「絵本作家」カテゴリーアーカイブ

長谷川義史さんの「目標」

 朝日新聞関西の7月20日付けの「旬の顔」、asahi.com: 絵本作家 長谷川義史さん(44)-旬の顔-関西

 これはおもしろい! 長谷川義史さんがこれまでと現在を語られています。長谷川さんが描かれた絵本、最近とても多いと思っていたら、去年は10冊、今年もすでに6冊、刊行されているそうです。うーむ、すごいハイペース。

 とはいえ、絵本を描き始めた当初はなかなか、うまくいかなかったとのこと。中川ひろたかさんの文に絵を描く仕事が一つの転機になったそうです。

背景を細部まで描きこみ、文にだじゃれをまき散らし、本の見返しまで埋め尽くす。持ち前のサービス精神が本領を発揮し始めた。

 うーむ、なるほどなあ。「どこどこどこ」の2冊なんて、超絶的なものすごい描き込みですよね。

 子どものころは絵本に縁がなく、読み聞かせなんて「気色悪い」と思っていたのも、おもしろい。小さいころ絵本に接していない方がむしろ、自由に絵本を描けるのかも。

 掲載されている写真のワークショップの様子も、実に楽しそうでよいです。

山中恒さんの「原点」

 読売新聞、7月18日付けの記事、大人なんか信用しないと誓った : あのころ : 育む : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)。「児童読み物作家」、山中恒さんの「原点」が語られています。

 戦中から戦後にかけての社会全体の転換のなかで、大人は信用しないと誓ったことが「原点」。その上で、山中さんが「児童読み物」を書き続けたモチーフがたいへん印象的です。

価値観は時代とともに変わる。それは嫌になるほど味わった。それだけに、あらゆる時代の子どもをドキドキさせるような作品を書きたい。それが願いでした。

 信用できない大人なんか関係ない、そんなものには左右されない強さのある物語……。

 あと、気になったのは戦中の絵本のこと。山中さんは、軍国主義を賛美する絵本に没頭したそうです。絵本というのは、それを取り巻く社会に強く影響を受ける表現形態なんだなと思います。

長新太さん逝去

 先の記事、絵本を知る: こどものとも50周年記念ブログがスタートの下書きを書いているときに、長新太さんの逝去を知りました。

 死を前にして何を言っても言葉足らずにしかなりませんが、子どもと一緒に長さんの絵本を読む時間が持てることをあらためて幸福に感じ、また感謝したいと思います。今はただただ、ご冥福をお祈りいたします。

荒井良二さんとリンドグレン記念文学賞(その3)

 「その3」ということで、今回は、2つのクリップ情報を簡単に紹介したいと思います。

 一つ目は、スウェーデンに行かれる前の荒井さんへのインタビュー。毎日新聞の記事、MSN-Mainichi INTERACTIVE 話題です。記事の日付は2005年5月18日。

 受賞の連絡がいきなり携帯電話にあったこと、小学生のとき絵に目覚めたこと、子ども向けのワークショップのことなどが語られています。

 とくにワークショップに関する次の言葉が印象深いです。

「子供を手のひらであやすようなことはしたくない。全身でぶつかりたい。僕の絵を『うまい、上手』じゃなく『自分にも描ける』って思わせたい」。

 子どもを子ども扱いするのではなく、一人の独立した個人として捉えるということ。だから、変に優しくしたり受けをねらったりしないということ。これは、絵のワークショップだけでなく、私たち大人が子どもに接するときに常に大事な点なんじゃないかなと思いました。

 あと、「絵本の時間は短い」という言葉も、たしかにその通りだなあ。うちの子どもたちと、あとどのくらい一緒に絵本が読めるんだろう? なんだか、いま子どもたちと共有している時間が本当に貴重に思えてきます。

 二つ目は、帰国後の最初(?)のイベント情報です。青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山 にて、6月4日(土)に荒井さんのトークショーが開かれます。詳細は青山ブックセンター イベント情報に掲載されています。これは新刊絵本の刊行にも合わせたもののようです。

