月別アーカイブ: 2004年8月

河竹黙阿弥/飯野和好/斎藤孝『知らざあ言って聞かせやしょう』

 斎藤孝さんの「声にだすことばえほん」シリーズ、第三弾はなんと、わが家の家族みんなが大好きな飯野和好さんと組んで、歌舞伎の『弁天娘女男白浪(白浪五人男)』の弁天小僧菊之助のセリフ。飯野さんの絵は本当にすばらしく、画面の端々にまで力がみなぎっています。主人公の菊之助が実にワルでカッコよくて、色気がにおいたつよう。妖しい目がよいです。画面の構図もきまっていて、ページをめくるたびに、おーっという感じです。
 絵は本当によいのですが、でも、絵本全体としてみると、ちょっとどうかなと思いました。というのも、菊之助のセリフ、声に出して読んでも、それだけでは何のことやら意味が分からないのです。うちの子どももよく分からないと言っていました。巻末には斎藤さんの口語訳が載っていますが、それをそのまま読んでも、まだ分かりません。子どもはもちろん、大人の私にもよく理解できないところがあります。意味ではなく声に出すことが大事なんだということかもしれませんが、しかし、これでいいんだろうかと疑問が浮かびます。
 たとえば、じゅげむじゅげむとか「声に出すことばえほん」シリーズの以前のものだと、まさに音そのものを楽しめたと思うのですが、今回はなかなか難しい。少なくとも読み聞かせには向かないような気がします。
 もう少し仕掛けが必要なんじゃないかな。たとえば、巻末には歌舞伎役者のセリフまわしが収録されたCDブックのあることが記されていましたが、それなら、最初からCDを付けるとよいように思います。CDを聞きながらセリフまわしのおもしろさを知ると、だいぶ楽しめるんじゃないでしょうか。
 口語訳についても、註をもっと増やして、もう少し分かりやすくするとよいと思います。斎藤さんのあとがきにはいろいろ説明が書かれているのですが、やはり小さな子どもにとってはまだ難しいでしょう。
 こんなことを書いているとなんだか斎藤さんのファンには嫌われそうですが、飯野さんの絵がすばらしいだけに、もう少し、なんとかならないかなと思ってしまいました。
▼河竹黙阿弥 文/飯野和好 構成・絵/斎藤孝 編『知らざあ言って聞かせやしょう』ほるぷ出版、2004年

栗原毅/長新太『やぶかのはなし』

 今日は2冊。夏といえば、蚊。うちでも毎晩のように蚊と戦っています。この絵本は、蚊の生態を描いた絵本です。オスは血を吸わないことや、メスが血を吸うのは卵を育てるためであること、水のあるところに卵を生むといってもいろいろ条件があること、さらには交尾や蚊のうんちについても説明されています。はじめて知ったのですが、トンボやクモは蚊を食べるのだそうです。にっくき蚊とはいえ、一つの生命体として生きていることがよく分かります。絵は、白と黒以外は緑と黄とオレンジの3色のみ。夏の暑さや血の色も連想させ、人間の世界とは違う蚊の独自の世界が画面から立ち上がってくるようです。すごいなと思ったのは、蚊の生態を描いているとはいっても、蚊の身体をクローズアップしたりせず、ほとんど通常の蚊の大きさと変わらずに描いているところ。画面のなかで本当に小さく飛んでいます。でも、だからこそ逆に、ブーンという正体不明な音が聞こえてくるようで、いつものあのすばしこい黒いカゲ、つぶしたと思ってもつぶせていない、にっくき黒いカゲを体感することができます。と、書いていたら、たったいま私の左よりブーンという不穏な音が……。蚊です。……つぶしました。血は吸っていないようなので、もしかしたらオスだったかも。この絵本、おすすめです。
▼栗原毅 文/長新太 絵『やぶかのはなし』福音館書店、1994年

夏休みの図書館

 先日、いつもの公共図書館に行ったときのこと。驚いたことに、絵本の棚がどれも、いつもの3分の1くらいなくなっていました。えー!と思い、貸出窓口の方にたずねたところ、夏休みの宿題などの関係で借りられ毎年この時期は棚がスカスカになるとのことでした。

