「たろう」と「いぬの ちろー」「ねこの みーや」「あひるの があこ」「にわとりの こっこ」が仲良しの「まみちゃん」の誕生日のお祝いに出かけるという物語。
この絵本は、一見したところ「交通規則のしつけ絵本」のような趣きがあります。「まみちゃん」の家に行く途中で、道路でふざけてはいけない、走ったりしない、信号は守る、横断歩道をきちんとわたる、といった基本的なルールを「たろう」は学んでいきます。交通ルールをちゃんと守らないといけないよといったメッセージが読み取れます。
しかし、この絵本のすごいところは、そういうしつけ絵本的な枠をどんどんはみ出していく点だと思います。
一つには、もちろん、「たろう」と動物たちの実に楽しげな様子。カラフルな色彩とのびやかな線は、堅苦しさをまったく感じさせません。「しつけよう」などという押しつけがましさやわざとらしさからかけ離れた描写です。
そして、もう一つ、とても印象的なのは、交通ルールというものを、徹頭徹尾「つまらない」ものであり仕方なく従うものとしている点です。
文中、「たろう」たちの「うれしいことがある」から急ぐという感情に対し、大人たちは常に「だめ だめ だめ」とそれをアタマから否定し、交通ルールを守ることを求めます。「たろう」たちはいつもそれを「つまらない」と言い、でも「けがをするのはいやなので」従います。「だめ だめ だめ」と「つまらない」が何度も繰り返されていくわけです。
もちろん、危ない目にあわないためには、いやでも応でも交通ルールを守らないといけません。交通ルールとは、そのようなものだと言ってもよいでしょう。
しかし、たしかにそうではあるのですが、この絵本の描写、とくに文章における「だめ だめ だめ」と「つまらない」の繰り返しは、規則というものが徹底して面白みがなく味気ないことを浮き彫りにしていると思います。
そのことは、物語の展開にもはっきり表れているように感じました。なにより原っぱに着いてからの開放感が実に鮮やか。気持ちのままに思いっきり駆け出す「たろう」たちです。それに対応するかのように、それまで白みの多かった画面は、明るい緑と青に彩られます。
そしてラストの一文。
はらっぱの みちでは、もう だれも、「だめ だめ だめ!」って、いいませんからね。
それまでとの落差の激しさは、ルールや規則の存在について、相当にラディカルな見方を示唆していると思うのですが、どうでしょう。
例によって(?)考えすぎかもしれません。しかし、「しつけ絵本」であるかに見えて「しつけ絵本」からいつの間にか抜け出てしまう、あるいは「外」に出て行ってしまう……まさに「たろう」たちのように、もっと明るく自由な「原っぱ」に駆けていってしまう……そんな絵本になっていると思いました。
あと、もう一つ、特筆すべきは町の描写。お店さんや様々なクルマの描写がとてもモダンです。これは堀内さんならではと言えるかもしれません。
▼村山桂子 さく/堀内誠一 え『たろうのおでかけ』福音館書店「ものがたりえほん36」、1963年、[印刷・製本:精興舎]