月別アーカイブ: 2004年1月

にしかわおさむ『おとうさんとさんぽ』

 子どもとの散歩、私は大好きです。子どもと手をつないてゆっくり散歩していると、いろんな「発見」があります。子どもが日ごろ感じていることや考えていることをあらためて聞いたり、いつもは足早に通り過ぎるだけの道も新鮮に感じます。そういえば子どもの手が大きくなったなあ(でもまだ小さいなあ)なんてことも、一つの「発見」です。あるいはまた、まだ通ったことのない道を歩いていくのも、子どもにとっては「冒険」で、自分にとっても楽しいです。

 そんな発見と冒険の「さんぽ」を描いたのが、この絵本です。

「とてもいい てんきだね。
もりへ さんぽに いってみよう」

という「おとうさん」の誘いに「ぼく」はキャラメルを持って散歩に出かけます。

「おとうさん、ぼくと さんぽ たのしい?」
「たのしいよ、きょうは もりの むこうまで いってみよう」

 二人で手をつないで森を歩いていくと、犬やスカンクや熊が通せんぼしていて、それを「おとうさん」と「ぼく」とで工夫して解決していきます。森を抜けると、そこは海。二人でお昼寝です。

 この絵本のおもしろい点は、「おとうさん」と「ぼく」との関係の描写です。

 たとえば大きな犬が通せんぼするところでは、「ぼく」は恐くて「おとうさん」のうしろに隠れてズボンにつかまっています。で、「おとうさん」の機転でそこを抜けると、こんな会話。

「おとうさん、いぬ こわくなかった?」
「ううん、ちっとも」
「ぼくも!」

 お父さんといっしょで安心していて、でも強がる子どもの気持ちがよく表れているように思います。

 それから、熊が大きなホットケーキを焼いて「食べていかないと、この道、通っちゃだめ!」と通せんぼする場面(ここでも「ぼく」は「おとうさん」のズボンをぎゅっとつかんでいます)では、「おとうさん」は自分が食べるつもりで困っていて、「ぼく」がホットケーキが大好きということを知らないのです。自分の子どもの大好物を実は知らないなんてところも、現役のお父さんは実感できるんじゃないかなと思います。

 絵は、色鉛筆やクレヨンなどを使い、それもあまり多くを描き込むのではなく、軽いタッチで白味の多い紙面になっています。それがまた、楽しい散歩の雰囲気をよく伝えていると思います。「おとうさん」のりっぱなおひげもユーモラス。

 奥付のページには、眠った「ぼく」を「おとうさん」がおんぶして帰っていく様子が背後からモノクロで描かれています。楽しかった散歩の余韻にひたって「おとうさん」におんぶされる「ぼく」とそれを背中に感じてゆっくり歩く「おとうさん」。そして、それは、この絵本の表紙の絵にそのままつながっています。この紙面のつくりもおもしろいと思います。

▼にしかわおさむ『おとうさんとさんぽ』教育画劇、1989年

絵本をさがす:図書館

 昨日は週に一度の図書館の日。毎週、土曜日か日曜日、二つの公立図書館に交互に行ってます。子どもも自分の図書館カードを作り、絵本を借ります。二つの図書館から借りた絵本が約15冊、うちではいつも枕元に置いてあります。

 で、自宅で買って持っている絵本と合わせて、毎晩、読み聞かせ。まず、夜の歯みがきの前に1冊。うちでは絵本を1冊読まないと歯みがきになりません。いつのまにか、そんな決まりになってしまいました(実はこれがウェブログの名前の由来)。そして、歯みがきが終わってふとんに入ってから、さらに3冊。なぜ3冊かという理由はとくになく、いつのまにかそんなふうになりました。3冊読んでもまだ眠くないときは1冊追加することも、たまにあります。

 というわけで、寝る前に読み聞かせする絵本は、たいてい4冊、ときに5冊。これが1年365日ほぼ毎日ですから、単純計算で4冊×365日=1,460冊! もちろん、違う絵本を読んでいるのではなく、同じ絵本を何度も繰り返し読むわけですが、それにしても、うーむ、あらためて計算してみるとすごい数だ。子どもが大きくなっていつか絵本の読み聞かせも終わるでしょうが、「これ、読んで!」と言われている間は続けていきたいと思っています。

 ともあれ、やはり絵本は買うとなるとかなり値段がするので、本当に図書館の絵本コーナーにはお世話になってます。

 それで、毎週、図書館に通ううちに覚えた、図書館で絵本をさがすときの小技を2つ(といっても当たり前のものですが……)。

 一つは、返却されたばかりの棚のチェック。誰かが借りた絵本ですから、それなりに選ばれる理由のある絵本が並んでいると言えます。たしかに、まあ、趣味に合わない絵本ばかりのこともあるのですが、人気のある絵本をいち早く入手できたりするので、まずはチェックです。

