「こんなことってあるかしら?」と言ってしまうようなシュールでナンセンスな画面の連続。うちの子どもに一番うけていたのは消防自動車のお話。私が笑ってしまったのは小さいタクシーの画面でした。この絵本、実は表紙が謎なんですね。文や説明は付いていません。ちょっと恐いような、おかしいような、不思議な絵です。
▼長新太『こんなことってあるかしら?』クレヨンハウス、1993年
「こんなことってあるかしら?」と言ってしまうようなシュールでナンセンスな画面の連続。うちの子どもに一番うけていたのは消防自動車のお話。私が笑ってしまったのは小さいタクシーの画面でした。この絵本、実は表紙が謎なんですね。文や説明は付いていません。ちょっと恐いような、おかしいような、不思議な絵です。
▼長新太『こんなことってあるかしら?』クレヨンハウス、1993年
この絵本、最近読んだ絵本のなかで一番好きです。奇妙奇天烈なナンセンスが爆発していて、すごい!の一言。
「みみずのオッサン」が散歩していると、空からペンキが落ちてきました。ペンキと絵の具とクレヨンの工場が爆発して、なにもかもベタベタになり動かなくなってしまいます。「みみずのオッサン」は、そのペンキと絵の具とクレヨンをどんどん食べていき、そして地上は「みみずのオッサン」のおしりから出てくる「きれいなどろ」に覆われていきます。
よく考えてみると、このストーリー、実に破滅的です。地球上のあらゆる文明と生命がペンキと絵の具とクレヨンで「ベタベタ」「ドロドロ」「ヌルヌル」「ベトベト」に塗り込められてしまうのです。しかも、その塗り固められたペンキと絵の具とクレヨンを「みみずのオッサン」が全部食べてしまい、なにもかもが「きれいなどろ」のうんちになってしまう。本当にすごい! これほど破壊的なイメージもそうないでしょう。
おもしろいのが、爆発したペンキにつぶされてしまう「おかあさん」と「おとうさん」の一言。
「キャーッ、たすけてー、でも
きれいないろねえ」
「キューッ、くるしいー、ほんとに
きれいだねえ」
ペンキでドロドロ、ベタベタにつぶされてしまう二人が「きれいだねえ」とうっとりと語っている……きれいな色に塗り込められて実は幸せなんじゃないかと思えてきます。
また、「みみずのオッサン」がペンキと絵の具とクレヨンをどんどん食べていく画面は迫力です。見開き2ページで6ページにわたって続きます。あらゆるものを内に飲み込んだペンキと絵の具とクレヨン、これをすべて食べるのが、なにせ「みみず」なのです。「もぐもぐ」「むぐむぐ」「ムシャムシャ」という絵に添えられた手書き文字も、だんだんと大きくなっています。
そしてこの絵本でもっとも美しい画面が、「みみずのオッサン」のうんち、「きれいなどろ」によって地面がすべて覆われたことを表しているところ。見開き2ページ、画面下から上に7割くらいが蛍光オレンジの一色に塗られ、その「きれいなどろ」の地平線の上には薄青い空が広がっています。
画面に付けられた「どこまでも どこまでも、」という文と合わせて、なんとなく地上9,000メートルくらいまで「きれいなどろ」で覆われたような印象を受けます。つまり、エヴェレストの頂上の上まで「きれいなどろ」が堆積して、地球上のすべてが埋まってしまったというわけです。
大げさかもしれませんが、この画面は神々しいというか、なんとなく畏怖すら感じました。
こうして、なにもかもが消え去った大地は、もう一度、やり直しです。
やがて みどりのだいちになり、
ずうっと むかしにもどってしまった。
つまり、すべてがリセットされてしまったわけで、これも衝撃的。
