月別アーカイブ: 2005年3月

お父さんのための書店の絵本コーナー

 クリップしている記事、パパ絵本読んで! 書店に特設売り場 職場へ配達 : 出版トピック : 本よみうり堂 : Yomiuri On-Line (読売新聞)。お父さんと絵本を結びつける取り組み、かなり広がっているようです。リードを引用します。

父親が子どもと絵本を読む機会を増やしてもらおうと、書店や父親グループが様々な取り組みを行っている。

 本文で取り上げられているのは、ご存じ、絵本ナビ パパ’s絵本プロジェクト。そして、全国に約150店舗ある未来屋書店での取り組みです。

 未来屋書店では、先日出版された「パパ’s絵本プロジェクト」の『絵本であそぼ!』(小学館)で紹介されている絵本、70~80冊をセレクト。書店の中央の目立つ場所に、父親向けの絵本コーナーを設置したそうです。掲載されている写真を見ると、表紙を前に出して絵本がずらっと並べられています。これは、すごい! 店舗の担当者の方のお話も載っていましたが、「このコーナーを設けたことで、会社帰りにスーツ姿で絵本を買っていく男性も増えた」とのこと。

 「パパ’s絵本プロジェクト」関連だと、メンバーで絵本ナビ事務局の金柿秀幸さんが編集された『幸せの絵本』についても、リブロ池袋本店や東京・浜松町のブックストア談でフェアが開催されている(された)そうです。金柿さんのウェブログ、Making of 『幸せの絵本』に記事が書かれていました。

 お父さんと絵本を結びつける取り組み、個々の書店に徐々に浸透していることが分かります。お父さんにとって、絵本がどんどん身近になっていることの表れとも言えそうです。

 また、こういう取り組みは、書店にとって、たぶんメリットがあるんじゃないかなと思いました。少々うがった見方かもしれませんが、話題になりますし、なにより新しい購買者を発掘できますよね。

 上記の記事では、お父さんの職場に定期的に絵本を届ける、絵本ナビのサービス、絵本ナビ 絵本クラブも紹介されていました。現在、60人ほどが利用しているそうです。

 子どもと一緒に絵本を読むことの楽しさ・おもしろさ、これは一度知ってしまうと、もう病みつきです(^^;)。そのうち、お父さんが子どもと一緒に絵本を読むことは、別に特別なことではなく、当たり前のことになるんじゃないかな。

TULLY’S COFFEE(タリーズコーヒー)の「タリーズ・ピクチャーブックアワード」

 先日、タリーズコーヒーに偶然たちよったときのこと。カウンターの前に見慣れない絵本が数冊、並んでいるのです。なんだろうと思い、店員さんに聞いてみたところ、「タリーズ・ピクチャーブックアワード 2004」の受賞作とのこと。説明の載っている「TULLY’S TIMES」をもらって帰りました。

 それによると、このプロジェクトは、タリーズコーヒーの経営理念の一つである「子どもたち青少年の育成を促すために、地域社会に貢献する」に基づいてはじまったそうです。「絵本を通じて若手アーティストを発掘・育成し、またその絵本を読む子どもたちへ夢や希望を与えたい」というのがプロジェクトの主旨で、2003年が第一回、2004年は二回目の開催。

 TULLY’S COFFEE のサイトを検索してみると、次のページが見つかりました。

 上記のページによると、応募資格は「プロアマ・国籍・職業については不問。年齢35歳未満」。つまり、若手の発掘ということです。このアワードから、将来の絵本作家が生まれるかもしれませんね。

 あと、審査・選考は、タリーズコーヒーの来客者約300人と保育園の園児約100人によっておこなわれたそうです。絵本の専門家による審査ではなく、一般の方や子どもたちが審査するというのは、なかなかおもしろいですね。この手の公募としては珍しいかもしれません。

 受賞作はタリーズコーヒーの店舗で販売されるほか、上記のオンラインショップでも購入できるようです。ただ、2004年の入賞5作品は、現在すべて品切れ入荷待ちの状態。かなりの人気です。上記のオンラインショップでは「作者から子どもたちへのメッセージ」も読むことができます。

 絵本の売り上げの一部は、NGO 子どもたちのための国際援助団体:セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンに寄付するそうです。サイトをのぞいてみると、タリーズコーヒーも協賛企業の一つに挙がっていました。

 また、「TULLY’S TIMES」に載っていたのですが、タリーズコーヒーでは、絵本やおもちゃなどを用意したキッズコーナーを設置した店舗があるそうです。首都圏を中心に2005年3月現在で12店舗とのこと。アワードの受賞作品はこのキッズコーナーにも並べられるそうです。

