月別アーカイブ: 2005年1月

マタニティ・ブックスタート

 『朝日新聞』のasahi.com : MYTOWN : 山口の記事「おなかの赤ちゃんに読んで/出産前の母親に絵本」。山口県小野田市の取り組みです。少し引用します。

0歳から絵本を通して言葉と心を育むため、出産後の母親に絵本を贈る「ブックスタート」運動が全国の自治体に広がる中、小野田市は出産前に贈る独自の「マタニティー・ブックスタート」に取り組んでいる。育児で忙しい出産後より、おなかの赤ちゃんにゆっくり読んであげながら出産を迎えてほしいという。

 うーん、どうなんでしょうね、これ。

 いや、たしかに有意義な部分も大いにあると思います。母親が(もちろん父親も)絵本に接する機会がそれだけ早くなるわけですし、それは赤ちゃんが生まれてからの絵本とのつきあい方にもよい影響を及ぼすと言えます。また、母親にとっても父親にとっても、絵本を渡されることで、自分たちが「親」になることをこれまで以上に自覚できるかもしれません。さらに、記事でも書かれていましたが、出産前の方が余裕があるというのも重要な点でしょう。

 とはいえ、生まれてしばらくの赤ちゃんに絵本を読んでも、おそらく赤ちゃんは絵本を受け入れないのではないでしょうか。少し大きくなってからも遊び道具にすることが多いと思います。そもそも絵本が「絵本」として認知されるのは、それなりに条件が整わないと難しい気がします。

 そうだとすれば、親が期待するほどには赤ちゃんが絵本を楽しんでくれないとき、逆に絵本なんていらないということになりはしないか……。考えすぎかもしれませんが、絵本とのかかわり方が阻害されることもありうるように思いました。もちろん、このあたりについては、事前にきちんと伝えておけばよいのでしょうが……。

 あと、この取り組みがある種の方向に進んでいくと、たとえば「胎教によい絵本の読み聞かせ」とか「胎教におすすめの絵本」といったところまで行くかもしれませんね。最近は絵本ブームと言われていますし、もしかすると、どこかの出版社がすでに企画を立てているかも。たぶん出版社にとっては新しい市場になるような気がします。

 まあ、少し考えすぎかな。どんなもんでしょう。

バージニア・リー・バートン『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー』

 久しぶりに「けいてぃー」。読む前に「けいてぃーって、男の子だと思う?女の子だと思う?」と聞いてみたら、うちの子ども曰く「男の子!」。

 うーん、やっぱり、そう思っていたか。いや、実は私もしばらく前までは「けいてぃー」は男の子だと思い込んでいたのです。間違いに気付いたのは、バージニア・リー・バートンさんの伝記を読んだとき。原書の一部が写真で掲載されていたのですが、代名詞が”she”だったのです。英語だと代名詞で女性か男性かはっきり分かるのですが、日本語だとそのあたりがあいまいになります。というか、考えてみれば、そもそも「けいてぃー」という名前は女性の名前ですよね。いかに自分が既成のものの見方にとらわれているか、あらためて痛感しました。ほんとにつまらない先入観です。

 それで、今回うちの子どもにも「けいてぃー」は女の子なんだよと説明しました。「えー! 女の子なの!」とびっくりしていました。本文扉の前のページに描かれている、バートンさんの他の絵本の主人公たちを指して「じゃあ、これは?これは?」。スチーム・ショベルの「メアリ」も「いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう」も女の子だよと言うと「へぇー!」。うちの子ども、少し驚きはしたようですが、「あ、そうなんだ」と割と自然に受け止めていました。

 絵本はまずは楽しむものですが、しかし、そこに何が描かれているのか、もっと自覚的でないといけないなと反省。

▼バージニア・リー・バートン/石井桃子 訳『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー』福音館書店、1978年

絵本の読み聞かせのいろいろなかたち

 子どもたちに向けた集団での絵本の読み聞かせというと、その担い手はやはり女性が中心かと思います。とはいえ、最近は、いろんな取り組みが試みられるようになってきたようです。そこで、ここ数ヶ月に右サイドバーの MyClip でクリップした記事に基づき、そうした試みの幾つかを簡単にまとめてみようと思います(といっても、かなり長文になってしまいました^^;)。