これは考えすぎかもしれませんが、このストーリー、ある意味で長新太さんの願望を表しているのかなと思いました。この社会のすべて、人間の文明のすべてをペンキと絵の具とクレヨンで「ベタベタ」「ドロドロ」「ヌルヌル」「ベトベト」に塗り込んでしまう。そして、すべてを太古に戻してしまう。その方が実は人間たち自身にとっても幸せなんじゃないか、ということです。
工場からペンキと絵の具とクレヨンが「ドーン」「ドーン」と爆発して飛び出る様子は、長新太さんのそんなラディカルな心の動きを表しているかのように思えました。
絵は、全体にわたってオレンジやピンクや黄色の蛍光色がガンガンに使われており、非常にカラフルでエネルギッシュ。
また、絵に付いている文はすべて長さんの手書き。背や表紙、扉のタイトルなども手書きです。この手書き文字がまた、筆跡が微妙にゆれていて、独特の味わいがあります。
私は長新太さんの絵本に詳しくありませんが、手書き文字になっているものはそんなに多くない気がします。長さんの他の絵本でも、印刷ではなく手書き文字にしたら、けっこう印象が変わるかもしれません。私は、印刷の文字よりも、長新太さんの手書き文字の方が好きです。
あと、表紙・裏表紙の見返しも注目です。「みみずのオッサン」の背中(?)に帽子をかぶった人間が一人のっています。これって、もしかして長新太さん自身じゃないかと思うのですが、どうでしょう。こういうところからも、ある意味で「みみずのオッサン」は長さんの自画像で、この絵本は長さんの願い(?)を具現しているのではと思えてきます。
以前読んだ長新太さんの『絵本画家の日記2』のなかにも、なんとなく今回の絵本に相通ずる記述があったような気がしました。
▼長 新太『みみずのオッサン』童心社、2003年
先日の記事に引き続いて、長 新太さんの『絵本画家の日記2』です。絵本ジャーナル『Pee Boo』10号から30号(1992年10月から1998年11月)に掲載されたものを加筆・再構成されたとのこと。
この本は2003年刊行。『絵本画家の日記』が1994年刊行ですから、ほぼ10年ぶりに続編が公刊されたことになります。『絵本画家の日記』と比べて本の大きさがひとまわり小さくなり、なかの紙質も少し違うようです。カラーページはありません。前作と同じく、1ページに1日ずつ、長さんの手書きの文章とイラストが載っています。
絵本をめぐる状況へのユーモアあふれる、しかし鋭い舌鋒はこの本でも変わりありません。たとえば
○月○日。ふつうの画家や、イラストレーター、漫画家など、つきあいはあるが、みんな絵本のことはよく知らない。おそらく、絵本を手にしたこともないだろう。彼らの頭にあるのは大昔の絵本だ。「そんな仕事、やめなさいよ」と言うイラストレーターもいる。さみしい1日。
○月○日。生真面目というのも困りものだ。良識派を自認しているから、正々堂々としている。児童書の選択なども、コンクリートで出来たようなものばかりえらぶ。たまに悪口も書きたくなるよ。「ナンセンスに感動がありますか?」なんて詰問する。あるのでゴジャリマスヨーダ。
○月○日。「質はともかく、売れるものをつくるのが、いい編集者ですよ」と、ある編集者が言う。「質はともかく、売れるものを描くのが、いい絵本作家ですよ」と、ある絵本作家が言う。「質なんかわかりません。売れてるものを買うのが、わたしたちです」と、ある母親が言う。
消費者である私たち自身が問われているような気がします。
と同時に、前作以上に、長さんの日常や身のまわりの出来事に対する独特のコメント、夢かうつつか分からない不思議な記述もいっぱいあって、とてもおもしろかったです。
ただ、なんとなく老いや死を意識したところがあり、それもまたユーモアを含んでひょうひょうとしているのですが、少しさみしい気持ちになりました。
▼長 新太『絵本画家の日記2』BL出版、2003年、定価(本体 1,000円+税)
