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かこさとし『どろぼうがっこう』

 これはおもしろい! タイトルのとおり、泥棒学校の先生と生徒のお話。表紙と裏表紙、とびらの絵は時代劇風ですが、中身は現代です。

 なによりおかしいのは、泥棒と学校の取り合わせ。ふつうの学校でおこなわれていることが、泥棒学校ではすべて泥棒の育成に関係付けられています。

 たとえば校長先生の「くまさか とらえもん せんせい」は物語の冒頭で生徒たちにこう言います。

おっほん、
どろぼうがっこうの せいとは、
いっしょうけんめい せいだして、
はやく いちばん わるい
どろぼうに なるよう、うんと
べんきょうしなければ いかんぞ。

 一生懸命がんばって一番悪い泥棒になれ! 実に教育熱心な学校です(^^;)。同様にして、宿題も遠足もなにもかも、泥棒学校ならではのもの。

 とくに笑ったのが遠足のやりとり。「お菓子を持っていっていいんですか」とたずねる生徒に、校長先生はこう言います。

ばかもん! どろぼうがっこうの えんそくに
おかしを もっていくやつが あるか。
ねじまわしと でばぼうちょうを
もってきなさい。

 うーむ、徹底しています。いや、学校という清く正しくあるべき空間が、泥棒という反社会的なおこないにささげられている……。この価値の転倒がなんとも痛快。

 なんだか、こんなふうに紹介すると、とてつもなく非道徳的な絵本に思われるかもしれませんが、ラストはちゃんと落ち着くところに落ち着いています。

 というか、道徳的かどうかなんて、この絵本のユニークで楽しい描写の前には無意味ですね。登場人物は、泥棒学校の先生と生徒ですから、もちろんワル。「生徒」とはいっても子どもではなく、みんな悪そうな顔つきのおっさんです。目つきは変だし顔に切り傷はあるし、ヒゲはぼさぼさで、服装も実にあやしい。でも、みな、どこか抜けていて、恐いというよりコミカルなんですね。うちの子どもも、だいぶ受けていました。

 で、一番おかしいのが校長先生の「くまさか とらえもん せんせい」。この先生だけ、なぜか時代劇の大泥棒、石川五右衛門のような格好。なにかというと眼をぎょろりとむいて歌舞伎のような決めのポーズを取っています。なんとも、おかしい。

 あ、そういえば、この泥棒学校の先生は校長先生一人だけ。教室もたぶん一つだけなんじゃないかな。小さな学校です。個人運営の私塾みたいな感じかも(^^;)。

 絵は部分的に活字がコラージュされたり、紙が切り貼りされたところがあり、おもしろいです。あと、墨書きのような黒く太い輪郭線がなんとなく和風な印象。表紙と裏表紙の見返しは、「ぬきあし さしあし しのびあし」ですね。これも楽しいです。

 かこさとしさんの「あとがき」によると、この絵本の原作は「13年前」、ということは1960年頃、かこさんの学位論文の下書きの裏に(!)黒と黄の二色で走り書きした紙芝居なのだそうです。当時、それを子ども会で見せることになったのですが、かこさんとしては、時間があまりなかったがゆえにデッサンも構図もいいかげんで乱暴な絵を見せることを残念に思っていました。ところが、その紙芝居は子どもたちに圧倒的に支持され、ことあるごとに何度も何度も見せることになったそうです。少し引用します。

何度となく、そのアンコールにこたえながら、わたしはかれらが表面上のきらびやかなケバケバしさや豪華さにひかれるのではなく、もりこまれた内容の高いおもしろさを求めているのだということを、子どもたちに教えられたのです。

 絵本であれ何であれ、子どもにとって「質の高さ」の意味を考えさせられる気がします。それは大人の評価とは異なるかもしれないし、たとえ大人が眉をひそめるようなものであっても、実はそこにすぐれた内容が潜んでいるかもしれない……。

 ただ、その一方で、表面上の刺激だけに惹かれることもあるかと思います。いずれにしても、「質」というものをあまり単純に捉えてはいけないと言えるかもしれません。

 そんな難しいことはともかく、確かなのはこの絵本のおもしろさ。おすすめです。

▼かこさとし『どろぼうがっこう』偕成社、1973年、[カバー/表紙デザイン:サム・プランニング]