 以上の取り組み、企業のいわゆる社会貢献活動の一つと言えます。絵本に焦点を当てたメセナは割と珍しい気がしますが、どうなんでしょう。そのうち時間があったら調べてみたいです。

 なんとなく思ったのですが、こういったメセナが行われるようになったのも、近年の絵本ブームが一つの契機になっているのかな。絵本作家を目指す人たちがそれなりに厚みのある層をなしており、また絵本を受容する側もより関心が高まり、しかも幅が広がっていること。絵本をめぐるこうした社会状況の変化を背景にして、一般企業がメセナの対象に絵本を加えるようになったのかもと考えました。

 でもまあ、もう少し調べてみないと分かりませんね。いいかげんなことは言えません(^^;)。

 それはともかく、2004年の受賞作のラインナップでは、最優秀作品賞を受賞した池内梢さんの『プンクトとことりたち』のほか、西村博子さんの『ここだよ!』と見杉宗則さんの『どうぶつむらのうんどうかい』がおもしろそう。次の機会があったら、タリーズコーヒーで読んでみたいです。

飯野和好『くろずみ小太郎旅日記 その5 吸血たがめ婆の恐怖の巻』

 「ねぎぼうずのあさたろう」と並んで、飯野和好さんのもう一つの時代劇絵本シリーズが「くろずみ小太郎旅日記」。この絵本は、シリーズ第5作目です。

 主人公は、忍術を修行して一人旅に出ている「くろずみ小太郎」。今回「小太郎」は琵琶湖を訪れます。そこで遭遇するのが「もののけ」の「吸血たがめ婆」。あっと驚く忍術で「小太郎」は「たがめ婆」と対決します。

 うーん、おもしろい! このシリーズも、うちではずっと読んできて、毎回楽しんでいます。「冒険活劇絵本」と銘打たれているのですが、まさにその通り。恐ろしい「もののけ」が登場して「小太郎」と激しい戦いを繰り広げるという、非常にシンプルなストーリー。血湧き肉踊る、大興奮の物語です。

 そして、なにより絵がすごい。見開き2ページをいっぱいに使い、圧倒的な迫力。画面の構図や色遣いなど、ページをめくったときのインパクトの強さは飯野さんならではと思います。今回、うちの子どもは「たがめ婆」が正体を現すシーンに「ウワーッ!」と大受けしていました。

 また、「たがめ婆」との対決で「小太郎」が繰り出す個性あふれる忍術も実におかしい。そんなバカなと、へなへな脱力してしまう感じです。読んでいると絵の迫力にぐいぐいのまれてしまうのですが(^^;)、そもそも設定が妙なんですね。うちの子どもも「くろずみ小太郎は炭だから、血なんかないよ!」と突っ込みを入れていました。しかし、このナンセンス具合が楽しいのです。

 あと、今回は舞台が湖ということもあって、水音の描写がとても印象的。前半の静かでサスペンスフルな展開を際立たせていると思いました。

 ところで、あらためて考えてみると、「ねぎぼうずのあさたろう」シリーズと「くろずみ小太郎」シリーズは、同じ時代劇絵本とはいっても、かなり対照的。「あさたろう」シリーズは、筋の通ったまっすぐな男の子の物語。清く正しいと言っていいかもしれません。

 これに対し、「小太郎」シリーズは、いわばエログロナンセンス。いや、もちろん子どもが読んでまったく問題ない内容です。でも、ナンセンスはもちろんですが、そこはかとなくグロい部分やセクシュアルな部分が見え隠れしているように思えるのです。

 また、「あさたろう」シリーズでは、人間関係の綾や情緒が割と描き込まれていると思うのですが、「小太郎」シリーズは、そんなものはおかまいなしの活劇に次ぐ活劇。

 この違いは、両者が下敷きにしているものの違いなのかなと思います。つまり、「あさたろう」シリーズは浪曲で、「小太郎」シリーズは講談です。ちょっと単純化しすぎかもしれませんが、従来からの物語りの二つの形式を、その性格をふまえて二つの時代劇絵本シリーズに血肉化したのかなと考えました。

 それはともかく、巻末のあとがきには、今回の絵本を着想した最初のきっかけが語られています。二つのテレビ番組がもとになったとのこと。なかなか興味深い、というか、おもしろいです。

 あと、シリーズ全体を紹介したカードが挟み込まれていたのですが、そこには「小太郎」のキャラクターや発想の背景について飯野さんご自身による説明が載っていました。驚いたことに「小太郎」はなんと17歳(!)なんだそうです。うーむ、そうだったのか! いや、もっと年齢が上と思っていました(^^;)。

