つちだのぶこ『ポッケのワンピース』

 つちだのぶこさん待望(?)の新作。最近は齋藤孝さんと組んだ「声にだすことばえほん」シリーズが続いていたので、つちださんが文も絵もすべて作られた絵本は久しぶりです。

 主人公は「ブブノワさん」という女の子。ポッケが10個もあるワンピースを「おかあさん」が作ってくれたのですが、森に出かけると、いろんな動物たちが「ポッケに はいって いい?」とたずねてきます。「どうぞ」と言っているうちに、ポッケは動物たちでいっぱいになり、そのうち、とてもポッケに入りそうにない「こぐま」まで入ろうとします。さあ、いったいどうなってしまうのか?

 この物語、ラストには実に楽しいオチが待っています。うちの子どもも、みんながポッケに入っている画面には、ニコニコしていました(^^;)。

 狭い空間にぎゅうぎゅうみんなが入っていくという展開は、なんとなく、エウゲーニー・M・ラチョフさんの『てぶくろ』を彷彿とさせます。もちろん、あちらは一つの手袋で、こちらは10個のポケット、画面の雰囲気もオチもまったく異なります。とはいえ、みんなが一緒にいることの楽しさ、ぴたっと接していることの心地よさは、共通かなと思いました。

 というか、みんながポッケに入っている画面のなんともいえない幸福感は、子どもが例えば「だっこして」と言ってくっついてきたときのあの感覚にも似てる気がします。相手に自分を預ける(預けられる)ときの幸せな一体感と言っていいかもしれません。その幸せな感覚が、この絵本では、ポッケでみんなが一緒になるというかたちで表現されているように思いました。

 それから、もう一つ印象深いのは、「おかあさん」がワンピースを作る場面。採寸して布を裁ちミシンで縫っていくというステップが一つ一つ描写されていきます。カタカタカタというミシンの軽快な動作音、そして、出来上がりを楽しみに待っている「ブブノワさん」。

 ここの画面のつくり、なんとなくですが、つちださんの『でこちゃん』に共通に見て取れる気がしました。「てこちゃん」がお母さんに髪を切ってもらう画面では、そのプロセスが見開き2ページに順に描かれ、そして、チョキチョキというハサミの音が画面を縦横に走っていきます。女の子とお母さんの交流というモチーフも同じと言えるかもしれませんね。

 ミシンやハサミの音、それは単に機械や道具の音ではなく、人の手と気持ちがこもった音のように思えます。そんな音に包まれてお母さんと一時をすごす……。料理の音も同じかもしれません。お父さんにはそういう音があったかな、ちょっと不安になります(^^;)。

 それはともかく、画面をよく見ると、つちださんの他の絵本に登場するキャラクターがそれとなく描き込まれています。これも、楽しい趣向です。

 うちの子どもは本当にポッケが10個あるか、指さして数えていました。「あ、ほんとだ、10個あるね」(^^;)。

▼つちだのぶこ『ポッケのワンピース』学習研究社、2005年(初出:月刊保育絵本『おはなしプーカ』2004年4月号)、[編集人:遠田潔、企画編集:木村真・宮崎励・井出香代、編集:トムズボックス]

中村翔子/はた こうしろう『しりとりのだいすきなおうさま』

 しりとりが大好きで、何でもしりとりになってないと気が済まない王様の物語。食事も、すべての料理がしりとりの順番で出さないといけないので、家来やコックたちは、てんてこまい。おまけに、料理の最後は、これまた王様の大好きなプリンで終わらないとならないのです。もちろん、しりとりですから、料理の名前が「ん」で終わっているものは(最後のプリンは別として)許されません。たとえば「ラーメン」は御法度。そんな王様に困り果てた家来たちは、一計を案じます。

 この絵本、子どもと一緒にしりとりを確認しながら読んでいきました。表紙や、本文の王様を紹介する最初のページも、よく見ると、描かれたものがちゃんと、しりとりになっています。

 王様の我が儘やそれに振り回される家来たちの様子も、軽快な筆致で描写され、なかなかユーモラス。うちの子どもにも受けていました。

 でも、一つ疑問だったのは、「プリン」の前の料理は何だろう?ということ。うちの子どもと一緒にうんうん考えていたら、妻が一言、「ケチャップ」。おー、さすがー。

 ところが、うちの子ども曰く「ケチャップはそのままでは食べないよ!」。あ、そうだねえ、じゃあ、なんだろう? また考えていると、妻が「ポークチョップ」。おー、これは大丈夫だね。でも、ポークチョップの前の食べ物は何だろう? またまた考えていると、妻が「きりたんぽ」。さすがー。

 「き」が最後に来る食べ物はいろいろありそうなので、これでばっちり。つまり、「プリン」←「ポークチョップ」←「きりたんぽ」ですね。みなであれこれ考えるのは、なかなか楽しいです。ちょっと食い合わせが悪いかな(^^;)。

 あ、いま裏表紙を見ていて気が付いたのですが、「プリン」←「スープ」というのも、いいですね。でも、「す」で終わる料理って何だろう?

