山中恒さんの「原点」

 読売新聞、7月18日付けの記事、大人なんか信用しないと誓った : あのころ : 育む : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)。「児童読み物作家」、山中恒さんの「原点」が語られています。

 戦中から戦後にかけての社会全体の転換のなかで、大人は信用しないと誓ったことが「原点」。その上で、山中さんが「児童読み物」を書き続けたモチーフがたいへん印象的です。

価値観は時代とともに変わる。それは嫌になるほど味わった。それだけに、あらゆる時代の子どもをドキドキさせるような作品を書きたい。それが願いでした。

 信用できない大人なんか関係ない、そんなものには左右されない強さのある物語……。

 あと、気になったのは戦中の絵本のこと。山中さんは、軍国主義を賛美する絵本に没頭したそうです。絵本というのは、それを取り巻く社会に強く影響を受ける表現形態なんだなと思います。

アンソニー・ブラウン『こうえんで…4つのお話』

 二組の親子とイヌの、公園での出会いを描いた絵本。一方が「ママ」とその息子の「チャールズ」とラブラドールの「ビクトリア」で、他方が「パパ」とその娘の「スマッジ」とイヌの「アルバート」。二組は同じ公園に同じ時間、居合わせるのですが、そのことが、「ママ」「パパ」「チャールズ」「ビクトリア」の4つの視点から4つの物語として別々に語られていきます。

 まず面白いのは、4つの物語が交差しつつ異なるところ。同じ出来事でも、4人それぞれで受け取り方が違うわけです。それぞれの社会的背景や性格の違いと言っていいかもしれません。

 また、4つの語り手の違いが、絵の彩色の違いに現れているところも興味深いです。意気消沈している「パパ」にとって公園はまるで暗い夜のように描かれ、快活で元気な「スマッジ」にとっては明るく鮮やかな原色。加えて、文章のフォントも、4つの物語それぞれで異なります。うーむ、実に凝った作りです。

 イヌの「ビクトリア」と「アルバート」はすぐに仲良く遊ぶのですが、「ママ」と「パパ」、また「ママ」と「スマッジ」、「パパ」と「チャールズ」は、互いにほとんど接点がなく通り過ぎるだけ。そんななか、「チャールズ」と「スマッジ」は少しずつ近づき、心を通わせます。二人が並木の下にたたずむ遠景は、画面のなかで小さく描かれているのですが、掛け替えのない一瞬を表していて、とても美しいです。

 そして、二人の出会いがどんなに「チャールズ」にとって貴重なものだったのかが、公園の空の描写で表されています。最初は暗くどんよりと曇っていた空が、「スマッジ」との出会いとともに、徐々に青空に変わっていきます。これは、「チャールズ」のいわば心象風景と言えそうです。

 二人の出会いと交流には、貧富の差を越えるという含意もあると思いました。「ママ」は裕福なお金持ちで、「パパ」は失業者なんですね。

 あと、この絵本では、画面の端々に実に多くのものが隠されています。隠し絵の要素もふんだんに盛り込まれ、絵探し絵本の趣もあります。うちの子どもも、あれこれ指さして楽しんでいました。読むたびに「あっ!」という発見があって面白いです。

 しかも、単に画面の情報量が多いだけでなく、それは物語や登場するキャラクターに密接に結びついているんですね。シンボリックなところがたくさんあり、ディテールそのものが独自のストーリーを語っているように感じました。

 原書”Voices in the Park”の刊行は1998年。この原書タイトルも、なかなか意味深です。

▼アンソニー・ブラウン/久山太市 訳『こうえんで…4つのお話』評論社、2001年、[凸版印刷]

かこさとし『かいぞく・がいこつ・かいぶつじま』

 うーむ、これは、すごい。タイトルにも示唆されるとおり、海を舞台にした海賊物語。海賊はもちろん、それ以外にも、かなりワルい人たちが登場します。

 何より驚いたのが、物語の結末。まったく予想を裏切った、まさに驚きのオチです。物語の定石を意識的にはずしていると言っていいかもしれません。

 ある意味、急転直下のカタストロフィ。誰も救われず、あとには青い海だけが残る……。ちょっとびっくりしますが、このストーリー展開、私はポジティヴな意味でかなりおもしろいと思いました。

