今日は1冊。この絵本は「カストールのたのしいまいにち」シリーズの1冊。今回、ビーバーの「カストール」は木の道具箱を作っていきます。見開き2ページで作業工程が一つ一つ段階をふんで描かれており、しかも左ページには「カストール」が使う道具、右ページにはその道具を使った大工仕事が描写されています。道具の絵は大きく写実的で道具のかたちそのものが興味深く、またそれを使う「カストール」の様子からは、大工仕事のおもしろさが伝わってきます。終わりの方にはすべての道具を並べたページや、また道具箱の設計図も載っており、自分で作ってみることもできそうです。道具箱が完成したあと、「カストール」は満足げにお茶(?)とお菓子。それにしても、自分専用の木工室があるというのは、なんともうらやましい。
▼ラーシュ・クリンティング/とやま まり 訳『だいくしごとをしようっと!』偕成社、1999年
月別アーカイブ: 2004年10月
岩崎京子/村上豊『うみぼうず』
今日は1冊。この絵本は「日本の民話えほん」シリーズの1冊。お盆には漁をしない決まりになっているのに海に出ていった若者たち。たくさんの魚を捕るのですが、突然現れた海坊主に襲われます。この海坊主、かなり恐いです。黒々とした顔と体、ほとんどのっぺらぼうで小さな目と大きな赤い口、まるでタコかヘビのように体と手がぐーんと伸びてきます。船に乗っている若者たちは大混乱。必死で逃げるのですがまったくかないません。真っ青になってふるえるばかり。とはいえ、なんとなくユーモラスなところがあって、そこも魅力的。
絵は墨のような色合いを使ったダイナミックな筆致が美しい。表紙には青の題字に同じく真っ青な顔の若者たち、めくった見返しは濃い青で波の模様が描かれています。本文中の海も黒と青を使って描かれており、それが全体の共通したトーンになっています。
▼岩崎京子 文/村上豊 画『うみぼうず』教育画劇、2000年
松居スーザン/堀川真『ちいさな ごるり』
「ちいさな ばけものの おとこのこ」「ごるり」が、「かあさん」と話をするなかで「ぼくは何だろう」と自分のことを考えていく物語。羽としっぽがあったり、歌がじょうずだったり、いたずらしたり、あるいはいろんなモノを持っていたり……。いろいろなかたちで、自分が何なのかが語られていきます。そして、自分が自分でなかったなら「かあさん」は自分のことをどうするのだろうという疑問も。このときの画面は主に藍色で描かれ、自分が「ごるり」ではなく「クシピーのにんぎょう」だったらと想像している「ごるり」は不安そう。「ごるり」はそのうち本当に「クシピーのにんぎょう」になってしまうのですが、最後はハッピーエンド。なんとなく哲学的ないし心理学的な含意も読み取れそうです。ただ、まだ十分に煮詰められていないというか、少し中途半端な印象を受けました。でもまあ、「ぼくは何だろう」という疑問は子どもにとっては割と身近かもしれませんね。
▼松居スーザン 文/堀川真 絵『ちいさな ごるり』童心社、1996年
福田幸広/結城モイラ『ウリボウ なかよしだいかぞく』
今日は2冊。この絵本は、イノシシの子どもたち(ウリボウ)を撮影した写真絵本。登場するのは六甲山の森の奥で生活するイノシシの家族です。はじめて知ったのですが、イノシシは、親戚みんなが集まって暮らしているのだそうです。イノシシのお母さんやおばさんやおばあさんは、みんな自分の子どもたちを連れていっしょに生活。お父さんたちは離れて暮らすとのこと。
で、このウリボウたちが実にかわいい。5匹くらいがいつもいっしょで、互いにじゃれあったりお母さんのおっぱいを飲んだりお昼寝したり……。なんだか、うちの下の子どもと重なってしまいます(^^;)。よく撮影できたなあと感心するほどとても自然な写真。
巻末には「ニホンイノシシ」の説明と写真家の福田さんの「あとがき」がありました。「あとがき」から少し引用します。
ウリボウのように大勢のきょうだいがいて、親戚中がわいわい暮らす姿を見ているとほんの少し前まで日本の人々のなかにもあった大勢での暮らしが、ダブって見えてくるような気がします。そこには大変ではあるけれど、暮らすことの楽しさや、安堵感などがあったはずです。イノシシの親子を見ていると私たちが忘れかけている何かを感じずにはいられません。こんな大勢での暮らしがもう一度見直されてもよいのではないでしょうか。
それが家族や親族というかたちを取るかどうかは別にして、多様な人間関係のなかで生活することはたしかに大事だなと思います。というか、子どもより前に私自身がそのようなたとえ弱くても有意義な人間関係を築けているのかどうか……あまり自信がないです。
▼福田幸広 写真/結城モイラ 文『ウリボウ なかよしだいかぞく』ポプラ社、2001年
秋野和子/秋野亥左牟『たこなんかじゃないよ』
久しぶりに「たこなんかじゃないよ」。散歩の途中で「たこ」に食べられてしまう「にじいろざかな」、最初のページにもすでに描いてあるような気がして、それを話したら、うちの子どもは即座に「かたちが違うよ」。よく見ると、たしかに別の魚でした。さすが、子どもはよく覚えています。いいかげんなことは言えませんね。今日の疑問は「にじいろざかなって本当にいるの?」「たこの足はちゃんと生えてくるの?」。むむむ、ちゃんと答えないとまずいよなあ(^^;)