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小林伸光『ロケットがゆく』

 今日は1冊。「おおきなポケット」はもともと小学生向けなので、うちの子どもには少し難しいと思うのですが、この『ロケットがゆく』は大のお気に入り。もう何十回も読まされています。日本のH2Aロケットの1段目と2段目が工場からトレーラーや船やクレーンなどを使って発射場に運ばれ、そこで組み立てられて宇宙に飛んでいくまでを、CGを使って写実的に描いています。こんなふうに運んでいるのかと、はじめて知ることもいろいろ。ロケットのリアルな描写で、うちの子どもがこの絵本を大好きな理由はよく分かるのですが、正直言って私はあまり好きじゃありません。なんだろうな、つまり、CGを使う必要性がよく分からないのです。これだけリアルに描写するなら、むしろ、実物のH2Hロケットの様子を撮影して、写真絵本にした方が何倍も興味深いと思うのですが。というのも、CGで作られた画面にはまったく一人も人間の姿がないのです。ロケットをはじめ輸送機械や発射場だけで、そこで働いているはずの人間が一人もいないというのは、リアルなCGだけに、あまりに不自然! ちょっと、どうかと思います。でもまあ、子どもに読んでと言われたら読むわけですが……。
▼小林伸光『ロケットがゆく』「おおきなポケット」2002年4月号(通巻121号)、福音館書店、2002年

長田弘/あべ弘士『あいうえお、だよ』

 長田さんの文は詩といった方がよいと思いますが、「あ」「い」「う」「え」「お」の5つの言葉が「みんなでみんなの世界をつくる」お話。木や鳥や湖や風や星、冬や春や雨や夏や秋、いろいろな色や線、いろんな動物に、「あ」「い」「う」「え」「お」がなります。この詩は、とても感慨深く印象的。そして、あべさんの絵がこれまたすばらしい。文によって描き方を変えているのですが、たとえば季節を描いたところでは、描き方の違いによってその季節の一面が鮮やかに切り取られていて、美しいです。また、いろんな色や線を扱った文には動物や虫の絵が付けられており、これはあべさんならではでしょうか。抽象的な内容をその深みを損なうことなく具象的な絵によってつかみとる、そんな印象を受けます。最後の方では、「あ」「い」「う」「え」「お」の呼び声に応えて、「か」から「ん」までの言葉たちがみんな登場します。

みんなで なにか をしよう。
か から ん まで あつまってきた みんなが いいました。
みんなで みんなの 世界を つくろうよ。
あ と い と う と え と お が いいました。
こうして、みんなで みんなの 世界を つくったんだよ。
あ と い と う と え と お は いいました。
こうして、みんなで みんなの 世界を つくれるんだよ。
あ と い と う と え と お が いいました。
ねえ、みんなも みんなの
すきになれる 世界を つくってみない?

うちの子どもは読んでいる途中で「これは字を覚える絵本なの?」と言っていましたが、このラストページの呼びかけには「そりゃあ、知らない字で歌を作る」と応えていました。そうか、歌か。なるほどなあ。この絵本、おすすめです。
▼長田弘 作/あべ弘士 絵『あいうえお、だよ』角川春樹事務所、2004年

ジョナサン・アレン『メチャクサ』

 今日は2冊。「メチャクサ」というのは主人公のヘラジカの名前。なぜ「メチャクサ」かといえば、めちゃくちゃくさいから。くさい臭いに引きつけられて、「メチャクサ」の頭はハエだらけ、そのハエを食べにカエルや小鳥たちまで頭に住み着いてしまうほどです。で、森で一番いばっているオオカミが「メチャクサ」を襲って食べようとするのですが、何度やっても、猛烈な臭いにバタンキューと逆に倒されてしまうという物語。この痛快なお話と、なにより「くさい」という子どもの大好きな生理感覚が効くのか、うちの子どもには大受け。私もつい吹き出してしまい、二人でゲラゲラ、笑いのツボにはまってしまいました。主人公「メチャクサ」の絵はいかにもくさそう、というかバッチイ感じでよいです。この絵本、くさいのはイヤという人には向きませんが、でも多くの子どもは大好きなんじゃないでしょうか。えー、一応、おすすめです。原書の刊行は1990年。
▼ジョナサン・アレン/岩城敏之 訳『メチャクサ』アスラン書房、1993年

