月別アーカイブ: 2014年12月

R.イザドラ『ベンのトランペット』

 いやー、とにかくかっこよい絵本! 全編モノクロ、まさにクール! しびれます。途中、ジャズバンドのミュージシャンの演奏シーンが一人ずつ大きく描かれるのですが、ピアノ、サックス、トロンボーン、ドラムと楽器に応じて特徴的な描き方になっており、それぞれの音色、そしてそれらが一体となったスウィングが、画面からダイレクトに伝わってきます。

 物語のモチーフは、表紙の絵柄が表しているように、少年ベンとトランペッターの交流です。表紙にはトランペットを吹く二人の姿が二重写しに描かれているのですが、でもよく見ると、少年はトランペットを持たずに両手で吹く仕草をしていることが分かります。それは、この絵本のタイトル「ベンのトランペット」が何を意味しているのかを示しているように思えます。

 ベン自身はトランペットを持っておらず、自分の手でトランペットを吹くまねをする。それが「ベンのトランペット」。いつでもどこでも「じぶんのトランペット」をベンは吹きます。本物ではないけれども、少しでも近付きたい。トランペッターに対する少年の一途な憧れですね。それは、描かれたベンの手の繊細な「表情」にも表れているように思いました。

 でも、その「じぶんのトランペット」のゆえに、ベンは、友だちからからかわれてしまう……。失意と悲しみの緊張感のある表現、そのあとの解放は、とても印象的です。最後のページのセリフと絵(とりわけトランペッターの手、そして帽子をとった初めての表情!)、なんとも言えないあたたかさがじんわり伝わってきます。

 もう一つ、ベンの家族の描写も、さりげないながら、印象に残りました。ベンが、「ママとおばあちゃんとおとうと」、そして「パパとパパのともだち」にトランペットを吹くとき、みなはどうしているか。ベン、あるいはベンの家族のおかれた境遇、家族のまわりに広がる社会の姿が、それとなく示唆されていると思います。逆に、この背景の描写があるからこそ、トランペッターとの交流のかけがえのなさが心に迫ってくると言えるかもしれません。

 巻末の紹介によると、作者のレイチェル・イザドラさんは、もとプロのバレリーナだそうです。足のけがのため引退してから作家となられ、ジャズを愛するところから、この絵本が生まれたとのこと。また、本書は、1979年、コルデコット賞次席作品に選出されたそうです。

 原書“BEN’S TRUMPET”の刊行は1979年。

▼レイチェル・イザドラ 作・絵/谷川俊太郎 訳『ベンのトランペット』あかね書房、1981年、[印刷:精興社、写植:ゾービ写植、製本:中央精版印刷株式会社]

キャロル・オーティス・ハースト/ジェイムズ・スティーブンソン『あたまにつまった石ころが』

 久しぶりに再読。やっぱりいいなと思うと同時に、この絵本、なんとなく、成功するための指南書のような趣きもあります。

 ハーストさんのお父さんは、最後にはスプリングフィールド科学博物館の館長にまでなられるのですが、その大きな転機となったのは、ジョンソン館長との偶然の出会いでした。そのことによって、「あたまのなかとポケットが石でいっぱい」の専門家として認められ評価されていったわけです。

 このエピソードから、たとえば、人との出会いがいかに大切かといったことを言えるかもしれませんし、あるいは、偶然の出会いに備えて自分の能力や強みをどれだけ鍛えておけるかが重要だ、自分の道を貫いていればいつか誰かが認めてくれるのだ、といったことを引き出せるかもしれません。いわば成功するためのヒントですね。

 でも、たぶん、そうじゃないなとも感じます。ハーストさんは巻末で「父ほど幸福な人生を送った人を、わたしはほかに知りません」と書かれていますが、それは、ハーストさんのお父さんが最終的に社会的に成功したからではないように思えます。そうではなく、どんな状況にあっても、自分の関心を追い求め、そのために「学ぶ」ことを尊重し続けていたからなのでしょう。

 じっさい、この絵本を読んでいると、たとえハーストさんのお父さんがジョンソン館長に出会うことがなく、そのため、仕事でずっと苦労し続けたとしても、それでも、ハーストさんのお父さんは「学び」をやめることはなく、その意味において「幸せ」であったように思います。社会的成功といった何か他のことのためではなく、それ自体が喜びであるような「学び」。それをハーストさんのお父さんは、なにより大事にして生きていたということ。

 いや、本当のところは分かりません。本当にそれだけだったら、はたして科学博物館の館長になれたかどうかは、何とも言えないかもしれません。館長という仕事は、当然ながら、組織を内外に対してマネジメントしなければならず、自分の「学び」の追求だけで務まるものではないでしょうから。

 だから、やはりこれは一種のファンタジーなのでしょう。しかし、それでも、「学び」をそれ自体として大事にするというメッセージは、心に響きます。なんだか、いまの自分に一番足りないものかもしれない……。自分にはそんな「学び」の対象は何かあるのだろうか……。

 まあ、ちょっと考えすぎですね。人生訓を読み込みすぎているかも(^^;)。

▼キャロル・オーティス・ハースト 文/ジェイムズ・スティーブンソン 絵/千葉茂樹 訳『あたまにつまった石ころが』光村教育図書、2002年、[装丁:桂川潤、印刷:協和オフセット印刷株式会社、製本:株式会社石毛製本所]