月別アーカイブ: 2005年1月

ルース・スタイルス・ガネット/ルース・タリスマン・ガネット『エルマーと16ぴきのりゅう』

 この間に少しずつ読んでいた「エルマー」シリーズの第三巻、読み終わりました。「どうぶつ島」と「カナリヤ島」の冒険から家に帰った「エルマー」。「りゅう」もまた家族の待つ「そらいろこうげん」に戻るのですが、15匹の家族たちは人間に追いつめられ危機に陥ってしまいます。「エルマー」は助けを求めてきた「りゅう」に再会し、一緒に「そらいろこうげん」に向かう、という物語。

 今回もまた「エルマー」は創意工夫で「りゅう」の家族たちを救い出します。文中では、第一巻や第二巻と同じく、作戦に必要なアイテムがいろいろ細かく描写されていました。これをどう活用するんだろうと読み進めていくと、なかなか手の込んだ、しかも楽しい計略。けっこう緊迫する場面もあり、うちの子どもは集中して聞いていました。

 この描写の細かさ、とくに数字の細かさは、「エルマー」シリーズの特徴の一つですね。第二巻では「エルマー」の食べる「みかん」の数がそのつどカウントされていましたが、第三巻では食べ物に加えて、「りゅう」の家族の数や「エルマー」の持つお金もきちんと計算されています。几帳面というか、救出のための周到な準備とも相まって、ある種の合理性を表しているような印象を持ちました。

 しかし、「エルマー」、やっぱり食べ過ぎのような……。いくら大冒険のあととはいえ、一度にあんなに目玉焼きを食べて大丈夫なんだろうか(^^;)。

 ところで、今回登場する「りゅう」の家族は、なかなかユニーク。数ページにわたって続く挿絵では、「たいそう」の楽しいポーズをとった「りゅう」たち一匹一匹がきちんと描かれています。「たいそうのめいじん」の「りゅう」というのも、おもしろい。うちの子どもは、「りゅう」たちの模様と本文中の説明を照らし合わせていました。楽しい趣向です。

 荒々しいと思われている「りゅう」が実はそうではないこと、人間の都合によって恐そうなイメージが作り上げられているだけであること、このあたりの説明も考えてみれば意味深ですね。当たり前と思われていることがただの思い込みであり、しかもそれは実は誰かの利益となるために捏造されたもの……こういう類の事例は身の回りにたくさんあるかと思います。

 それはともかく、へぇーっと思ったのは、第三巻になってはじめて「りゅう」の名前が明かされること。あらためて気が付いたのですが、たしかに第一巻と第二巻では名前が書かれていませんでした。恥ずかしくて言えなかったのだそうです(^^;)。

 あと、「エルマー」と「りゅう」の友情もなかなか印象的。とくに再会の場面と最後のお別れの場面。文中では実にさらりと描かれているのですが、ともに困難を乗り越えてきた仲間です。その絆が、付けられた挿絵や、またとくに表紙のイラストによく表れているように感じました。

 「エルマー」シリーズ、これでおしまいと思うと少し残念です。うちの子どもも「続きがあるといいのにねえ」と言っていました。「エルマー」と「りゅう」、また脇役の「ねこ」や「りゅう」の家族、まだまだいろんな物語が待っていそうな印象なのです。でも、これでおしまい。

 原書”The Dragons of Blueland”の刊行は1951年。

▼ルース・スタイルス・ガネット 作/ルース・タリスマン・ガネット 絵/渡辺茂男 訳/子どもの本研究会 編『エルマーと16ぴきのりゅう』福音館書店、1965年

『絵本であそぼ!』パパ’s絵本プロジェクトの本が2月末に刊行

 絵本ナビ パパ’s絵本プロジェクトの本が、2月末に出版されるそうです。昨年、刊行された『幸せの絵本』に続き、今度はパパ’s絵本プロジェクト! すごいなあ。たしか『幸せの絵本』の第二弾も刊行予定になっていたと思いますし、次々と本が出ますね。

 【楽天ブックス】【予約】 絵本であそぼ!~子どもにウケるお話し大作戦:パパ’S絵本プロジェクト/安藤哲也・金柿秀幸・田中尚人では、詳しい内容紹介が掲載されていました。