 ともあれ、この絵本、もちろん(!)、おすすめです。

▼飯野和好『くろずみ小太郎旅日記 その5 吸血たがめ婆の恐怖の巻』クレヨンハウス、2005年(初出:『月刊クーヨン』2005年1月号 別冊付録)

稲垣吾郎さんによる絵本の朗読:フジテレビ「忘文」

 ネットをさまよっていて偶然、知ったのが、フジテレビの番組「忘文」(わすれぶみ)。日曜は 早起きがオトク : エンタメ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)という記事に紹介が載っていました。日曜日の早朝、午前5時45分から放映されている15分番組。ウェブサイトは忘文です。

 SMAPの稲垣吾郎さんが一般公募した手紙と絵本を1冊、朗読するという内容。「忘文」という名前は、中国の故事「忘草(わすれぐさ)」に由来し、「それを読むと日頃の憂いを忘れさせてくれる文」ということだそうです。手紙は、家族や友人に宛てたもので、その相手を前にして稲垣さんが読むとのこと。

 そして絵本。サイトには、2003年10月にスタートしたときからのバックナンバーが掲載されているのですが、当初は文学作品などのいわゆる「名文」を朗読していたようです。で、それが絵本に変わるのは、総集編をはさんで2004年の10月辺りから。そのラインナップをみると、佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』、ガース・ウイリアムズさんの『しろいうさぎとくろいうさぎ』、トミー・アンゲラーさんの『すてきな三にんぐみ』、レオ=レオニさんの『スイミー』といった名作が多いようです。でも、最新の3月13日は島田ゆかさんの『かばんうりのガラゴ』。

 どんなふうに読んでいるのかなあ。一度見てみたいです。稲垣さんの声は、割と落ち着いていると思うので、けっこう絵本の朗読に合うかもしれませんね。

 あと、撮影は公園など野外でおこなわれているそうです。緑のなかで日差しを浴びながら絵本を朗読する……。うーん、なんか、いいですねー。15分という短い番組ですが、日曜の朝にぴったり。

 あ、そうだ! うちの子どもに絵本を読むときも、たまに外で読むとよいかも。図書館や家のなかで読むのとは違い、もっと開放的で気持ちいいような気がします。

 もう少し暖かくなったら、一度、試してみたいですね。でもまあ、少し恥ずかしいかな(^^;)。

アンソニー・ブラウン『こしぬけウィリー』

 主人公「ウィリー」はとても弱虫。まちのチンピラたちに「こしぬけウィリー」と呼ばれています。なぜなら、自分がまったく悪くなくても、自分が殴られていても、「すみません、ごめんなさい!」と謝ってしまうのです。そんな「ウィリー」が一念発起、「こしぬけ」におさらばしようと体を鍛えていく物語。

 「ウィリー」のこの大変身が見物。最初のページには、自信なくオドオドした表情、体も細く小さく、猫背でポケットに手を突っ込み、足取り重く歩く「ウィリー」が描かれています。それが、ジョギングにエアロビクスにボクシング、ボディービルにウエイトリフティングとトレーニングを続けるうちに、まったくの別人に変わっていきます。活力あふれる精悍な顔つき、大きく力強い体、背はしゃきっとし、胸をはって颯爽と歩く「ウィリー」。

 うちの子どもは、「ウィリー」が筋肉ムキムキになって鏡に自分の体を映している画面に大受けしていました。いやはや、なんともすごい筋肉。

 そして、まちに出た「ウィリー」は、チンピラたちにからまれていた女の子「ミリー」を救い、「ミリー」の愛まで勝ち取るのですが、そのあと、どうなったか。このラストには、うちの子どももびっくりしていました。「えっ! 元に戻ってる!」。まあ、外見が変わっても、中身は同じということでしょうか。なかなかユーモラスなオチです。

 でも、考えてみると、このラストは、なんだか安心できます。筋肉ムキムキになっても、心優しき「ウィリー」のまま。いや、その方が「ミリー」にも、もてるんじゃないかな(^^;)。

 それはともかく、この絵本のキャラクターはすべてゴリラ。絵は非常にリアリスティックで、毛の一本一本まで描き込まれており、これはもうゴリラ以外のなにものでもないです。ところが、それが人間以上に人間らしいんですね。服を着て人間のような生活をしているのですが、たとえば「ウィリー」の表情の変化を見ても、なんとも人間らしく、ゴリラであることを忘れてしまいます。いや、逆にゴリラであるからこそ、人間的なものがよりはっきり現れてくるのかも。

 あるいは、このリアリスティックな描写で人間の男の子が主人公として描かれていたら、どうだったか。絵本としてちょっと成り立たないかもしれませんね。「ウィリー」がチンピラにからまれている場面はもっと深刻になりそうですし、筋肉ムキムキになっていくところのおかしさも半減する気がします。ゴリラであることが、ファンタジーを可能にしていると言えるかもしれません。