男性による読み聞かせ

 まずは男性による読み聞かせ。近年、とみに注目されてきました。その筆頭はもちろん、絵本ナビ パパ’s絵本プロジェクト。新聞や雑誌などのマスメディアでもさかんに取り上げられていますね。

 なんと長野県には「伊那支部」も発足。北原こどもクリニックの北原文徳さんらによる取り組みです。そのライブレポートもあります。なんか、いいなあ。とても楽しそうです。

 北原さんのウェブサイトでは、絵本についての興味深い考察がおとうさんと読む「絵本」しろくまの不定期日記に掲載されており、こちらもおすすめです。

 えー、少々こっぱずかしいのですが、北原さんのウェブサイトのリンク集では「絵本を読むお父さんなら、「今日の絵本」に訊け!」と、うちの今日の絵本にリンクを張っていただいています。いや、「訊け!」っていうほどの内容がなくて恐縮なのですが、本当にありがたいなあと思っています。この場を借りて、感謝いたします。

 話を元に戻して、男性による読み聞かせですが、陸奥新報に2004年11月21日に掲載された記事男性の読み聞かせ、子供たちを魅了。青森県での取り組みです。

 こちらはパパ’s絵本プロジェクトとはとくに関連はなく、単独の活動のようです。少し記事を引用します。

県内で初となる男性の読み聞かせグループ「お話ちゃんこなべ」(高嶋豊明代表)が二十日、絵本の読み聞かせを弘前市門外二丁目の堀越公民館で行い、児童を引き付けた。これまで読み聞かせといえば主に女性だったが、「男性の包容力のある声で聞くのもいい」と好評だった。

 「お話ちゃんこなべ」のメンバーは、弘前市や青森市に住む男性6人。結成は2004年9月。なかには、絵本を読み聞かせするのが今回はじめてという方もいらしたそうです。もちろん、本番の前には1週間かけて練習をされたとのこと。

 男性による絵本読み聞かせ、徐々に広がってきているようです。

高齢者による読み聞かせ

 続いて、年齢限定、60歳以上の高齢者による読み聞かせ。中日新聞の記事にあったのですが、いまは見ることができないようです。そこで、Google にキャッシュしてあったものから引用します。滋賀県長浜市での取り組みです。

長浜市内の小学校で、60歳以上のメンバーが集まる本の読み聞かせボランティア「ジーバーぽこぽこ」が活動している。子どもたちの読書習慣の支援と、高齢者の健康維持、増進につなげようという一石二鳥の試み。県内では初の取り組みだ。

 記事によると、2004年6月に長浜市の保険センターが高齢者の読み聞かせボランティアを募集。8回にわたり講義や実技を受講し、その後、9月からじっさいの活動をはじめたとのこと。メンバーは17人。かなり人気があるようで、市内の小学校から引っ張りだこだそうです。

 「ジーバーぽこぽこ」という名前の由来は、おじいさんやおばあさんからいろんな話が出てくるという意味。なるほど、おもしろいですね。

 記事の最後に説明があったのですが、高齢者による読み聞かせは、東京都老人総合研究所が健康増進に効果的として提案しているそうです。

 同研究所のサイトを検索してみると、広報誌の老人研NEWSに関連記事を見つけました。No.205 平成16年11月(PDFファイル)の「トピックス シニア読み聞かせボランティアのあゆみ」です。

 この記事によると、すでに1990年代にアメリカで同種のプログラムが実施されており、日本では、同研究所が中心になって、東京都中央区、川崎市多摩区、滋賀県長浜市の3地区でおこなわれているようです。活動開始後6ヶ月ごとにお年寄りのフォローアップ健診をし、お年寄りの心身の健康にとっての意義を評価するとのこと。また、お年寄りの読み聞かせが小学校などの教育現場に対してどんな意義や効果を持っているかも聞き取りを進めていく予定だそうです。かなり本格的な調査研究です。

 そういえば、お年寄りに対する読み聞かせの取り組みもあったと思います。でも、もしかすると、お年寄りがみずから小学校に出向いて絵本を読む方が、お年寄りにとってはよりよいかもしれませんね。

