ラスカル/ルイ・ジョス『オレゴンの旅』

 非常に印象深い絵本。子どもだけでなく大人が読んでも深く感銘を受けると思います。でも、もしかすると読者を選ぶかもしれません。あるいは大人向けと言えるかも。

 物語はいわばロードムービー、サーカスのクマとピエロがピッツバーグからオレゴンへ旅をするというストーリーです。

 クマの名前は「オレゴン」。「ぼくを大きな森まで連れてっておくれ」と言う「オレゴン」の頼みに、ピエロは一緒にサーカスを出ることにします。長距離バス、ヒッチハイク、貨物列車、そして歩いて、1人と1匹は「大きな森」を目指します。まるで優れた映画を見ているかのような陰影に富んだ静謐な描写。慎み深い色彩、抑えた筆遣いが、たいへんに美しい。

 そして、ピエロという主人公の設定から浮かび上がってくる、社会から排除された者の悲哀。ヒッチハイクで乗せてもらった黒人ドライバーとの会話はそのことを如実に物語っています。

 途中まで私は、クマとの悲しい別れを予感していました。なぜなら、ピエロにとって、「オレゴン」との旅は幸せなものだったからです。「ぼくたち」はいつも一緒に歩き、食べ、眠ります。「世界中のすべては、ぼくたちのものでした」。そのことは、常に「ぼくたち」が並んだ画面に表れているように思います。

 けれども、「大きな森」にたどり着いたとき、いったいどうなるのか。クマの「オレゴン」が自分の居場所を見つけたとき、ピエロはどうするのだろうか。無二の存在との別れがやってくるのではないか。

 しかし、結末は違っていました。社会から排除されているがゆえに自分で自分に縛られていたピエロもまた、この旅を通じて自由な自分を取り戻したのだと思います。文字のない最後のページには、そのことが象徴的に描き出されています。ほんの少しの悲しみと孤独をたたえながら、それでも、未来への開放と希望を感じさせるラストです。

 なんとなく思うのですが、「ぼくたち」の旅は、身に付いてしまっていた色々なものをどんどん捨て去っていく旅だったのかもしれません。余分な荷物は持たず、片道切符だけ。お金はすぐになくなり、カバンの底に残っていた1ドル硬貨は、川で水切り遊びに使ってしまう。何も要らない、ただ「もっと美しい場所」へと向かうだけ。

 そして、「オレゴン」との約束を果たしたときはじめて、最後の最後まで残っていたものを捨て去り、今度はまさに自分自身の新しい旅に出発するわけです。「オレゴン」との旅は、自分を無くすことで自分を再生する旅と言ってもいいかもしれません。

 もう一つ、とても印象深いのが、扉の向かいのページ、献辞の下に記されたエピグラフ。「感覚」というアルチュール・ランボーの詩です。表紙にもなっている、本文の真ん中の見開きページに呼応しているように思います。

 「話もしないし、なんにも考えないのに、かぎりない愛が魂にあふれてくるんだ、……」。たしかに「オレゴン」は、「大きな森まで連れてっておくれ」という冒頭の一言以外、何もしゃべらないのです。それでも「ぼくたち」の間に「かぎりない愛」があふれていたことは間違いありません。だからこそ、ピエロは何もかも捨て去り、そして自分を取り戻せたのだと言えるかもしれません。

 原書“Le Voyage D’Oregon”の刊行は1993年。

▼ラスカル 文/ルイ・ジョイス 絵/山田兼士 訳『オレゴンの旅』セーラー出版、1995年、[印刷・製本:大日本印刷]

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