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キャロル・オーティス・ハースト/ジェイムズ・スティーブンソン『あたまにつまった石ころが』

 久しぶりに再読。やっぱりいいなと思うと同時に、この絵本、なんとなく、成功するための指南書のような趣きもあります。

 ハーストさんのお父さんは、最後にはスプリングフィールド科学博物館の館長にまでなられるのですが、その大きな転機となったのは、ジョンソン館長との偶然の出会いでした。そのことによって、「あたまのなかとポケットが石でいっぱい」の専門家として認められ評価されていったわけです。

 このエピソードから、たとえば、人との出会いがいかに大切かといったことを言えるかもしれませんし、あるいは、偶然の出会いに備えて自分の能力や強みをどれだけ鍛えておけるかが重要だ、自分の道を貫いていればいつか誰かが認めてくれるのだ、といったことを引き出せるかもしれません。いわば成功するためのヒントですね。

 でも、たぶん、そうじゃないなとも感じます。ハーストさんは巻末で「父ほど幸福な人生を送った人を、わたしはほかに知りません」と書かれていますが、それは、ハーストさんのお父さんが最終的に社会的に成功したからではないように思えます。そうではなく、どんな状況にあっても、自分の関心を追い求め、そのために「学ぶ」ことを尊重し続けていたからなのでしょう。

 じっさい、この絵本を読んでいると、たとえハーストさんのお父さんがジョンソン館長に出会うことがなく、そのため、仕事でずっと苦労し続けたとしても、それでも、ハーストさんのお父さんは「学び」をやめることはなく、その意味において「幸せ」であったように思います。社会的成功といった何か他のことのためではなく、それ自体が喜びであるような「学び」。それをハーストさんのお父さんは、なにより大事にして生きていたということ。

 いや、本当のところは分かりません。本当にそれだけだったら、はたして科学博物館の館長になれたかどうかは、何とも言えないかもしれません。館長という仕事は、当然ながら、組織を内外に対してマネジメントしなければならず、自分の「学び」の追求だけで務まるものではないでしょうから。

 だから、やはりこれは一種のファンタジーなのでしょう。しかし、それでも、「学び」をそれ自体として大事にするというメッセージは、心に響きます。なんだか、いまの自分に一番足りないものかもしれない……。自分にはそんな「学び」の対象は何かあるのだろうか……。

 まあ、ちょっと考えすぎですね。人生訓を読み込みすぎているかも(^^;)。

▼キャロル・オーティス・ハースト 文/ジェイムズ・スティーブンソン 絵/千葉茂樹 訳『あたまにつまった石ころが』光村教育図書、2002年、[装丁:桂川潤、印刷:協和オフセット印刷株式会社、製本:株式会社石毛製本所]

ウーリ・ステルツァー『「イグルー」をつくる』

 北極地方に暮らすイヌイットの父子がイグルーを作る様子を撮影した写真絵本。イグルーというのは、雪のブロックで作った家のことです。場所を決め、雪を切り出し、積み上げ、入り口を開け、全体を仕上げていく……。出来上がるまでの一つ一つのプロセスが、モノクロ写真で淡々と描かれていきます。

 イグルーの作り方、私はこの絵本ではじめて知りました。なるほどなーと驚きが幾つもあります。非常に合理的で洗練された建築術。しかも、それは、ノコギリとナイフという必要最小限の道具で作られているわけです。

 一面、岩と雪だらけの平原に忽然と姿を現す雪の家……。白く輝く大地に対し、黙々と作業する二人の姿は黒々としており、そのコントラストの強さは、人間の営みの強靱さを伝えているような気がしました。

 その一方で、イグルーを作ることは、自然についての深い理解に基づき、自然と一体になった営為。なにしろ、目の前にある雪と氷だけが材料です。最初のページに記されていましたが、イグルーのなかの明かりや燃料も自然のなかから採られているのだそうです。そして、移動して空き家になったイグルーは、夏になれば溶けて消えてしまう。自然に無理に力を加えない、汚さない、そんなイヌイットの生き方が感じられます。

 また、この絵本のもう一つのモチーフは、おそらく親子のきずな。黙々と作業する「トゥーキルキー」さんを息子の「ジョビー」さんが手伝っています。「トゥーキルキー」さんもまた、父親からイグルーの作り方を教わったのだそうです。親から子へと世代を超えて伝承されていく知恵と技術。

 そもそもイヌイットの猟師は一人で遠出することはなく、たいてい息子を連れて行くとのこと。獲物を求めて移動するなかで、そのつど親子で協力してイグルーを作るわけです。そんなイグルーは、狩りの途中の仮住まいであるのみならず、厳寒の地を生き抜くための学びの場と言えるかもしれません。

 扉の裏には、並んだ二人のポートレートが載っていました。これが、実にいい顔なんですね。なんだか、きらきら輝いているように感じます。千葉さんの訳者あとがきにも記されていましたが、イヌイットの祖先は私たち日本人と同じくモンゴロイドなのだそうです。たしかに、二人の顔つきには、どことなく日本人と共通するところがあります。