高校生による読み聞かせ

 今度は若い世代の読み聞かせ。岩手日報の2005年1月7日の記事、読書会が結ぶ世代の絆 伊保内高生徒。少し引用します。

今回で25年目を迎えた九戸村の伊保内高(牛崎隆校長、生徒182人)の子ども読書会は6日、村内各地区で始まった。7日までの2日間、生徒60人が村内21会場を回り、児童・幼児に宮沢賢治の童話を読み聞かせたり、手作りの紙芝居を上演して交流を深める。

 今年で25年目! 生徒60人で村内21会場! うーむ、これはすごい。ハンカチ落としなどのゲームもするそうです。参加した子どもたちの声も載っていますが、とても楽しそう。毎年、楽しみにしている子どももいるとか。小さいときに読書会に参加した子が高校生になって今度は読み手として活動していることもあるそうで、これは素晴らしいですね。

 うちの子どもを見ていても思うのですが、異年齢の子どもと遊ぶ機会がとても少ないです。高校生と接する機会などほぼ皆無。また逆に、高校生が幼児や小学生と接することもあまりないのではないでしょうか。そういうなかで、児童や幼児と高校生が交流できる読書会は、非常に有意義なんじゃないかと思います。

 岩手県立伊保内高等学校のサイトもありました。子ども読書会のセクションには詳しい情報が掲載されています。

 見てみると、参加する高校生は男子の方が多いんですね(男子32人・女子20人)。学校の公式の行事ということもあると思います。とはいえ、女子よりもむしろ男子にとって、この取り組みはよい経験になるんじゃないでしょうか。いや、私の高校時代を振り返ってみても分かるのですが、こういう子ども読書会は自分の社会を広げる一つのきっかけになると思います。

 サイトのトップページによると、この子ども読書会は平成16年度の善行青少年表彰を受賞したそうです。この表彰については、青少年育成ホームページ平成15年度善行青少年等表彰についてに説明がありました。

 ただ、Google で検索してみると、伊保内高校は、岩手県の高校再編の対象になっており、存続を求める運動がおこなわれているようです。おそらく少子化の問題が背後にあるのでしょう。当事者ではありませんし細かな事情が分からないので何も言えませんが、これだけ優れた活動に取り組んでいる高校がなくなってしまうのは、非常に惜しいと思います。

共有地としての絵本の読み聞かせ

 今回は、ほんの少しのクリップした記事しか見ていませんが、それでも、読み聞かせにはいろんな可能性があるなあと思いました。

 とくに感じたのは、読み聞かせが双方向的であること。もちろん、読み聞かせは子どもたちのために行われるわけですが、でも、それは子どもたちに対して絵本をただ読んでいくだけではありません。

 男性にせよ、高齢者にせよ、高校生にせよ、読み聞かせを通じて自分たちもまた多くのものを得ていると思います。東京都老人総合研究所ではお年寄りに対する読み聞かせの効果が一つの研究テーマになっていましたし、岩手県の伊保内高校の子ども読書会も高校生自身にとっての教育的意義は大きいでしょう。

 しかも、いずれの取り組みでも、参加した子どもたちもまた、楽しんでいるようです。つまり、読み聞かせをする側の独りよがりではなく、なにより子どもたちにとって魅力的な時間と場所を作れているということ。

 こんなふうに考えてみると、絵本の読み聞かせというのは、いわば共有地のようなものかなあと思いつきました。

 理解が間違っているかもしれませんが、みんなで一緒になって作り上げている空間であり、しかも、そこから誰もが多くのものを得て学んでいる空間。それが絵本の読み聞かせのときに現れてくる空間かなあと。

 いや、私自身は自分の子どもに絵本を読んでいるだけなので、集団での読み聞かせがどのようなものなのかじっさいにはよく分かりません。とはいえ、読む側から聞く側への一方的な情報伝達ではなく、読む側と聞く側が双方向的にともに何かを作って獲得していく場なんじゃないかなと考えました。そして、それは、うちの子どもに絵本を読むときにも当てはまるような気がします。

アラン・メッツ『はなくそ』

 タイトルの通り、「はなくそ」をモチーフにした絵本。家族みんなで大受け、大爆笑しました。うちの子どもは、途中からずーっと笑いっぱなし。いやー、これはおもしろい!

