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アンソニー・ブラウン『くまくん まちへいく』

 まちにお出かけした「くまくん」、「ねこ」と仲良くなります。ところが、その「ねこ」は、動物を倉庫に閉じこめる怪しげな男たちに捕まってしまいます。そこで、「くまくん」が「ねこ」と動物たちを助け出すというストーリー。

 アンソニー・ブラウンさんの絵本といえば、細部の仕掛けが魅力ですが、この絵本では、だいぶブラックな雰囲気になっています。表紙からして既にブラック。本文でもたとえば「くまくん」と「ねこ」がウィンドーをのぞく肉屋。よーく見ると、とびらの下から真っ赤な血(?)がしみ出ています。ウィンドーのなかも、どことなく不気味です。

 そして、一番恐ろしいのが、動物たちをさらって倉庫に閉じこめる男たち。黒の帽子に黒のコートとズボン、黒靴に黒の手袋と、みんな全身黒ずくめです。しかも、コートの袖と帽子、また動物たちを運ぶ黒塗りの自動車には、髑髏のマーク入り。うーむ、姿格好からは、なんとなく第二次世界大戦中のナチスを連想させます。顔の表情がずっと見えず陰鬱な雰囲気で、「ねこ」をぐいっとわしづかみにするところや、「まぁーて!!!」と叫ぶところなどは、かなりの怖さ。絵本の表現としては、だいぶ強いと言えるかもしれません。

 もちろん、この絵本は、そんなブラックなところばかりではありません。なにより楽しいのが、主人公の「くまくん」。登場する他の動物たちが割とリアリスティックに描かれているのに対して、「くまくん」はぬいぐるみ。真っ白い体で、赤地に白の水玉のリボンを蝶ネクタイにして付けています。丸いお目々もチャーミング。

 しかも、この「くまくん」、魔法の鉛筆を持っているんですね。この鉛筆は、描いたものがそのまま本物になるという優れもの。「くまくん」は魔法の鉛筆を使って、「ねこ」や動物たちを救出し、大活躍するわけです。黒服の男たちをきりきりまいさせるところは、開放感に満ちていて、楽しい描写。

 鉛筆で描いたものが実体化するのは、なんとも軽やかで視覚的にもおもしろいです。こういう「描く」という営みそれ自体に焦点を当てるのは、アンソニー・ブラウンさんの他の絵本にも共通に読み取れるモチーフかなと思います。

 あと、動物たちのなかでは、羊が興味深い。よくは分からないのですが、何か寓意が込められているのかもしれません。

 うちの子どもは、黒服の男の口のなかに注目していました。一見して恐ろしい絵柄ですが、よーく見ると、アンソニー・ブラウンさん独特のユーモアが感じ取れます。

 原書”Bear goes to Town”の刊行は1982年。

▼アンソニー・ブラウン/あきのしょういちろう 訳『くまくん まちへいく』童話館、1994年、[印刷・製本:大村印刷株式会社]

アンソニー・ブラウン『こうえんのさんぽ』

 この絵本、どうやら先日読んだ、アンソニー・ブラウンさんの『こうえんで…4つのお話』の元になったもののようです。登場人物も基本的なストーリーも同じ。うちの子どもも、冒頭の文章を少し読んで、すぐに気が付きました。「スマッジ」という女の子の名前でぴんときたようです。

 『こうえんで…4つのお話』の原書の刊行が1998年で、この『こうえんのさんぽ』の原書は1977年の刊行。およそ20年ぶりに描き直したと言っていいでしょう。

 ストーリーはおおむね同じなのですが、描写はまったく異なります。なにより目に付くのは、登場人物が人間であること。アンソニー・ブラウンさんの絵本と言えば、ゴリラがトレードマークですよね。『こうえんで…4つのお話』もそうでした。これに対し、『こうえんのさんぽ』ではごく普通の人間が描かれています。ゴリラのキャラクターを発見する前の絵本と言えそうです。

 それから、『こうえんで…4つのお話』は、同じ公園での出来事が4人の登場人物それぞれの視点から語られるという非常に多元的で重層的なつくりになっていましたが、『こうえんのさんぽ』はごく普通の直線的なストーリー展開になっています。