 全体で13のテーマ、計90冊の絵本を紹介。コワイ話、ビロウな話、ナンセンスな話、のりもの絵本、昆虫もの、等々、実際に「パパ’Sお話し会」でウケた絵本をセレクトとのこと。これはおもしろそうです。

 あと、ぜひ読んでみたいのは、コラム&トーク。パパ’S絵本プロジェクト結成のいきさつや、絵本を読むことについての3人のメンバーによる鼎談、全国のパパへのメッセージが掲載されるようです。

 楽天ブックス限定の予約特典もあるとのことで、いまから予約してみようかな。

なかのひろみ/ふくだとよふみ『う・ん・ち』

 タイトルの通り、動物の「うんち」を扱った写真本。たくさんの動物たちのたくさんの「うんち」写真が掲載されています。少し図鑑のような趣もありますが、文章の量はそれほど多くなく、写真絵本と言っていいかと思います。

 この「うんち写真」、圧倒的におもしろく、あっと驚く事実、へぇーと納得の事実が文字通りてんこ盛り。うちの子どもと一緒に大いに楽しみました。いや、子どものみならず大人にとっても実に興味深いです。

 表紙と裏表紙にもあしらわれていますが、動物たちがまさにうんちをしている瞬間の写真もいっぱい。みんな、それぞれのスタイルでふんばっています(^^;)。どことなくおかしみがあり、と同時に、人間も動物も変わりはなく、生きるってやっぱり食べて出すことなんだなあと、厳粛な気持ちにもなってきます。

 カバはプールをうんちで濁らせないと落ち着けないことや、カタツムリのうんちは食べたものによって色が変わること、などなど、うんちについてはじめて知ることが数多くありました。カニ、イソギンチャク、クジラやイルカといった海の生物、カメレオン、ヘビ、トカゲ、クモ、サソリ、ミミズといった生き物のうんち写真もあります。こんなうんちなんだなあと興味深いです。

 うんちそれ自体の接写写真もたくさん。よく見ると、ライオンのうんちには毛繕いでなめた自分の毛がたくさん含まれており、これに対し、ゾウのうんちは草だらけ、パンダのうんちは竹の葉入り。うんちは、それぞれの動物の生態を表していることが分かります。

 うちの子どもは、大きなうんち写真が載っているページに鼻を近づけてにおいをかいでいました(^^;)。うーん、この気持ち、分かります。実は私も念のため、においをかいでみました。だってね、山盛りのうんちのこんなにリアルで大きな写真です。本当に、におってきそうな感じ(^^;)。

 驚きと同時になるほどなあと思ったのは、「『うんち』のつづき?」と題されたページ。子ども動物園が舞台なのですが、ヒツジのうんちをブタが食べ、そのブタのうんちをカメが食べ、そしてカメのうんちは掃除されるという、うんちの物語が写真で描かれています。そのあとの文章を引用します。

しぜんの なかで うんちは
むしや バクテリアに たべられて
つちに なります。
そして つちは きや くさを そだてて
どうぶつを やしない
はなしは つづいていきます。

 ああ、そうなんだなあとあらためて納得。本来うんちは自然のなかを循環し、次に生きるものを育て養っていくわけですね。その一方で、私たちのばあい、水洗トイレに流すだけなので、このうんちの「きずな」が見えにくくなってしまう。アタマでは分かっていても、実感する機会はほとんどないなあと思いました。

 巻末には、本文に登場した動物も出てこない動物も合わせて「うんち図鑑」。数えてみたら全部で87。肉食動物、草食動物、雑食動物を色分けし、それぞれのうんちの写真、うんちの長さや様子、うんちをするときのスタイル、などの説明付き。おもしろいのは、一番ラストに、自分のうんちの写真を貼り付ける欄があるところ(^^;)。

 奥付のページには、構成と文を担当したなかのさんや、写真のふくださんの紹介に加えて、装丁・デザインを担当したまつ本さんの紹介、撮影地、写真協力、謝辞、さらには、表紙や裏表紙を飾っているたくさんのうんちオブジェ(これがまたユニーク!)の制作者・撮影者も記されていました。ここにも楽しい記述がいっぱいです。

 写真のふくださんによると、この『う・ん・ち』は13年間(!)のうんち撮影の集大成だそうです。すごいですね。やはり、これだけの数の動物のうんちシーンを撮影するのは大変な時間と労力がかかっているんですね。奥付のページに記されている撮影地を数えてみると、動物園や水族館など22施設もありました。