 ところで、うちの子どもは、工作が大好きなんですが、この絵本は図書館で借りるときから気に入ったようです。曰く「僕は作るのが好きだから、この絵本はいいねえ」(^^;)。

 原書”Building an Igloo”の刊行は1981年。この絵本、おすすめです。

▼ウーリ・ステルツァー 写真と文/千葉茂樹 訳『「イグルー」をつくる』あすなろ書房、1999年

キャロル・オーティス・ハースト/ジェイムズ・スティーブンソン『あたまにつまった石ころが』

 この絵本は、文を担当しているハーストさんのお父さんを描いたノンフィクションです。

切手にコイン、人形やジュースのびんのふた。
みなさんも集めたこと、ありませんか?
わたしの父は子どものころ、石を集めていました。
[中略]
まわりの人たちはいったそうです。
「あいつは、ポケットにもあたまのなかにも
石ころがつまっているのさ」
たしかにそうなのかもしれません。

 「大人になったら何になりたい?」と聞かれて「何か石と関係のあることだったらいいなあ」と言っていたハーストさんのお父さん、結局、ガソリン・スタンドをはじめます。当時はちょうどアメリカが自動車社会に突入した時代で、T型フォードが大人気。そこで、T型フォードの部品を集め修理をはじめると、これが大繁盛。

 ところが、1929年の大恐慌が起こり、ガソリン・スタンドも店をたたみます。いっしょうけんめい仕事を探し、どんな仕事でも引き受けたそうです。仕事が見つからないときは、科学博物館に出かけ、石の標本の部屋ですごします。この間もずっと、ハーストさんのお父さんは石を集め続けていました。

 そんなある日、科学博物館の館長グレース・ジョンソンさんに出会います。

「なにか、おさがしのものでも?」
「自分のもっているのより、いい石をさがしてるんです」
「どのくらい見つかりました?」
「10個です」
女の人は、部屋じゅうのガラスケースのなかにある、
何百個という石を見回していいました。
「たったの10個なの?」
「えーと、11個かもしれません」
父はそういって、にっこりしました。
女の人もわらいました。

 そうして、ハーストさんのお父さんは、科学博物館で夜の管理人の仕事につき、その後、ジョンソンさんの推薦で博物館の鉱物学部長になるまでが、この絵本で描かれています。

 この絵本でなによりも魅力的なのは、ハーストさんのお父さんの人柄です。「石ころじゃあ、金にならん」とか「あの石ころが何の役に立つの」とか言われても、「うん、そうかもしれない」とひょうひょうと受け流し、まったく意に介せず自分の大好きな石集めを続けます。ジョンソンさんに鉱物学部長に推挙されるときも、こんな具合です。

「わたしはね、こういったのよ。
ここに必要なのは、あたまのなかとポケットが
石でいっぱいの人だって。
あなたみたいにね」
「ああ、わたしならそうかもしれません」
父は、ポケットからひとつ、石をとりだしていいました。
「ところで、ほら、ちょっと見てください。
いい石を見つけたんですよ」

 ハーストさんのお父さんにとって、自分が鉱物学部長になることより、いい石を見つけたことの方が大事なのかもしれません。自分が本当に心底楽しいと思っていることを続け、そしてそれが他の人たちにも認められていく、そんな幸せな人生がここに描かれていると思います。

 絵はとても素朴で、ハーストさんのお父さんの人生をへんに思い入れもなく、たんたんと描写しています。それはまた、ハーストさんのお父さんの人柄そのものを映し出しているかのようです。

 また、ページのあちこちに、ハーストさんのお父さんが集めていたいろんな石のイラストが散りばめられています。名前が記されているものもあります。白雲母やガーネット、ほたる石、石英、方解石……。

 ほかにも、T型フォードの集めた部品やチェスの駒、石をみがく歯ブラシなど、日常の細々としたもの、でもハーストさんのお父さんの思いが表れているもののイラストも置かれていました。これもまた、小さくても自分が大切にしていることをずっと続けていくというこの絵本のモチーフと密接に結びついているように感じます。

 ハーストさんのあとがきによると、お父さんは、博物館の鉱物学部長になったあと働きながら大学に通い、その後、ジョンソンさんが退職したあとにスプリングフィールド科学博物館の館長に就任したのだそうです。

 そんなお父さんをハーストさんは次のように書いています。

父が情熱をかたむけたのは、石や鉱物だけではありませんでした。「学ぶ」ということそのものをこよなく愛し、尊重していたのです。

 まわりから何と言われても、一つのことに情熱をかたむけ学び続け、そしてそれが自分の仕事にもなる。こうした生き方は、大人にとっても一つの理想かもしれません。

▼キャロル・オーティス・ハースト 文/ジェイムズ・スティーブンソン 絵/千葉茂樹 訳『あたまにつまった石ころが』光村教育図書、2002年