▼中村翔子 作/はた こうしろう 絵『しりとりのだいすきなおうさま』鈴木出版、2001年

島田ゆか『ぶーちゃんとおにいちゃん』

 「バムとケロ」「かばんうりのガラゴ」に続く、島田さんの新作です。今回の主人公は、イヌの兄弟、「ぶーちゃん」と「おにいちゃん」。「ぶーちゃん」は「おにいちゃん」が大好きで、いつも「おにいちゃん」のまねばかり。そんな二匹のやりとりが描かれていきます。

 「バムとケロ」や「ガラゴ」のシリーズと比べると、かなり小さめの造本。でも、画面の情報量はこれまでと同様か、あるいはそれ以上かも。画面の端々に、たくさんのサブストーリーが浮かび上がってきます。うちの子どもと一緒に、ページを行きつ戻りつして楽しみました。「あ、こんなところに!」「あ、ここにいる!」「これも違ってる!」……。

 島田さんの他のシリーズに登場するキャラクターもたくさん出てきます。あと、無生物だと思っていたものが、よーく見ると生き物だったり、すみからすみまで楽しめます。変な例えですが、スルメのように噛めば噛むほどに味わえる絵本(^^;)。

 と同時に、この絵本では、兄弟二人の人物像が秀逸。なんだか自分の子どものころを思い出しました。私も兄弟二人なのです。自分の失敗をごまかそうとする「おにいちゃん」の様子など、「あー、こんなことあったなあ」と実感できます。

 うちの子どもも二人ですが、そのうち、こんなふうに、きょうだいだけの世界を作っていくんだろうなと思いました。

▼島田ゆか『ぶーちゃんとおにいちゃん』白泉社、2004年、[装幀:高橋雅之(タカハシデザイン室)]

「こどものとも」創刊50周年記念ブログ、5月下旬スタート

 福音館書店の月刊絵本「こどものとも」が来年3月で600号、創刊50周年を迎えるそうです。それを記念して、福音館書店で記念のウェブログを開設(!)。昨日、配信された福音館書店のメールマガジン「あのねメール通信 2005年5月6日 Vol.42」に案内がありました。

 それによると、ウェブログには、これまでに刊行した「こどものとも」600点と「こどものとも年中向き」200点のバックナンバー全点(!)の表紙と簡単な内容を、1週間に1年分ずつ紹介し、毎回その刊行当時のことを知る方々によるエッセイを掲載。50年ですから、50週、約1年で50年の歴史をたどることになるそうです。5月下旬までにはスタートとのこと。

 これはすごい!! バックナンバー全点ですよ、みなさん! あの名作・傑作から、あの怪作まで、すべての表紙と内容紹介……。いや、本当にすごい試みです。

 エッセイは誰が執筆されるのかな。「こどものとも」50年の歴史ですから、そうそうたるラインナップになることは間違いなしですね。非常に楽しみです。

 ウェブログですから、もちろん、一般の読者の感想やコメントも書き込めるようになるみたいです。これは、ものすごく盛り上がりそうですね。私もぜひぜひ参加したいです。

 一般に企業によるウェブログの活用としても、非常におもしろい事例になるのではないでしょうか。こういう有意義な使い方があるんだという先進的な取り組みとして注目される気がします。

 ともあれ、スタートは5月下旬。まだ先ですが、本当に楽しみに待ちたいと思います。

井上洋介『とぶひ』

 次から次へといろんなものが飛んでいく絵本。ネズミやイヌやナマズといった生き物から、看板人形や銅像や自転車といった無生物まで、羽が生えてひらひらと空に上っていきます。

 とくに可笑しいのが、街の人が手に持つ荷物に羽が生えているところ。この荷物、スーパーのレジ袋か、あるいはゴミの入ったビニール袋のように見えます。それが羽をはばたかせ、人がふわりと浮かんでいるのです。うーむ、すごい。

