。

 消費者である私たち自身が問われているような気がします。

 と同時に、前作以上に、長さんの日常や身のまわりの出来事に対する独特のコメント、夢かうつつか分からない不思議な記述もいっぱいあって、とてもおもしろかったです。

 ただ、なんとなく老いや死を意識したところがあり、それもまたユーモアを含んでひょうひょうとしているのですが、少しさみしい気持ちになりました。

▼長 新太『絵本画家の日記2』BL出版、2003年、定価(本体 1,000円+税)

長 新太『絵本画家の日記』

 この本は、絵本画家9人(長さんもその一人)が編集に携わった絵本ジャーナル『Pee Boo』の連載をまとめたもの。日付はどれも「○月○日」と記されていますが、1ページに一日ずつ長新太さんの手書きの文章とイラストがつき絵日記のようになっています。カラーページも8ページくらいあります。

 中身は長新太さんの絵本と同じくユーモアにあふれているのですが、それ以上に、いまの絵本と絵本画家さんのおかれた状況をたいへん鋭く辛辣に語っています。

 まず、絵本編集者との戦い(?)の様子。たとえば、酒に酔った編集者にはこうからまれます。

「チョーさんは、編集者は絵がわからないバカなヤツ、と思ってるでしょ? ええ、ソーデスヨ、ヨーデスヨ。ゲージツなんて、どうでもいいやい! そんな絵本は売れないんだから。カワユーイ、アマーイ、なめたくなるような絵が一番いいのだ! そういったセンセイがたの絵本が売れて、もうかっているから、チョーさんみたいな人の絵本もわが社から出せるのよ。ありがたいと思いなさい。コラッ。こちらにいるセンセイは(注・女の人)売れる絵を描くセンセイですよ。チョーさん、最敬礼しなさい!」

 この文についているイラストでは、チョーさん(長 新太さん)が地面にゴツンと頭をぶつけて「最敬礼」している様子が描かれています。

 『Pee Boo』に、絵本の編集者や営業の人に意見を書いてもらおうとして苦労する様子も語られています。

 そして、絵本と絵本画家の社会的な地位の低さ。たとえば

○月○日。コマーシャルの仕事をしているイラストレーター曰く「はじめて絵本の仕事をしたけど、ギャラがメチャクチャ安いんでおどろいたよ。チョーさん、よくやってるねえー」1枚描けば、たちどころに絵本1冊ぶんのギャラが入るコマーシャルの世界。こちらは、子どものためにグワンバッテイルノダ!などと思うんだけど… なんかさみしい1日。

○月○日。つい最近、若いイラストレーターと、やり合ってしまった。若もの「ボクも、チョコチョコと、絵本をやってみたいんですけど、どっか、紹介してくださいよ」わたし「チョコチョコとはなんだ!」若もの「だって、子どもの本を見ると、チョコチョコもんばかりじゃないですか」わたし「チョコチョコ、チョコチョコと、チョコレートじゃないぞ、バカ!」――子どもの本の絵は、チョコレートみたいに甘く、そして苦いのであります。どこからか哀しい音楽がきこえてくる夕暮れ。

 その一方で、子どもの描いた絵に衝撃を受けたり、なにものにもとらわれず自由に描こうという一徹な姿勢も日記の記述からうかがえました。

 長 新太さんのように日本を代表する絵本画家の方ですら、絵本をとりまく無理解・無関心、孤独と苦悩のなかで格闘されていることが、ユーモアにくるまれながらも、ひしひしと伝わってきます。絵本に関心のある方には、ぜひぜひ一読をおすすめします。

 ただ、とても残念なことに、この本は現在、品切れ中。BL出版のウェブサイトで検索したらそう表示されました。私も図書館から借りて読みました。このあたりにも、絵本をとりまく状況のきびしさが現れているような気がします。昨年(2003年)には『絵本画家の日記2』も刊行されたことですし、この機会に、この『絵本画家の日記』も復刊してほしいところです。

