月別アーカイブ: 2006年12月

竹内通雅さんの「私の生きる道程(みち)」

 BIGLOBEのサイト、BB-WAVEアサヒビールとの提携セクションの過去シリーズに、私の生きる道程(みち)というものがあります。「独自の生き方、夢を持った生き方、人とちょっと変わった生き方をしている人に、彼らの『人生』や『仕事』、『趣味』などについて語ってもらうコーナー」とのこと。このシリーズの第2回で竹内通雅さんが登場していることを偶然、知りました。たぶん3年くらい前のテキストと思います。

 アサヒビールが関係しているためか、お酒の話も出てきて、これはこれで面白かったのですが、絵本についていろいろ興味深い内容が記されています。

 まず、竹内さんが絵本作家としてデビューするに至るまでの経緯。まったく知らなかったのですが、竹内さんはもともと現代美術作家を志しておられ、その後、イラストレーターの仕事をされていたそうです。80年代、いわば売れっ子のイラストレーターとして活躍されたとのこと。バブルがはじけて仕事が激減し、そのあと、39歳のときにはじめての絵本を出版。思いもがけない経緯で絵本の世界に入られたことがうかがえます。

 また、絵本が作家と編集者との共同作業によって生まれることも示唆されていて、興味深い。たとえば『森のアパート』の一部には編集者のアイデアが生かされているそうです。少し引用します。

絵本って、企画から出版までに結構時間をかける。原案を持って行くと編集会議にかけられて、いろいろ直されたりして。直す個所によっては大元から考え直さなきゃという場合もあるしね。その絵本がストーリー性のあるものなのか、フラットな展開のものか、絵画集的なものなのかによっても作り方は違ってくるけど、緻密さがアナーキーの下に隠れているのが絵本なんだ。

 「緻密さがアナーキーの下に隠れている」というのは、なるほどなあと思いました。一見したところ思いのままに自由に描かれているように見えて、実は細部に至るまで考え抜かれた表現であること。そこには、作家のみならず、編集者のアイデアも反映されているし、おそらくは出版社のいろいろな意図も(よい意味でも悪い意味でも)入ってくると言えます。

 それから、絵本の可能性やこれからのことについて。面白いなと思ったのは「絵本の世界を紙の上から空間に広げる」という構想。竹内さんは変わらず現代美術への志向を持っておられ、絵本もまた「現代美術のフィルターを通して」作られているそうです。その延長線上で、「いままでやってきたことをみんな生かして自分のアート作品をつくりたい」とのこと。どんなものになるか、かなり興味をひかれます。もう一つ、竹内さん作曲の絵本のテーマソングも、ぜひ一度、聞いてみたいですね。

 あと、最後の一文が非常に印象的。子どもたちは小学生になると絵本よりテレビゲームの方が楽しくなってしまうことを指摘されたあとで、次のように語られています。

でも絵本の記憶って、頭のどこかに必ず刷り込まれてる。普段は忘れてても、大人になってからも何かのきっかけでふと思い出すことってあるよね。そういうのが絵本のいいとこだなあって思う。イラストは消費物だったけど絵本は作品。いまの自分自身は、なかなか気に入っているよ。

 おそらく、絵本もまた「消費物」であることは確かなのではないかと思います。売られて買われる「商品」であり、とりわけ財布を握る親にとってはそうでしょう。しかし、子どもにとっては、たぶん、ただの「消費物」で終わらないのではないか、「消費物」からはみ出す部分が相当にあるんじゃないかと思います。

 あるいは、子どもと一緒に絵本を読む大人にとっても、そういうところは多分にある気がします。子どもに何度も何度も読んでぼろぼろになった絵本は、もはや「消費物」ではありません。大切な宝物と言っていいと思います。それは、きわめて個人的な記憶と結びつき、他とは決して取り替えることのできない何かです。

 一人ひとりの記憶と分かちがたく結びつき、いわば人生に寄り添うところが、まさに絵本の「作品」性なのかもしれません。

長谷川義史『いいから いいから』

 うーむ、これは面白い。「いいから、いいから」が口癖(?)の「おじいちゃん」と、「ぼく」が、雷と一緒にやってきた「かみなりのおやこ」をもてなす物語。

 「おじいちゃん」は相手が「かみなり」でもまったく気にせず、「いいから、いいから」と手厚くもてなします。その桁外れのホスピタリティ(?)が、とても可笑しい。ラストのオチも爆笑間違いなしです。うちの子どももウヒウヒ受けていました。