 そうであるがゆえに、『こうえんで…4つのお話』に見られたような、4人の登場人物それぞれの情感の描写は、相当に希薄です。もちろん、「チャールズ」と「スマッジ」の出会いと交流もきちんと描かれているのですが、しかし、『こうえんで…4つのお話』ほどエモーショナルではありません。

 また、アンソニー・ブラウンさん独特のスーパーリアリズムもまだ見られません。毛の一本一本まで描いていくという過剰なまでの描写はまだなく、割と平板な描き方になっていると思います。ほとんど同じ構図でありながら、描き方がぜんぜん違っていたりします。あえて言うなら、「チャールズ」と「スマッジ」の髪の毛の描き方に少しだけ、その後のリアリズムの片鱗が表れているくらいでしょうか。

 その一方で、その後のブラウンさんの絵本と共通する部分もあります。それは、ディテールの遊び。『こうえんで…4つのお話』ほどではありませんが、『こうえんのさんぽ』にも画面のあちこちに、おもしろい仕掛けがたくさんあります。うちの子どももかなり楽しんでいました。こういう細部へのこだわりは、ブラウンさんがずっと以前から持っていたものなんですね。

 なんとなく思ったのですが、20年たって描き直したというのは、アンソニー・ブラウンさんがこの物語とモチーフにかなりの思い入れを持っていたということかもしれません。社会階層をまったく異にする二人が、あるとき、ある場所で偶然に出会い、心を通わせる……。

 2冊の絵本ともラストページは同じです。「チャールズ」がつんであげた花を、家に帰った「スマッジ」が窓辺に飾ります。その花の美しさは、二人の出会いの掛け替えのなさを表していると言えるのかもしれません。

 原書”A Walk in the Park”の刊行は1977年。

▼アンソニー・ブラウン/谷川俊太郎 訳『こうえんのさんぽ』佑学社、1980年、[印刷・製本:共同印刷株式会社]

アンソニー・ブラウン『こうえんで…4つのお話』

 二組の親子とイヌの、公園での出会いを描いた絵本。一方が「ママ」とその息子の「チャールズ」とラブラドールの「ビクトリア」で、他方が「パパ」とその娘の「スマッジ」とイヌの「アルバート」。二組は同じ公園に同じ時間、居合わせるのですが、そのことが、「ママ」「パパ」「チャールズ」「ビクトリア」の4つの視点から4つの物語として別々に語られていきます。

 まず面白いのは、4つの物語が交差しつつ異なるところ。同じ出来事でも、4人それぞれで受け取り方が違うわけです。それぞれの社会的背景や性格の違いと言っていいかもしれません。

 また、4つの語り手の違いが、絵の彩色の違いに現れているところも興味深いです。意気消沈している「パパ」にとって公園はまるで暗い夜のように描かれ、快活で元気な「スマッジ」にとっては明るく鮮やかな原色。加えて、文章のフォントも、4つの物語それぞれで異なります。うーむ、実に凝った作りです。

 イヌの「ビクトリア」と「アルバート」はすぐに仲良く遊ぶのですが、「ママ」と「パパ」、また「ママ」と「スマッジ」、「パパ」と「チャールズ」は、互いにほとんど接点がなく通り過ぎるだけ。そんななか、「チャールズ」と「スマッジ」は少しずつ近づき、心を通わせます。二人が並木の下にたたずむ遠景は、画面のなかで小さく描かれているのですが、掛け替えのない一瞬を表していて、とても美しいです。

 そして、二人の出会いがどんなに「チャールズ」にとって貴重なものだったのかが、公園の空の描写で表されています。最初は暗くどんよりと曇っていた空が、「スマッジ」との出会いとともに、徐々に青空に変わっていきます。これは、「チャールズ」のいわば心象風景と言えそうです。

 二人の出会いと交流には、貧富の差を越えるという含意もあると思いました。「ママ」は裕福なお金持ちで、「パパ」は失業者なんですね。

 あと、この絵本では、画面の端々に実に多くのものが隠されています。隠し絵の要素もふんだんに盛り込まれ、絵探し絵本の趣もあります。うちの子どもも、あれこれ指さして楽しんでいました。読むたびに「あっ!」という発見があって面白いです。

