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荒井良二『はっぴいさん』

 当たり前ですが、絵本は、絵と文からできています。だから、文の何をどこまで絵にするかが、けっこう大事なんじゃないかと思います。逆に、文には書いてないことも絵によって伝えることができます。絵がメッセージになって、文の意味内容が変わってきたり、深まったりもすると思います。

 そんなことをあらためて考えたのが、この荒井良二さんの『はっぴいさん』を読んだときでした。

 困ったことや願い事をきいてくれるという「はっぴいさん」は、山の上の大きな石の上にときどき来るそうです。そこで、朝早くから「ぼく」と「わたし」の2人は、「はっぴいさん」に会いにそれぞれ別々に山を登っていきます。2人の願いというのは、「ぼくは、のろのろじゃなくなりたい」「わたしは、あわてなくなりたい」という小さな、でも本人にとっては切実な願いです。

はっぴいさん はっぴいさん
どうぞ ぼく/わたしの ねがいを きいてください
はっぴいさん!

 2人は、山のてっぺんで大きな石の上の端と端に座り、それぞれ「はっぴいさん」がやってくるのを待つのですが、待っても待っても「はっぴいさん」は来ません。そのうち、2人はそれぞれの願い事を打ち明けます。そして、「のろのろなのは何でも丁寧だからだよ」「あわてるのは何でもいっしょうけんめいだからだよ」とお互いに話すのです。

はっぴいさんは きませんでしたが
たいようを みているうちに ふたりは
なんだか はっぴいさんに あえたように おもいました

 この絵本で「すごい」と思ったのは、そのストーリーだけではありません。手文字の文のなかには何も書かれていませんし、荒井さんの絵はとても淡くカラフルなのですが、その背景の絵が強いメッセージを伝えています。

 「ぼく」と「わたし」が山登りに出発するまちは、破壊され荒廃している様子が描かれています。また、山の上で2人は「おおきな たいように むかって たくさん ねがいを 」言うのですが、その山のふもとでは戦車が何台も通り、家々は壊され、電柱は折れ曲がり、人びとが右往左往している様子が、大きな大きな黄色い太陽にてらされた遠い小さな風景として描かれています。そして、表紙と裏表紙の見返しには、荒涼とした景色が乱暴な鉛筆書きで広がっています。

 「ぼく」と「わたし」が「たくさん」願ったことが何だったのか、文章には何も書かれていません。でも、荒井さんの絵をみていると、「ぼくらのねがい」が何よりもはっきりと分かるような気がします。

 そして、それはまた、「はっぴいさん」が来なかった理由や、それでも2人が「はっぴいさん」に会えたように思ったことの意味を、もう一度あらためて考えさせるようにも思います。

 この絵本が刊行されたのが2003年の9月ということも、一つの意味をもっていると思います。

 絵だけではないし、文だけでもない。絵と文がいっしょになって、新しいメッセージを伝える。それが、この絵本の魅力と思います。

▼荒井良二『はっぴいさん』偕成社、2003年