▼長 新太『絵本画家の日記』BL出版、1994年、定価 1,121円
※残念ながらこの本は現在品切れのようです。

飯野和好さん関連のウェブサイト

 チャンバラ時代劇絵本で有名な飯野和好さん関連のウェブサイト。検索してみたら、以前ふれた飯野和好痛快活劇ビデオのサイトのほかにも、いろいろと関連サイトがありました。

 まず、月刊誌『こどもの本』2001年5月号から1年間掲載されていた、飯野さんのエッセー「あぜみち話」。この雑誌は日本児童図書出版協会から刊行されているのですが、連載の第一回最終回がウェブ上で読むことができます。

 第一回のエッセーによると、『ハのハの小天狗』は飯野さんが絵本の世界に本格的に入ることになったきっかけの絵本とのこと。また、「ハのハの」の名前の由来も書かれていました。

 最終回では、江戸時代の渡世人の格好(股旅姿!)をして日本全国で読み語りをしていることにもふれられています。

 この連載、タイトルは飯野さんの手書き、たぶん子どものときの飯野さんを描いたイラストもあり、なかなかおもしろいです。機会があったら『こどもの本』のバックナンバーで他の回のエッセーも読んでみたいと思いました。

 続いて、『愛媛新聞』愛媛CATVで放送している「愛媛新聞きゃっちMAT.」「特集 絵本作家・飯野和好ワールド(上)」。これは2001年12月10日に放送されたもので、動画とテキストの両方が掲載されています。

 動画の方では、飯野さんが松山市内での読み語り会で股旅姿で『ねぎぼうずのあさたろう その1』の読み語りをしているときの様子が見られます。いやー、本当に浪曲の読み語り。非常にしぶくて、また楽しそうです。

 インタビューでは、浪曲風絵本が誕生したときの経緯や渡世人の格好で読み語りをすることの楽しさ、チャンバラ時代劇絵本の魅力などを語られています。とくに絵本の魅力について話されているところは必見です。

 この「特集 絵本作家・飯野和好ワールド」の(下)は見つかりませんでした。残念。

 最後に、「絵本の世界を通してココロの冒険旅行をおすすめする架空の会社」絵本旅行社「ご報告まで。(原画展・絵本講座レポート)」にある「飯野和好 絵本原画展」のレポート。この原画展は2002年の7月から8月に宮城県の仙台文学館で開催され、『ねぎぼうずのあさたろう』をはじめとして5作品の原画とアイディアメモが展示されたそうです。原画にそえられた飯野和好さん自筆のメッセージも「絵本旅行社」のゆきなさんがメモされていて、読むことができます。『ハのハの小天狗』の試作本も展示されていて、じっさいに公刊されたものとは構図が違うとのこと。他の絵本も、原画と印刷されたものでは色調がかなり違うそうで、興味深いです。

長谷川集平さん関連のウェブサイト

 昨日紹介した『トリゴラス』の作者、長谷川集平さん関連のウェブサイトです。

 まずは、長谷川集平さんとロックバンド、シューヘーのウェブサイト、SHUHEI’S GARAGE。無知でぜんぜん知らなかったのですが、長谷川集平さんは、チェロとギターのライブ・ユニット「シューヘー」で音楽活動もされているんですね。これまでの遍歴やライブレポート、スケジュール、歌詞集など詳細な情報が掲載されています。長谷川集平さんの著作リストもあり、本やCD、絵はがきやTシャツは通販もされています。本については、内容紹介や書評などの情報もたくさん掲載されていて、とても充実しています。ただ、絶版が多いのが少々悲しいですね。あと、3ヶ月に1度、「シューへー通信」というニュースレターを発行されていて、その案内もありました(一部は記事も読めます)。掲示板には長谷川さんご自身も登場されて、活発なやりとりになっています。