 構成・文のなかのさんは「抱腹絶倒の『うんち撮影・取材風景』を伝えられないのがちょっと心残り」とのこと。うーむ、これはおもしろそう。エッセイのかたちで本にまとめると、けっこうよいんじゃないでしょうか。ぜひ読んでみたいです。

 装丁・デザインのまつ本さんの紹介には「今回、品のよいうんちの本をつくるのが特命」と記されていました。パソコンの画面から「におい」がするようになったそうですが(^^;)、「品のよさ」はこの本のすみずみから伝わってきます。

 そして、「うんちオブジェ」の制作はこの本の関係者、その家族や友人の方々。みんなでワイワイやりながら楽しく作っていったんじゃないかなと思います。アットホームな本作り、なんか、いいなあ。

 取材・撮影でお世話になった動物園や水族館への謝辞には次のように記されていました。

動物園や水族館の人たちはいつも親切ですが、うんちの撮影のときは いっそう親切だったような気がします。

 あー、なんだか分かるような気がします。というのは、最近、うちの下の子ども(1歳)が少し便秘ぎみで、食事のあと、うんうん言って涙を流しながらふんばっているんです。実につらそうなんですが、でも、大きなうんちをしたあとのスッキリとした表情が本当にすばらしく、また出てきたでっかいうんちを見ていると、こちらまでうれしく楽しくなってきます。上の子どもも「見せて!見せて!」「大きいねえ」とニッコリしているし、うんち一つで、家族みんな盛り上がっています(^^;)。

 なんだろうな。うんちをするのは、もちろん、そんなにきれいなことではないけれど、でも、それはもともと、うれしく楽しいことなんですね。「子どものうんちだから」ではなく、大人のうんちでも同じと思います。

 私が小学生のころは、とくに男子のばあい、学校でうんちをするとからかわれたりして、それがいやで、うんちをがまんすることがありました。どうやら今もそんな雰囲気があるようです。でも、うんちをするのは、汚いとか恥ずかしいではなく、楽しくうれしいこと。それが浸透するなら、うんち一つではありますが、学校の雰囲気全体もだいぶ変わるような気がします。この本を読んで、そんなことも考えました。

 もともとこの本は、福音館書店の月刊誌『おおきなポケット』2001年10月号に掲載された「フンフンうんち図鑑」を追加取材し大幅に増ページしてまとめたものだそうです。この写真絵本、強力に(!)おすすめです。

▼なかのひろみ 文/ふくだとよふみ 写真『う・ん・ち』福音館書店、2003年、[装丁・デザイン:まつ本よしこ]

マタニティ・ブックスタート(続)

 先日、書いた記事、絵本を知る: マタニティ・ブックスタートに、YuzYuzさんからトラックバックをもらいました。YuzYuz | マタニティ・ブックスタートです。

 yuz さんの記事では、赤ちゃんが絵本に接することそれ自体、したがってブックスタートそれ自体に私が懐疑的と書かれているように読めました。でも、先の記事で私が考えていたのは、そういうことではありませんでした。私の書き方が言葉足らずだったなと少し反省しています。そこで、いろいろ補足しながら、もう一度、自分の考えをまとめてみたいと思います。うまくいかないかもしれませんが……。以下、かなり長文です。

 まず、私は、たとえばゼロ歳児の赤ちゃんが絵本に接することそれ自体に懐疑的・否定的なわけではありません。むしろ、逆です。絵本を破ったり、なめたり、遊び道具にしたり、また最後まで読まなくても、父親や母親と一緒に赤ちゃんが絵本に接するのはよいことと思っています。

 じっさい、うちの下の子どもは現在1歳ですが、ゼロ歳児のときから絵本を読んでいます。もちろん、遊び道具になることが多いですし、読んでいる途中で飽きてしまったり、放り出したりしていました(実は先々週くらいから最後まで楽しんで読むようになりました。これについてはまた別の記事で書きたいと思っています)。

 でも、「だからダメだ」などとは私は考えませんでした。当人が楽しそうにしていましたし、私自身も子どもと一緒に楽しむことができたからです。繰り返しになりますが、「絵本は最後のページまで読まないとダメ」とか「絵本で遊んではダメ」とは私は考えていません。ちなみに、このことは、現在5歳の上の子どものときも同様でした。