▼秋野和子 文/秋野亥左牟 絵『たこなんかじゃないよ』「こどものとも」1995年7月号(通巻472号)、福音館書店、1995年
ジョン・バーニンガム『ショッピング・バスケット』
今日は2冊。この絵本で描かれる動物たちと「スティーブン」の会話は、なかなか緊張感があります。なにせカツアゲをしようとする動物と「スティーブン」の対決ですから、当然ですね。子どもに読むときも、ついつい、なんとなくドスをきかせたような声と間合いになってしまいます。うちの子どもは別に恐くはないみたいですが(^^;)。
それはともかく、気になるのが物語のラスト。家にたどりついた「スティーブン」にお母さんは「いったい、なにしてたんだい、スティーブン」「……いったい、なにをぐずぐずしてたんだい」。またもや訪れた危機を「スティーブン」はどう切り抜けたんだろう、もしかしてお母さんもやっつけてしまうのかなあと思ったのですが、うちの子ども曰く「動物たちのことを説明したんじゃないの」。あ、そうか、そうだよねえ。でも、めくりのリズムがどうもアタマに残っているので、何か起こりそうな気になってしまいます。
うちの子どもは今回、ブタが引っかかってしまう柵に注目していました。ブタは「スティーブン」に会う以前にも柵を通り抜けようとして、だから、少しすきまが空いているんじゃないか、とのこと。うーむ、どうだろうね。
▼ジョン・バーニンガム/青山南 訳『ショッピング・バスケット』ほるぷ出版、1993年、[表紙デザイン:羽島一希]
ウィリアム・スタイグ『空とぶゴーキー』
今日は1冊。お父さんとお母さんが出かけてしまったあと、台所を実験室にして「ゴーキー」が作り上げた金色の液体。香水瓶に詰めておまじないをかけると、瓶を握りしめた「ゴーキー」の体は空に上っていくという物語。
「ゴーキー」はカエルなんですが、その体がフワリフワリと浮かび上がっていく様子は実に気持ちよさそう。空を飛ぶと言っても、スーパーマンのようにぐんぐん飛ぶのではなく、あたかもシャボン玉のように浮かぶ感じです。見開き2ページで空間を広くとった画面が、そのなんともいえない浮遊感を表しています。飛んでいる(or 流されていく)ときの「ゴーキー」のかっこうも、横になったり縦になったり斜めになったり、水のなかでプカプカ浮かんで泳いでいるようでおもしろい。その様子をあぜんとして見守る他の動物たちもおかしいです。
物語のオチは、「ゴーキー」がどうやって地上に戻るか。なるほどね、と納得の結末です。原書の刊行は1980年。
▼ウィリアム・スタイグ/木坂涼 訳『空とぶゴーキー』セーラー出版、1996年
安野光雅『さかさま』
トランプの兵隊たちは「だんへ だんへ」と怒鳴り合ってけんかをします。自分も口に出して言ってみるとおもしろくて、家族のなかでは口癖になりそうです。それはともかく、この「だんへ」、なんとなくドイツ語っぽいなあ、どういう意味なんだろう? と思っていたのですが、今日はじめて気が付きました。要するに「さかさま」ですね。もっと早く気付よ、自分、という感じですが。ただ、「さかさま」だとしても、兵隊たちの足音、「ぺる ぺる ぺる」は意味がよく分かりません。こちらはただの擬態語なのかな? それとも何かタネがあるのかも。うーむ、細かなところまでおもしろい絵本です。
▼安野光雅『さかさま』福音館書店、1969年
ヘルガ・ガルラー『まっくろネリノ』
今日は2冊。真っ黒な色の「ネリノ」は、兄さんたちが遊んでくれず、いつもひとりぼっち。そんな「ネリノ」が鳥かごに捕まえられた兄さんたちを助け出すお話。美しいパステル画で「ネリノ」の兄さんたちは実に鮮やかな色彩。これに対し「ネリノ」は真っ黒。でも、黒いことが実は「ネリノ」を助け兄さんたちを助けるわけですね。漆黒の画面では「ネリノ」の大きな丸い目と足とアタマの毛だけが浮かんでいて、かわいいです。うちの子どもも気に入っていました。でも、「ネリノ」が木のてっぺんで悲しむ画面やきれいな色になりたいとお花にたずねたり薬びんの間にたたずむ画面は、なんだか切ない。原書の刊行は1968年。この絵本、おすすめです。
▼ヘルガ・ガルラー/矢川澄子 訳『まっくろネリノ』偕成社、1973年
加藤チャコ『おおきなカエル ティダリク』
今回うちの子どもは、蝶結びになったウナギを見て「ティダリク」が笑い出すところが、おもしろかったようです。見開き2ページをいっぱいに使った「ティダリク」の顔のアップはなかなかの迫力。ずっと口をヘの字に曲げてむすっとした顔つきだった「ティダリク」、目尻が下がり、笑いをこらえて歪んだ口の端から水がしたたり落ち、そして「はあっはっはっはっ ほおっほっほっほおおお」と大笑い。口から水が噴水のようにふき上がっている画面は、なんだか解放感に満ちています。
読んだあとで、うちの子どもは「むっつり」ってどういう意味?と聞いてきました。「むっつり」した顔をしてみせたら、「へぇー」という反応でした(^^;)。
▼加藤チャコ 再話 絵『おおきなカエル ティダリク』「こどものとも」2000年9月号(通巻534号)、福音館書店、2000年