 この絵本、とびきりユーモラスで大笑いなのですが、実はかなり奥が深いと思いました。タイトルにもなっている「いいから、いいから」は、考えてみると、非常に含蓄のある言葉です。自分とは異なるものを安易に拒否するのではなく、大らかに受け入れていく、そんな懐の深さを表しています。たとえ人間ならざるものであっても、それを平気で迎え入れる度量と言ってよいかもしれません。

 「いいから、いいから」は、いいかげんでちゃらんぽらんにも聞こえます。けれども、今の世の中にあって、もっとも必要とされることがらを表している気がします。目くじら立てて視野狭窄に陥りがちな私の日常において、一番欠けているものかもなあと思いました。もう少し、ゆったり構えてもいいんじゃないか、そんなメッセージが聞こえてくるようです。

 関連しますが、子どもと一緒に読むとき、「おじいちゃん」のこのセリフ、「いいから、いいから」をどんなふうに声に出せるか、割と大きなポイントかもしれません。けっこう難しいんですよ、これ。すべてを肯定し歓待していく、そういう読み語りは、一朝一夕には出来ないと思うのですが、どうでしょう。何かというとすぐ早口にまくしたてて、相手の言うことも遮ってしまうような人(つまり私です^^;)には、とても困難。読む人の人となりが試される絵本かもしれません。

 あと思ったのは、「おじいちゃん」だけでなく、「おかあさん」がけっこう、すごいんじゃないかということ。文中には一つのセリフもなく、絵のなかに少ししか登場しないのですが、この「おかあさん」、「おじいちゃん」以上の傑物かも。なんでも受け入れてしまう「おじいちゃん」を叱ったり疎んじたり、そんなそぶりは微塵も見せません。ほとんど驚いたりもしません。にっこり笑って普段通りなのです。

 いや、もちろん、絵本だから当然そうなのだと言えるかもしれません。でも、どことなく浮世離れした「おじいちゃん」にこのように接していることは、それ自体すごいことだし、けっこう重要な意味があるんじゃないかと思いました。例によって考えすぎかもしれませんが……(^^;)。

▼長谷川義史『いいから いいから』絵本館、2006年、[装丁デザイン:広瀬克也、印刷・製本:荻原印刷株式会社]

バーバラ・マクリントック『ダニエルのふしぎな絵』

 絵を描くのが好きな女の子「ダニエル」と「おとうさん」の物語。「ダニエル」は、写真家の「おとうさん」の写真のように、目に見える通りに描こうとするのですが、いつもうまくいきません。不思議な絵ばかり描いています。そのうち、「おとうさん」の写真は売れなくなり、病気で寝込んでしまいます。「ダニエル」はなんとかしようとするのですが……。

 この絵本はいろんな読み方が出来ると思いますが、私がなにより引き込まれたのは、二人きりの家族のきずな。写真が売れなくてカフェに入ったとき、「おとうさん」を元気づけようとする「ダニエル」、そしてページをめくると、二人が路地をだまって歩く姿が描かれています。ここを読んでいて、なんだか切なくなりました。その後、「おとうさん」が病に伏せってから「ダニエル」が奮闘する姿にも心動かされました。

 どちらにも、少し離れた視点から俯瞰する構図が見られるのですが、それは、親子の姿が小さく描かれるがゆえに逆に、そのきずなの強さを伝えているように思います。二人が互いを思いやる様子が画面の端々に表されており、気持ちが引き込まれます。

 また、「ダニエル」のけなげで懸命な様子からは、落胆、絶望、希望、喜びといった心の動きが鮮やかに浮かび上がってきて、ラストでは「ダニエル」と一緒にこちらまでうれしくなります。画面のなかの「ダニエル」はいつも小さいのですが、本当に多くのことを物語っています。非常にエモーショナルな絵本だと思います。

 そういえば、カフェの場面は物語のラストと呼応していますね。ささいなことですが、同じものが別の意味を込めて再び現れています。これも、ある意味で家族のきずなの掛け替えのなさを表現しているように感じました。

 ところで、この絵本のもう一つの大きなモチーフは、「ダニエル」が自分の居場所を見つけること。目に見える通りに写真を撮る「おとうさん」と自在にイマジネーションの翼を広げる「ダニエル」がまさに対照をなしており、そのために物語の前半で「ダニエル」はいつも自分で自分を否定しています。