 物語のみならず、絵のタッチも、かこさとしさんの他の絵本とはだいぶ違った印象。荒々しいところが若干あります。それは、見知らぬ場所に連れて行ってしまう、この絵本の物語によく合っていると思います。

 あとがきには次のように記されていました。

恐ろしくない厳しさ、楽しさを伴ったけわしい関係が少しでもお伝えできれば幸いです。

 なんとなくですが、ときとして不条理な自然の猛威、人間の浅知恵なんぞ簡単に凌駕してしまう自然の力がここには描かれているのかもしれません。

 あと、後日もう一度読んでいて気が付いたのですが、タイトルにも含まれている「かいぶつ」、実は前半の絵のなかにも隠れているんですね。よーく見ると、島の形が微妙に「かいぶつ」です。

 ところで、この絵本は、「かこさとし 七色のおはなしえほん」シリーズの1冊。カバーの説明によると、シリーズの絵本はそれぞれ、白、茶、藤、黒、赤、黄、青の七色のうち一色を基調にしているとのこと。それぞれ、「おもしろ絵本」「おもちゃ絵本」「おもあか絵本」と呼ぶそうです。

 で、『かいぞく・がいこつ・かいぶつじま』は「おもあお絵本」。たしかに、海の青を基本色にして、部分的に鮮やかな黄が使われています。この色の対比はなかなか印象的。

▼かこさとし『かいぞく・がいこつ・かいぶつじま』偕成社、1985年、[表紙・カバーデザイン:ヒロ工房、印刷:小宮山印刷、製本:サン・ブック]

ひたすら穴を掘る「遊びのプログラム」 愛知こどもの国

 7月17日付けの朝日新聞の地域情報の記事、asahi.com : マイタウン愛知 – 朝日新聞地域情報:「無意味なこと」楽しもう/こどもの国

 子どもたちが2日間、ひたすら穴を掘り続ける「遊びのプログラム」を、幡豆町の愛知こどもの国(財団法人愛知公園協会)が企画している。こどもの国で開くのは今年が2回目で、すでに定員はいっぱいになった。

 これはおもしろい! 8月23日と24日の2日間、ただひたすら穴を掘り続けるというプログラム。キャンプ場に宿泊し、食事と睡眠時間以外は、ずっと掘り続けるとのこと。

 ねらいは、意味のあることに追い立てられている子どもたちに、「全く無意味なこと」を楽しんでもらうこと。アイデアの元は、谷川俊太郎さんと和田誠さんの絵本『あな』。

 なるほどねえ。『あな』、とてもおもしろい絵本です。哲学的で寓意的な物語に、和田さんのシンプルな描写。いろいろ考えてしまうような深みがあって、なおかつ軽やかなんですね。

 というか、「無意味なこと」を楽しむというのは、けっこう大事かなと思います。意味あることで埋め尽くされた日常にとって、何かエアポケットのようなもの、まさに「あな」が必要。

 2日間掘り続けると、穴は直径2メートル、深さ1.5メートルくらいになるそうです。絵本の『あな』のように、穴のなかに入ることができますね。

 最後には、掘った穴を埋め戻して解散とのこと。無意味さが徹底していて、なんだか爽快。

 愛知こどもの国のサイトは、愛知こどもの国。今回のプログラムについて、とくに説明は見あたりませんでした。

「和田誠の絵本の仕事」ふくやま美術館

 7月16日付けの中国新聞の記事、中国新聞・地域ニュース:絵本原画175点 和田誠の世界

 和田誠さんの絵本原画展。7月16日から9月25日まで、ふくやま美術館で開催。『あめだまをたべたライオン』などの原画175点が展示。8月27日には安西水丸さんの講演もあるそうです。

 ふくやま美術館公式ホームページ和田誠の絵本の仕事に詳しい説明が載っています。『あな』や『ねこのシジミ』の原画も展示されるんですね。見てみたいなあ。

親と子の絵本ワールド・イン・いしかわ2005

 北國新聞社の記事、きょうのニュース:夢の1万8千冊ずらり 絵本ワールド、きょう16日開幕 金沢と鳥越

「親と子の絵本ワールド・イン・いしかわ2005」(同実行委員会、北國新聞社主催 )は十六日、金沢市文化ホールと白山市鳥越小の二会場で開幕する。「絵本のまなざし、 つながる世界」をテーマに、絵本や児童図書の展示即売、絵本が育てる心についての講演 会などを三日間にわたって繰り広げる。

