「絵本」カテゴリーアーカイブ

たむらしげる『ひいらぎはかせとおおたつまき』

 またまた「ひいらぎはかせ」シリーズの1冊。今回、「ひいらぎはかせ」は、大竜巻に家ごと吹き飛ばされ、宇宙に飛び出してしまいます。まちのいろんな建物や住人たちも、一緒に宇宙に出てしまうのですが、「ひいらぎはかせ」の奇想天外なアイデアでみんな一緒に地球に戻ります。

 今回も、うちの子どもの大好きなアイテムがいろいろ登場。一番おもしろいのは、やはり「うちゅうロケットひいらぎごう」ですね。いや、冷静に考えるなら、そんなバカなと突っ込みどころ満載なのですが、そのユニークな造形とものすごい仕掛け、楽しそうな制作場面など、なんだか工作心をくすぐります。

 カバーには、作者のたむらしげるさんの短いエッセイが掲載されていました。題して「空想旅行のすすめ」。「どこでもない世界」を旅した旅行記がこのお話とのこと。地上数センチを浮いているような発想、「空想」科学と呼ぶのがふさわしい物語、そして軽やかな色彩は、たしかに「旅行記」という表現がぴったりかもしれません。

 ところで、実はうちの子どもは、数日前に妻と一緒にこの絵本を読んでいたのですが、今日お風呂に入っているとき、まだ読んでいない私にストーリーを説明してくれました。それが、実に楽しそうな語りぶり。少し実際の物語と違っているところもありましたが、ラストのドーナツは、言っていたとおりの楽しいオチでした。うちの子どもは、「ひいらぎはかせ」のシリーズが本当に大好きなんだなあ(^^;)。

▼たむらしげる『ひいらぎはかせとおおたつまき』フレーベル館、1990年

たむらしげる『ひいらぎはかせのバイキンたいじ』

 たむらさんの「ひいらぎはかせ」シリーズの1冊。今回は、恐怖(?)の「ハリガネバイキン」に感染した、まちのみんなを「ひいらぎはかせ」が救います。

 この「ハリガネバイキン」の症状(?)が実におもしろい。人も動物も、生きていて動くものはすべて、ハリガネみたいに、ごく細になってしまうのです。人間であろうが、イヌであろうが、ゾウであろうが、細い線と曲線だけに省略されています。厚みがまったくなくなってしまい、でも、線の全体の形状だけでそれぞれの生き物が表現され、非常に新鮮。軽やかで、なんだか視覚的な楽しさがあります。カバーに掲載された、たむらさんのエッセイでは「物の形を抽象化する」と記されていました。なるほどなあ。

 もちろん、そのように抽象化されるといっても、たむらさんならではの楽しい描写はいっぱいです。細くなると軽くなってしまうとか、重いものが持てなくなるとか、割と合理的(?)に描かれていて、それがまたおもしろいです。

 なかでも一番おかしいのは、「ひいらぎはかせ」が「ハリガネバイキン」をどうやって退治するか。現実にはありえない解決策なんですが、でも、一種の言葉遊びとも言えそうです。

 うちの子どもは、ロボットが「ハリガネバイキン」に罹らないことに感心していました。とくに説明があるわけではないのですが、うちの子ども、さすがによく見ています(親ばか^^;)。

▼たむらしげる『ひいらぎはかせのバイキンたいじ』フレーベル館、1990年

川端誠『ばけものつかい』

 川端誠さんの落語絵本シリーズの1冊。ご隠居の人使いならぬ、「ばけものつかい」がおもしろいです。

 お話はだいぶ理解しやすいと思うのですが、うちの子どもはオチがよく分からず、説明してようやく合点がいったようです。落語絵本シリーズで以前読んだときも、そんな反応でした。どうも、うちの子どもにはまだ難しいようです。