 一人の男の子が一応、主人公(?)になり、どのページにも登場します。いろんなものが飛んでいる様子を男の子は、ニコニコ楽しそうに見ています。飛んでいる動物たちもうれしそうな表情。

 のびやかな筆致は、一気に上昇するというより、地上数メートルをふわふわ浮かぶような独特の浮遊感。色合いは、黄色や茶色、グレーが基本です。くすんだ彩色が、なんとなく懐かしい雰囲気です。そういえば、登場する人びとの服装も、少し地味で歴史の風合いを感じさせるように思います。

 うちの子どもは、とぶ「ハンバーグ」に吹き出していました(^^;)。紙飛行機が飛ぶ画面には、「紙飛行機は最初から飛ぶよねえ」と突っ込み。

 また、読み終わったあとにはタイトルの「とぶひ」を「とびひ!?」と言い換えて、一人で受けていました。「とびひ」というのは、子どもがよくかかる皮膚炎の一種です。曰く「みんな、とびひになると、おかしいねえ」(^^;)。いやはや、うちの子ども、こういう駄洒落のセンスはたいしたものです(親ばか)。

▼井上洋介『とぶひ』学習研究社、2004年(初出:月刊保育絵本『おはなしブーカ』2003年12月号)、[編集人:遠田潔、企画編集:木村真・宮崎励・井出香代、編集:トムズボックス]

ウィリアム・スタイグ『歯いしゃのチュー先生』

 ネズミの歯医者さん「チュー先生」はとても腕利きで、いつも患者さんでいっぱい。助手の奥さんと一緒にどんどん治していきます。モグラやシマリスといった自分と同じ大きさの患者さんはもちろんですが、ブタやウマ、ウシといった大きな患者さんも特別の設備で治療。とはいえ、「チュー先生」はネズミですから、たとえばネコやその他の危険な動物は最初から診療を断ってきました。

 ある日、虫歯を抱えたキツネがやってきます。本来ならお断りなのですが、あんまり痛そうなので、「チュー先生」はかわいそうに思い、治療することにしました。ところが、このキツネ、診察されているうちに、「チュー先生」を食べたくなってきました。さあ、「チュー先生」はどうやってこの危機を乗り越えるのか……。

 この絵本、先日読んだ『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』のシリーズ前作ではないかと思います。登場するのは、同じネズミの歯医者さん。『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』では「ソト先生」という名前でしたが、今回は「チュー先生」。でも、原書のタイトルを見ると、間違いなく「ソト先生」ですね。固有名をどう訳すか、訳者によって判断が違うのかなと思います。

 『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』もそうでしたが、この絵本でも、大きな動物たちと小さな「チュー先生」の対比がユニーク。多くの画面で「チュー先生」夫婦は小さく描かれており、ところが、この小さき者が力ある大きな者を助けるわけです。

 治療の描写もなかなかおもしろい。いろいろ特別の器具を使い、患者の口に入り込んで処置するんですね。ぱかっと開けた口のなかに美味しそうなネズミ。だから、キツネも食べたくなってしまうわけです。いや、気持ちは痛いほど(^^;)分かります。

 また、このキツネ、表情の変化が絶妙です。目つきや口の端の細かな動きが、ずるかしこいキツネの心情をよく伝えています。

 ところで、なるほどなーと思ったのが、自分の仕事に対する「チュー先生」の心意気。

「いったんしごとをはじめたら」と、チュー先生はきっぱりと
「わたしはなしとげる。おとうさんもそうだった」

 多少のリスクがあっても、仕事は最後までやり遂げる……。表紙に描かれた、治療台の横に立つ「チュー先生」のりりしい姿からも、自分の仕事に誇りを持っている様子がうかがえます。

 まあ、仕事の中身にもよりますし、いつでもそう出来るわけではないでしょうが、しかし、こういうのは格好よいです。

 原書”Doctor DE SOTO”の刊行は1982年。

▼ウィリアム・スタイグ/うつみ まお訳『歯いしゃのチュー先生』評論社、1991年

ウィリアム・スタイグ『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』

 ネズミの歯医者さん「ソト先生」とその奥さんで助手の「デボラさん」がアフリカに行き、ゾウの「ムダンボ」の虫歯を治療するという物語。途中で「ソト先生」がアカゲザルの「ホンキトンク」にさらわれたりしますが、最後は無事に虫歯を治します。

