この絵本、最近読んだ絵本のなかで一番好きです。奇妙奇天烈なナンセンスが爆発していて、すごい!の一言。
「みみずのオッサン」が散歩していると、空からペンキが落ちてきました。ペンキと絵の具とクレヨンの工場が爆発して、なにもかもベタベタになり動かなくなってしまいます。「みみずのオッサン」は、そのペンキと絵の具とクレヨンをどんどん食べていき、そして地上は「みみずのオッサン」のおしりから出てくる「きれいなどろ」に覆われていきます。
よく考えてみると、このストーリー、実に破滅的です。地球上のあらゆる文明と生命がペンキと絵の具とクレヨンで「ベタベタ」「ドロドロ」「ヌルヌル」「ベトベト」に塗り込められてしまうのです。しかも、その塗り固められたペンキと絵の具とクレヨンを「みみずのオッサン」が全部食べてしまい、なにもかもが「きれいなどろ」のうんちになってしまう。本当にすごい! これほど破壊的なイメージもそうないでしょう。
おもしろいのが、爆発したペンキにつぶされてしまう「おかあさん」と「おとうさん」の一言。
「キャーッ、たすけてー、でも
きれいないろねえ」
「キューッ、くるしいー、ほんとに
きれいだねえ」
ペンキでドロドロ、ベタベタにつぶされてしまう二人が「きれいだねえ」とうっとりと語っている……きれいな色に塗り込められて実は幸せなんじゃないかと思えてきます。
また、「みみずのオッサン」がペンキと絵の具とクレヨンをどんどん食べていく画面は迫力です。見開き2ページで6ページにわたって続きます。あらゆるものを内に飲み込んだペンキと絵の具とクレヨン、これをすべて食べるのが、なにせ「みみず」なのです。「もぐもぐ」「むぐむぐ」「ムシャムシャ」という絵に添えられた手書き文字も、だんだんと大きくなっています。
そしてこの絵本でもっとも美しい画面が、「みみずのオッサン」のうんち、「きれいなどろ」によって地面がすべて覆われたことを表しているところ。見開き2ページ、画面下から上に7割くらいが蛍光オレンジの一色に塗られ、その「きれいなどろ」の地平線の上には薄青い空が広がっています。
画面に付けられた「どこまでも どこまでも、」という文と合わせて、なんとなく地上9,000メートルくらいまで「きれいなどろ」で覆われたような印象を受けます。つまり、エヴェレストの頂上の上まで「きれいなどろ」が堆積して、地球上のすべてが埋まってしまったというわけです。
大げさかもしれませんが、この画面は神々しいというか、なんとなく畏怖すら感じました。
こうして、なにもかもが消え去った大地は、もう一度、やり直しです。
やがて みどりのだいちになり、
ずうっと むかしにもどってしまった。
つまり、すべてがリセットされてしまったわけで、これも衝撃的。
これは考えすぎかもしれませんが、このストーリー、ある意味で長新太さんの願望を表しているのかなと思いました。この社会のすべて、人間の文明のすべてをペンキと絵の具とクレヨンで「ベタベタ」「ドロドロ」「ヌルヌル」「ベトベト」に塗り込んでしまう。そして、すべてを太古に戻してしまう。その方が実は人間たち自身にとっても幸せなんじゃないか、ということです。
工場からペンキと絵の具とクレヨンが「ドーン」「ドーン」と爆発して飛び出る様子は、長新太さんのそんなラディカルな心の動きを表しているかのように思えました。
絵は、全体にわたってオレンジやピンクや黄色の蛍光色がガンガンに使われており、非常にカラフルでエネルギッシュ。
また、絵に付いている文はすべて長さんの手書き。背や表紙、扉のタイトルなども手書きです。この手書き文字がまた、筆跡が微妙にゆれていて、独特の味わいがあります。
私は長新太さんの絵本に詳しくありませんが、手書き文字になっているものはそんなに多くない気がします。長さんの他の絵本でも、印刷ではなく手書き文字にしたら、けっこう印象が変わるかもしれません。私は、印刷の文字よりも、長新太さんの手書き文字の方が好きです。
あと、表紙・裏表紙の見返しも注目です。「みみずのオッサン」の背中(?)に帽子をかぶった人間が一人のっています。これって、もしかして長新太さん自身じゃないかと思うのですが、どうでしょう。こういうところからも、ある意味で「みみずのオッサン」は長さんの自画像で、この絵本は長さんの願い(?)を具現しているのではと思えてきます。
以前読んだ長新太さんの『絵本画家の日記2』のなかにも、なんとなく今回の絵本に相通ずる記述があったような気がしました。
▼長 新太『みみずのオッサン』童心社、2003年