 もう一つ、閉架の絵本がねらい目。図書館によって違うと思いますが、私たちが通っている図書館では、開架で表に出ている絵本はごく一部で、閉架の倉庫にたくさん絵本が眠っています。開架になくても、コンピュータで検索してみると、閉架にはあったりします。また、人気のある絵本でも図書館で複数冊購入して、開架に1冊、閉架に2、3冊所蔵されていることもあります。ですので、図書館で絵本をさがすときは、開架にないからといってあきらめず、閉架も検索してみるのがおすすめです。最近だと、インターネット経由で蔵書検索や貸し出し予約ができる図書館も増えているので、閉架の絵本もさがしやすくなってきました。

 とはいえ、端末を操作するのではなく、絵本コーナーでじっさいに手にとって絵本をあれこれさがすのは、それ自体、楽しいものです。書棚のまわりをうろうろしながら、好きな絵本作家の未知の絵本を見つけたり、ぱらぱら立ち読みして新しい絵本を発見したり……。なんと言ったらいいか、何かはっきりした目的があって本をさがすのではなく、子どものころに自分で図書館に行きはじめたときのあの感覚です。

 でもまあ、子ども連れとはいえ、いい歳をしたおじさんが、図書館の絵本コーナーで「おおっ!」とか「これはすごい!」とかつぶやいているのは、我ながらけっこう不気味ですね(笑)。

ユリー・シュルヴィッツ『よあけ』

 山すその湖に訪れる夜明け。繊細な水彩画のタッチに読み聞かせの声も静かになる、そんな絵本です。

 この絵本の魅力はなによりも、夜明けに至る色と光の美しさです。深く静かな夜の様子、うっすらと夜が明けて風景が少しずつ色づいていく様子が、ゆっくりと描かれていきます。くろぐろとした山々、月に青く照らされた湖面、それらが夜明けが近づきだんだんと色を変えていく。その色と光の変化の静謐さ。

 また、紙面構成も工夫されていると思います。夜明けの移り変わりは、四角いページの真ん中に丸く描き出されます。まわりの紙面は白いまま。そして、ついに湖に朝の光が差しこみ「やまとみずうみがみどりになった」ところだけ、2ページすべての紙面を丸ごと使って描写されます。しかも、その数ページ前から、(たとえば映画でカメラが引いていくかのように)湖のほとりにいるおじいさんと孫や湖の上のボートからだんだんと視点を引いていき、山々と湖が一気に緑に染まる様子を広く遠く見せるのです。この紙面構成と色彩の効果にはため息が出ます。

 夜明けの風景のなかに登場する人間は、おじいさんとその孫の2人だけ。父と子じゃなくて、祖父と孫。この取り合わせがまたよい感じです。少し距離があるけどだから逆に居心地のいい関係かなと思います。その2人が湖のほとりの木の下で夜をすごし、夜明けを前にボートでこぎ出していく。2人の会話はとくになくて、おじいさんは静かな笑みを浮かべています。

 そして、もう一つの魅力が訳文の美しさ。たとえば、

つきが いわにてり、
ときに このはをきらめかす。
やまが くろぐろと しずもる。
うごくものがない。

おーるのおと、しぶき、
みおをひいて……
そのとき
やまとみずうみが みどりになった。

 作者紹介によると、ユリー・シュルヴィッツさんは東洋の文芸・美術に造詣が深く、この絵本のモチーフは唐の詩人柳宗元の詩「漁翁」から取られたのだそうです。この訳文は、
「漁翁」の詩も念頭におきながら作られたんじゃないかなと思います。

 原書の刊行は1974年。

▼ユリー・シュルヴィッツ/瀬田貞二 訳『よあけ』福音館書店、1977年

すくすく子育て(NHK教育):絵本との出会い

 NHK教育で日曜の午後6時から放送されている「すくすく子育て」。番組のウェブサイトもあります。1月4日のテーマは「絵本との出会い」でした。テーマがテーマなので「これはちゃんと見たいな」と思い、ビデオに録画。ようやく見ることができました。

 今回は0歳児から赤ちゃんと絵本を楽しもうという主旨で、なかなかおもしろい内容だったのですが、「そんなこと言っていいのか?」と疑問に思うところもありました。

 とりあえず、役に立つ情報から……

 まず、私もはじめて知ったのですが、ブックスタートという取り組みが全国各地でおこなわれているそうです。これは0歳児健診のときに赤ちゃんと保護者に絵本を配布していく運動で、2003年12月現在で全国の計573の自治体がすでに実施しているとのこと。長野県茅野市では、出生届を提出するときに絵本を1冊プレゼントするといった取り組みもされているそうです。