 たぶん、あちこちから講演やワークショップの依頼が荒井さんに殺到しているんじゃないかな。しばらくはお忙しいかもしれませんね。

荒井良二さんとリンドグレン記念文学賞(その2)

 荒井さんの話題が続きますが(^^;)、今日は、地元新聞の人欄に荒井良二さんが登場していました。これも共同通信社の配信かもしれません。

 今回の受賞にさいし、スウェーデンのストックホルムで子どもたちと開いたワークショップが、取り上げられています。また、絵との出会いや絵本を志したときの経緯が記されていました。荒井さんは大学一年のときにアメリカの絵本に出会い「やりたいこと」が分かったのだそうです。

 少し引用したいと思います。

小学校一年生の時、学校に行かず、家で絵ばかり描いていた。親や先生に理由を問い詰められ、自分も分からなかった当時の気持ちがよみがえる。「今はかつての六歳の僕に元気を出せよと言いながら、そのままでいいんだよ、ゆっくりでいいんだよと伝えたい」

 実は去年の夏、荒井さんのトーク&サイン会に参加しました。そのとき、荒井さんは、まわりを走り回りマイクにいたずらばかりしている子どもたちを、なんとも自然に受け入れていたことを思い出します。お話が終わって、開場の奥にあったホワイトボードに落書きをしている子どもたちに荒井さんはすっと入っていかれ、一緒に絵を描いていました。荒井さんの絵本が発しているメッセージは、荒井さんのお人柄にも表れているように感じました。このトーク&サイン会のときのことは、近いうちに、なんとか記事にしたいと思います。

 ところで、今回の受賞では、式典以外にもいろいろお忙しかったようです。アストリッド・リンドグレン記念文学賞のサイト Astrid Lindgren Memorial Awardには、受賞者ウィークの案内が掲載されていました。Prize winner’s week 22-28 Mayです。荒井さん関連のところを少し抜き書きしてみます。

  • 5月22日:午後にjunibackenでサイン会
  • 5月23日:午前は記者会見、夕方は国立図書館で講演
  • 5月24日:午前は子どもたちとワークショップ、午後は芸術大学Konstfackで講演
  • 5月25日:午前は子どもたちとストーリー・セッション、夕方から授賞式とレセプション
  • 5月26日:夕方から国際図書館で講演

 かなりのハードスケジュール。だいぶお疲れかもしれませんね。スウェーデンの人たちがどんなふうに荒井さんの講演や絵本に反応されたのか、ちょっと知りたいです。でも、たぶんスウェーデンでも、荒井さんはごく自然に子どもたちのなかに入っていかれたんじゃないかなと思います。

荒井良二さんとリンドグレン記念文学賞(その1)

 昨日、リンクを張った、アストリッド・リンドグレン記念文学賞のサイト Astrid Lindgren Memorial Awardですが、いろいろ見ていたら、日本語のプレスリリースが公開されていました。Press release in Japaneseです。左のページから日本語のPDFファイルにリンクされています。このプレスリリースは3月16日付け。今回受賞した荒井さんとイギリスのフィリップ・プルマンさんの紹介、受賞の理由、アストリッド・リンドグレン記念文学賞の説明、などが書かれていました。

 なかなかおもしろいと思うので、荒井さんの受賞理由の文章を引用します。

「荒井良二(日本)は、斬新、大胆、気まぐれ、全く独自の発光力を持つ絵本画家である。彼の絵本は、子供と大人に同時にアピールする暖かさを発散し、茶目っ気のある喜びと奔放な自然さがある。絵の具は、彼の手を経てあたかも音楽の流れのように常に新しいアドベンチャーへ飛び出し、子供達に自分で描き、語らせたがる。子供達にとって、描くこと自体が詩的で偽りのないストーリーアートである」。