 というわけで、yuz さんが下記のように書かれていることに、私はまったく同意見です。

ブックスタートで重要なのは、あくまでも本を通した触れ合いの時間を取ることであって、絵本を読ませることではないからです。
・赤ちゃんを抱っこして、声をかけて上げること。
・触れ合った場所から、保護者の方の声が直接届くこと。
こういう触れ合いの機会の一つの手段として「絵本を読」んでいるのではないでしょうか。
また、一冊を通して読む必要もありません。
私がブックスタート事業に関わっていた時には
「赤ちゃんのご機嫌の良い時に読んであげてくださいね」などの声かけも行っていました。
赤ちゃんが飽きちゃったら、絵本が途中でもおしまいにしてしまいます。
でも結構赤ちゃんも興味を持って見てくれるものですよ。

 私も、赤ちゃんにとって「絵本としての認識」が必要とは考えていません。というか、そもそも、それは無理な話であって、そういう認識がないのは当たり前と思っています。

 ですので、私の記事で yuz さんが引用されている次の箇所は、(少なくとも私の意識では)何かネガティヴな含意を込めて書いたわけではありません。

 とはいえ、生まれてしばらくの赤ちゃんに絵本を読んでも、おそらく赤ちゃんは絵本を受け入れないのではないでしょうか。少し大きくなってからも遊び道具にすることが多いと思います。そもそも絵本が「絵本」として認知されるのは、それなりに条件が整わないと難しい気がします。

 いまになって読んでみると、「絵本を受け入れない」という一文は表現が強すぎるなと思います。これは筆(というかキーボード)が滑ってしまいました。とはいえ、上記の箇所は、ネガティヴな評価もポジティヴな評価もなく、事実としてこうなんじゃないかと自分が思ったことを書いたつもりでした。

 では、マタニティ・ブックスタートの何に対して私が疑問を持っていたのかと言えば、上記の箇所のすぐあとで書いた点です。くどくなって恐縮ですが、引用します。

 そうだとすれば、親が期待するほどには赤ちゃんが絵本を楽しんでくれないとき、逆に絵本なんていらないということになりはしないか……。考えすぎかもしれませんが、絵本とのかかわり方が阻害されることもありうるように思いました。もちろん、このあたりについては、事前にきちんと伝えておけばよいのでしょうが……。

 あと、この取り組みがある種の方向に進んでいくと、たとえば「胎教によい絵本の読み聞かせ」とか「胎教におすすめの絵本」といったところまで行くかもしれませんね。最近は絵本ブームと言われていますし、もしかすると、どこかの出版社がすでに企画を立てているかも。たぶん出版社にとっては新しい市場になるような気がします。

 上記で私は、二つのことを考えていました。

 一つは、赤ちゃんと絵本に関する、親の側の理解が行き届くかどうかという問題です。つまり、母親や父親が赤ちゃんに絵本を読むとき、たとえば「最後まで読まないといけない」「絵本をおもちゃにしてはいけない」といったふうに考えて、無理に読ませたりしないかどうか……。赤ちゃんにとって絵本は遊び道具でまったくかまわないし、最後まで読む必要もなく、ふれ合いの時間が大事なんだということ、このことを親の側がちゃんと理解できるようになっているかどうか、です。

 yuz さんも少し触れられていますが、それが「絵本」であるがゆえに、早期教育として捉えられる部分も根強いんじゃないかと考えました。親の側からすれば、せっかく絵本を赤ちゃんに読むんだから、英語絵本を読もうとか、きちんと最後まで読んで言葉を早く覚えさせたいとか、繊細な絵に触れさせて美的な感覚を身につけさせたいとか、そういう意識がどうしても入ってきがちでしょう。ブックスタートの現場でいろいろ説明があっても、親の側がそれをきちんと理解せず、何か教育的なものになってしまう可能性はけっこうあると思います。

 私はブックスタートの取り組みを実地に知っているわけではないので、誤解している部分もたぶんあるでしょう。それでも、ブックスタートで絵本を母親や父親に渡すとき、「絵本を読ませる」のではなく「ふれ合いの時間」が大事ということや、絵本に過剰に教育的な意味を込める必要はないこと、こういうことがちゃんと伝わっているかなあという、そういう疑問だったわけです。

