思ったのですが、この物語には、ある意味で、少年の成長と通過儀礼を描いているようなところがあります。自分なかの「ドラゴン」を最終的になくしていく、そんなイニシエーションが、あの「ドラゴンマシーン」に乗っての旅だったんじゃないか。「ドラゴン」たちがいたずらばかりしていること、幻想的で実に美しい「ドラゴンマシーン」の飛翔、そして「ドラゴン」がいなくなると同時に自分もからっぽになり「ドラゴンマシーン」の上で地平線を呆然とみている「ジョージ」、家に戻ってからのお祝い、……こうした一連の画面からは、少年が何かを捨てて成長する過程が示されているようにも思えます。とともに、一匹のイヌ(?)をプレゼントされたラストページは、捨て去りながらしかし実は私たちのそばには変わらず「ドラゴン」がいることを暗示しているようで、少し楽しくなります。それにしても、「ジョージ」が作る「ドラゴンマシーン」、かっこいいんだな、これが。うちの子どもは今日は「ドラゴン」たちの足跡に注目していました。意外なところにも付いていました。
▼ヘレン・ウォード 作/ウエイン・アンダースン 絵/岡田淳 訳『ドラゴンマシーン』BL出版、2004年
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ヘレン・ウォード/ウエイン・アンダースン『ドラゴンマシーン』
今日は3冊。ある雨の木曜日、窓の外にドラゴンが見えるようになった「ジョージ」。それからというもの、まちのあちこちにドラゴンを見つけます。いたずらばかりしているドラゴンをなんとかしようと、大きな空飛ぶドラゴンの機械、「ドラゴンマシーン」を作り、「だれも行ったことがない荒野の果て」、ドラゴンの楽園へとドラゴンたちを連れていきます。この絵本、絵はたいへん幻想的で美しく、「ドラゴンマシーン」の目のなかで身体を丸めて眠る「ジョージ」を描いた表紙も印象的。登場するドラゴンたちは、恐いというよりはおちゃめでユーモラス。そして「ドラゴンマシーン」が実にメカニカルでかっこよいです。うちの子どもも気に入っていました。この絵本は、物語もまたいろいろと考えさせます。大人たちには見えないドラゴンは、うち捨てられた子どもたちのメタファーであり、ジョージもその一人であることが示唆されています。
でも、だれもドラゴンに気づいていません。
きちんと見ていないから見えないのです。
気にかけていないと目にもとまらないのです。きっと。
(それって、だれもジョージのことをきちんと見てくれないし、
気にもかけてくれないのに似ているかも)
じっさい、この文の付けられた画面で「ジョージ」は、大人たちが足早に通り過ぎる道ばたで、どことなく薄くいまにも消え入りそうに描かれています。そんなに強い主張ではありませんし、ラストは一応ハッピーエンドなのですが、重層的なメッセージが感じ取れます。原書の刊行は2003年。この絵本、おすすめです。
▼ヘレン・ウォード 作/ウエイン・アンダースン 絵/岡田淳 訳『ドラゴンマシーン』BL出版、2004年