 このブックスタート、もともとは1992年にイギリスのバーミンガムではじまり、2001年から日本でも本格的に取り組みがはじまったとのことです。ブックスタートをサポートする団体として、NPOブックスタート支援センターも2001年に設立されています。このNPOのウェブサイトに詳しい説明があります。

 それから、番組では、言葉がまだ分からない0歳児でも十分絵本を楽しめることがいろいろと説明されていました。読み聞かせのコツや、0歳児におすすめの絵本も紹介されていて、これは役立ちます。

 「すくすく子育て」のウェブサイトにも今回の内容の要約がありますが、おすすめ絵本については掲載されていないので、参考のため、以下に書誌情報を挙げておきます。

  • 神沢利子 文/柳生弦一郎 絵『たまごのあかちゃん』福音館書店、1993年、定価780円
  • 真砂秀朗『リズム』ミキハウス、1990年、定価(本体 826円+税)
  • 谷川俊太郎 作/元永定正 絵『もこ もこもこ』文研出版、1995年、定価(本体 1,243円+税)
  • 林明子『おつきさま こんばんは』福音館書店、1986年、定価735円
  • 中川ひろたか 文/100%Orange 絵『スプーンさん』ブロンズ新社、2003年、定価(本体 850円+税)
  • 中川ひろたか 文/100%Orange 絵『コップちゃん』ブロンズ新社、2003年、定価(本体 850円+税)

 0歳児のおすすめ絵本については、上記のNPOブックスタート支援センターのウェブサイトでもたくさん紹介されていました。

 で、私がこの番組で疑問に思ったことなのですが、「ママが読むとよい本」と「パパが読むとよい本」があると説明していたところです。どうやら声が高いが低いかで読み聞かせをしている赤ちゃんの反応が違うということで、「ママが読むとよい本=楽しい、メルヘンなど」「パパが読むとよい本=恐い、冒険など」とされています。これは、京都大学大学院助教授の正高信男さんの研究だそうで、ゲストの東京大学大学院助教授の秋田喜代美さんがそのように紹介していました。

 たしかに、赤ちゃんの発汗作用など科学的なデータの裏付けがあるようですが、でもなあ、なんかおかしくないですか? 問題になっているのは、声が高いか低いかであって、それは「ママ/パパ」とは関係ないんじゃないかなあ。女性にも声の低い人はいるし、男性にも声の高い人はいるわけで、それを「ママ/パパ」に簡単に割り振っていいんだろうか。男性だろうが女性だろうが、内容に応じて読み聞かせの声の表現を工夫すればいいだけでは? この図式、ちょっと問題ありと思います。

 もちろん、番組としては、「絵本が苦手なパパもぜひ絵本の読み聞かせをして下さいね」という主旨なんでしょうが、それを単純に「ママ/パパ」の役割分担につなげていいんでしょうか?

 男性だって「楽しい、メルヘンなど」の絵本を読んでいいし、女性だって「恐い、冒険など」の絵本を読んでいい。こんな窮屈で不自由な読み聞かせはしたくないし、自分の子どもにもそんなつまらないことを教えたくないので、私としては断固、上記の図式に反対です。絵本の読み聞かせって、もっと自由で楽しいものだと思うのですが……

槇ひろし/前川欣三『くいしんぼうのあおむしくん』

 「あおむし」で「くいしんぼう」というと、エリック=カールさんの『はらぺこあおむし』という非常に有名な絵本が思い浮かびます。この槇さんと前川さんの絵本は、『はらぺこあおむし』とはまったく性格が違う、でも間違いなく傑作です。

 ただ、この絵本、おそらく好き嫌いが分かれると思います。一般の絵本のイメージを打ち破った「ブラック」で寓話的なストーリー、黙示録的と言っていいような展開。これまでに私が読んだ絵本のなかで、もっとも印象が強烈だった一冊です。

 主人公の「まさおくん」は、帽子を食べている「そらと おなじいろをした へんなむし」を見つけます。

「わかったぞ。おまえは ぼうしを たべる わるい むしだろう」
「ごめんね。 ぼく……くいしんぼうの あおむしなの」

 この「あおむしくん」は、心底くいしんぼうで、なんでも食べてどんどん大きくなっていきます。しかも、いくら食べても、すぐにおなかがすいてしまいます。町じゅうのゴミを食べても満足できず、はては「まさおくん」の住んでいた町のすべて、パパもママも友達も、建物も緑も、文字通りなにもかも食べてしまいます。

「あのねえ、ぼくが みんな たべちゃったの」
「えっ! ぱぱや ままは どこ?」
「あのう……やっぱり ぼくが たべちゃった。
でも まさおくんだけは たべたなかったよ。
だって ぼくたち ともだちだもんね」
「なんだって! ばか ばか ひどいよう!」
[中略]
「ごめんね、ごめんね。
まさおくんが そんなに かなしむなんて
ぼく しらなかったの」