 で、上記のようなことが伝わっていないとしたら、絵本に接するせっかくの機会が、赤ちゃんにとっても、母親や父親にとっても、楽しめないものになるかもしれないと思いました。それが結果として、その後の絵本との付き合い方にネガティヴに影響することもありうるかなと考えたわけです。

 もう一つは、こうしたブックスタートがマタニティ・ブックスタートにまで広がっていったとき、それは出版社等にとって一つの新しい市場になるのだろうと考えました。このことは、もちろんポジティヴな面もあるでしょうが、ネガティヴな面もあると思いました。

 これについては、以前書いた記事、絵本を知る: 『子どもの本~この1年を振り返って~2003年』(その2)で、日本子どもの本研究会絵本研究部の代田知子さんの文章を引用しながら考えたことに関連します。詳細はリンク先を読んでいただければと思いますが、代田さんは、赤ちゃん絵本とブックスタートの現状について、若干の危惧を表されていました。

 私なりに敷衍するなら、ブックスタート運動の高まりとともに赤ちゃん絵本がどんどん出版されるようになったけれども、どこか当の赤ちゃんを置き去りにしてはいないかという心配です。代田さんがふれている例で言うなら、「赤ちゃん絵本」と言いながら実際には赤ちゃんが楽しめないものが多かったり、あるいは、質はともかく値段を安くしてどんどん絵本を出そうとする出版社側の姿勢があったり、ということです。

 こういう側面に注目するなら、マタニティ・ブックスタートの広がりも、いろいろ気を付ける点があると考えたわけです。もちろん、「胎教によい絵本の読み聞かせ」が唱えられたり「胎教におすすめの絵本」が出版されることをそもそもネガティヴに見る必要はないでしょう。結果として、すぐれた絵本にふれる機会が増すなら、それはよいことと思います。

 とはいえ、代田さんが書かれていたのと同様に、マタニティ・ブックスタートの流れにのって出版社がいろいろ新しい商品やサービスを出していったとき、質が十分に確保されるのかどうか、またブックスタートの本来の主旨や理念がきちんと生かされるかどうか、若干、危うい面があるのではないかと疑問に感じたわけです。

 だいぶ長くなってしまいましたが、多少なりとも先日の記事の不十分な点や表現の至らないところを補足できていればと思います。先にも書きましたが、私はブックスタートの取り組みを実地に知っているわけではありません。自分の子どもと一緒に絵本を読むなかで考えたことや感じたことに基づいて書いているにすぎません。たぶん、いろいろ間違いや誤解もあると思いますが、とりあえず記事をアップします。YuzYuz さんの記事にもトラックバックしたいと思います。

かとうまふみ『えんぴつのおすもう』

 みんなが寝静まったある夜、鉛筆たちの相撲大会がおこなわれました。舞台は机の上。ふつうの鉛筆に色鉛筆、ちびたものから長いものまで、みんなで楽しく相撲大会をしていると、突然、ハサミの「チョキチョキきょうだい」が乱入して大暴れ。実は、「チョキチョキきょうだい」はすることなくつまらなかったのです。暴れ回る「チョキチョキきょうだい」を止めた「ちびたやま」はいいことを思いつき、最後は決勝戦とみんなで華やかなパレード。

 登場する文具一つ一つがカラフルで楽しい雰囲気。鉛筆たちにはそれぞれしこ名があり、まわしも付けています。鉛筆以外にも、消しゴムやカッター、定規、鉛筆入れのカップなども出てきて、よく見ると、それぞれ個性的に表情豊かに描写されています。電気スタンドの明かりが土俵になっており、その電気スタンドの名前が「しょうのすけさん」。いうまでもなく行司ですね。ちゃんと相撲団扇まで持っているところが、おもしろい。

 勝負の画面にはあたかも実況中継のように手書き文字が書き込まれ、読むときも力が入りました。「のこった! のこった!」のかけ声も楽しいです。あと、相撲の勝負はスピードとスリルに満ちていると思うのですが、その点をこの絵本では黒の線描きで表しています。動きの方向や勢い、力の入り具合がうすくかすれた黒で描き込まれていて、アクションの連続が伝わってきます。

 うちの子どもがニヤリとしたのは、最後のページの机の描写。最初のとびらのページにも同じ構図でその机が描かれているのですが、机の上の様子が微妙に違っています。つまり、相撲大会の前と後。人間の知らないところで楽しい一夜が明けたわけですね。