 それでも、うちの子どもは、このシリーズが大好き。図書館でも自分で持ってきます。川端さんの骨太でユーモラスな筆致に惹かれるんですね。

 この絵本でも、ご隠居が、一つ目小僧やろくろっ首や大入道をビシバシ働かせる画面は、縦長の構図の繰り返しとそのなかの描写の変化がリズミカル。マンガのようなニュアンスもあります。なかでも楽しいのが大入道。画面から大きくはみ出る巨体なのに、ご隠居にこき使われいて、それが、なんとも可笑しいです。

 巻末の「あとがき」には、落語と絵本の類縁性が語られていました。なかなか興味深いです。短い文章ですが、必見かも。

▼川端誠『ばけものつかい』クレヨンハウス、1994年(初出:月刊『音楽広場』1993年12月号「おはなし広場」)

つちだのぶこ『ポッケのワンピース』

 つちだのぶこさん待望(?)の新作。最近は齋藤孝さんと組んだ「声にだすことばえほん」シリーズが続いていたので、つちださんが文も絵もすべて作られた絵本は久しぶりです。

 主人公は「ブブノワさん」という女の子。ポッケが10個もあるワンピースを「おかあさん」が作ってくれたのですが、森に出かけると、いろんな動物たちが「ポッケに はいって いい?」とたずねてきます。「どうぞ」と言っているうちに、ポッケは動物たちでいっぱいになり、そのうち、とてもポッケに入りそうにない「こぐま」まで入ろうとします。さあ、いったいどうなってしまうのか?

 この物語、ラストには実に楽しいオチが待っています。うちの子どもも、みんながポッケに入っている画面には、ニコニコしていました(^^;)。

 狭い空間にぎゅうぎゅうみんなが入っていくという展開は、なんとなく、エウゲーニー・M・ラチョフさんの『てぶくろ』を彷彿とさせます。もちろん、あちらは一つの手袋で、こちらは10個のポケット、画面の雰囲気もオチもまったく異なります。とはいえ、みんなが一緒にいることの楽しさ、ぴたっと接していることの心地よさは、共通かなと思いました。

 というか、みんながポッケに入っている画面のなんともいえない幸福感は、子どもが例えば「だっこして」と言ってくっついてきたときのあの感覚にも似てる気がします。相手に自分を預ける(預けられる)ときの幸せな一体感と言っていいかもしれません。その幸せな感覚が、この絵本では、ポッケでみんなが一緒になるというかたちで表現されているように思いました。

 それから、もう一つ印象深いのは、「おかあさん」がワンピースを作る場面。採寸して布を裁ちミシンで縫っていくというステップが一つ一つ描写されていきます。カタカタカタというミシンの軽快な動作音、そして、出来上がりを楽しみに待っている「ブブノワさん」。

 ここの画面のつくり、なんとなくですが、つちださんの『でこちゃん』に共通に見て取れる気がしました。「てこちゃん」がお母さんに髪を切ってもらう画面では、そのプロセスが見開き2ページに順に描かれ、そして、チョキチョキというハサミの音が画面を縦横に走っていきます。女の子とお母さんの交流というモチーフも同じと言えるかもしれませんね。

 ミシンやハサミの音、それは単に機械や道具の音ではなく、人の手と気持ちがこもった音のように思えます。そんな音に包まれてお母さんと一時をすごす……。料理の音も同じかもしれません。お父さんにはそういう音があったかな、ちょっと不安になります(^^;)。

 それはともかく、画面をよく見ると、つちださんの他の絵本に登場するキャラクターがそれとなく描き込まれています。これも、楽しい趣向です。

 うちの子どもは本当にポッケが10個あるか、指さして数えていました。「あ、ほんとだ、10個あるね」(^^;)。

▼つちだのぶこ『ポッケのワンピース』学習研究社、2005年(初出:月刊保育絵本『おはなしプーカ』2004年4月号)、[編集人:遠田潔、企画編集:木村真・宮崎励・井出香代、編集:トムズボックス]