 小さなネズミと大きなゾウの対比が、なかなかユニーク。困り切った顔の「ムダンボ」が大きく口を開け、飲み込まれそうに小さな「ソト先生」と「デボラさん」が処置しています。いわば、大きなものと小さなものの力関係の逆転です。「ムダンボ」の虫歯を削って何で詰め物をするかも、なるほどなーのアイデア。

 それはともかく、この絵本の隠れたモチーフは、おそらく夫婦愛。「ソト先生」と「デボラさん」の夫婦は仕事上のパートナーでもあり、互いを尊敬し合い愛し合っていることが伝わってきます。

 たとえば「ホンキトンク」にさらわれたとき、二人は何よりお互いを心配し合います。「ソト先生」が閉じこめられた檻から脱出するときも、「デボラさん」に会いたいという一念で死にものぐるいの力を出すわけです。そして、ラストページ、「ソト先生」の言葉が最後の締めなのですが、これがまた二人の仲の良さを表していて、ちょっとよい感じです。

 そういえば、とびらの前の一番最初のページには、「ソト先生」と「デボラさん」が並んで写っている額縁入り写真(?)がさりげなく描かれていました。

 原書”Doctor DE SOTO goes to Africa”の刊行は1992年。

▼ウィリアム・スタイグ/木坂涼 訳『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』セーラー出版、1995年

内田麟太郎/高畠純『ワニぼうのこいのぼり』

 登場するのはワニの家族。「おとうさん」が「ワニぼう」に鯉のぼりを買ってきます。さっそく庭に揚げてみると、青空を気持ちよさそうに泳ぐ鯉のぼり。あんまりうらやましいので、「おとうさん」はなんと「ワニのぼり」(!)をはじめ、「ワニぼう」と「おかあさん」もそれに加わっていくという物語。

 この「ワニのぼり」、つまりは、鯉のぼりと同じように、口にひもをつけて、それを柱に結わえ、みずから風に吹かれるわけです。うーむ、これはおもしろい!

 もちろん、ワニが風に吹かれて空を泳ぐなんて現実にはありえませんが、なんとも楽しい描写。青い空と白い雲をバックに、緑色のワニが浮かんでいるのです。

 また、子どもの「ワニぼう」より先に「おとうさん」がまず「ワニのぼり」になるのも、よい感じです。というか、もしかすると、日々の仕事に疲れたお父さんこそ、鯉のぼりがうらやましく思えてくるのかもしれませんね(^^;)。

 ところで、5月の空を泳ぐ気持ちよさをこの絵本では、春風の美味しさという実に印象的なフレーズで表しています。なるほどなー。鯉のぼりが口を開けて泳いでいる様子は、たしかに春風をおなかいっぱい味わっているようにも見えますね。春風のさわやかさ、心地よさを、美味しさという味覚で表現する……。突飛なようでいて、でも、とても実感がわきます。

 うちの子どもは、「ワニぼう」たちの「ワニのぼり」にニコニコ。終わりのページで街中の動物たちがそれぞれ「○○のぼり」をしている画面では、指さしながら「あ、ヤギ。こっちはゾウ。ペンギンもいるー! タコのぼりー!」と大受けしていました(^^;)。

▼内田麟太郎 文/高畠純 絵『ワニぼうのこいのぼり』文溪堂、2002年

またき けいこ『たくあん』

 表紙と裏表紙を広げて一つにすると、大きな大きな白い大根が横たわっています。この絵本のテーマは「たくあん」。大根の種がまかれ成長し、畑から抜かれて干され、樽に漬けられ、最後に「たくあん」としておにぎりの横に並べられるまでが描かれています。

 福音館書店の月刊誌「かがくのとも」の1冊ですが、何か科学的説明や図解が載っているわけではありません。むしろ、文章は詩のような趣。けれども、「たくあん」が出来上がるまでのプロセスが丹念に描写されており、一つの食べ物が食卓に並ぶまでの作業の積み重ねと時間の流れを実感できます。

 絵は、ダイナミックな筆致と鮮やかな色彩で、なかなかの迫力。ただし、人間は一人も登場しません。中心をなすのはあくまで大根と「たくあん」。もちろん、「たくあん」は人間の手が加わってはじめて出来上がるわけですし、この絵本でも、大根が干され漬けられることがきちんと描かれています。とはいえ、大根を育て「たくあん」を作ることは、自然の営みや変化を基礎にしていると言えるでしょう。この絵本の描写は、そのことに焦点を当てているように思います。

