内田麟太郎/竹内通雅『へいき へいき』

 これは面白い! 天下に恐いものなしのオオカミと子分のイタチが入り込んだのは、いろんな恐い「き」が生えている山だったというお話。

 いったいどんな「き」だったのかは、読んでのお楽しみ。かなり「き」ています。ページをめくるたびに、思わず吹き出し、そして、へなへなと脱力してしまう感じ。うちの子どもも、だいぶ、うけていました。

 内田麟太郎さんのテンポのよい軽妙な文はもちろんのこと、竹内通雅さんの絵がまたすごい。一種の言葉遊びをどうやって絵で表現するかがポイントです。力のこもったど迫力の描写。しかも、よーく見ると、ページによってはいろいろ遊びがあって、笑えます。

 一つ面白いなと思ったのは、冒頭に登場する、しゃがれ声。「オオカミ」と「イタチ」は、しゃがれ声のからかいに強がって山に入っていくわけですが、このしゃがれ声が誰の声だったのか、文中に説明はありません。しかし、扉、ラストの3ページ、また奥付に付けられた絵を合わせて考えると、声の主がなんとなく分かる気がします。背後のストーリーが浮かび上がってくるような感じですね。なかなか楽しい趣向です。

 それはともかく、この絵本では、最後の最後に、本当に恐ろしい「き」が登場します。見開き2ページにどどーんと描かれた絵は、ちょっとすごいですよ。もちろん、あくまで絵本の表現なのですが、うちの子どもも、この2ページだけは少し恐かったみたいです。

▼内田麟太郎 文/竹内通雅 絵『へいき へいき』講談社、2005年、[印刷所:日本写真印刷株式会社、製本所:大村製本株式会社]

堀内誠一『どうくつをたんけんする』

 この絵本は、福音館書店の「たくさんのふしぎ傑作集」の1冊。テーマは言うまでもなく洞窟です。おそらくは秋吉台を舞台に、洞窟のなかがどうなっているのか、描き出されていきます。

 不思議なかたちの様々な鍾乳石や石筍、洞窟内の珍しい生き物の生態など、「へぇー」と引き込まれます。また、鍾乳洞がどのようにして出来上がっていったのか、カルスト台地の石灰岩は大昔何であったのか、など数億年もの歴史が科学的に説明されており、次の一節にはまさに納得です。

どうくつは、地球の歴史、生物、人間の歴史、水や岩石の性質など、いろいろなことを教えてくれるのだよ

 世界各地の様々な洞窟についても、イラスト付きで解説があって、これも初めて知ることばかり。子どもはもちろん、大人にとっても、かなり興味深いのではないかと思います。うちの子どもは、このページが一番気になったみたいです。

 一応、この絵本は科学絵本に分類されるのでしょうが、それだけではありません。加えて、楽しいのは、タイトルにあるように「たんけん」の醍醐味が盛り込まれているところ。

 とくに冒頭の10ページ。普通のルートではなく、「ちょっと変わったコース」から鍾乳洞に入っていくんですね。狭く暗い洞窟をときには這うように進んでいく主人公たち。下には冷たい川が流れ、ところどころ滝が落ちています。なんとなくワクワクしてくるような導入です。

 他にも、洞窟探検のケービングの技術を解説したページもありました。そして、ラストページ。見ようによってはほの暗くスリリングで良いです。

 裏表紙の見返しには日本地図が載っており、石灰岩地帯と主な鍾乳洞が書き込まれていました。今度、機会があったら、ぜひ、近場の鍾乳洞に子どもと一緒に行ってみたいなと思いました。

▼堀内誠一『どうくつをたんけんする』福音館書店、1985年、[印刷:精興社、製本:大村製本]

スティーヴン・ビースティー/メレディス・フーパー『宝さがしの旅』

 これは面白い! 黄金をめぐって時空をかけめぐる物語。数千年、いや数億年?の時間を超え、大陸をまたにかけて、黄金の有為転変が描かれていきます。フィクションの部分もありますが、多くは実在の場所や事実がもとになっています。

 冒頭ページがまずすごい。なにせ太陽系が誕生するところから説き起こされるのです。金という金属が宇宙のはるか彼方からやってきたことが描かれています。このスケールの大きさに度肝を抜かれました。