中村翔子/はた こうしろう『しりとりのだいすきなおうさま』

 しりとりが大好きで、何でもしりとりになってないと気が済まない王様の物語。食事も、すべての料理がしりとりの順番で出さないといけないので、家来やコックたちは、てんてこまい。おまけに、料理の最後は、これまた王様の大好きなプリンで終わらないとならないのです。もちろん、しりとりですから、料理の名前が「ん」で終わっているものは(最後のプリンは別として)許されません。たとえば「ラーメン」は御法度。そんな王様に困り果てた家来たちは、一計を案じます。

 この絵本、子どもと一緒にしりとりを確認しながら読んでいきました。表紙や、本文の王様を紹介する最初のページも、よく見ると、描かれたものがちゃんと、しりとりになっています。

 王様の我が儘やそれに振り回される家来たちの様子も、軽快な筆致で描写され、なかなかユーモラス。うちの子どもにも受けていました。

 でも、一つ疑問だったのは、「プリン」の前の料理は何だろう?ということ。うちの子どもと一緒にうんうん考えていたら、妻が一言、「ケチャップ」。おー、さすがー。

 ところが、うちの子ども曰く「ケチャップはそのままでは食べないよ!」。あ、そうだねえ、じゃあ、なんだろう? また考えていると、妻が「ポークチョップ」。おー、これは大丈夫だね。でも、ポークチョップの前の食べ物は何だろう? またまた考えていると、妻が「きりたんぽ」。さすがー。

 「き」が最後に来る食べ物はいろいろありそうなので、これでばっちり。つまり、「プリン」←「ポークチョップ」←「きりたんぽ」ですね。みなであれこれ考えるのは、なかなか楽しいです。ちょっと食い合わせが悪いかな(^^;)。

 あ、いま裏表紙を見ていて気が付いたのですが、「プリン」←「スープ」というのも、いいですね。でも、「す」で終わる料理って何だろう?

▼中村翔子 作/はた こうしろう 絵『しりとりのだいすきなおうさま』鈴木出版、2001年

島田ゆか『ぶーちゃんとおにいちゃん』

 「バムとケロ」「かばんうりのガラゴ」に続く、島田さんの新作です。今回の主人公は、イヌの兄弟、「ぶーちゃん」と「おにいちゃん」。「ぶーちゃん」は「おにいちゃん」が大好きで、いつも「おにいちゃん」のまねばかり。そんな二匹のやりとりが描かれていきます。

 「バムとケロ」や「ガラゴ」のシリーズと比べると、かなり小さめの造本。でも、画面の情報量はこれまでと同様か、あるいはそれ以上かも。画面の端々に、たくさんのサブストーリーが浮かび上がってきます。うちの子どもと一緒に、ページを行きつ戻りつして楽しみました。「あ、こんなところに!」「あ、ここにいる!」「これも違ってる!」……。

 島田さんの他のシリーズに登場するキャラクターもたくさん出てきます。あと、無生物だと思っていたものが、よーく見ると生き物だったり、すみからすみまで楽しめます。変な例えですが、スルメのように噛めば噛むほどに味わえる絵本(^^;)。

 と同時に、この絵本では、兄弟二人の人物像が秀逸。なんだか自分の子どものころを思い出しました。私も兄弟二人なのです。自分の失敗をごまかそうとする「おにいちゃん」の様子など、「あー、こんなことあったなあ」と実感できます。

 うちの子どもも二人ですが、そのうち、こんなふうに、きょうだいだけの世界を作っていくんだろうなと思いました。

▼島田ゆか『ぶーちゃんとおにいちゃん』白泉社、2004年、[装幀:高橋雅之(タカハシデザイン室)]

井上洋介『とぶひ』

 次から次へといろんなものが飛んでいく絵本。ネズミやイヌやナマズといった生き物から、看板人形や銅像や自転車といった無生物まで、羽が生えてひらひらと空に上っていきます。