 使われている色のなかでは、とくに黄色が印象的。最初のページでは、黄色い画面に大根の小さな種がたくさん散りばめられており、ページをめくると、この黄色が暖かな太陽の光であることが分かります。終わりのページでは樽のなかで出来上がったたくさんの黄色い「たくあん」が見開き2ページいっぱいに描かれています。この黄色は、なんとも美味しそう。そして、ラストページは、大きな黄色い太陽(?)に浮かぶ赤唐辛子。

 つまり、「たくあん」の黄色とは、お日様の黄色なんですね。秋の日差しを浴びて大根は生長し、また冬のお日様にあたって甘くなる。太陽の恵みを存分に受けて美味しい「たくあん」が出来上がることが、黄色の彩色からよく伝わってきます。

 あと、興味深かったのは、畑から抜いた大根を木で組んだやぐらに干しているところ。やぐらは畑のそばにあって、幾つも並んでいます。家の軒先に干すというのは、私が小さい頃にもあったと思うのですが、やぐらに干すのは、はじめて知りました。昔からの伝統的なやり方かなと思います。

▼またき けいこ『たくあん』「かがくのとも」2001年11月号(通巻392号)、福音館書店、2001年

岸田衿子/中谷千代子『ジオジオのたんじょうび』

 世界中で一番強いライオン、「ジオジオ」はお菓子が大好き。ケーキやパイやプリン、柏餅など、甘いものを食べていれば、普通の食事は何もいりません。そんな「ジオジオ」にお菓子を作っているのが、ゾウの「ブーラー」。専属のコックです。

 70歳の誕生日を迎えるにあたって、「ジオジオ」は「ブーラー」に特別のケーキを注文します。動物たちは、ケーキの材料を集めるのに大忙し。最初は自分だけで誕生日を祝おうと考えていた「ジオジオ」ですが、それがどうなったか。なんだか気持ちがあたたかくなるようなラストです。

 この物語でとくに印象深いのが、「ジオジオ」が夢に見る、5歳のときの誕生日の様子。家族みんなが集まって誕生日をお祝いし、一年に一度だけお母さんが焼いてくれるケーキをみんなで分けて食べます。ろうそくの灯に照らされたみんなの笑顔。そして「おかしは、いくつに きれば いいの?」というお母さんの声。実に幸せな情景です。

 小さいころ誕生日に食べたこのケーキの美味しさが、「ジオジオ」が甘いものを好きな理由なんですね。でも、それは、甘いケーキだから美味しいのではなく、みんなで分かち合うからこそ美味しいということ。そのことを「ジオジオ」はずっと忘れていたわけですが、70歳の誕生日を前にしてようやく思い出します。自分が本当に求めていたものが何だったのか、はじめて理解する「ジオジオ」。

 家族を亡くし動物たちに恐れられるだけだった孤独な「ジオジオ」が、もう一度、他者とのきずなを取り戻す……。そこには、以前読んだ『ジオジオのかんむり』と共通のモチーフを読み取れます。

 また、「ジオジオ」の夢の描写が非常に体感的であるのも興味深いと思います。甘い匂い、ろうそくの灯、口のなかに広がる美味しさ、お母さんの声……。いわば五感のすべてが一つとなって、「ジオジオ」の幸せな記憶を成しているわけです。

 なかでも、眠る「ジオジオ」を包み込むケーキの甘い匂い、つまりは嗅覚が記憶を呼び覚ますきっかけになっており、そして、夢から覚めても聞こえてくるお母さんの声、つまり聴覚がその記憶の本質を伝えていると言えるかもしれません。

 中谷さんが描く「ジオジオ」は、百獣の王というより、むしろ、おだやかでおしゃれな紳士といった風情。それはこの物語によく合っていると思います。岸田さんの「あとがき」では、物語の背景やモチーフの一端が記されていて、こちらも興味深いです。

 うちの子どもは、ニコニコしながら聞いていました。「ジオジオ」が「ブーラー」にお菓子を作ってもらうところでは、「いいなあ」と心底うらやましそう(^^;)。そして、読み終わると一言「おいしい物語だねえ」。うちの子どもにとっては「ジオジオ」の心の動きなどよりも、とにかく好きなお菓子をいつでも食べられることに惹かれたようです。

 「ジオジオ」の物語は、どうやらまだ他にもあるようなので、次の機会に読んでみたいと思います。うちの子どもも「また読みたーい」と言っていました。

 この絵本(絵童話)、おすすめです。

▼岸田衿子 作/中谷千代子 絵『ジオジオのたんじょうび』あかね書房、1970年