▼かとうまふみ『えんぴつのおすもう』偕成社、2004年、[編集:松田素子、デザイン:高橋雅之(タカハシデザイン室)]

かこさとし『どろぼうがっこう』

 これはおもしろい! タイトルのとおり、泥棒学校の先生と生徒のお話。表紙と裏表紙、とびらの絵は時代劇風ですが、中身は現代です。

 なによりおかしいのは、泥棒と学校の取り合わせ。ふつうの学校でおこなわれていることが、泥棒学校ではすべて泥棒の育成に関係付けられています。

 たとえば校長先生の「くまさか とらえもん せんせい」は物語の冒頭で生徒たちにこう言います。

おっほん、
どろぼうがっこうの せいとは、
いっしょうけんめい せいだして、
はやく いちばん わるい
どろぼうに なるよう、うんと
べんきょうしなければ いかんぞ。

 一生懸命がんばって一番悪い泥棒になれ! 実に教育熱心な学校です(^^;)。同様にして、宿題も遠足もなにもかも、泥棒学校ならではのもの。

 とくに笑ったのが遠足のやりとり。「お菓子を持っていっていいんですか」とたずねる生徒に、校長先生はこう言います。

ばかもん! どろぼうがっこうの えんそくに
おかしを もっていくやつが あるか。
ねじまわしと でばぼうちょうを
もってきなさい。

 うーむ、徹底しています。いや、学校という清く正しくあるべき空間が、泥棒という反社会的なおこないにささげられている……。この価値の転倒がなんとも痛快。

 なんだか、こんなふうに紹介すると、とてつもなく非道徳的な絵本に思われるかもしれませんが、ラストはちゃんと落ち着くところに落ち着いています。

 というか、道徳的かどうかなんて、この絵本のユニークで楽しい描写の前には無意味ですね。登場人物は、泥棒学校の先生と生徒ですから、もちろんワル。「生徒」とはいっても子どもではなく、みんな悪そうな顔つきのおっさんです。目つきは変だし顔に切り傷はあるし、ヒゲはぼさぼさで、服装も実にあやしい。でも、みな、どこか抜けていて、恐いというよりコミカルなんですね。うちの子どもも、だいぶ受けていました。

 で、一番おかしいのが校長先生の「くまさか とらえもん せんせい」。この先生だけ、なぜか時代劇の大泥棒、石川五右衛門のような格好。なにかというと眼をぎょろりとむいて歌舞伎のような決めのポーズを取っています。なんとも、おかしい。

 あ、そういえば、この泥棒学校の先生は校長先生一人だけ。教室もたぶん一つだけなんじゃないかな。小さな学校です。個人運営の私塾みたいな感じかも(^^;)。

 絵は部分的に活字がコラージュされたり、紙が切り貼りされたところがあり、おもしろいです。あと、墨書きのような黒く太い輪郭線がなんとなく和風な印象。表紙と裏表紙の見返しは、「ぬきあし さしあし しのびあし」ですね。これも楽しいです。

 かこさとしさんの「あとがき」によると、この絵本の原作は「13年前」、ということは1960年頃、かこさんの学位論文の下書きの裏に(!)黒と黄の二色で走り書きした紙芝居なのだそうです。当時、それを子ども会で見せることになったのですが、かこさんとしては、時間があまりなかったがゆえにデッサンも構図もいいかげんで乱暴な絵を見せることを残念に思っていました。ところが、その紙芝居は子どもたちに圧倒的に支持され、ことあるごとに何度も何度も見せることになったそうです。少し引用します。

何度となく、そのアンコールにこたえながら、わたしはかれらが表面上のきらびやかなケバケバしさや豪華さにひかれるのではなく、もりこまれた内容の高いおもしろさを求めているのだということを、子どもたちに教えられたのです。

 絵本であれ何であれ、子どもにとって「質の高さ」の意味を考えさせられる気がします。それは大人の評価とは異なるかもしれないし、たとえ大人が眉をひそめるようなものであっても、実はそこにすぐれた内容が潜んでいるかもしれない……。

 ただ、その一方で、表面上の刺激だけに惹かれることもあるかと思います。いずれにしても、「質」というものをあまり単純に捉えてはいけないと言えるかもしれません。

 そんな難しいことはともかく、確かなのはこの絵本のおもしろさ。おすすめです。

▼かこさとし『どろぼうがっこう』偕成社、1973年、[カバー/表紙デザイン:サム・プランニング]