 続いて、長谷川集平さんが講師となって1995年から2ヶ月に一度おこなわれている自主的な連続文化講座、長崎絵本セミナリヨのウェブページ。SHUHEI’S GARAGE と同じcojicoji.com のなかにあります。この講座は、「絵本について」「絵本と映画について」「絵本と音楽について」の三つのテーマを順番に取り上げながら、絵本を文化という観点から取り上げていくものだそうです。すでに52回を数えています。スタッフの方のレポートもありました。ここのサイトに掲載されている、「長崎絵本セミナリヨ七ヶ条」は必見です。

 そして、復刊ドットコム『長谷川集平』復刊特集ページ以前紹介したスズキコージさんもそうでしたが、長谷川集平さんも、数多くの著作が絶版で、復刊リクエストのあったものがリストになっています。絵本ガイドでもしばしば目にする『はせがわくんきらいや』も三度も絶版になり、復刊ドットコムでようやく復刊が決まったそうです。他にも『映画未満』や『絵本未満』といった割と有名な著作も絶版のようです。この機会に私も幾つか復刊のリクエストを投票しました。

 この特集ページには、長谷川さん自身のメッセージも掲載されていました。少し引用します。

作品には時として作者の思惑を越えたものが埋め込まれることがあります。作者も受け手のひとりとして、長い時間をかけて宝探しを続けることになります。せっかちな商売の仕組みと落ち着きのない精神生活の中で、ぼくらに必要な「長い時間」が失われがちになっているのを残念に思います。

 いまや本が消耗品になってしまったことは、ずいぶん以前から指摘されてきたかと思います。絵本もまたどんどん絶版になっているのが現状なのでしょう。でも、絵本はもともと、瞬間風速的に受容されるものではなく、長い時間をへて繰り返し読まれていくもののような気がします。私も自分が小さいころに読んだ絵本を自分の子どもたちに読み聞かせたりし、そのとき私は長い時間をへてもう一度絵本に出会い、あらたな感動を得たりします。何十年も前に描かれたものでも、まったく古びることのない絵本はたくさんあります。長谷川さんの「長崎絵本セミナリヨ七ヶ条」を読みながら、絵本のまわりに「ぼくらに必要な長い時間」が流れるには何が大事なんだろうと考えてしまいました。

竹内オサム『絵本の表現』

 著者の竹内オサムさんは、奥付の著者紹介によると、マンガ史と児童文化が専門の大学の先生で、『手塚治虫論』や『戦後マンガ50年史』といった著作があります。

 「あとがき」を読むと、大学の幼児教育学科と児童学科の学生に、絵本の読み聞かせを指導したり、紙芝居の実演、さまざまな絵本の紹介などに取り組んでこられたそうです。そうした経験のなかで考えてこられたことが、この本にまとめられています。

 この本のテーマは、絵本の「表現技法」。つまり、どんなふうにして絵本が描かれているのか、その表現のテクニックを考えてみることです。ただし、絵本を描こうとする人へのハウツー本というわけではなく、日頃から絵本に接している人や絵本に関心を持っている人に、「絵本はこんなふうにも読める」という新しい見方を提供したいとのこと。

 具体的に取り上げられている技法は、たとえば、誰の目からどんな位置から描くのか、その視点を画面と場面でどう連続させていくか、表紙と裏表紙をどのように描くか、絵と絵、場面と場面をどうつなげていくか、絵と言葉のコンビネーションの仕方や語り手の置き方、時間の流れをどのように扱うか、などです。

 この本、少々難しくとっつきにくいところもありましたが、日頃あたりまえに接している絵本を違った角度から見直すことができ、なかなかよかったです。100ページくらいのうすい本ですが、多くの絵本を例に挙げて具体的に説明していて、なるほどなあと思ったところがけっこうありました。

 竹内さんも書かれていますが、私たちは通常、完成品としての絵本に接していて、その絵本がどのような行錯誤の結果できあがったのか、あまり意識しません。でも、表現技法に注目してあらためて絵本を見てみると、作家の方々の創意工夫が多少なりとも感じられるような気がします。