 そして、古代エジプトで採掘された金がファラオのマスクとなり、それが墓泥棒たちによって盗掘され、その後、かたちを変え、持ち主を変え、数千年の時間を超えて現代に至ります。黄金の数奇な運命は世界史の様々な出来事と織りなされ、まさに波瀾万丈の物語。

 最初は一つの金マスクだった黄金は、人から人へと渡るなかで全部で7つに分かれていき、それぞれ特異な経緯をたどります。様々な人びとが様々な思いを金に託し、金のまわりにたくさんの人生が現れては消えていきます。なんだかめまいを起こしそうなくらいです。と同時に、金をめぐる人間の多様な営みが描写されており、とても興味深い。

 絵もまた素晴らしいです。近景から遠景へと深く広く描き出されるダイナミックな構図に、緻密な描き込み。濃密な画面です。ときには建物を輪切りにしてみせる視覚的な面白さもあります。比較的大きめの造本は、この迫力ある絵によく合っていると思いました。

 また、ページをめくるたびに、人びとの服装が変わり、装飾品が変わり、建築物が変わっていきます。歴史の大きな変化を実感することができます。

 文章量はけっこう多く、地名や固有名も次々と出てくるので、小さな子どもにとっては難しいかもしれません。しかし、絵を見ているだけでも、かなり面白いと思います。巻末には、関連する歴史上の出来事について詳しい説明も付いていました。

 金をめぐって一気に数千年の「旅」を体験できるこの絵本、うちの子どももけっこう気に入ったようですが、私自身、知的好奇心を刺激されました。子どものみならず大人にとっても、おすすめできると思います。

 原書”GOLD – a Treasure Hunt Through Time”の刊行は2002年。

▼スティーヴン・ビースティー 絵/メレディス・フーパー 文/山田順子 訳『宝さがしの旅』岩波書店、2002年

『絵本作家の仕事・実情と問題点』はたこうしろうさんの投稿

 このサイトのおすすめブログの一つ、絵本作家の仕事・実情と問題点は、タイトルの通り絵本作家さんをとりまく状況について毎回いろいろ考えさせられる記事が掲載されています。11月30日付けの最新記事、絵本作家はたこうしろうさんの投稿、はたこうしろうといいますは、絵本に関心を持っている方には、ぜひ一読をおすすめします。絵本について、とても大事な論点が幾つも記されていると思います。

 とくに絵本業界の構造的な特徴とそれがもたらす問題の指摘は、非常に納得しました。もしかすると私も、はたさんが言われている「大人読者」の一人なのかもしれないと思いました。もちろん、うちのサイトは、ウェブの辺境の辺境にあって細々とやっているだけなのですが、しかし、絵本についてあれこれ勝手に書いていることの意味合いについて少し自覚させられた気がします。

 いや、自分でもまだよく理解できていませんね。またゆっくり考えてみたいと思います。

村山桂子/堀内誠一『たろうのおでかけ』

 「たろう」と「いぬの ちろー」「ねこの みーや」「あひるの があこ」「にわとりの こっこ」が仲良しの「まみちゃん」の誕生日のお祝いに出かけるという物語。

 この絵本は、一見したところ「交通規則のしつけ絵本」のような趣きがあります。「まみちゃん」の家に行く途中で、道路でふざけてはいけない、走ったりしない、信号は守る、横断歩道をきちんとわたる、といった基本的なルールを「たろう」は学んでいきます。交通ルールをちゃんと守らないといけないよといったメッセージが読み取れます。

 しかし、この絵本のすごいところは、そういうしつけ絵本的な枠をどんどんはみ出していく点だと思います。

 一つには、もちろん、「たろう」と動物たちの実に楽しげな様子。カラフルな色彩とのびやかな線は、堅苦しさをまったく感じさせません。「しつけよう」などという押しつけがましさやわざとらしさからかけ離れた描写です。

 そして、もう一つ、とても印象的なのは、交通ルールというものを、徹頭徹尾「つまらない」ものであり仕方なく従うものとしている点です。

 文中、「たろう」たちの「うれしいことがある」から急ぐという感情に対し、大人たちは常に「だめ だめ だめ」とそれをアタマから否定し、交通ルールを守ることを求めます。「たろう」たちはいつもそれを「つまらない」と言い、でも「けがをするのはいやなので」従います。「だめ だめ だめ」と「つまらない」が何度も繰り返されていくわけです。