五来徹『ティラノサウルス物語』

 タイトルの通り、恐竜のティラノサウルスを扱った絵本。ティラノサウルスというと、恐竜のなかでも、もっともどう猛、凶暴というイメージが強いかと思います。映画や小説でも、どちらかといえば悪役が多いですね。

 この絵本がおもしろいのは、そのティラノサウルスの家族を描いていること。物語のはじまりは、ティラノサウルスの夫婦が巣のなかの卵を守っている場面です。やがて卵から赤ちゃんがかえり、そのうちの一匹の男の子、「ティラン」が主人公。お父さんティラノサウルスやお母さんティラノサウルスが子どもたちのために狩りをしたり、「ティラン」たちが少しずつ狩りの仕方を覚え自立していく様子が描かれていきます。そして、「ティラン」は、メスのティラノサウルスと出会い、やがて自分たちの家族を作っていくという物語。

 全体を通じて、ティラノサウルスのいわば家族愛がモチーフになっており、なかなか新鮮です。冒頭ページの説明によると、ティラノサウルスは、家族で生活した跡も見られ、現在のライオンのような生態系を持っていたと考えられるそうです。なるほどなあ。

 絵は変に擬人化することなく、非常にリアル。ティラノサウルスが家族でたたずんでいる画面は、本当にアフリカのライオンの家族を見ているよう。なんだか微笑ましい感じです。

▼五来徹『ティラノサウルス物語』新風舎、2003年、[編集:鬼沢幸江、デザイン:大竹美由紀]

舟崎克彦/飯野和好『にんじゃ にんじゅろう』

 この絵本は、舟崎克彦さんと飯野和好さんが組んだ忍者もの。主人公は忍者の家の一人息子、「くろくも にんじゅろう」です。「ねずぼうずのあさたろう」シリーズや「くろずみ小太郎」シリーズなど、飯野さんの他の時代劇絵本とは異なり、今回はふつう(?)の人間が主人公。

 「にんじゅろう」は忍者学校に通いながら、跡取り息子として、いつも「父上」や「母上」から尻を叩かれています。そんなある日の学校からの帰り道、あやしい気配を背後に感じた「にんじゅろう」は、急いで帰宅したのですが、どうも様子がおかしい。戸には鍵がかかっておらず、ロウソク一つ灯っていません。しかも「父上、母上」と呼んでも返事が返ってこないのです。「さては拙者の忍術の腕前を確かめようと、どこかに隠れてスキをうかがっているに違いない」と思いついた「にんじゅろう」、家のなかを探りはじめるのですが、突然、うしろから羽交い締めにされ、手裏剣まで飛んできて……。

 さあ、窮地に陥った「にんじゅろう」がどうなったか。そして「父上」と「母上」はいったいどこに? ラストは、なるほどね、のどんでん返しです。

 この絵本、飯野さんが絵も文も手がけたものと比べると、だいぶ文章の量が多め。とはいえ、やはり時代劇ものですから、たとえば「せっしゃ」「~ござる」「ちょこざいな!」といった言葉遣いになっていて、なかなか楽しい。読むときも力が入ります。

 絵は、ほとんどが夜の場面であるため、どちらかといえば暗めの色づかいですね。それはスリリングな物語に合っていて、なんとなくあやしい雰囲気をかもし出しています。

 それにしても、「父上」「母上」と比べて「にんじゅろう」は大したもの。なにより顔つきが違いますね。ほっぺは、ぽっちゃりとして子どもっぽく、にきび(?)がたくさん浮かんでいるのですが、眉毛はキリリと太く、そして何事にも動じない落ち着いたまなざし。子ども忍者として、なかなかの格好良さです。

 ところで、この絵本では、巻末にいろいろと「おまけ」が付いていました。まずは「にんじゃ親子 夜なべ問答」。「父上」「母上」と「にんじゅろう」が囲炉裏に薪をくべながら、忍者の心得や忍び道具などについて会話を交わします。

 そして、一番ラストに付いているのが「にんじゃえまき」。表には

いきをととのえ、右にめくり、
しずかに、たてにひらくのじゃ。

という飯野さんの手書き文字が記してあります。折りたたんである紙を広げると、A2版の大きなスペースに、忍者の道具や装束、返送、さまざまな術から手裏剣の打ち方まで、飯野さんの鮮やかなイラストと説明がありました。これは、ポスターみたいに壁に貼っておけますね。楽しい趣向です。うちの子どもも、この絵巻にはだいぶ惹かれたようで、私と一緒に読んだとき以外にも、一人で何度も見ていました(^^;)。