 また、竹内さんは、表現技法を分析することの意味について次のように書かれていました。

ただ楽しむのではなく、分析的に見る見方も身につけてほしい。それが絵本に限らずメディアそのものを対象化し、ときには批判的に見る目を養うことに、きっとつながっていくはずなのだ。
[中略]
ものごとには、ふたつの眼で接するのが一番だと、ぼくなどは思う。「理解しつつ愛する」という態度が大切なんだと。冷静に対象のあり方を理解しつつ、その一方で対象を深く愛すること。そのような二重の接し方が、対象と自分との関係をよりよいものにしていくはずだと信じる。(105ページ)

 これはとても納得がいきます。「技法」や「分析」というとなんだか冷たい印象がありますが、まったく逆で、表現の工夫やその「すごみ」が分かると、ますます絵本が魅力的でおもしろくなってくると思います。子どもに読み聞かせをしたり、子どもと絵本について話したりするときも、もっと楽しくなるんじゃないでしょうか。

 あと、細かなところで「へー」と思ったのは、「幼年童話の三種の神器」です。これは竹内さんが考えたというわけではなく一般に言われているみたいですが、「食べ物」「遊び」「動物」の三つが「三種の神器」なのだそうです。これらのうちの一つか二つ、できれば三つ取り上げると、子どもたちは興味を持って物語に引き込まれるという説です。たしかに、これは当たっているかもと思いました。

 この本は、久山社から刊行されている「日本児童文化史叢書」の第32巻。この叢書、他のもおもしろそうなタイトルが幾つかあります。たとえば、加藤理『<めんこ>の文化史』、上地ちづ子『紙芝居の歴史』、福田誠治『子育ての比較文化』、早川たかし『明日の遊び考』、畑中圭一『街角の子ども文化』など。そのうち、機会があったら他の本も読んでみようと思います。

▼竹内オサム『絵本の表現』久山社、2002年、定価(本体 1,553円+税)

五味太郎さんのウェブサイト

 昨日の記事、『ヘリコプターたち』の作者、五味太郎さんのウェブサイト gomitaro.com です。このウェブサイトは五味太郎さんご自身が運営されていて、あの特徴的な色合いとイラストがサイトを飾っています。サイトの中身も充実しています。

 まず五味太郎さんの全書籍リスト。これは、五十音別、出版社別、年代別に整理されており、使いやすいと思います。何百冊もののリストは圧巻の一言。でも、古いものほど絶版が多いようで、少し悲しくなります。

 それから、書籍以外にも CD-ROM やビデオやカードゲームも制作されていて、そのリストもありました。なんと、お皿(大皿と小皿セット)やシルクスクリーンによる額装画(限定品)もあって、これも購入できるようです。

 あと、「おまけ」として『らくがき絵本 五味太郎50%』(ブロンズ新社)という本の2ページ分が PDF ファイルでダウンロードできるようになっています。プリントアウトして遊べます。

 五味太郎さんからの近況コメント(ちょっとひとこと)も掲載されていました。パリでワークショップをされるとのこと、おもしろそうです。ただ、このコメントは最新のものだけで過去の分のバックナンバーは見つかりませんでした。以前のコメントも見てみたいなと思いました。

読み聞かせの楽しみ

 絵本と育児本をテーマとしたウェブログ、OKI*IKU Note「『読むこと』は目的じゃない」という記事がありました。

「これはいい絵本だ!」自分が読んで感動した絵本ほど、子どもにちゃんと見てほしいとはりきってしまいます。しかし子どもは大人の思うようには絵本を見てくれません。
[中略]
「読んでほしい」という思いが強ければ強いほど、親としてはイライラしてしまいがち。けれど『赤ちゃんと脳科学』(小西行郎:著/集英社新書/2003/05)という本の中で読み聞かせについて書かれた文章を読んで、「絵本を読むこと」が読み聞かせの目的ではないのだなと気づきました。
[中略]
大切なのは絵本を読むことそれ自体よりも、それを使いながらどうコミュニケーションするかということ。