 もちろん、危ない目にあわないためには、いやでも応でも交通ルールを守らないといけません。交通ルールとは、そのようなものだと言ってもよいでしょう。

 しかし、たしかにそうではあるのですが、この絵本の描写、とくに文章における「だめ だめ だめ」と「つまらない」の繰り返しは、規則というものが徹底して面白みがなく味気ないことを浮き彫りにしていると思います。

 そのことは、物語の展開にもはっきり表れているように感じました。なにより原っぱに着いてからの開放感が実に鮮やか。気持ちのままに思いっきり駆け出す「たろう」たちです。それに対応するかのように、それまで白みの多かった画面は、明るい緑と青に彩られます。

 そしてラストの一文。

はらっぱの みちでは、もう だれも、「だめ だめ だめ!」って、いいませんからね。

 それまでとの落差の激しさは、ルールや規則の存在について、相当にラディカルな見方を示唆していると思うのですが、どうでしょう。

 例によって(?)考えすぎかもしれません。しかし、「しつけ絵本」であるかに見えて「しつけ絵本」からいつの間にか抜け出てしまう、あるいは「外」に出て行ってしまう……まさに「たろう」たちのように、もっと明るく自由な「原っぱ」に駆けていってしまう……そんな絵本になっていると思いました。

 あと、もう一つ、特筆すべきは町の描写。お店さんや様々なクルマの描写がとてもモダンです。これは堀内さんならではと言えるかもしれません。

▼村山桂子 さく/堀内誠一 え『たろうのおでかけ』福音館書店「ものがたりえほん36」、1963年、[印刷・製本:精興舎]

フィービ・ウォージントン/ジョーン・ウォージントン『ゆうびんやのくまさん』

 ご存知「くまさん」シリーズの一冊。今回は郵便屋さんです。駅から小包を運び、はんこを押し、配達し、ポストから回収する……1日の仕事が淡々と描かれていきます。

 他の「くまさん」シリーズと違うのは、物語の日付が明確であること。すなわち、クリスマス・イブです。「くまさん」がいつもかぶっている帽子にはクリスマスならではの小さな飾りが付けられています。雪の降り積もるホワイト・クリスマス、どことなく幸せな空気がまちの描写からは感じられます。

 そして、その幸せを届けているのがまさに「ゆうびんやのくまさん」なんですね。1年の一度のクリスマスの贈り物、それを届けることは、「くまさん」にとって、いつにもまして、やりがいのある仕事なんじゃないかと思います。

 そんな「くまさん」は配達先の家々で歓迎され、また「くまさん」の家にもたくさんの贈り物が届いています。考えてみると、クリスマスは、誰もが互いに互いを大事に気遣うときと言えるかもしれません。それがこの絵本の端々に静かに描かれている気がします。そういえば、ラストページ、「くまさん」はサンタさんにもさりげなく気配りしていますね。

 ところで、今回、非常に注目したのが、「くまさん」の家の暖炉の隣に飾られている写真(?)。どうも結婚式の様子が写っているように見えます。一人は「くまさん」ですよね。その横には、なんとウエディングドレス姿の女性の「くま」が立っています。うーむ、「くまさん」は結婚していたのか! 初めて明らかになる真実!(^^;)といった感じで驚きました。これまでずっと、「くまさん」は独身だと思っていたのです。

 あらためて見直してみると、最初のページ、「くまさん」の家の玄関脇の壁には、可愛い女性の「くま」の写真(?)が飾られていました。ということは、「くまさん」は何か事情があって、奥さんと離ればなれで暮らしているということかな。

 ちょっと考えすぎでしょうか。でも、毎日もくもくと働く「くまさん」にも、クリスマス・イブの夜、愛する奥さんからうれしいプレゼントが届いていたとしたら、なんだか良いなあと思いました。

 原書“Teddy Bear Postman”の刊行は1981年。

▼フィービ・ウォージントン/ジョーン・ウォージントン 作・絵/まさきるりこ 訳『ゆうびんやのくまさん』福音館書店、1987年、[印刷:三美印刷、製本:多田製本]