 主人公はブタの男の子「ジュール」。「ジュール」は家がお隣で毎朝いっしょに学校に行くの女の子「ジュリー」が大好きなのですが、なかなか告白できません。「ジュリー」はといえば、「いつも よごれて はえが ブンブンしている ジュールが いやで たまりませんでした」。

 そんなある朝、「ジュール」が勇気をふりしぼって、ついに愛を告げようとすると、「ジュリー」曰く「わたしね、あした ひっこすの」。驚く「ジュール」はだまって「ジュリー」のあとを付いていくだけ。森を歩く二人はそのうち、大きな恐ろしいオオカミに捕まり、牢屋に閉じこめられてしまいます。食べられそうになった「ジュリー」を救うべく「ジュール」が取った行動とは……。

 このあとの展開は、ぜひ読んでみて下さい。大爆笑間違いなし、開放感あふれるビロウな物語です。

 まあ、汚いと言えば汚いお話。しかも、教育上あまりよろしくないかもしれません(^^;)。「そんなことしちゃいけません!」なんて言われて眉をひそめられそうです。

 でも、子どもはもちろんのこと、大人になっても、こういう汚いものを楽しむ感覚ってありますね。ついつい、いろんなものの臭いを嗅いでしまうとかね。だって、楽しいもんなー。

 それに、この絵本、単にばっちいだけではないような気がします。主人公の「ジュール」は、前半のページではたしかに汚くて何も考えていなさそうなんですが、どうしてどうして、オオカミの様子をよく観察し、実に的確な判断を下しています。その場の状況に臨機応変に対応し、しかも最後には「ジュリー」の愛まで勝ち取ってしまうのです。実はとても聡明な男の子なのかも(^^;)。

 絵はもちろんユーモラス。「ジュール」の汚さ具合の描写がよい感じです。頭の上にはいつもハエが一匹飛んでいるのですが、最後の最後にいなくなっているのも、おもしろい。「ジュール」の汚さに降参するオオカミの変化も、見ものです。

 あと、付けられた文章も秀逸。「ジュール」の一挙一動とそれに対するオオカミの反応が、まるで映画を見ているかのように伝わってきます。ばっちいアクションの連続には、なんともいえないおかしみがあります。

 ともあれ、家族みんなでこれだけ大笑いした絵本は、ちょっと珍しいかも。汚いのは嫌いという人には向きませんが、そうでなければ、おすすめです。

 原書”Crotte de nez”の刊行は2000年。

▼アラン・メッツ/伏見操 訳『はなくそ』パロル舎、2002年

古田足日/田畑精一『おしいれのぼうけん』

 「さくらほいくえん」で恐いものは「押入」。静かにしない子がいると、「みずのせんせい」はその子を押入に入れて戸を閉めてしまうのです。そして、もう一つ恐いのが先生たちの人形劇に登場する「ねずみばあさん」。ある日、昼寝の時間に騒いでいた「あきら」と「さとし」は、「みずのせんせい」に押入に入れられてしまいます。「ごめんなさい」を言わずにがんばる二人は、やがて押入の奥の不思議な世界へと入り込み、「ねずみばあさん」と戦うという物語。

 なにより印象的なのは、「あきら」と「さとし」のぎゅっと握り合った手。この絵本の背と表紙にも描かれているのですが、押入のなかの二人は多くの場面で手をつなぎ、肩を抱き合います。それは、二人の友情と連帯の表れであり、互いを励まし合うきずなです。

 しかも、すごいなと思うのは、握り合った手があつく汗ばんでいること。いや、当たり前といえば当たり前です。でも、手と手によるこの体感的な交流があってこそ、暗い押入のなかで相手がそこにいることをしっかりと確認し、自分を奮い立たせていることがよく伝わってきます。「ねずみばあさん」に対峙した二人にとって、握り合った手のぬくもりと感触以上に確かなものはなかったとすら言えるかもしれません。

 また、「あきら」と「さとし」の人物造形も魅力的。もちろん、分かりやすく単純化されていますが、ストーリーとも密接に関係しています。途中までは「さとし」の方が気丈夫で「あきら」はすぐに弱音を吐きそうになるんですが、それが最後にどうなったか。よくある展開と言えるかもしれませんが、それでも二人が互いに対等にがんばりぬいたことが表れているように思いました。