 「独自の発光力を持つ絵本画家」……、うーむ、まさにその通りですね。この「発光力」という言い回しは、いかにも翻訳調ですが、しかし、荒井さんの絵本のかなり重要なところを捉えている気がします。というか、実際、荒井さんの絵はまさに「発光」していますよね。あと、「音楽の流れのように」というのも、なんだか納得できます。

 同じく上記のページからリンクされているPDFファイル(日本語)では、荒井さんの作品に関するかなり詳しい説明、というかレビューが掲載されています。翻訳調の堅い文章ですが、こちらも興味深いです。

 たとえば、次のような理解は、かなり当たっていて、おもしろいと思います。

荒井良二の絵の世界には、あり得ないことがない。そこには、都会生活のせわしい表現と森の安らぎと海の穏やかさとが同居している。

 これらのプレスリリースを読んでみると、今回の受賞では、荒井さんの絵本がかなりきちんと評価されていることが分かります。

 アストリッド・リンドグレン記念文学賞のサイトには他にもいろいろ情報が掲載されているので、少しずつ見ていって、そのうち紹介できたらと思います。

荒井良二さん、アストリッド・リンドグレン記念文学賞の授賞式

 共同通信社配信の記事で、荒井良二さんが受賞したアストリッド・リンドグレン記念文学賞授賞式の様子が伝えられています。

スウェーデンの世界的な児童文学賞、アストリッド・リンドグレン記念文学賞の授賞式が25日、ストックホルムで行われ、絵本作家の荒井良二さん(48)=東京都在住、山形市出身=と英国の児童作家フィリップ・プルマンさんに賞状と賞金各250万クローナ(約3700万円)が贈られた。

 笑顔の荒井さんがビクトリア王女と握手している写真も付いていました。あのぼさぼさ髪に無精ヒゲと丸メガネ、割とちゃんとした服装ですが、よく見ると、白のシャツがズボンからはみ出してますね(^^;)。なんか、いいなー。とても荒井さんらしい気がします。

 それで、少し調べてみたら、アストリッド・リンドグレン記念文学賞のサイトが見つかりました。Astrid Lindgren Memorial Awardです。スウェーデン語と英語の両方で開設されています。

 荒井さんのプロフィールやインタビュー、絵本の紹介や著作リストもあり、かなり充実した内容。荒井さんのセルフポートレートは、あの鮮やかな色彩による自画像です。

 英語はなかなか厳しいのですが、どんなふうに評価されているのか、ちょっと知りたいですね。そのうち読んでみようと思います。

 ともあれ、荒井さん、本当におめでとうございます。

飯野和好さんの「出会い」

 クリップしている読売新聞の記事、好きなように描いた幼時: あのころ : 育む : 教育 : Yomiuri On-Line (読売新聞)。飯野和好さんが、小さいころから絵本作家になるまでを語られています。

 秩父でのチャンバラごっこ、中学のときの初恋、高校に1日しか行っていないことなど、生活史的背景がうかがえるのですが、とくに興味深いのが数々の出会い。中学で初恋の女性に惹かれて美術部に入ったこと、高崎市のデパートに勤めて売り場の広告を描いていたころに出入りの業者に絵の勉強を勧められたこと、セツ・モードセミナーでの長沢節さんの言葉、堀内誠一さんに言われたこと、など、いろんな人との出会いを通じて、絵本作家としての飯野さんが生まれたことが分かります。

 たとえば高崎市のデパートで出入りの業者に会わなかったら……、絵の勉強でセツ・モードセミナーに入っていなかったら……、あるいは堀内誠一さんに出会ってそのファンタジー論を読んでなかったらどうなったか。最初から絵本作家を目指していたわけではなく、いわば偶然の出会いを経て、飯野さんのいまの時代劇絵本が誕生したと言えそうです。

 もともと持っている能力や素質は大きいにしても、どんな人に出会うか、またその出会いから何を自分のものとするかが、その人の人生を決めていくのかもしれませんね。