いとうひろし『くものニイド』

 主人公は蜘蛛の「ニイド」。仲間から「くものすだいおう」と呼ばれるほどの巣作りの名人です。なにせ、小さな虫はもちろん、カブトムシだろうと、ジェット機だろうと、空飛ぶ円盤だろうと、捕まえてしまうのです。ところが、そんなニイドでも、唯一、捕まえられないものがあったという物語。

 その捕まえられないものを捕まえるという展開が、なかなか愉快で面白いのですが、一番、驚いたのが話のオチ。ううむ、これは、ある意味、スゴイかも。まさか、こんなオチを持ってくるとは……。うちの子どもも「えっ!」と唖然としていました。

 それはともかく、絵がけっこう特徴的かもしれません。鮮やかな空の青をバックに、カラフルな色合いで「ニイド」たち蜘蛛が描かれています。いとうさんの他の絵本と比べても、ヴィヴィッドな色彩です。

 あと、主人公「ニイド」の顔がけっこうワル。黒目(?)が小さくて、凶悪そうなんですね。へんに可愛くないのがよいです。

▼いとうひろし『くものニイド』ポプラ社、2006年、[編集:荻原由美、印刷・製本:凸版印刷株式会社]

屋外での父親による絵本読みきかせ

 日本最南端の新聞社、【八重山毎日オンライン】 石垣島・竹富島・黒島・西表島・小浜島・波照間島・与那国島などのローカルニュース 、10月24日付けの記事、父親の読み聞かせ好評/屋外活動に子どもたち大喜び 【八重山毎日オンライン】

 石垣市立白保小学校で行われている父親による屋外での絵本読みきかせです。年2回実施され、10月20日には校内6カ所で父親が持参した絵本を読んだとのこと。写真も掲載されているのですが、とても気持ち良さそう。10月でも石垣島は夏ですね。木陰で夏服の子どもたちがお父さんを囲んでいます。うーん、素晴らしいです。

 面白いのは、子どもたちには事前に絵本名と場所だけが知らされ、誰が読むのかその場所に行くまで分からないこと。自分のお父さんとか、お気に入り(?)のお父さんではなく、絵本それ自体と読む場所それ自体を子どもたちは選ぶわけです。

 なんというか、スリリングな一期一会。

 同じ絵本でも、誰が読むかによって印象はかなり変わるでしょうし、また読み聞かせなら、誰が聞くかによって変わってくるでしょう。その「誰か」がそのときにならないと分からないわけです。

 加えて絵本を読む空間の唯一性。屋外ですから、風も光も土も空気も、その場かぎりです。もちろん、屋内で絵本を読むときも同じですが、屋外ではその唯一無二性を肌で実感できると言えます。子どもたちにとっても、お父さんたちにとっても、毎回、非常に新鮮なのではないかと思います。

 あるいはまた、自分のお父さんとは違うお父さんに出会う、自分の子どもとは違う子どもに出会う、しかも毎回変わっていく、このことの意義はいろんな点で大きいかもしれません。

 記事によると、白保小学校では、すでに10年ほど前から父母による読み聞かせをしているとのこと。屋外での読み聞かせも2002年からスタート。これは全国的に見ても、かなり早い取り組みなのではないかと思います。すごいですね。白保小学校の紹介ウェブページはしらほ小学校。PTA活動が活発との記述があります。

 屋外で子どもと一緒に絵本を読む……一度、やってみたいなあ。

平山和子『いちご』

 冬から春、夏にかけて、イチゴが育っていく様子を描いた絵本。つぼみができ、花がさき、実がなるまで、一つ一つ丹念に描かれていきます。最後は、平山和子さんの他の絵本と同じく、ボールに盛られたたくさんの真っ赤なイチゴと、それを食べる子どもの姿。

 この絵本で面白いのは、地の文が会話体になっているところ。黒字の文はラストページに登場する子どもです。そして、赤字の文は、おそらくイチゴそれ自体。二人(?)の会話で、イチゴの生長の様子が語られていきます。

 会話は問いかけと応答になっているのですが、とくに黒字の文からは「早くイチゴが実らないかな」という子どもの期待感が表れていて、読んでいるこちらも自然と気持ちが引き込まれます。

 そして、この絵本の一番すごいところは、イチゴが実った画面。見開き2ページいっぱいに描かれています。これは必見です。ここ以外のページは、どちらかと言えば淡々とした描写の積み重ねなのですが、ここの2ページは明らかに突出しています。いや、変な感想かもしれませんが、あまりの迫力に、あっけにとられるというか、笑ってしまうというか、そんな感じです。