 絵は、全体を通じてモノクロ。そのなかで、冒険のはじまりと終わりを示す画面だけが鮮やかなカラーです。別の世界に入っていき、そしてまた戻ってきたことが印象的に描かれています。

 あと、一番最初のページと最後のページの対比もおもしろい。絵も文章もまったく対照的。もしかすると「あきら」と「さとし」の冒険は「みずのせんせい」を変え「さくらほいくえん」そのものを変えたと言えるのかもしれません。いや、ちょっと大げさかな(^^;)。

 うちの子どもは、次はどうなるんだろうと、かなり集中して聞いていました。読み終わったあとで聞いてみると、うちの子ども曰く「ぼくの幼稚園にはこんなに騒ぐ子はいない」。えー、ほんとー?(^^;)。あと、どうやら、うちの子どもが通っている幼稚園には押入はないようです。

▼古田足日/田畑精一『おしいれのぼうけん』童心社、1974年

川端誠『めぐろのさんま』

 川端さんの落語絵本シリーズの1冊。はじめてサンマを食べた殿様のトンチンカンぶりがおかしいです。でも、うちの子どもは、話のオチがよく理解できなかったようでした。いろいろ説明して、一応、分かったみたいです。

 うーん、落語絵本を以前読んだときもそうだったのですが、子どもがスムーズに理解するのは難しいですね。元にする落語にもよるでしょうが、なんだろうな、直接的で体感的な笑いとは違うからだろうか。というか、以前のページに描かれている物語の伏線をよく了解していないと最後のオチが分からないんですね。けっこう要求水準が高いかもしれないと思いました。

 それはともかく、絵はなかなかコミカル。うちの子どももこの絵にはだいぶ惹かれていました。川端さんのあとがきに書かれていましたが、主人公の殿様がおかしいです。川端さんによると、絵を描く前に登場人物のキャラクターデザインをするそうで、今回、殿様については、無邪気なとっちゃん坊や風にし、好奇心の強そうな表情を作ってみたとのこと。まあるい顔で、ほっぺたがふくらんでいて、じっさい物語にとても合っていると思いました。

 笑ったのはラストページ。殿様の抜け具合にみんながガクッとなるわけですが、よく見ると、床の間に飾ってある花も折れています。あと、表紙もよいですね。目黒で取れるたくさんの野菜のなかのサンマ。これも物語の伏線と言えそうです。

 初出は月刊『クーヨン』2001年11月号「おはなし広場」。

▼川端誠『めぐろのさんま』クレヨンハウス、2001年

岸田衿子/中谷千代子『ジオジオのかんむり』

 ライオンのなかでも一番強かった「ジオジオ」。文字通り百獣の王。でも、本当は「ジオジオ」はつまらないと感じていました。もうキリンやシマウマを追いかけるのもいやになってしまい、誰かとゆっくり話してみたいと思っていたのです。そんなときに出会ったのが「はいいろのとり」。6つの卵をすべて失っていた「はいいろのとり」に「ジオジオ」は一つの提案をします。それは、「ジオジオ」の頭の冠に卵を生んだらどうかというもの。こうして「はいいろのとり」は冠に巣を作り、「ジオジオ」といっしょに生活し、ひなを育てていくという物語。

 この絵本のモチーフの一つはおそらく老いと孤独。物語のなかで細かく説明されているわけではありませんが、前半の描写からはなんとなく「ジオジオ」の寂寥感が伝わってくるよう。

 たしかに、最初のページでは、りっぱなたてがみに真一文字の口元、鋭い眼光、地面にしっかりと足を下ろした立ち姿。まさに百獣の王の威厳に満ちています。しかし、その目元には皺が刻まれ、表情にも何か憂いが浮かんでいます。

 というのも、「ジオジオ」はすでに年を取り、白髪が増え眼がよく見えなくなっているのです。若い頃にはみんなから恐れられ孤高であることを誇りにしていたかもしれません。ところが、老いた「ジオジオ」にとって、そんな自分の姿はもはや疎ましいだけ。とはいえ、いまとなっては、なかなか素直に他の動物たちと接することも難しい。

 「ジオジオ」のそんな現在を何よりも象徴しているのが、頭上の黄色く輝く冠。他の動物たちは冠が光っただけでも逃げていくのです。脱ぎたくてももはや脱ぐのも困難な冠。それは他者に対する鎧であり、「ジオジオ」の心の鎧だったと言えるかもしれません。

