大風が「びゅわん びゅわん」と鳴る夜のこと、少年はこの音が「トリゴラス」という怪獣の飛ぶ音に違いないと妄想します。少年の話では、「トリゴラス」はまちを破壊し、「かおるちゃん」をさらっていくのです。
この絵本、少年の暴力衝動と性衝動、そのいい意味での焦燥感を余すところなく表現していると思います。多くの元少年が身に覚えのある感覚をよびさまされてしまう、そんな絵本です。
「暴力と性? じゃあ、小さい子どもには読ませられない!」、なんてことはまったくありません。さらにプラスして、ユーモアとペーソスがあります。
うちの子どもも、この絵本を非常に楽しんでいました。何がいいって、まずは「トリゴラス」、この怪獣がそれ自体、実に魅力的。ビルの上を低く飛び、口から「ひみつへいき」の「トリゴラ・ガス」を吐き、戦闘機やミサイルの攻撃をものともしない、圧倒的な強さです。これが子どもにとってはたまりません。いや、昔「子ども」だった大人にとっても、です。そういえば、はじめの方のページで、少年の机の上にはウルトラマンと怪獣の人形がかざってあり、ふすまにはスター・ウォーズのポスターが貼ってありました。
そして、うちの子どもがもっとも受けていたのが、関西弁の文章。ユーモラスでしかもリズミカル。ついつい自流の関西弁で読み聞かせも楽しめます。たとえば、こんな感じ。
もう、めちゃくちゃや。
まち、ぐちゃぐちゃや。
もう、わやくちゃなんや。
この文章がついた画面には、列車を口にくわえたトリゴラスが、燃え上がる(?)街と飛び交う戦闘機やミサイルを背景に力強くそびえ立っています。読み聞かせでここのページになると、うちの子どもはいつも、ウハハハと大受けしていました。
それから、少年のお父さんが絶妙の突っ込みキャラクターになっています。もともと「なにゆうとんじゃ!」といった表情をしているのですが、妄想がエスカレートする少年に対し最後にがつんと一言、
あほか、おまえは。
あの音は、ただの風の音じゃ。
そんな しょうもないこと ごちゃごちゃゆわんと、
はよねえ!
と言って電気を消します。次のぺージで少年は暗い顔をして「かおるちゃん……」。このお父さんの突っ込みがあるのとないのでは大違いじゃないかなと思います。この突っ込みがあるからこそ、少年のどうしようもない煩悶がくっきりと浮かび上がってきます。
絵は鮮やかな色彩はまったくなく、あたかもモノクロ映画のようです。じっさい「トリゴラス」が少年の分身であることを同じ構図の絵で暗示したり、映画のような画面構成もおもしろいです。たとえば「トリゴラス」がまちを破壊するシーンは映画『ゴジラ』の第一作を彷彿させますし、「かおるちゃん」をさらっていくところは『キングコング』です。
とくに電気を消す画面では、見開き2ページで寝室を描くかたちになっているのですが、左のページにはお父さんが電気に手をのばすシーンが描かれ、右のページには電気が消え暗くなったなかじっと闇を凝視している少年の姿が描かれています。このページのつくりは、電気を消すという時間の流れとお父さんと少年の対比を印象深く表していて、とてもおもしろいと思いました。
あと、この絵本のもっとも不思議なところが表紙です。写真に彩色したかのようになっていて、映画ポスター『トリゴラス』の看板が小さく空き地に立っています。映画のポスター風なのはおもしろいのですが、中身とギャップがあって、この表紙は何を意味しているんだろうと思いました。あるいは少年の妄想のどうしようもなさ・いかんともしがたさを表しているのかしれませんね。
この絵本、改版が2003年10月に同じく文教出版から刊行されているようです。「改版」とのこと、もしかして絵や文章が変わっているのでしょうか。機会があったらぜひ見てみたいと思います。
▼長谷川集平『トリゴラス』文教出版、1978年
トリゴラ・ガスハヤッテマス
おもしろい