 何がそんなにすごいのか、これはぜひ実物を見てほしいと思います。ある意味、平山さんのモチーフの一つがはっきり表れている気がします。以前、平山和子さんの『くだもの』を取り上げたエントリーで、えほんうるふさんからもらったコメントに、「慈愛の表現」というキーワードがありました。「歓待」と言い換えてもよいかもしれませんが、まさにそれが表現されていると思います。

 過剰なまでに相手をもてなすというか、自分のことは棚に上げて相手に尽くすというか、そういう桁外れの慈愛です。それが、イチゴが実った画面の絵と文にいわばあふれ出ていると思いました。それはまた、より一般的に見るなら、子どもに対する愛情の一つの在り方なのかもしれません。いや、すごい絵本です。

▼平山和子『いちご』福音館書店、1984年、[印刷:大日本印刷、製本:多田製本]

ユージーン・トリビザス/ヘレン・オクセンバリー『3びきのかわいいオオカミ』

 タイトルにも伺える通り、有名な「三匹の子豚」をもとに、これを改変した物語。パロディと言えなくもないですが、それ以上のメッセージが込められていると思います。

 一つ目は、これもタイトルから読み取れますが、ブタとオオカミの立場が完全に逆転していること。

 この絵本に登場する3匹のオオカミは、たいへん可愛く愛らしいです。他の動物たちとも仲良くやっていけますし、クロッケーやテニスといったスポーツもたしなみます。なんだかやさしげな表情で、凶暴さのかけらもありません。これに対して、ブタは実にワル。見るからに凶悪で暴力の限りを尽くします。

 こうした立場の逆転は、それ自体おもしろいものですが、同時に、私たちが慣れ親しんでいるイメージの恣意性ないし人為性を際立たせていると思います。

 二つ目は、ストーリーに独得のひねりが加えられていること。

 まず、オオカミが最初に建てる家は、「三匹の子豚」のように藁の家でも木の家でもありません。最初からレンガの家なのです。そして、このレンガの家をブタは壊してしまい、そのためオオカミはもっと頑丈な家を建てていくわけです。最初からレンガですから、このあとのストーリーは「三匹の子豚」よりももっと激しいものになります。防衛が強固になればなるほど、攻撃と破壊もより激烈になっていきます。

 このストーリー展開は、結果として、暴力の拡大とエスカレート、そのある種の不毛さをより明確に描き出していると思います。

 そして、「三匹の子豚」とはまったく異なる結末。暴力はどんどんひどくなる一方で、いったいどうなるんだろうと思っていたら、なるほどのハッピーエンドです。いや、若干、類型的と言えなくもないですし、理想論すぎると言ってもよいのですが、しかし、興味深いと思いました。

 「いままで まちがった ざいりょうで うちを つくってた」オオカミたちが最後に見つけた材料とは何だったのか。「三匹の子豚」の場合には、相手に合わせてより強固な材料を使い、そうすることで相手に打ち勝つわけですが、この絵本では、いわば逆転の発想で違う答えを見つけています。家を作る材料をモチーフにして別の方向に展開していくさまは、しなやかで軽快、なかなか良いです。

 また、面白いのは、絵もまたストーリーに合わせてどんどん変化しているところ。暴力がエスカレートするにつれて、画面はだんだん荒涼としていきます。色が消え、不毛の大地が広がるわけですが、これが一気に反転してカラフルな色彩に満たされます。物語とよく呼応しているように感じました。

 もう一つ、画面をよく見ると、所々にオオカミたちの大事なモノがさりげなく描き込まれています。これがラストページで生きてくるんですね。「ケンカしてないで、お茶でも飲もうよ!」といったメッセージが聞こえてきそうです。

 あ、上では暴力とか書きましたが、恐いとかいったことはまったくないです。むしろユーモラス。うちの子どももとても面白がっていました。

 原書“The Three Little Wolves and the Big Bad Pig”の刊行は1993年。

▼ユージーン・トリビザス 文/ヘレン・オクセンバリー 絵/こだまともこ 訳『3びきのかわいいオオカミ』冨山房、1994年、[印刷:凸版印刷株式会社、製本:加藤製本株式会社]