 なんとなく思ったのですが、この絵本もシリーズになるのかな。このキャラクターと設定、まだまだ続きが作れそうな感じです。

▼舟崎克彦 作/飯野和好 絵『にんじゃ にんじゅろう』学習研究社、2004年、[編集:寺村もと子、編集協力:清水秀子]

中学生による手作り絵本の読み聞かせ

 先日の記事で高校生による読み聞かせを取り上げたのですが、今度は、中学生による読み聞かせです。『中日新聞』2005年1月21日の記事「浜松・蜆塚中生らが 幼稚園で手作りの絵本を読み聞かせ」。少し引用します。

浜松市蜆塚中学校の三年生約七十人が二十日、近くの浜松海の星幼稚園を訪れ、手作りの絵本を園児たちに読み聞かせた。家庭科の幼児の遊びについて学ぶ授業の一環で、一人一冊ずつ作製した。

 検索したら、浜松市立蜆塚中学校のサイトもありました。サイトのなかでは、今回の取り組みについて説明は見つかりませんでした。

 最近の家庭科ではこういう授業もおこなわれているんですね。手作り絵本というところがまたすごい。

 2作ほど絵本の内容も紹介されています。それを見る限りでは「しつけ絵本」の類が多いのかも。とはいえ、園児たちへの呼びかけや、やりとりも作り込まれ、工夫されているようです。

 最後に中学生の感想の声も掲載されていました。「楽しんでもらえるように、反応を見ながら読みました」とのこと。うーむ、なかなか。

 私は自分の子どもと一緒に絵本を読むだけですが、けっこう、子どもの反応を忘れがちです。どうしても文字に集中してしまいますし、隣にいる子どもの様子をいつも、きちんと見ているとは、とても言えません。

 集団での読み聞かせなら、なおさら緊張してしまい、まわりが見えなくなるかも。これに対し、この記事の中学生のみなさんは、たいしたものです。

 見知らぬ異年齢の相手のことを考えて絵本を手作りし、相手の反応を見ながらそれを読み聞かせする……こういう活動は、あるいは、コミュニケーションの力を育成するのに効果があるのかもしれないなと思いました。

 しかしまあ、ことさら教育的な効果をねらうよりは、その場をともに楽しむことが重要なんでしょうね。

ルース・スタイルス・ガネット/ルース・クリスマン・ガネット『エルマーとりゅう』

 「エルマー」シリーズの第2巻、読み終わりました。第1巻は危機また危機の冒険物語でしたが、今度は宝探し。「どうぶつ島」を脱出した「エルマー」と「りゅう」は家に帰る途中ひどい嵐にあい、小さな島に降り立ちます。そこは逃げたカナリヤたちが住んでいる「カナリヤ島」。「エルマー」は、カナリヤたちがかかっている「しりたがりのでんせんびょう」を直すという物語。

 この「しりたがりのびょうき」、ナンセンスでおかしいのですが、なんとなく分かるような。誰かが秘密にしていると、こちらも知りたくなってくる、そういう心理はたしかにあります。

 ところで、今回うちの家族の大疑問は「エルマーはみかんを食べ過ぎなんじゃないか?」。というのも、「エルマー」、たまにはキャンデーも食べていますが、ほとんど、みかんしか食べていません。しかも、一回に19個とか11個とか15個とか、ありえない数。数字がきちんと記録されているのも、なんだかおかしいのですが、それにしても、こんなにみかんばかり食べていて本当に大丈夫なんだろうかと、要らぬ心配をしてしまいます(^^;)。

 うちの子ども曰く「そうだよねえ。みかんばかり食べていると、おしっこが出るよねえ。あ、でも、エルマー、おしっこも、うんこも、してないね。なんでだろう」。うーん、鋭い! というか、まあ、「エルマー」がおしっこやうんこをしている場面を読みたいかって感じですね。

 いや、きたない話でスミマセン。

▼ルース・スタイルス・ガネット 作/ルース・クリスマン・ガネット 絵/渡辺茂男 訳/子どもの本研究会 編集『エルマーとりゅう』福音館書店、1964年