 7月16日から18日の開催。サイトは絵本ワールド・イン・いしかわ

 黒井健さんや長谷川摂子さん、佐々木正美さんの講演、松居直さんも加わってのパネルディスカッションと盛り沢山の内容。石川県に住んでいたらぜひ参加したいくらい。

 子どもの読書推進会議の説明によると、「絵本ワールド」は、2000年の「子ども読書年」に民間の読書関連14団体で結成された「子どもの読書推進会議」が主催している事業。絵本ワールドに記されていますが、石川県の他に全部で13地域で開催予定だそうです。

アンソニー・ブラウンさんの絵本原画展 円山川公苑美術館

 7月15日付けの神戸新聞の記事、神戸新聞ニュース:但馬/2005.07.15/大人も楽しめる83点 英国の人気作家 豊岡で絵本原画展

 会期は9月11日まで。「ウィリー」シリーズなど、13作品の83点を展示。最新作の『おんぶはこりごり』の原画もあるそうです。

 ブラウンさんの原画展は、日本では2003年以来2年ぶり。あまり開催されていなかったんですね。

 美術館のサイトは、円山川公苑美術館。今回の企画展についてとくに説明はないようです。

 ブラウンさんの絵本は視覚的な仕掛けがたくさんあって、原画展はとてもおもしろいんじゃないかと思います。

ふくだとよふみ/なかのひろみ/まつもとよしこ『ぞう どうぶつえんであそぼ』

 これは、おもしろい! ゾウのモノクロ写真絵本。ただの動物写真ではありません。ゾウの全身像はもちろんですが、ここまでやるかというくらいの接写がたくさん。どうやって撮影したのか、まさに驚きの写真です。

 たとえば、鼻のしわしわのアップや鼻の穴、口や牙などなど、すぐそば数十センチで間近に見ているかのようなど迫力の写真が次から次へと登場します。ゾウのおっぱい、耳の穴や長くりっぱな眉毛、身体のあちこちに生えた毛、足の裏のひびなんて、はじめて見ました。これは本当にすごいです。

 とくに人間の目の高さから見上げたゾウの姿は、実に大きくりっぱで、文字通り偉大。カラーではなくモノクロであることが、なおさら、ゾウという生き物のすごみを感じさせるように思いました。ゾウの身体に刻まれた皺の深さなんて、モノクロだからこそ表現できるんじゃないでしょうか。

 巻末、裏表紙の見返しには、一つ一つの写真の解説と、ゾウの生態に関するたくさんの豆知識が掲載されています。こちらにも、驚きの説明がいろいろありました。非常に興味深いです。

 奥付を見ると、取材・撮影協力は群馬サファリパークとのこと。表紙の見返しのイラストは、どうやら、ふくだとよふみさんや、なかのひろみさん、まつもとよしこさんの家族や友人たちのようです。以前読んだ『う・ん・ち』同様、楽しい本作りの雰囲気が伝わってきます。

 この写真絵本、それ自体の大きさは小さめ(18×15㎝)ですが、内容はまさに必見。うちの子どもも、かなり気に入っていました。おすすめです。

▼ふくだとよふみ 写真/なかのひろみ 企画・文/まつもとよしこ 構成・デザイン『どうぶつえんであそぼ ぞう』福音館書店、2004年、[印刷:鏡明印刷株式会社、製本:大村製本]

こどものとも50周年記念ブログを企画・制作、Dcube Co., Ltd.(株式会社ディキューブ)

 ネットをさまよっていて偶然見つけたのですが、こどものとも50周年記念ブログの企画・制作は、Dcube Co., Ltd.(株式会社ディキューブ)という会社が担当されたそうです。ディキューブのブログ、Dcublogにプレスリリースも含めた記事、Dcublog: 福音館書店「こどものとも50周年記念ブログ」をリリースしましたが掲載されていました。

 会社・事業案内 Dcube Co., Ltd.を見てみると、ディキューブは書籍の印刷を中心とした萩原印刷の子会社で、出版社のサイト構築、ネット上での出版社の事業展開や販売促進のサポートが主要業務のようです。

 それで、こどものとも50周年記念ブログですが、上記のプレスリリースでは、今回のウェブログの記事管理の特徴についても説明されています。トップページに時系列で記事を並べるのではなく、カテゴリー別の最新記事1件を載せるというやり方です。これは、ウェブログの活用法としては、なかなか新鮮で、おもしろい試みと思います。