 たしかにそうだなあと思いました。私も、ついつい自分の都合で絵本を選んだり、子どものことを考えないで読み聞かせをしているなと少し反省。

 読み聞かせのとき、うちの子どもはたいてい、私のひざの上に座っているか、ふとんのなかでとなりに横になっているんですね。だから、子どもの表情が見えなくなりがちだなとあらためて思います。

 また、同じ絵本を二人で読んでいるとはいっても、子どもはやはり絵本の画面全体を見ていて、読み聞かせをする私はどうしても文章の文字を追ってしまいます。そうすると、見ているものも違ってきます。

 でも、見ているものが違うから、いろいろ子どもと話しができることもあります。私が気が付かなかったディテールを教えてもらったりもします。これも、一つのコミュニケーションかなと思います。

 最近は私も、読み聞かせをしながら、なるべく子どもの表情を見るようにしています。ニコニコと楽しそうにしていたり、「おもしろいねー」って笑っていたり、はっと緊張していたり、そんな子どもの様子が伝わってきます。そうなると、自分もいっしょになって絵本を楽しめるような気がします。

絵本学会のウェブサイト

 1997年設立の新しい学会。そのウェブサイトです。

 この学会は「絵本の表現の分野により立脚した、絵本学という独自の学問領域の確立」を目的にしているとのことで、設立趣旨では次のように書かれています。

今日、絵本表現の場は想像以上に広がっています。考え方や対象の定め方も様々なら、表現性も実に多様です。多様な表現の世界を持つこれらの絵本を、単純な概念で分類することには無理があります。しかし、絵本の形式がそれほど単純でないことが十分承知されながら、一般的には、教育的意味や文学的意味をもって語られることが多いのが実状です。
[中略]
絵本を固定した一つの表現形式とみなすだけでなく、表現の位相を把握し解明していくための研究が、新しい視野を拓くものと期待されるのです。それは、絵本学とも呼ぶべきものであり、絵本というメディアを介して研究される新たな学問領域だといえるでしょう。
[後略]

 なんだか難しそうですが、要は、たとえば子どものためのもの・教育のためのものといったふうに単純化せずに、絵本の持つ多様性と深みをそのまま丸ごと受け止めよう、ということでしょう。とても真っ当な考え方じゃないかなと思います。

 ウェブサイトでは、年に一度の絵本学会大会や絵本フォーラムの内容が非常に詳しく掲載されており、かなり充実しています。

 たとえば、どんなことがテーマになっているかというと、

  • 絵本と絵本美術館(2003年度大会)
  • 絵本はコラボレーションの場(2002年度大会)
  • 絵本とおとな・絵本とこども(2001年度大会)
  • 再度、昔話絵本を考える(絵本フォーラム2002)
  • 絵本とことば(絵本フォーラム2001)
  • こども、絵本、いのち(絵本フォーラム2000)

 大会やフォーラムでは、研究発表に加えて、ワークショップ(2003年度はからくり玩具作りやモビール作り)や作品発表などもあり、おもしろそうです。また、研究者だけでなく、絵本作家やデザイナー、教員や学芸員や司書など、いろんな分野の人が参加されています。

 あと、絵本学会では『ブックエンド』という雑誌(機関誌)を発行していて、その目次も見ることができます。

 2002年の創刊号では、宇野亜喜良さんの絵本「ぼくはへいたろう」が巻頭カラーで載っていたり、島田ゆかさんや きたむらさとしさんのエッセイもあって、これも興味深いです。機会があったら、ぜひ一度、読んでみたいです。

 他には、講演・出版・イベントなどの情報が掲載される「絵本学会伝言板」、会員や学校・美術館・図書館などのリンク集もありました。

 このウェブサイト、いろいろ有用な情報が掲載されていて刺激になります。学会とはいっても、あまりかまえなくてよいように思いました。