この本は、絵本画家9人(長さんもその一人)が編集に携わった絵本ジャーナル『Pee Boo』の連載をまとめたもの。日付はどれも「○月○日」と記されていますが、1ページに一日ずつ長新太さんの手書きの文章とイラストがつき絵日記のようになっています。カラーページも8ページくらいあります。
中身は長新太さんの絵本と同じくユーモアにあふれているのですが、それ以上に、いまの絵本と絵本画家さんのおかれた状況をたいへん鋭く辛辣に語っています。
まず、絵本編集者との戦い(?)の様子。たとえば、酒に酔った編集者にはこうからまれます。
「チョーさんは、編集者は絵がわからないバカなヤツ、と思ってるでしょ? ええ、ソーデスヨ、ヨーデスヨ。ゲージツなんて、どうでもいいやい! そんな絵本は売れないんだから。カワユーイ、アマーイ、なめたくなるような絵が一番いいのだ! そういったセンセイがたの絵本が売れて、もうかっているから、チョーさんみたいな人の絵本もわが社から出せるのよ。ありがたいと思いなさい。コラッ。こちらにいるセンセイは(注・女の人)売れる絵を描くセンセイですよ。チョーさん、最敬礼しなさい!」
この文についているイラストでは、チョーさん(長 新太さん)が地面にゴツンと頭をぶつけて「最敬礼」している様子が描かれています。
『Pee Boo』に、絵本の編集者や営業の人に意見を書いてもらおうとして苦労する様子も語られています。
そして、絵本と絵本画家の社会的な地位の低さ。たとえば
○月○日。コマーシャルの仕事をしているイラストレーター曰く「はじめて絵本の仕事をしたけど、ギャラがメチャクチャ安いんでおどろいたよ。チョーさん、よくやってるねえー」1枚描けば、たちどころに絵本1冊ぶんのギャラが入るコマーシャルの世界。こちらは、子どものためにグワンバッテイルノダ!などと思うんだけど… なんかさみしい1日。
○月○日。つい最近、若いイラストレーターと、やり合ってしまった。若もの「ボクも、チョコチョコと、絵本をやってみたいんですけど、どっか、紹介してくださいよ」わたし「チョコチョコとはなんだ!」若もの「だって、子どもの本を見ると、チョコチョコもんばかりじゃないですか」わたし「チョコチョコ、チョコチョコと、チョコレートじゃないぞ、バカ!」――子どもの本の絵は、チョコレートみたいに甘く、そして苦いのであります。どこからか哀しい音楽がきこえてくる夕暮れ。
その一方で、子どもの描いた絵に衝撃を受けたり、なにものにもとらわれず自由に描こうという一徹な姿勢も日記の記述からうかがえました。
長 新太さんのように日本を代表する絵本画家の方ですら、絵本をとりまく無理解・無関心、孤独と苦悩のなかで格闘されていることが、ユーモアにくるまれながらも、ひしひしと伝わってきます。絵本に関心のある方には、ぜひぜひ一読をおすすめします。
ただ、とても残念なことに、この本は現在、品切れ中。BL出版のウェブサイトで検索したらそう表示されました。私も図書館から借りて読みました。このあたりにも、絵本をとりまく状況のきびしさが現れているような気がします。昨年(2003年)には『絵本画家の日記2』も刊行されたことですし、この機会に、この『絵本画家の日記』も復刊してほしいところです。
▼長 新太『絵本画家の日記』BL出版、1994年、定価 1,121円
※残念ながらこの本は現在品切れのようです。
「ゴムあたま」に「ポンたろう」?、この絵本、タイトルに引かれて手に取りました。表紙には、気を付けの姿勢をした丸坊主の男の子が横になって宙に浮いています。
ページをめくると、冒頭からいきなりナンセンス・ワールドに突入。
とおくの ほうから おとこのこが とんできました。
あたまが ゴムで できている
「ゴムあたまポンたろう」です。
やまに ポン! と ぶつかると、
ボールのように とんでいきます。