 そして、この物語がすごいなと思うのは、他者を威圧する冠が、まさに新しい生命を育むよりどころになること。それはまた、「ジオジオ」と「はいいろのとり」やその雛たちとの絆でもあります。冠の意味が変わったことで同時に、孤独だった「ジオジオ」の世界もまた変わったわけです。

 ラストページが印象的。明るい色調を背景にして、「はいいろのとり」と七羽の小鳥が「ジオジオ」のまわりを飛び交っています。「ジオジオ」のたてがみやしっぽに留まる小鳥たち。

 途中から「ジオジオ」は眼がよく見えなくなり、ずっとまぶたを閉じているのですが、しかしラストページの「ジオジオ」の表情はとても穏やか。おそらく、「はいいろのとり」とともに過ごし雛たちの成長を見守ることは、それまでの「ジオジオ」にはありえなかった充実した時間だったのではないか、そんなことが感じ取れます。

 ところで、「ジオジオ」の冠について、うちの子ども曰く「バランスがたいへんだねえ」。つまり、卵や雛を載せて歩くは難しいんじゃないかということです。うーむ、なるほどね(^^;)。

 この絵本、おすすめです。

▼岸田衿子 作/中谷千代子 絵『ジオジオのかんむり』福音館書店、1960年(こどものとも傑作集としての発行は1978年)

ルース・スタイルス・ガネット/ルース・クリスマン・ガネット『エルマーとりゅう』

 「エルマー」シリーズの第二作、今日から読みはじめました。今回も物語のはじめの方で「エルマー」の持ち物が説明されています。たぶん、創意工夫でそれを使って困難を突破していくのでしょう。どんな冒険が待っているのか、子どもともども楽しみたいと思います。

 この第二作の裏表紙には、「りゅう」がカラーで描かれていました。あらためて見るとかなり派手。相当に目立ってます。

 ところで、うちの子どもは、最初、読みはじめたとき「ページをとばしたんじゃない?」と言っていました。よく聞いてみると、どうやら本を開く方向を勘違いしていたようです。縦書きと横書きで開く方向が違うのは大人にとっては当たり前でも、子どもにとってはそうではないわけですね。本が物質であり、それにかかわって幾つものルールが作られていることを、あらためて意識させられました。

▼ルース・スタイルス・ガネット 作/ルース・クリスマン・ガネット 絵/渡辺茂男 訳/子どもの本研究会 編集『エルマーとりゅう』福音館書店、1964年

マンロー・リーフ『けんこうだいいち』

 先に読んだ『おっと あぶない』の姉妹編。こちらのテーマは健康と病気です。いわば「しつけ絵本」ですが、『おっと あぶない』と同様にユーモラスな描写と説明。しかも、大事な点はほとんど網羅されていると思います。

 今回も「まぬけ」が登場。たとえば「すききらいまぬけ」「しんぱいまぬけ」。あと「ねこぜさん」「ぐにゃりさん」なんてのも出てきます。うちの子どももニヤリとしていました。

 『おっと あぶない』もそうでしたが、冒頭部分が印象的。元気なときは健康のことをあまり考えないけれども、普段から気を付けることが重要と述べています。そのあとの部分を引用します。

あかんぼうのときは、
たべることも
きることも
うんどうすることも、
きれいな くうきを
すうことも、
おふろに はいって
きれいになって、
ベッドでゆっくり
ねることも
なんもかも だれかが やってくれます。
ところが……
だんだん おおきくなって、
いろんなことを おぼえてくると、
じぶんのことは じぶんで できるようになります。

 自分のことは自分でできる、だから健康のことも自分で普段から気を付けようと、自立を促す記述。それも単に「自立」を唱えるのではなく、赤ちゃんと対比させることで感覚的に分かりやすいように思いました。(考えすぎかもしれませんが)逆に言うと、いつでも誰もが自立できるわけではなく、必要なばあいには当然、周りの人びとが必要なケアをしないといけないことも伝えていると思います。

 『おっと あぶない』と比べると、全体を通じてだいぶ文書の量が多く、絵は比較的少なめ。テーマが健康だからでしょうか、視覚的に説明するというよりは、文章で説明するところに比重がかかっていると思いました。とはいえ、子どもにとって親しみやすく分かりやすいのは『おっと あぶない』と同じです。