 そんな「ダニエル」がある出会いによって、自分がありのままでいていいことを理解し、そして「おとうさん」もそれを認めていきます。一つの才能が見出され生かされていくことの幸福が描かれているように思いました。別の角度から見るなら、子どもの自由を周りの大人がきちんと評価し受け入れることの重要性を表していると言えるかもしれません。

 絵は端正で、クラシカルな雰囲気。スペースを広くとり、細部にまで丁寧に筆が入れられ、静謐でとても美しい画面です。また、全体を通して、くすんだセピア色の色調は、どことなくノスタルジック。「ダニエル」と「おとうさん」のつつましくも幸せな暮らしを浮かび上がらせていると思います。

 と同時に、比較的抑えた画面のなかで、「ダニエル」の描く絵だけが非常にカラフルに彩色されています。この対比は、「ダニエル」の「空想のつばさ」が自由自在に羽ばたく様を感受させるように思いました。

 カバーには「作者のことば」が記されています。それによると、作者のバーバラ・マクリントックさんのお父さんも写真家だったそうです。「ダニエル」と同じように、マクリントックさんも子どもの頃から不思議な動物の絵を描いていたとのこと。マクリントックさんのお父さんは、いつも励ましてくれたそうです。この絵本は、そんなお父さんとお母さんに捧げられています。

 原書“The Fantastic Drawings of DANIELLE”の刊行は1996年。

▼バーバラ・マクリントック/福本友美子 訳『ダニエルのふしぎな絵』ほるぷ出版、2005年、[日本語版装丁:湯浅レイ子、印刷:共同印刷株式会社、製本:株式会社ハッコー製本]

マレーク・ベロニカ『ブルンミのたんじょうび』

 タイトルの通り、「ブルンミ」の誕生日をみんなでお祝いする物語……。

 のはずなんですが、でも、読みようによっては、少しブラックな趣きがあります。だってさー、なんで、そんなに「ひみつ」「ひみつ」なのよ? どうして「ブルンミ」の鼻先で「バターン」とドアを閉めちゃうわけよ? 「ブルンミ」を泣かすなよー!

 ラストの一文では、「ブルンミ」はこんなふうに言っています。

そして ブルンミの たんじょうびを みんなでたのしく すごしました。
ああ なんてすてきなんだろう! ありがとう アンニパンニ!――

 けなげな「ブルンミ」……。でも、「ブルンミ」、君はだまされていると思うよ……(なんちゃって^^;)。

 いやまあ、マレーク・ベロニカさんの絵は明るい色彩とセンスのよい造形で、とてもおしゃれですし、ハッピーエンドであることは間違いないのですが、少々意地悪な物語にも読めてしまうのです。

 やっぱり考えすぎでしょうか? こちらの性格が歪んでいるからかなあ。素直に読めない自分が悪いのかしらん。

 とはいえ、ほんの少しの翳りがあるところも、マレーク・ベロニカさんの絵本の魅力なのかもしれないなと思いました(ちょっと無理があるかな?)。

▼マレーク・ベロニカ/羽仁協子 訳『ブルンミのたんじょうび』風濤社、2003年、[印刷:吉原印刷株式会社、製本:榎本製本株式会社、装幀・組版:文京図案室]

パク・ジェヒョン『とらとほしがき』

 ううむ、これはすごい! 韓国で語りつがれてきた昔話を元にした絵本。自分はこの世の王であると信じていたトラが、ある日、とんでもなく恐ろしいやつに出会うという物語。

 後書きで訳者の大竹聖美さんが書かれていますが、日本の昔話にもよく似たお話しがあります。もともとはインドの説教説話集『パンチャタントラ』にさかのぼるとのこと。最初のページに作者のパク・ジェヒョンさんの説明が少し記されているのですが、パクさんは、この昔話を小さいころ、おばあちゃんから繰り返し聞いたそうです。

 物語そのものはクラシカルと言えそうですが、とにかく、この絵本のすごさは、絵です。表紙と裏表紙が合わせて1つの絵になっているのですが、実に力強い描写。本文でも、色彩といい造形といい、圧倒的な迫力です。細かなタッチが幾重にも重ねられ、まるで匂い立つかのような濃密な画面が続きます。なんとなくですが、筆が入れられる紙そのものが普通とは違うように感じました。色のノリが独得なのです。これは、ぜひ一度、原画を見てみたいですね。