「どこから来たの?」「どうして飛んでるの?」「なぜ頭がゴムなの?」、読んでいる方のアタマのなかもゴムみたいにぐにゃぐにゃになってきます。もうこの不思議な世界に身をゆだねるしかありません。
この「ポンたろう」、ずっと直立不動で無表情、気を付けの姿勢のまま、グングン飛んでいき、おかしなものにどんどん当たります。大男の頭に生えた野球のバットとかお化けのお父さんの頭、木々にはバレーボールのボールにされ、ハリネズミにはサッカーのボールにされます。ゴムのあたまはどんなものに当たっても痛くないんだそうです。
おかしいのは、全体を通じてとってもナンセンスなのに、妙に論理的なところ。たとえば、花はやわらかいから当たっても飛んでいくことができないとか、アタマの当たるいいところを探していたりとか、針に刺さると飛んでいけなくなるとか、言われてみればたしかに筋が通っていて、それがおかしい。
絵は、全編にわたってオレンジやピンクのカラフルな蛍光色が使われ、桃源郷のようなあやしい雰囲気をかもしだしています。そういえば、古いお寺のはるか上空を「ポンたろう」が飛んでゆく場面もありました。
一見したところ無表情にみえる「ポンたろう」ですが、微妙に表情があるのがまたおもしろい。たとえばバラの花が咲いているところでは、目を閉じてバラの香りを楽しんでいるようだし、バラの棘やハリネズミの針が出てくるとまゆを少しだけしかめています。
最後に「ポンたろう」はゴムの木に抱かれて眠ります。遊び疲れた子どもが気持ちよく寝ている、そんな感じで、やさしい気持ちになります。
▼長 新太『ゴムあたまポンたろう』童心社、1998年
この絵本は、文をジャズ・ピアニストの山下洋輔さんが書いています。山下さんらしくというか、この絵本のおもしろさは、なんといっても、太鼓の響きです。「オニのこ ドン」と「にんげんのこ こうちゃん」が太鼓をたたき合って「けんか」をはじめ、それがだんだんエスカレートしていくというストーリー。このたいこの音が、おもしろい。少し引用してみます。
ドン! ドン!
ドンドコ ドンドン ドン!
ドコンコ ドコンコ ドン!
ドコドコ ドコドコ ドコンコ ドン!
ドカシャバ ドカシャバ ドカドカドカ!
ドンカカ ドンカカ ドカカカドン!
ダダフカ ダダフカ
シャカスク シャカスク
といった感じで、読み聞かせをするときも、リズミカルで楽しめます。巻末の著者紹介によると、山下さんは「佐渡国・鼓童」の方たちとの交流からこの絵本のアイデアが生まれたそうですが、太鼓のいろんなリズムを日本語の響きにうまく表していると思います。
絵は、割と強いタッチの原色中心で、「けんか」でありながら楽しい雰囲気を出しています。オニの世界は赤い山々にあやしい白雲がうずをまいていて、これもおもしろい。
そして、ストーリーの秀逸さもこの絵本の魅力の一つです。「オニのこ ドン」も「にんげんのこ こうちゃん」もいたずらばかりしていて、「でていけ!」と家から追い出されてしまいます。でも、2人が太鼓で「けんか」をはじめると、「こうちゃんに なにを するの」「ドンちゃんに なにを するんだ」と両方のお父さんもお母さんも出てきて、太鼓をたたきはじめます。「こうちゃん」の猫と犬、「ドン」の鶏と牛、オニの世界からも人間の世界からもみんなが集まって、みんなで太鼓をたたき合います。太鼓の響きがどんどん重なり合っていきます。
この太鼓の「けんか」がどんなかたちで終わるか注目です。これは、ぜひぜひ読んでみて下さい。とても、おおらかなハッピーエンドです。人間のけんかも、(ありえないけれども)こんなふうであったらなあと思わずにはいられません。一見したところ乱暴ですが、でも、とてもしゃれた絵本です。
▼山下洋輔/長新太『ドオン!』福音館書店、1995年