この絵本は、文を担当しているハーストさんのお父さんを描いたノンフィクションです。
切手にコイン、人形やジュースのびんのふた。
みなさんも集めたこと、ありませんか?
わたしの父は子どものころ、石を集めていました。
[中略]
まわりの人たちはいったそうです。
「あいつは、ポケットにもあたまのなかにも
石ころがつまっているのさ」
たしかにそうなのかもしれません。
「大人になったら何になりたい?」と聞かれて「何か石と関係のあることだったらいいなあ」と言っていたハーストさんのお父さん、結局、ガソリン・スタンドをはじめます。当時はちょうどアメリカが自動車社会に突入した時代で、T型フォードが大人気。そこで、T型フォードの部品を集め修理をはじめると、これが大繁盛。
ところが、1929年の大恐慌が起こり、ガソリン・スタンドも店をたたみます。いっしょうけんめい仕事を探し、どんな仕事でも引き受けたそうです。仕事が見つからないときは、科学博物館に出かけ、石の標本の部屋ですごします。この間もずっと、ハーストさんのお父さんは石を集め続けていました。
そんなある日、科学博物館の館長グレース・ジョンソンさんに出会います。
「なにか、おさがしのものでも?」
「自分のもっているのより、いい石をさがしてるんです」
「どのくらい見つかりました?」
「10個です」
女の人は、部屋じゅうのガラスケースのなかにある、
何百個という石を見回していいました。
「たったの10個なの?」
「えーと、11個かもしれません」
父はそういって、にっこりしました。
女の人もわらいました。
そうして、ハーストさんのお父さんは、科学博物館で夜の管理人の仕事につき、その後、ジョンソンさんの推薦で博物館の鉱物学部長になるまでが、この絵本で描かれています。
この絵本でなによりも魅力的なのは、ハーストさんのお父さんの人柄です。「石ころじゃあ、金にならん」とか「あの石ころが何の役に立つの」とか言われても、「うん、そうかもしれない」とひょうひょうと受け流し、まったく意に介せず自分の大好きな石集めを続けます。ジョンソンさんに鉱物学部長に推挙されるときも、こんな具合です。
「わたしはね、こういったのよ。
ここに必要なのは、あたまのなかとポケットが
石でいっぱいの人だって。
あなたみたいにね」
「ああ、わたしならそうかもしれません」
父は、ポケットからひとつ、石をとりだしていいました。
「ところで、ほら、ちょっと見てください。
いい石を見つけたんですよ」
ハーストさんのお父さんにとって、自分が鉱物学部長になることより、いい石を見つけたことの方が大事なのかもしれません。自分が本当に心底楽しいと思っていることを続け、そしてそれが他の人たちにも認められていく、そんな幸せな人生がここに描かれていると思います。
絵はとても素朴で、ハーストさんのお父さんの人生をへんに思い入れもなく、たんたんと描写しています。それはまた、ハーストさんのお父さんの人柄そのものを映し出しているかのようです。
また、ページのあちこちに、ハーストさんのお父さんが集めていたいろんな石のイラストが散りばめられています。名前が記されているものもあります。白雲母やガーネット、ほたる石、石英、方解石……。
ほかにも、T型フォードの集めた部品やチェスの駒、石をみがく歯ブラシなど、日常の細々としたもの、でもハーストさんのお父さんの思いが表れているもののイラストも置かれていました。これもまた、小さくても自分が大切にしていることをずっと続けていくというこの絵本のモチーフと密接に結びついているように感じます。
ハーストさんのあとがきによると、お父さんは、博物館の鉱物学部長になったあと働きながら大学に通い、その後、ジョンソンさんが退職したあとにスプリングフィールド科学博物館の館長に就任したのだそうです。
そんなお父さんをハーストさんは次のように書いています。
父が情熱をかたむけたのは、石や鉱物だけではありませんでした。「学ぶ」ということそのものをこよなく愛し、尊重していたのです。
まわりから何と言われても、一つのことに情熱をかたむけ学び続け、そしてそれが自分の仕事にもなる。こうした生き方は、大人にとっても一つの理想かもしれません。
▼キャロル・オーティス・ハースト 文/ジェイムズ・スティーブンソン 絵/千葉茂樹 訳『あたまにつまった石ころが』光村教育図書、2002年