 作者のパク・ジョヒョンさんの説明によると、この絵本では「韓国の伝統的な美しさを表現するために、絵をかく道具や紙、かき方にもくふうを」されたそうです。民画と呼ばれる韓国の伝統的な絵画の手法が用いられているとのこと。

 これまでに読んできた韓国の絵本を振り返ってみても、絵のすごさが強く印象に残っています。それは、韓国絵画の伝統を生かしたものと言えるのかもしれません。

 絵本の絵におけるこうした伝統との対話は、日本の場合には少し希薄な気がしますが、どうでしょう。私もそんなにいろいろ読んでいるわけではありませんが、たとえば赤羽末吉さんの絵本には、日本の絵画の歴史を生かした部分がかなりあると思います。しかし、現在において、赤羽さんがされていたことを引き継ぐような方は、あまりいらっしゃらない気がします。

 それはともかく、この絵本、迫力があると同時にとてもユーモラス。とくに主人公「とら」の表情がよいです。気持ちの変化が如実に表れていて、可笑しい。なんだかマンガのようと言ったら言い過ぎかな。

 あと、子どもと一緒に読んでいて楽しかったのが「アイゴ」。いろんなニュアンスで出てくるのですが、場面に応じて声音を変えると、なかなか面白いです。表紙カバーの説明によると、「びっくりした気持ちや悲しい気持ち、思わず出てしまう叫びやつぶやきを表す韓国の言葉」とのこと。日本語だと、これに類する言葉はあまりないかもしれませんね。

 原書の刊行は2002年。作者のパクさんはカナダ在住。この絵本はパクさんの初めての絵本で、カナダ総督文学賞の候補作になったそうです。

▼パク・ジェヒョン 再話・絵/大竹聖美 訳『とらとほしがき』光村教育図書、2006年、[装丁:城所潤、印刷所:株式会社精興社、製本所:株式会社ブックアート]

内田麟太郎/竹内通雅『へいき へいき』

 これは面白い! 天下に恐いものなしのオオカミと子分のイタチが入り込んだのは、いろんな恐い「き」が生えている山だったというお話。

 いったいどんな「き」だったのかは、読んでのお楽しみ。かなり「き」ています。ページをめくるたびに、思わず吹き出し、そして、へなへなと脱力してしまう感じ。うちの子どもも、だいぶ、うけていました。

 内田麟太郎さんのテンポのよい軽妙な文はもちろんのこと、竹内通雅さんの絵がまたすごい。一種の言葉遊びをどうやって絵で表現するかがポイントです。力のこもったど迫力の描写。しかも、よーく見ると、ページによってはいろいろ遊びがあって、笑えます。

 一つ面白いなと思ったのは、冒頭に登場する、しゃがれ声。「オオカミ」と「イタチ」は、しゃがれ声のからかいに強がって山に入っていくわけですが、このしゃがれ声が誰の声だったのか、文中に説明はありません。しかし、扉、ラストの3ページ、また奥付に付けられた絵を合わせて考えると、声の主がなんとなく分かる気がします。背後のストーリーが浮かび上がってくるような感じですね。なかなか楽しい趣向です。

 それはともかく、この絵本では、最後の最後に、本当に恐ろしい「き」が登場します。見開き2ページにどどーんと描かれた絵は、ちょっとすごいですよ。もちろん、あくまで絵本の表現なのですが、うちの子どもも、この2ページだけは少し恐かったみたいです。

▼内田麟太郎 文/竹内通雅 絵『へいき へいき』講談社、2005年、[印刷所:日本写真印刷株式会社、製本所:大村製本株式会社]

堀内誠一『どうくつをたんけんする』

 この絵本は、福音館書店の「たくさんのふしぎ傑作集」の1冊。テーマは言うまでもなく洞窟です。おそらくは秋吉台を舞台に、洞窟のなかがどうなっているのか、描き出されていきます。

 不思議なかたちの様々な鍾乳石や石筍、洞窟内の珍しい生き物の生態など、「へぇー」と引き込まれます。また、鍾乳洞がどのようにして出来上がっていったのか、カルスト台地の石灰岩は大昔何であったのか、など数億年もの歴史が科学的に説明されており、次の一節にはまさに納得です。

どうくつは、地球の歴史、生物、人間の歴史、水や岩石の性質など、いろいろなことを教えてくれるのだよ

 世界各地の様々な洞窟についても、イラスト付きで解説があって、これも初めて知ることばかり。子どもはもちろん、大人にとっても、かなり興味深いのではないかと思います。うちの子どもは、このページが一番気になったみたいです。