 しかも、単に画面の情報量が多いだけでなく、それは物語や登場するキャラクターに密接に結びついているんですね。シンボリックなところがたくさんあり、ディテールそのものが独自のストーリーを語っているように感じました。

 原書”Voices in the Park”の刊行は1998年。この原書タイトルも、なかなか意味深です。

▼アンソニー・ブラウン/久山太市 訳『こうえんで…4つのお話』評論社、2001年、[凸版印刷]

アンソニー・ブラウンさんの絵本原画展 円山川公苑美術館

 7月15日付けの神戸新聞の記事、神戸新聞ニュース:但馬/2005.07.15/大人も楽しめる83点 英国の人気作家 豊岡で絵本原画展

 会期は9月11日まで。「ウィリー」シリーズなど、13作品の83点を展示。最新作の『おんぶはこりごり』の原画もあるそうです。

 ブラウンさんの原画展は、日本では2003年以来2年ぶり。あまり開催されていなかったんですね。

 美術館のサイトは、円山川公苑美術館。今回の企画展についてとくに説明はないようです。

 ブラウンさんの絵本は視覚的な仕掛けがたくさんあって、原画展はとてもおもしろいんじゃないかと思います。

アンソニー・ブラウン『こしぬけウィリー』

 主人公「ウィリー」はとても弱虫。まちのチンピラたちに「こしぬけウィリー」と呼ばれています。なぜなら、自分がまったく悪くなくても、自分が殴られていても、「すみません、ごめんなさい!」と謝ってしまうのです。そんな「ウィリー」が一念発起、「こしぬけ」におさらばしようと体を鍛えていく物語。

 「ウィリー」のこの大変身が見物。最初のページには、自信なくオドオドした表情、体も細く小さく、猫背でポケットに手を突っ込み、足取り重く歩く「ウィリー」が描かれています。それが、ジョギングにエアロビクスにボクシング、ボディービルにウエイトリフティングとトレーニングを続けるうちに、まったくの別人に変わっていきます。活力あふれる精悍な顔つき、大きく力強い体、背はしゃきっとし、胸をはって颯爽と歩く「ウィリー」。

 うちの子どもは、「ウィリー」が筋肉ムキムキになって鏡に自分の体を映している画面に大受けしていました。いやはや、なんともすごい筋肉。

 そして、まちに出た「ウィリー」は、チンピラたちにからまれていた女の子「ミリー」を救い、「ミリー」の愛まで勝ち取るのですが、そのあと、どうなったか。このラストには、うちの子どももびっくりしていました。「えっ! 元に戻ってる!」。まあ、外見が変わっても、中身は同じということでしょうか。なかなかユーモラスなオチです。

 でも、考えてみると、このラストは、なんだか安心できます。筋肉ムキムキになっても、心優しき「ウィリー」のまま。いや、その方が「ミリー」にも、もてるんじゃないかな(^^;)。

 それはともかく、この絵本のキャラクターはすべてゴリラ。絵は非常にリアリスティックで、毛の一本一本まで描き込まれており、これはもうゴリラ以外のなにものでもないです。ところが、それが人間以上に人間らしいんですね。服を着て人間のような生活をしているのですが、たとえば「ウィリー」の表情の変化を見ても、なんとも人間らしく、ゴリラであることを忘れてしまいます。いや、逆にゴリラであるからこそ、人間的なものがよりはっきり現れてくるのかも。

 あるいは、このリアリスティックな描写で人間の男の子が主人公として描かれていたら、どうだったか。絵本としてちょっと成り立たないかもしれませんね。「ウィリー」がチンピラにからまれている場面はもっと深刻になりそうですし、筋肉ムキムキになっていくところのおかしさも半減する気がします。ゴリラであることが、ファンタジーを可能にしていると言えるかもしれません。

 うーむ、なんだか難しくなってきましたが、絵のリアルな部分とファンタジーな部分の独特の結合が、この絵本のおもしろさかなと思いました。

 読み終わったあとで、うちの子どもは「ぼくは、こんなにムキムキになるのはイヤだなあ。だって、恥ずかしいから」なんて言っていました。たしかにねえ(^^;)。

 原書”Willy the Wimp”の刊行は1984年。この絵本、おすすめです。

▼アンソニー・ブラウン/久山太市 訳『こしぬけウィリー』評論社、2000年