 旅に出た「あおむしくん」と「まさおくん」ですが、「あおむしくん」は、おなかがすくと本当にダメで、通った町のすべてを食べてしまいます。どんどん食べるからずんずん大きくなり、ずんずん大きくなるからどんどん食べ、あっちの国からこっちの国まで残らず食べてしまいます。そして、

もう なんにも ありません

 夕日に照らされた何にもない大地が地平線まで広がります。雲よりも高く巨大になった「あおむしくん」と豆粒のように小さな「まさおくん」だけがこの地上に残されてしまいます。

 そして、衝撃のラスト。驚天動地とはまさにこのことで、あまりのすごさに腰が抜けそうになります。これは、ぜひ、読んでみて下さい。裏表紙の「あおむしくん」にも注目。さらなる展開が待っています。

 ストーリーは「すごい!」の一言ですが、絵は、むしろユーモラス。何でも食べてしまうとはいっても、おそろしいシーンは全くありません。本当に親しみのある絵で、「あおむしくん」もとてもかわいく描かれています。

 そのかわいい「あおむしくん」がなさけない顔をして「ごめんね、ごめんね」と言いながら、すべてを食べ尽くしてしまう……。うーん、やっぱり、こわいかな。

 とはいえ、これほど強い印象を与える絵本もそうありません。ちょっと大げさですが、ある意味、絵本の表現の可能性を広げていると思います。

 この絵本は、最初、福音館書店の月刊絵本誌『こどものとも』に1975年に掲載されたそうですが、25年後の2000年に「こどものとも傑作集」としてはじめて単行本化されました。25年をへてはじめて単行本になるなんて、実はこの絵本、けっこうファンが多いのかなと思います。

▼槇ひろし 作/前川欣三 画『くいしんぼうのあおむしくん』福音館書店、2000年

荒井良二『はっぴいさん』

 当たり前ですが、絵本は、絵と文からできています。だから、文の何をどこまで絵にするかが、けっこう大事なんじゃないかと思います。逆に、文には書いてないことも絵によって伝えることができます。絵がメッセージになって、文の意味内容が変わってきたり、深まったりもすると思います。

 そんなことをあらためて考えたのが、この荒井良二さんの『はっぴいさん』を読んだときでした。

 困ったことや願い事をきいてくれるという「はっぴいさん」は、山の上の大きな石の上にときどき来るそうです。そこで、朝早くから「ぼく」と「わたし」の2人は、「はっぴいさん」に会いにそれぞれ別々に山を登っていきます。2人の願いというのは、「ぼくは、のろのろじゃなくなりたい」「わたしは、あわてなくなりたい」という小さな、でも本人にとっては切実な願いです。

はっぴいさん はっぴいさん
どうぞ ぼく/わたしの ねがいを きいてください
はっぴいさん!

 2人は、山のてっぺんで大きな石の上の端と端に座り、それぞれ「はっぴいさん」がやってくるのを待つのですが、待っても待っても「はっぴいさん」は来ません。そのうち、2人はそれぞれの願い事を打ち明けます。そして、「のろのろなのは何でも丁寧だからだよ」「あわてるのは何でもいっしょうけんめいだからだよ」とお互いに話すのです。

はっぴいさんは きませんでしたが
たいようを みているうちに ふたりは
なんだか はっぴいさんに あえたように おもいました

 この絵本で「すごい」と思ったのは、そのストーリーだけではありません。手文字の文のなかには何も書かれていませんし、荒井さんの絵はとても淡くカラフルなのですが、その背景の絵が強いメッセージを伝えています。

 「ぼく」と「わたし」が山登りに出発するまちは、破壊され荒廃している様子が描かれています。また、山の上で2人は「おおきな たいように むかって たくさん ねがいを 」言うのですが、その山のふもとでは戦車が何台も通り、家々は壊され、電柱は折れ曲がり、人びとが右往左往している様子が、大きな大きな黄色い太陽にてらされた遠い小さな風景として描かれています。そして、表紙と裏表紙の見返しには、荒涼とした景色が乱暴な鉛筆書きで広がっています。

 「ぼく」と「わたし」が「たくさん」願ったことが何だったのか、文章には何も書かれていません。でも、荒井さんの絵をみていると、「ぼくらのねがい」が何よりもはっきりと分かるような気がします。

 そして、それはまた、「はっぴいさん」が来なかった理由や、それでも2人が「はっぴいさん」に会えたように思ったことの意味を、もう一度あらためて考えさせるようにも思います。

 この絵本が刊行されたのが2003年の9月ということも、一つの意味をもっていると思います。

 絵だけではないし、文だけでもない。絵と文がいっしょになって、新しいメッセージを伝える。それが、この絵本の魅力と思います。

▼荒井良二『はっぴいさん』偕成社、2003年