 原書”Health can be Fun”の刊行は1943年。この原題は『おっと あぶない』と類似の表現(あちらは”Safty can be Fun”)ですが、的確に核心を突いており、すばらしいと思います。邦題もシンプルでよいですが、原題の方が、説教臭くないこの絵本の魅力をよく伝えている気がしました。

▼マンロー・リーフ/渡辺茂男 訳『けんこうだいいち』フェリシモ、2003年

マンロー・リーフ『おっと あぶない』

 いわば「しつけ絵本」。子どもがやりそうな危ないことを描いた絵本です。とはいえ、「しつけ」とはいっても、あまり説教臭くなく、むしろ、ユーモラス。

 冒頭部分を少し引用します。

あぶないことを
しないのは、
いくじなしだ
と 思っている子は、
なにもしらない子。
[中略]
ばかなことして
けがした子。
それが───
まぬけ
このほんは
まぬけだらけ

 「いくじなし」という考え方の間違いを最初に伝えているのがすごいなと思います。自分の子ども時代を思い出しても分かるんですが、危ないことをするのがかっこいい、危ないことに加わらないとバカにされる、といったことはよくあると思います。たしかに、友達同士の仲間関係は子どもにとって大事ですが、だからといって、危険なことをすることが偉いんじゃないということ。

 そして、これ以降、この絵本では、次から次へといろんな「まぬけ」が登場します。風呂場で熱いお湯を出して火傷する「ふろばまぬけ」、薬の入ったビンなどなんでも開けて口に入れる「くいしんぼうまぬけ」、棒つきキャンデーをくわえて走って転ぶ「ぼうくわえまぬけ」、道に飛び出していく「とびだしまぬけ」、せきやくしゃみをするとき口をおさえない「じぶんかってまぬけ」「ばいきんまぬけ」……といった具合。いやはや、これだけ「まぬけ」が並ぶと壮観です。

 基本的に見開き2ページの左ページに文章、右ページに絵というつくり。絵はとてもシンプルで、まるで落書きのよう。子どもたちの様子がユーモラスにのびやかに描かれています。と同時に、見ようによっては、けっこうブラックなニュアンスもありますね。「ひあそびまぬけ」や「おぼれまぬけ」、クルマのドアから出たら走ってきた別のクルマのバンパーに巻き込まれた「ドアちがいまぬけ」などは、ほとんど死んでいます(!)。とはいえ、描写が恐ろしいということはまったくありません。変に脅かしたりせずに、それでも大事なことを伝えていく、そういう描き方なのかなと思います。

 また、この絵本はページ数がかなり多いのですが、ユーモラスな絵とともに文章の表現がとても親しみやすく、どんどん読んでいけます。なにせ「~まぬけ」のオンパレード。うちの子どもは「ま・ぬ・け! ま・ぬ・け!」と拍子を付けて歌っていたくらいです。

 もちろん、中身は「これは危ないなあ」ということばかりなので、うちの子どもといろいろ話をしながら読んでいきました。うちの子どもは「僕はこんなことはしない!」と言うのも多かったのですが、なかには自分にも当てはまりそうな「まぬけ」もあり、そのときは神妙に聞いていました(^^;)。うちの子どもが何か危ないことをしそうになったら、「ほら、○○まぬけになっちゃうよ!」と言えるかもしれません。

 これは絶対にやってはいけないということは、子どもにしっかりと伝える必要があるでしょう。とはいえ、ガミガミ怒るだけでなく(でも怒ることもときには必要)、こういうかたちで、子どもに親しみやすく伝えていくことは大事だなとあらためて考えました。このユーモラスな文章と絵なら、子どもも理解しやすく、また忘れにくいんじゃないでしょうか。

 原書"Safty can be Fun"の刊行は1938年。そのため、描かれるクルマはだいぶ古いタイプのもので、うちの子どもは最初、よく分からなかったようでした。とはいえ、クルマの描写以外はすべて、いまでもまったく古びていない内容と思います。この絵本、おすすめです。

▼マンロー・リーフ/渡辺茂男 訳『おっと あぶない』フェリシモ、2003年