 とくに可笑しいのが、街の人が手に持つ荷物に羽が生えているところ。この荷物、スーパーのレジ袋か、あるいはゴミの入ったビニール袋のように見えます。それが羽をはばたかせ、人がふわりと浮かんでいるのです。うーむ、すごい。

 一人の男の子が一応、主人公(?)になり、どのページにも登場します。いろんなものが飛んでいる様子を男の子は、ニコニコ楽しそうに見ています。飛んでいる動物たちもうれしそうな表情。

 のびやかな筆致は、一気に上昇するというより、地上数メートルをふわふわ浮かぶような独特の浮遊感。色合いは、黄色や茶色、グレーが基本です。くすんだ彩色が、なんとなく懐かしい雰囲気です。そういえば、登場する人びとの服装も、少し地味で歴史の風合いを感じさせるように思います。

 うちの子どもは、とぶ「ハンバーグ」に吹き出していました(^^;)。紙飛行機が飛ぶ画面には、「紙飛行機は最初から飛ぶよねえ」と突っ込み。

 また、読み終わったあとにはタイトルの「とぶひ」を「とびひ!?」と言い換えて、一人で受けていました。「とびひ」というのは、子どもがよくかかる皮膚炎の一種です。曰く「みんな、とびひになると、おかしいねえ」(^^;)。いやはや、うちの子ども、こういう駄洒落のセンスはたいしたものです(親ばか)。

▼井上洋介『とぶひ』学習研究社、2004年(初出:月刊保育絵本『おはなしブーカ』2003年12月号)、[編集人:遠田潔、企画編集:木村真・宮崎励・井出香代、編集:トムズボックス]

ウィリアム・スタイグ『歯いしゃのチュー先生』

 ネズミの歯医者さん「チュー先生」はとても腕利きで、いつも患者さんでいっぱい。助手の奥さんと一緒にどんどん治していきます。モグラやシマリスといった自分と同じ大きさの患者さんはもちろんですが、ブタやウマ、ウシといった大きな患者さんも特別の設備で治療。とはいえ、「チュー先生」はネズミですから、たとえばネコやその他の危険な動物は最初から診療を断ってきました。

 ある日、虫歯を抱えたキツネがやってきます。本来ならお断りなのですが、あんまり痛そうなので、「チュー先生」はかわいそうに思い、治療することにしました。ところが、このキツネ、診察されているうちに、「チュー先生」を食べたくなってきました。さあ、「チュー先生」はどうやってこの危機を乗り越えるのか……。

 この絵本、先日読んだ『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』のシリーズ前作ではないかと思います。登場するのは、同じネズミの歯医者さん。『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』では「ソト先生」という名前でしたが、今回は「チュー先生」。でも、原書のタイトルを見ると、間違いなく「ソト先生」ですね。固有名をどう訳すか、訳者によって判断が違うのかなと思います。

 『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』もそうでしたが、この絵本でも、大きな動物たちと小さな「チュー先生」の対比がユニーク。多くの画面で「チュー先生」夫婦は小さく描かれており、ところが、この小さき者が力ある大きな者を助けるわけです。

 治療の描写もなかなかおもしろい。いろいろ特別の器具を使い、患者の口に入り込んで処置するんですね。ぱかっと開けた口のなかに美味しそうなネズミ。だから、キツネも食べたくなってしまうわけです。いや、気持ちは痛いほど(^^;)分かります。

 また、このキツネ、表情の変化が絶妙です。目つきや口の端の細かな動きが、ずるかしこいキツネの心情をよく伝えています。

 ところで、なるほどなーと思ったのが、自分の仕事に対する「チュー先生」の心意気。

「いったんしごとをはじめたら」と、チュー先生はきっぱりと
「わたしはなしとげる。おとうさんもそうだった」

 多少のリスクがあっても、仕事は最後までやり遂げる……。表紙に描かれた、治療台の横に立つ「チュー先生」のりりしい姿からも、自分の仕事に誇りを持っている様子がうかがえます。