せなけいこ『おばけのてんぷら』

 山へ草つみに行った「うさこ」、「こねこくん」が食べていたお弁当の天ぷらを少し分けてもらいます。これがとてもおいしいので、材料を買ってきて家で自分でも作っていると、いいにおいに誘われ、山の「おばけ」が「うさこ」の家に忍び込んでくる、という物語。「おばけ」と「てんぷら」の取り合わせがまず、すごい。ふつう思いつきません。また、「おばけ」も「うさこ」も、なんだかとぼけていて、それがおもしろく、また愛らしいです。天ぷらをつまみ食いしている「おばけ」の実においしそうな顔、目がたれています。「うさこ」は「おばけ」が入ったころもを、「おや、なんだろう!ぴょんぴょん はねてるわ。いやに いきの いい やさいね。まあ いいや これも あげましょう」なんて言って油に入れてしまいます。そんな野菜、ないって!誰か言ってやれよっていう感じです(^^;)。いや、この間の抜け方がよいです。
▼せなけいこ『おばけのてんぷら』ポプラ社、1976年

アンドレア・ユーレン『メアリー・スミス』

 主人公の「メアリー・スミス」は、ロンドンに住んでいた実在の人物。裏表紙には、1927年当時のスミスさんの写真が載っています。で、この絵本では、そのスミスさんの仕事が描かれているのですが、それがなんと、朝、まちのみんなを起こすこと。ノッカー・アップ(knocker-up)、めざまし屋と言うそうで、信用できるめざまし時計が安く手に入るようになる前に、じっさいにイギリスに存在した仕事だそうです。巻末に説明がありました。ノッカー・アップで一番多かったのは、長くて軽い棒でベッドルームの窓をたたいたり引っ掻いたりする方法でしたが、この絵本の「メアリー・スミス」は違います。かたいゴムチューブに乾いた豆をこめ、それを「プッ!」と豆てっぽうのように吹いて飛ばし、窓にカチン!コツン!と当てて起こすのです。すごいですね。裏表紙の写真も、スミスさんがゴムチューブに口をあてまさに吹こうとしているところ。絵本のなかでは、こうした仕事ぶりがユーモラスに描写されています。最初のページには次のような献辞がありました。

メアリー・スミスその人へ捧げる
[中略]
それから、メアリーのことを教えてくれた母さんには
特別のありがとうを。

原書の刊行は2003年。この絵本もおすすめです。
▼アンドレア・ユーレン/千葉茂樹 訳『メアリー・スミス』光村教育図書、2004年

ヘレン・ウォード/ウエイン・アンダースン『ドラゴンマシーン』

 今日は3冊。ある雨の木曜日、窓の外にドラゴンが見えるようになった「ジョージ」。それからというもの、まちのあちこちにドラゴンを見つけます。いたずらばかりしているドラゴンをなんとかしようと、大きな空飛ぶドラゴンの機械、「ドラゴンマシーン」を作り、「だれも行ったことがない荒野の果て」、ドラゴンの楽園へとドラゴンたちを連れていきます。この絵本、絵はたいへん幻想的で美しく、「ドラゴンマシーン」の目のなかで身体を丸めて眠る「ジョージ」を描いた表紙も印象的。登場するドラゴンたちは、恐いというよりはおちゃめでユーモラス。そして「ドラゴンマシーン」が実にメカニカルでかっこよいです。うちの子どもも気に入っていました。この絵本は、物語もまたいろいろと考えさせます。大人たちには見えないドラゴンは、うち捨てられた子どもたちのメタファーであり、ジョージもその一人であることが示唆されています。

でも、だれもドラゴンに気づいていません。
きちんと見ていないから見えないのです。
気にかけていないと目にもとまらないのです。きっと。
(それって、だれもジョージのことをきちんと見てくれないし、
気にもかけてくれないのに似ているかも)

じっさい、この文の付けられた画面で「ジョージ」は、大人たちが足早に通り過ぎる道ばたで、どことなく薄くいまにも消え入りそうに描かれています。そんなに強い主張ではありませんし、ラストは一応ハッピーエンドなのですが、重層的なメッセージが感じ取れます。原書の刊行は2003年。この絵本、おすすめです。
▼ヘレン・ウォード 作/ウエイン・アンダースン 絵/岡田淳 訳『ドラゴンマシーン』BL出版、2004年