 うーむ、なんだか難しくなってきましたが、絵のリアルな部分とファンタジーな部分の独特の結合が、この絵本のおもしろさかなと思いました。

 読み終わったあとで、うちの子どもは「ぼくは、こんなにムキムキになるのはイヤだなあ。だって、恥ずかしいから」なんて言っていました。たしかにねえ(^^;)。

 原書”Willy the Wimp”の刊行は1984年。この絵本、おすすめです。

▼アンソニー・ブラウン/久山太市 訳『こしぬけウィリー』評論社、2000年

アーサー・ガイサート『銅版画家の仕事場』

 「ぼく」の「おじいさん」は銅版画家。年に一度のスタジオセールには「ぼく」も仕事場に呼ばれ、準備を手伝います。「ぼく」の一番の役割は、刷り上がった版画に色を塗ること。この絵本は、そんな「おじいさん」と「ぼく」の銅版画制作を他ならぬ銅版画によって描いています。

 ガイサートさんの銅版画はたいへん美しく、とくに「ぼく」が絵のなかに入り込んでいるところはダイナミックで鮮やかな彩色。海の底やジャングルの描写には、うちの子どもも惹かれていました。

 また、「おじいさん」と「ぼく」が一緒に作品を制作していく過程からは、二人の間の静かで、しかし深いきずなが感じ取れるようです。準備が終わって、仕事場のすみの床に二人ですわり話している画面が、なんとも印象的。

 ところで、献辞には次のように記されていました。

わたしの父とその父と彼らの仕事場(ガレージ)に捧げる

 たぶん、作者のガイサートさんのお父さんもお祖父さんも銅版画家なんですね。だから、この絵本に描かれているのは、ガイサートさんが少年だった頃にまさに体験されたことなんじゃないかなと思います。自伝的絵本と言っていいかもしれません。

 と同時に、そこで描写されている制作過程は、おそらく、ガイサートさんが現在おこなっているものとそれほど変わりないでしょう。巻末のあとがき(?)にも同趣旨のことが書かれていました。その意味では、銅版画家という自分の仕事を描いた絵本と言えるかもしれません。

 というか、父から子へ、子から孫へ、人が変わってもずっと受け継がれてきた銅版画のまさに「仕事場」こそが、真の主人公かな。つまり、そういう一つの空間と、そこで伝えられてきた技芸です。そして、この絵本それ自体、銅版画の「仕事場」と技芸から生まれた、ほかならぬ銅版画なんですね。

 そういえば、私も高校のとき美術の時間に銅版画をやった記憶があります。そのときは版画だけで彩色はしなかったのですが、酸が銅を溶かすという化学的プロセスが作品の生成に組み込まれている点に、なんとも不思議な印象を抱きました。いわば化学の実験から一つの美が生み出されていく、そのおもしろさです。

 あらためて考えてみれば、銅版画家の仕事場は、見ようによっては何かのラボのようにも見えてきます。各種の化学薬品やバッドがならび、いろいろな道具、プレス機やウォーマーなどの大きな機械も置かれています。制作の過程では、インクの匂いのみならず、おそらく、さまざまな薬品の匂いも満ちているでしょう。

 と同時に、このラボは、職人的な手作業の積み重ねの場でもあるわけです。銅版を磨いたり、エッチングニードルで引っ掻いたり、インクをのばしたり拭き取ったり、仕上げの彩色に至るまで、まさに手を動かして進められています。

 そして、銅を溶かすというもっとも重要なプロセスが、人間の手をある程度離れた化学的変化に任されているということ。そこには、あらかじめ計算し切れない偶然とスリルとダイナミズムがあると言っていいのかもしれません。

それから銅版を酸につける。どのぐらいの時間つけておくかがとても難しい。
長年やっているおじいさんでも、ちょっとハラハラする。ぼくもいっしょにドキドキする。

 この絵本、巻末には「仕事場」の全体が描かれ、一つ一つの道具の名称も記されています。また、銅版画が出来上がるまでのプロセスについても、まさに銅版画で詳しく説明が載っていました。専門的な用語がいろいろ出てきますが、カバーの久美沙織さんの説明によると、この絵本の翻訳にあたっては、銅版画家の佐藤恵美さんにご協力いただいたそうです。

 うちの子どもには途中でいろいろ補足しながら読んでいきました。「銅版画、やってみたいなあ」とうちの子ども。うん、そうだよねえ。

 原書”The Etcher’s Studio”の刊行は1997年。この絵本、おすすめです。

▼アーサー・ガイサート/久美沙織 訳『銅版画家の仕事場』BL出版、2004年、[協力:佐藤恵美]