 福音館書店で担当されている販売促進部宣伝企画課の方のコメントも掲載されていました。少し引用します。

「こどものとも」バックナンバー全点の紹介を、1週間毎に少しずつ公開していくという今回の企画は、図鑑や百科事典を週刊誌として少しずつ刊行していくというかつて流行った出版形態を、ホームページでやってみたらどうなるか、という試みだったわけですが、ブログを利用することで、読者からの反応をビビッドに受けとめることができ、非常に刺激的です。

 週刊誌スタイルの出版形態をウェブサイトでやってみるとのこと、なるほどなあと納得しました。このやり方、他の出版社のサイトでもウェブログの導入を促すかもしれませんね。

 ただ、ちょっと気になるのは、このまま各カテゴリーの記事がどんどん増えていったとき、過去記事へのアクセスがきちんと確保されるかどうか。1年間限定、50回分なので大丈夫なのかもしれませんが、たとえば「こどものとも」バックナンバー 過去の話題のページだと、過去のバックナンバーの紹介がどんどんページ下部に下がっていきます。なんとなくですが、更新を重ねるごとにアクセスしずらくなるように思いました。

 それと、たとえば刊行年や絵本作家名をキーにして、該当するバックナンバーがリスト化されていると便利かなという気もします。もちろん、Movable Type の標準機能で記事検索が可能なので問題ないとも言えますが、とはいえ、何か一工夫あると、もっとよいような……。

こどものとも50周年記念ブログの鳥越信さんのエッセイ

 こどものとも50周年記念ブログ、今回は1957年度刊行の12冊の紹介です。なかでも注目は長新太さんの絵本デビュー作、がんばれ さるの さらんくん。画像は表紙しか見られませんが、当時の「こどものとも」のラインナップと比べると、かなり異色かも。写実的でもなければメルヘン調でもなく、省略と誇張が効いていて、独特のラディカルさを感じます。2006年1月に復刊予定とのことですが、今度、図書館に行ったとき「こどものとも傑作集」版がないかどうか探してみようと思います。ぜひ読んでみたいです。
 当時の「ことものとも」のなかで長さんの絵が個性的であることに関わると思うのですが、鳥越信さんのエッセイ、「こどものとも」創刊のころもたいへん興味深く読みました。
 またもやはじめて知ったのですが、鳥越さんは、岩波書店編集部で絵本シリーズ「岩波の子どもの本」や「岩波少年文庫」を担当され、また岩波書店退職後も、絵本と児童文学の世界でいろんな取り組みを続けてこられた方だそうです。
 それで、今回のエッセイで鳥越さんは、「こどものとも」が創刊されたときの印象を記されています。とてもおもしろいと思ったのは、「こどものとも」の一冊一作主義に感動すると同時にかなり失望された点。一つは絵が白い部分のないべったりと描かれたものであったことで、もう一つは名作の再話・翻案絵本が含まれていたことです。
 たしかに、サイトに掲載されている「こどものとも」の表紙画像を見直してみると、たいてい紙面全体に彩色されており、白い空間を生かしたものはあまり見あたりません。描き方や筆遣いの違いは当然でしょうが、白い空間の扱いもまた、その後の絵本との大きな違いと言えそうです。いまの絵本からすると、どことなく違和感があり、その理由の一つが、空間と色のつかみ方なのかなと思います。
 しかしまあ、サイトには表紙画像しか載っていないので、本文では違うものがあるかもしれませんね。鳥越さんも創刊号の「ビップとちょうちょう」について書かれているわけですし、いいかげんなことは言えません。
 ただ、当然のことではありますが、絵本の表現が、歴史的にいろんな試行錯誤をへて、広げられ深められてきたことは確かかと思います。その一つの表れが、鳥越さんが指摘されている、紙面の白い部分の扱いではないかなあと考えました。
 それはともかく、鳥越さんの今回のエッセイは割と辛口。「50周年おめでとう」とお祝いするのではなく、間違っていたと思われる点も率直に指摘する(しかも、ご自身が担当された「岩波の子どもの本」の誤りも同時にきちんと書く)。これはなかなかすごいことではないかと思います。そして、そのエッセイを掲載する福音館書店もすばらしいなと思いました。