 まあ、仕事の中身にもよりますし、いつでもそう出来るわけではないでしょうが、しかし、こういうのは格好よいです。

 原書”Doctor DE SOTO”の刊行は1982年。

▼ウィリアム・スタイグ/うつみ まお訳『歯いしゃのチュー先生』評論社、1991年

ウィリアム・スタイグ『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』

 ネズミの歯医者さん「ソト先生」とその奥さんで助手の「デボラさん」がアフリカに行き、ゾウの「ムダンボ」の虫歯を治療するという物語。途中で「ソト先生」がアカゲザルの「ホンキトンク」にさらわれたりしますが、最後は無事に虫歯を治します。

 小さなネズミと大きなゾウの対比が、なかなかユニーク。困り切った顔の「ムダンボ」が大きく口を開け、飲み込まれそうに小さな「ソト先生」と「デボラさん」が処置しています。いわば、大きなものと小さなものの力関係の逆転です。「ムダンボ」の虫歯を削って何で詰め物をするかも、なるほどなーのアイデア。

 それはともかく、この絵本の隠れたモチーフは、おそらく夫婦愛。「ソト先生」と「デボラさん」の夫婦は仕事上のパートナーでもあり、互いを尊敬し合い愛し合っていることが伝わってきます。

 たとえば「ホンキトンク」にさらわれたとき、二人は何よりお互いを心配し合います。「ソト先生」が閉じこめられた檻から脱出するときも、「デボラさん」に会いたいという一念で死にものぐるいの力を出すわけです。そして、ラストページ、「ソト先生」の言葉が最後の締めなのですが、これがまた二人の仲の良さを表していて、ちょっとよい感じです。

 そういえば、とびらの前の一番最初のページには、「ソト先生」と「デボラさん」が並んで写っている額縁入り写真(?)がさりげなく描かれていました。

 原書”Doctor DE SOTO goes to Africa”の刊行は1992年。

▼ウィリアム・スタイグ/木坂涼 訳『ねずみの歯いしゃさんアフリカへいく』セーラー出版、1995年

内田麟太郎/高畠純『ワニぼうのこいのぼり』

 登場するのはワニの家族。「おとうさん」が「ワニぼう」に鯉のぼりを買ってきます。さっそく庭に揚げてみると、青空を気持ちよさそうに泳ぐ鯉のぼり。あんまりうらやましいので、「おとうさん」はなんと「ワニのぼり」(!)をはじめ、「ワニぼう」と「おかあさん」もそれに加わっていくという物語。

 この「ワニのぼり」、つまりは、鯉のぼりと同じように、口にひもをつけて、それを柱に結わえ、みずから風に吹かれるわけです。うーむ、これはおもしろい!

 もちろん、ワニが風に吹かれて空を泳ぐなんて現実にはありえませんが、なんとも楽しい描写。青い空と白い雲をバックに、緑色のワニが浮かんでいるのです。

 また、子どもの「ワニぼう」より先に「おとうさん」がまず「ワニのぼり」になるのも、よい感じです。というか、もしかすると、日々の仕事に疲れたお父さんこそ、鯉のぼりがうらやましく思えてくるのかもしれませんね(^^;)。

 ところで、5月の空を泳ぐ気持ちよさをこの絵本では、春風の美味しさという実に印象的なフレーズで表しています。なるほどなー。鯉のぼりが口を開けて泳いでいる様子は、たしかに春風をおなかいっぱい味わっているようにも見えますね。春風のさわやかさ、心地よさを、美味しさという味覚で表現する……。突飛なようでいて、でも、とても実感がわきます。

 うちの子どもは、「ワニぼう」たちの「ワニのぼり」にニコニコ。終わりのページで街中の動物たちがそれぞれ「○○のぼり」をしている画面では、指さしながら「あ、ヤギ。こっちはゾウ。ペンギンもいるー! タコのぼりー!」と大受けしていました(^^;)。

▼内田麟太郎 文/高畠純 絵『ワニぼうのこいのぼり』文溪堂、2002年