 一応、この絵本は科学絵本に分類されるのでしょうが、それだけではありません。加えて、楽しいのは、タイトルにあるように「たんけん」の醍醐味が盛り込まれているところ。

 とくに冒頭の10ページ。普通のルートではなく、「ちょっと変わったコース」から鍾乳洞に入っていくんですね。狭く暗い洞窟をときには這うように進んでいく主人公たち。下には冷たい川が流れ、ところどころ滝が落ちています。なんとなくワクワクしてくるような導入です。

 他にも、洞窟探検のケービングの技術を解説したページもありました。そして、ラストページ。見ようによってはほの暗くスリリングで良いです。

 裏表紙の見返しには日本地図が載っており、石灰岩地帯と主な鍾乳洞が書き込まれていました。今度、機会があったら、ぜひ、近場の鍾乳洞に子どもと一緒に行ってみたいなと思いました。

▼堀内誠一『どうくつをたんけんする』福音館書店、1985年、[印刷:精興社、製本:大村製本]

スティーヴン・ビースティー/メレディス・フーパー『宝さがしの旅』

 これは面白い! 黄金をめぐって時空をかけめぐる物語。数千年、いや数億年?の時間を超え、大陸をまたにかけて、黄金の有為転変が描かれていきます。フィクションの部分もありますが、多くは実在の場所や事実がもとになっています。

 冒頭ページがまずすごい。なにせ太陽系が誕生するところから説き起こされるのです。金という金属が宇宙のはるか彼方からやってきたことが描かれています。このスケールの大きさに度肝を抜かれました。

 そして、古代エジプトで採掘された金がファラオのマスクとなり、それが墓泥棒たちによって盗掘され、その後、かたちを変え、持ち主を変え、数千年の時間を超えて現代に至ります。黄金の数奇な運命は世界史の様々な出来事と織りなされ、まさに波瀾万丈の物語。

 最初は一つの金マスクだった黄金は、人から人へと渡るなかで全部で7つに分かれていき、それぞれ特異な経緯をたどります。様々な人びとが様々な思いを金に託し、金のまわりにたくさんの人生が現れては消えていきます。なんだかめまいを起こしそうなくらいです。と同時に、金をめぐる人間の多様な営みが描写されており、とても興味深い。

 絵もまた素晴らしいです。近景から遠景へと深く広く描き出されるダイナミックな構図に、緻密な描き込み。濃密な画面です。ときには建物を輪切りにしてみせる視覚的な面白さもあります。比較的大きめの造本は、この迫力ある絵によく合っていると思いました。

 また、ページをめくるたびに、人びとの服装が変わり、装飾品が変わり、建築物が変わっていきます。歴史の大きな変化を実感することができます。

 文章量はけっこう多く、地名や固有名も次々と出てくるので、小さな子どもにとっては難しいかもしれません。しかし、絵を見ているだけでも、かなり面白いと思います。巻末には、関連する歴史上の出来事について詳しい説明も付いていました。

 金をめぐって一気に数千年の「旅」を体験できるこの絵本、うちの子どももけっこう気に入ったようですが、私自身、知的好奇心を刺激されました。子どものみならず大人にとっても、おすすめできると思います。

 原書”GOLD – a Treasure Hunt Through Time”の刊行は2002年。

▼スティーヴン・ビースティー 絵/メレディス・フーパー 文/山田順子 訳『宝さがしの旅』岩波書店、2002年

『絵本作家の仕事・実情と問題点』はたこうしろうさんの投稿

 このサイトのおすすめブログの一つ、絵本作家の仕事・実情と問題点は、タイトルの通り絵本作家さんをとりまく状況について毎回いろいろ考えさせられる記事が掲載されています。11月30日付けの最新記事、絵本作家はたこうしろうさんの投稿、はたこうしろうといいますは、絵本に関心を持っている方には、ぜひ一読をおすすめします。絵本について、とても大事な論点が幾つも記されていると思います。

 とくに絵本業界の構造的な特徴とそれがもたらす問題の指摘は、非常に納得しました。もしかすると私も、はたさんが言われている「大人読者」の一人なのかもしれないと思いました。もちろん、うちのサイトは、ウェブの辺境の辺境にあって細々とやっているだけなのですが、しかし、絵本についてあれこれ勝手に書いていることの意味合いについて少し自覚させられた気がします。

 いや、自分でもまだよく理解できていませんね。またゆっくり考えてみたいと思います。